Posted by ブクログ
2011年12月11日
タイトルは「情報学の基礎」の意味ではなく「基礎情報の学」。”情報”の統一的な基礎付けをしようという意欲的な著作。だから、油断して読みだすととたんに迷子になること請け合い。
情報といえば、シャノン=ウィーバーの情報理論なのだけど、あれは情報の定量化による通信可能性に関する理論であって、情報の持つ意味...続きを読む内容にはいっさい手をつけていない(だからこそ情報を定量的に取り扱うことができた)。でも、情報とは何かという根本的な問いを立てたのなら、それが含有する意味内容、そしてそれが与える影響にまで踏み込無必要がある。
というわけで、西垣の基礎情報学になるわけだけど、ここで西垣は情報を「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」と定義する。一般的な情報の理解とはかなり異なる定義だが、それは情報が持つ意味内容までを包括した理論化を目論んでいるから。意味内容の視点から考えるのであれば、必ずそれを受容し利用する生物の存在に行き着かざるを得ない。「生命から社会へ」という副題の意味はそこにある。
そして、こうした情報と生物との関係を記述するために、西垣はオートポイエーシス理論を援用した分析を試みる。マトゥラーナ=ヴァレラが提唱した自律的・自己言及的な生命システム像であるオートポイエーシス理論は、生物の構成を閉鎖的なもの、外的な刺激とその反応の連鎖として捉える。その後ルーマンによって社会学・システム論に応用されるのだけれど、西垣はそこに情報を位置づけることで、生命に対する意義を見出そうとする。
ここまででも相当に普通の情報学とは違って理解が難しい。続編の「続 基礎情報学」はこれに輪をかけて難しい。そもそも、西垣の主張、構想の妥当性も正直良くわからない。それでも情報の統一的な基礎付けを行うという挑戦には夢があるし、好奇心も刺激される。
【読書メモ】
・情報とは「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」
・情報は生命の世界認知活動「意味」と関わるはず→しかし情報工学は意味を排除する方向に。
・社会は「人」の集まりではなく「コミュニケーション」を構成素とするオートポイエティック・システム
・近代は「機能的分化社会」→それぞれのサブシステムの中でコミュニケーションが自律的に生成消滅し、意味が伝達
・マスメディアは「現実ー像」を提供→現実に一定の解釈をほどこし、斉一的な「説明」として人々に提示される一種の虚像