西垣通のレビュー一覧
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西垣さんは、後書きでも書かれているとおり、ところどころで「知的暴力」という過ちをおかしており、論証力という部分において、ちょっと突っ込みたくなる部分があるのだが、一冊通して読むと、得るところが多い書き手なのが魅力である。
今回は、オートポイエシスという概念に、アフォーダンスという概念を交差させ、生命的情報の本質に迫ることに成功している。そして、ヒトという生物がアフォーダンスからはみ出た存在であることの指摘においては、鋭いとしか言いようがない。
以下抜き書き。
・すなわち生物とは、いわば歴史を抱え込んだ存在なのです。非生物であるモノを記述するにはその物理的な構造からはじめればよいのです -
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[ 内容 ]
地球上に生命が誕生した三十数億年前に、情報も同時に誕生した。
情報とは生命の意味作用であり、ヒト特有の言語もその発展形にほかならない。
すなわち、ヒトの“心”とは“情報”が織りなすダイナミックなプロセスなのである!
それでは、動物の心を根底にもちながら、一方で機械(コンピュータ)で心をつくろうという野望を抱く、現代人の心とはいったい何か?
オートポイエーシス、動物行動学、アフォーダンス、人工知能といった理系の知と、現象学、言語学、社会学などの文系の知を横断しながら、まったく新しい心の見方を提示する、冒険の書。
[ 目次 ]
第1章 情報から心をみる(情報学からの展望 心は情報処 -
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AIが人間の意思決定を凌駕するシンギュラリティは来ないという。なぜなら、AIは意味解釈ができず、意志を持たないから。
2016年の本でLLM以前だからもう古くなってしまっていることは否めない。意志をもたないことは今でも同じだと思うが、意味解釈についてはかなり実現してしまった。というかむしろそもそも人間の意味解釈自体が確率論的連想にすぎなかったなんじゃないかということがわかってきたと理解している。
AIは道具ということはごもっとも。
「インターネットや人工知能技術の基層には、高みを目指す一神教的な理想主義と宇宙観があるのだ」という考え方には、プロ倫的な意外性に面白さは感じるが、根拠は希薄で -
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2019年 中公新書ラクレ
AIと倫理を考えるにあたり、それぞれを定義する必要がある。例えばAIであれば、推論プログラムを用いるもの、膨大な情報から瞬間的に抽出するもの、深層学習を行うもの、対話型プログラムを行うもの等々が存在する。
倫理は、功利主義、自由平等主義、自由至上主義、共同体主義等の観点がある。(優位性は無い)
しかしAIと倫理の諸問題を考える際、それぞれを十分に整理された状況ではなく、論じることが出来ない。そもそもAIは他律型機械(プログラミングによって答えを出す)為、客観的責任を撮ることが出来ない。
その為自動運転、監視選別社会、AIによる創作物等は、官民学の連携が必要である。( -
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こういう本は、連載の時にリアルタイムで読みたい。
とは言え毎日新聞の読者になる気もない。
デジタル庁に関しては、あまり期待してないと解釈した。
初代デジタル庁長官が、
NECをぶっつぶせ!
とわめいていたのをニュース映像で見た。
期待できないなと思った。
次の地元の選挙区では落選した。
比例区で生き返ったりはしたが。
次のICU出身の女性長官もいつの間にか
いなくなった。
3代目は時々プッツンする人だ。
私はデジタルの意味がわからない。
少なくともアナログに対するデジタルの意味くらい分かっている。
ロジックの回路図くらいはわかる。
行政屋がアバウトに言うデジタルって
インターネットのこと -
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デジタル社会の現況と情報学を幅広に捉えた一冊。総花な感じで焦点がぼやけるか?
全5章から成り、1章は新型コロナ以後の日本の官民デジタル社会現況、2章はAIとメタバースの現況、3章は情報学のうち多様な主観性を重視する考え方の概論、4章は分断アメリカ社会、5章がまとめと提言の構成。
1・2・4章に新しい発見や驚きは正直あまりなくて、読むべきは3章と5章か。
とはいえ、3章は情報学素人の私は完全に置いてけぼりをくらった。著者の専門分野で真骨頂発揮の章なのだと思うけど、情報を哲学的に捉える視点・イメージ・理論がさっぱりわからない。これは別の本で学ぶべきことか。
5章は、日本人の気質(保守的でトッ -
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シンギュラリティ仮説への批判。
最終章にすべてのエッセンス。
素朴実在論に立脚し得ない点は既に決着済。フレーム問題や記号接地問題は解決し得ない。相関主義哲学に基づけばシンギュラリティーはありえない。唯一の可能性は思弁的実在論によるものであろうが、その場合、現在喧伝されているような楽観的なシンギュラリティー後の社会は描き得ない。
シンギュラリティー仮説の背後にある、創造神、ロゴス中心主義、選民思想、この3つがセットとなった一神教的世界観。
過去の蓄積に準拠する機械と、創発性のある生命体との相違。
AIよりもIA Intelligence Amplifierと捉えるべき。 -
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【ノート】
・西垣センセーの情報学のテキストは、難しそうな面構えの割に読みやすい印象があったので、本書も期待して読み始めたのだが、人間と人工知能との比較検討が乱雑。特に中盤から終盤にかけてはその印象が強い。
例えば。
芸術は過去にないものを創り出すものだが、人工知能は過去のパターンから持ってくるだけなので、よって芸術は人間によってしか可能たり得ないというくだりがある。著者のお仕事と本書の性格から言って、では、人間が芸術を創り出す時の知能のプロセスが、人口知能のそれと、どう違うのかということを提示してくれて然るべきでわ?
・ただし、人工知能肯定派(カーツワイルとか)は、まだ解き明かされ -
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この人はITなどという言葉で呼ばれる前から
この業界にいる人ですが、正直、僕には全然合わない。
AIの知性というものに限界があるのだから、
万能であるかのように思ってはいけない、
という主張それ自体は受け入れましょう。
というよりも、それはむしろ当たり前なんです。
ただ、その主張をする時に
万能AIという夢想が一神教的なものに通じているとも述べるのは
あまりに粗雑な議論です。
少なくともその夢想がヨーロッパから来たという証はなく
同時発生的に同じような概念が自生するという
可能性をほとんど顧みていない。
また、これは議論の中核ではなくて、単に言ってみた程度の話であり
要は万能ではないとい