松本裕のレビュー一覧
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"絶望死"、ショッキングなワードである。
一般的には、社会が裕福になると、平均寿命は伸び、死亡率は低下する。ところが、中年の白人アメリカ人の死亡率が増えていることを著者たちは知る。しかも増加率の高い死因は、自殺、薬物の過剰摂取、そしてアルコール性肝疾患の3つであった。これを著者たちは「絶望死」と名付けた。そして、これら絶望死が増えているのは学位を持たない人々の間であることを、統計的に次々と明らかにしていく。
このような変化の原因は、グローバル化に伴う労働環境の変化、特に製造業労働者の低賃金化、コミュニティの破壊等がある。それでは、他の先進国ではそれほど目立った変化がないのに、なぜアメリカでは死亡率の顕著な増加という現象が起きているのか。
著者たちは、アメリカの医療制度の問題、中毒死を引き起こすおそれのあるオピオイド(鎮痛剤)の蔓延や高額な医療費と保険制度を批判の俎上に乗せる。
また、製薬会社や病院コンツェルン等が、豊富な資金力に任せて自らに有利な規制を設け、あるいは規制を緩和するよう政治家や省庁に働き掛ける、レントシーキングによる不公正に言及している。
著者たちは、資本主義や格差の存在自体は問題視しない。不公正な富の分配を是正する方策はあるということで、対策を提示する。
果たしてそれは解決策になるのだろうか。現在のアメリカの政治・経済構造の下で可能性はとても低いのではないだろうか。第16章「どうすればいいのか?」を読んで疑問を持ちながらも、いろいろと考えさせられた。
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■測定執着というパワーワード
この本は、世の中のあらゆる組織にはびこる実績評価のための「数値測定」がもたらす弊害について、実例を用いて詳細に分析、解説された本です。
組織を管理する有能マネージャー(自称)は、部下の売り上げ数、部下が出した不具合の数、部下の残業時間、部下の技能熟練度を数値化したスキルマップ、何でもかんでも測定して美しいグラフを作成して仕事をした気になってしまう、これを本書では「測定執着」と呼んでいます。
なぜ、組織に、この「測定執着」から逃れられない有能マネージャー(自称)がこうも多く存在してしまうのか、その理由が実例を交えて解説されています。
■製品の不具合の数をカウントします
「あなたの部署が開発した製品の不具合の数をカウントします、不具合が少ない部署には報酬を、多い部署には罰則を設けます、みんなで不具合を撲滅しましょう」
例えばあなたの職場で、このような崇高な数値目標を掲げられた経験はないでしょうか?
この時、不具合の数を測定する目的は、製品の品質を担保してエンドユーザーを満足させよう、というものであったりします。
では実際のところ、この目標の元に働くあなたの職場では一体何が起こるでしょうか?
不具合の数が増えないよう、不具合は隠され改ざんされ、あるいは不具合が露見しにくいような当たり障りのないテストだけが実施されるでしょう。
そればかりか、不具合が出る可能性が高いチャレンジ志向の開発は避けられ、イノベーションあふれるクリエイティブな製品づくりへのモチベーションをあなたから見事に奪い去ってくれることでしょう。
いつの間にか、品質の担保やエンドユーザーの満足度の向上といった当初の目標はどこかに追いやられ、半期ごとの不具合数が右肩下がりに見えるようなきれいな棒グラフをパワーポイントにおこすことが目標になってしまうことでしょう。よく言う目的と手段の入れ替わりというやつが発生してしまうわけです。
■有能マネージャー(自称)が「数値測定」が好きな理由
筆者は、なぜ現代では、不具合数やセールス数や犯罪検挙数などの測定、いわゆる「数値測定」がここまで人気になったのか、という問いに対し、社会的信頼感の欠如がそうさせている、と答えています。
これはつまり、エリートと呼ばれる管理者の立場の入れ替わりが激しい能力主義の現代において、自分の立場の維持に安心できない有能マネージャー(自称)が、「数字」という万人に公平に見える測定基準を利用して自分の立場の客観性を主張して信頼を勝ち取ろうとする動きであるというものです。
そして筆者は、このような体制になってしまうと管理者は自身の裁量(これは目に見えない)で物事を判断することができなくなってしまう、と書いています。
またこの時、測定に費やされる膨大なリソースは無視されるばかりか、簡単には測定できないけれど組織にとって本当に必要なアウトプットまでもが無視されてしまう、と述べられていました。
■測定値を能力評価に使うことの弊害
本書では、測定値を能力評価に使うことの弊害について、数々の実例とともに紹介されています。
例えば、アメリカで子どもの教育格差をなくす目的で政府主導で行われた教育改革の話。
その改革の一部に「教師の能力評価による適切な報酬配分」というものがあり、それは「教師の能力を正しく数値評価し、いい教師にはいい報酬を出そう」といったものだったそうです。
では、教師の能力をどうやって評価しよう?となったときに、当然校長の裁量で評価するわけにもいかず、客観性を可視化してくれる「数値測定」が必要、となり、結果、その教師が受け持つ生徒の定期テストの点数で評価する、となったそうです。
すると何が起きたか?成績の悪い生徒を「障碍者」クラスに分類するような細工がされ、彼らの回答用紙は集計に加えられなかったそうです。教育格差をなくすという当初の目的は完全に忘れ去られています。
■医療業界での実績測定の成功例
実績測定の欠点だけでなく、本書ではその成功例についても書かれています。
それは、米国のガイシンガー・ヘルス・システムという電子医療記録システムで、患者の既往歴、治療計画、実績などすべてを電子記録し、その記録を患者当人だけでなく医者や看護師や薬剤師が共有することで統合チームによる治療を提供しようとするシステムです。
このシステムにおける実績測定が成功した理由について本書には2つ書かれており、1つは、このシステムの目標を、患者が払う医療費の削減およびシステムが有効活用され場合の診療報酬が医療従事者へ支払われるという、患者と現場の医療従事者双方の実利に設定した点。もう1つは、このシステムにおいて何を測定するべきかという測定基準と、それをどのように測定すべきかという測定方法を、現場を知らない管理者ではなく、現場の医療従事者が直接主導して決定したという点です。
この2つ目は実績測定を成功させるために特に重要で、現場にとって何が有効な測定データであるかを現場の人間が決めることで、実績測定についての現場の同意が得られるし、測定データが現場従事者の提供するサービスの向上に直接貢献できることになります。
要するに、現場従事者が、自身が提供するサービスをより良くしようという自発的な動機で、実績測定を有効活用したから成功した、という訳です。
■自分たちの経験と見事にシンクロする
本書では、先の教育現場で起きた「測定執着」の顛末のほかにも、警察、医療、軍隊、ビジネス、慈善事業など、さまざまなシーンで起こった実例をありありと紹介しており、読んでいくうちにそれらの事例は僕たち読者自身の職場や組織の中で起きていることと見事にシンクロしてみじめな気持ちにさせられます。
しかしそれと同時に、自分たちが日ごろ心に抱えていた「数値測定」に対する違和感を見事に言い当ててくれていてすっきりした気持にもなれますので、ぜひ読んでみてください。
逆に、数値評価を愛してやまない有能マネージャー(自称)にとっては目を背けたくなる本だと思いますので、そういった方は読まないことを推奨します。
■能力給は理にかなっているのか?
最後に、「とは言え利益を得ることが目的であるビジネスの世界では、数値測定による能力給は理にかなっているのではないか?」という問いに対する筆者の考えについて紹介します。
『たしかに、能力給がその約束を果たしてくれる場合はある。こなすべき仕事が反復的で非創造的であり、標準化された商品やサービスの生産または販売に関するものである場合、仕事内容に関して判断を求められる可能性が少ない場合、仕事に内在的満足があまりない場合、実績がチーム全体ではなくほぼ完全に個人の努力に基づいて測定できる場合、他者を手伝ったり励ましたり助言を与えたり指導を行ったりする行為が仕事の中で重要な位置を占めていない場合がそうだ。』 -
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KPIの設定について議論すると、経営者の経営センスや部門運営者の運営センスが如実に表れるが、本書はその言語化が難しい「センスの善し悪し」を具体的事例を多数研究して「数値目標」という切り口から見事にあぶり出している。
みんな一様に可視化、見える化、KPIと叫ぶが、現場感覚なくダッシュボードを眺めたり、偉そうに論評して、仕事をした気になっている人はいくらでもいる。それだけならまだしも、なんちゃって経営のために膨大な労力と時間を使って可視化に携わる人達がいるのが残念でならない。
そもそも何を可視化するのか、何故可視化するのか、あなたやあなたの組織の目的はなんなのか?
そんな当たり前の話が理解できない人に是非読ませたい一冊。
ただ、原書からそうなのか、文章が回りくどい感じで、読む気が萎える所もあるのは残念としか言いようが無い。 -
給料によるモチベーション
測定に力を入れすぎる、見かけ上の目標達成を目指してしまうと、本質を見失い、損失がうまれるという内容。
ビジネス以外の事例が豊富。
測定可能な数値による外的動機付け(給料)は、内的動機付け(仕事内容からくるモチベーション)を損なわせる。そして、特に学校、病院といった非営利組織において、組織としての目標を達成する上で、給料によるモチベーションアップは逆効果であるといった内容が印象に残った。 -
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ネタバレ証拠ベースの政策決定。アカウンタビリティ(説明責任)。PDCAサイクル。それらのためにはまずは測定することが第一歩。ということで何でもかんでもまずは数値化という昨今。
本書は、測る仕事ばかりが無意味に増えて頭にきた大学教授が専門外の文献を読んでまとめた論文の形になっている。
測ること自体が問題だと批判しているわけではない。測ることが万能だと思うのが間違いである。数値化して可視化すれば何でも上手く行くわけではないのだ。
測ろうとしている対象、例えば、学校の教師の能力だとか、会社組織のパフォーマンスなどのうち、実際に数値化できることはそのほんの一部分限られているし、測るのは数値化しやすい部分に限られるということ。
測りやすいものだけ測って全てのように評価すると、測れない重要な事項が無視されることになる。欠点を認識せずに導入することは問題だし、測定に執着するのが間違いの元凶。測りすぎることのコスパも考えるべきだ。
以上のことがもうずいぶん前から研究者によって明らかにされていることを、本書は教えてくれる。
言うなれば、本書は”測りすぎ”の失敗学とも言えるだろう。こうすれば失敗するという分かり易い実例がたくさん紹介されているので、「さぁ測ろう!」という組織のトップには、本書を読んで過去の失敗例を学んでから測りはじめて欲しい。
しかし、本書で紹介される失敗例をなぞるような「改革」が自分の所属する組織で進行していくのを知ると残念な限りかもしれない。
本当に有意義で機能する「測定」システムは現場を担当する内部から改善運動のための起こる測定であって、測定される対象の人々が測定の価値を信じている場合のみだということを忘れてはいけない。
最も失敗するのは、上からの「測定」を「報酬」と連動させる場合のようだ。特に、公的な仕事。公務員、警察、教師、医師、大学教授など、人々への貢献による精神的な内的報酬を重要視する分野では、数値化しやすい項目による実績評価を使った成果と給与とを結びつけることは、逆効果になることと結論付けられているらしい。うーん。 -
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データをもとに国の政策や企業経営、従業員の報酬体系がが決められていくというのは、当然のことだし、科学的で良いことと思われている。しかし筆者は、測定に執着しすぎることには多くの悪い側面があるという。本書では、「測りすぎた結果かえって悪くなった」例がいくつか紹介されているが、ここではアメリカの学校の事例を取りあげたい。
2001年にアメリカで、通称「落ちこぼれ防止法」が施行された。これは、成績に関して民族間の根強い格差が存在していたため、その解消を狙って作られた法律だ。
この法律ものとで、毎年3年生〜8年生に算数、読解、科学のテストが受けさせられた。テストの結果、特定の生徒のグループの進歩が見られない場合、学校には罰則が与えられる。これにより成績の悪い学校や教師は頑張るはずだから、成績は改善されるはず。
しかし、10年以上経ったいま、成績の改善効果は証明されなかった。
何が起こったのか?まず、教師は、テストの対象の科目しか教えなくなった。つまり、歴史や音楽、体育といった科目がおざなりにされたのだ。また、テスト対象の教科でも、幅広い認知力の育成よりも、テスト対策が重要視された。そして、学力の低い生徒を「障害者」として対象から除外して平均点を上げようとしたり、さらには、教師が生徒の回答に手を加えたり、点数の悪そうな生徒の答案用紙を捨ててしまうといったあからさまな不正も行われた。
測定は役に立つ。テストをすれば、教師は生徒のつまづきポイントが分かるので次の指導にフィードバックできる。でも役に立つのは、測定が「重要性を持たない」ときだ。測定結果が重要になると測定自体が捻じ曲げられてしまう。
アメリカ人社会心理学者の名前をとったキャンベルの法則というものがある。「定量的な社会指標が社会的意思決定に使われれば使われるほど、汚職の圧力にさらされやすくなり、本来監視するはずの社会プロセスをねじまげ、腐敗させやすくなる」
この本ではほかにも医療現場や軍、ビジネスにおける測りすぎの事例が紹介されている。測定基準を使用する場合に気をつけるべき点をまとめたチェックリストも載っており、読者が職場などで測定を利用するときにも参考になるはずだ。 -
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元マイクロソフトのエンジニアである著者は、インドでの教育・開発支援にかかわった経験から、ソリューションの援助よりも先に、心(意図)、知性(判断力)、意志(自制心)を備える受け手がまず必要だと説き、テクノロジーを投入さえすれば、自発的に活用されて生活が改善するという考えに批判を加えている。
ここで批判されているプロジェクトは、
ワン・ラップトップ・パー・チャイルド(One Laptop Per Child)
ホール・イン・ザ・ウォール(Hole in the Wall)
グラミン銀行
など。
将来的に収入の増加が見込めるとしても、勉強したりビジネスを立ち上げて成功するという事例を見聞きしたり、体験していない層に、情報や資本へのアクセスを提供したところで活用されない、というのだ。
そして、成功事例として、農村に密着する指導者を備えた農業情報提供「デジタル・グリーン」や、教師による指導が実績を上げている教育機関など、人と文化に寄り添う支援を紹介する。
援助の受け手が貧しい原因を、テクノロジーの不足ではなく、貧しい人たちが向上心や勤勉さが欠けているからだとすると、そういう魅力的でない人たちを助けるというのは気分が良くない人もいると思うし、自己責任論にもつながりそうだ。
東アジアにテクノロジーが流入するとそれを使いこなして発展することができたのは、儒教という社会性や学習を重んじる学問体系によって、テクノロジーを活用する素地が作られていたからなのではないか。
ジャレド・ダイヤモンドは「銃・鉄・病原菌」でテクノロジーと産物が民族の興亡を決定づける、としたけれど、切り口を変えるとまた全然逆のストーリーが出てくるんだなぁ。 -
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学生時代に輪読したカステルを思い出した。「情報技術と社会の相互作用」という訳を多用した記憶があるが、その表現だとなんだか抽象的でピンと来ないが、本書を読めば、「あ、そういうことね」と合点がいく。学生時代の自分に読ませてやりたい。本書の主張は、社会問題のみならずビジネスシーンでも思い当たる節がある。情報技術がどれだけ進んでも、それを導入する側に度量がなければ、成功しないとの感覚をもっており、同意見である。
ツイッターの使い方は誰でも覚えられる。だがどのような媒体を使うにしろ、説得力のある議論を構築して展開するには思考力と文章力、そしてコミュニケーション力が必要だ。これらの能力は携帯メールや電子メール、パワーポイントの利用を通じてますます表現されるようになってきてはいるが、それらのツールに教えられたものではない。同じように、コンピュータの「使い方」を覚えるのは簡単だが、会計や工学に必要な基本的数学能力には、問題を繰り返し解くことで身につくしっかりとした基礎がなければならない。そうした基礎は、コンピューターがあろうがなかろうが容易に身につけられるものだ。つまり、現代社会のデジタル機器を使えるようになることと、情報時代に求められる批判的思考能力を身につけることとの間には、大きな違いがあるということだ。
言ってしまえば、生徒たちは歴史上の偉大な思想家たちが何世紀もかけて思いついた発見、もっとも深い思考を、たった12年で再構築しなければならないのだ。
これは遊び半分にできることではなく、指導に基づく動機づけが必要だ。どれだけ派手でインタラクティブな図や絵が教材についてきたとしても、子どもがその科目を消化するという自分の中での困難な作業を行わなければ意味がない。
私がインドで担当した50数件のテクノロジー関連プロジェクトは、幅広い成果を生んだ。その中のいくつかは、人々の暮らしを改善することもできた。…だがいくつかは、時間と資源の無駄だった。…
…調査結果に何らかの構造を見い出そうとする中で、本当の意味での影響として三つの要素が見えてきた。
第一の要素は、研究者の熱心さだ。これは研究の成果に対する熱心さではなく、具体的な社会的影響に対する熱心さを指す。…
第二の要素は、パートナー組織のやる気と能力だ。…
三つ目の要素は、対象となる受益者だ。彼ら自身に、与えられたテクノロジーを活用しようという欲求と、それができるだけの能力が必要となる。…
…社会的決定論者が主張するのは、テクノロジーは基盤となる人間の意志によって役立てられるということだ。同時に、どのテクノロジーが変化を起こせるのかは、人間の既存の能力によって決まる。これらの概念を合わせれば、テクノロジーの一番の効果は人間の能力を増強することだと言える。…
この考え方はあまりにも単純であまりにも適用範囲が広いので、私はこれをテクノロジーの「増幅の法則」と考えるようになった。
コストを削減しようという企業の熱心な努力をデジタルツールで増幅させているウォルマートとは異なり、アメリカの医療制度では、テクノロジーは支出を推奨するものばかりが増幅されている。患者の杞憂、医師の弱さ、サプライヤーの強欲さ、そして政策決定者の先見の明のなさ―こうした社会的力のすべてを、テクノロジーは残念ながら増幅してしまう。
新型のノートパソコンがあったからといって、従業員の生産性が上がるとは限らない。最先端のデータセンターがあったからといって、より戦略的な思考は生まれない。そして知識管理システムがあったからといって、競い合う部署が互いに情報を共有するようにはならない。それでも、最高IT責任者たちはどこの会社でも、まさにそういう裏技めいたことを要求される。経験豊富な人物なら、あまり多くは約束しすぎないようにするだろう。テクノロジーはすでにうまくいっているシステムをさらに改善することならできる(これも増幅の一種だ)。だが崩壊したシステムを修理することはできない。管理なくして知識管理はありえないのだ。
とにかく、低価格のテクノロジーは不平等と闘う効果的な手段ではないのだ。なぜなら、デジタル・デバイドはその他の格差の原因ではなく、むしろ症状のひとつだからだ。「増幅の法則」の下では、テクノロジーは―たとえ平等に分配されたとしても―格差をつなぐ橋ではなく、隙間を押し広げるジャッキの役割を果たす。既存の格差を広げるだけなのだ。
これはもちろん誇張だということは認めるが、ひどく極端な例ではない。私は学者や起業家、非営利組織のスタッフ、プログラム・オフィサー、政府の大臣らと世界の貧困について何百回と議論を重ねてきた。驚くほどの頻度で、誰かがテクノロジー十戒(意義より測定、質より量、根本原因より究極目標、経路依存より目標主義、内的より外的、実証済みよりイノベーション、英知より知性、価値没頭より価値中立、集団主義より個人主義、責任より自由)のうち、いずれかの変化版を引っ張り出し、自分たちが実行しているお気に入りの介入を、その力に対する独りよがりな確信とともに正当化するのだ。
デジタル・グリーンは、介入パッケージの最適な活用法が選択的で対象を絞った方法だということを教えてくれた。その教訓は、三つの原則に集約できる。
第一の原則―目標にあった人的能力を特定するか構築すること。
第二の原則―適切な人的能力を増幅させるために介入パッケージを活用すること。
第三の原則―介入パッケージの無節操な普及は避けること。
パートナー組織が重要である以上、その選定も賢くおこなわれなければならない。デジタル・グリーンに限らず幅広いプロジェクトを見てきた私個人の経験上、すぐれたパートナーには三つの資質がある。すぐれた意図、判断力、自制心。あるいは、私が「心、知性、意思」ととらえているものだ。
内面的成長は、新しい概念ではない。古くからある考え方に新しい光を当てただけだ。伝統的な美徳はすべて、三本の柱で説明できる。今の自分以外の誰かのためにすぐれた判断を下すとき、自制心があれば勇気で恐怖を乗り越えられる。克己心は短期的報酬を見極め、長期的な利点のために自制心を呼び起こす。正義と慈悲心は他者に対する善意の表現だ。慎重さは洞察力をもって呼び起こされた自制心だ。謙虚さは自信が過信に変わる瞬間を見極め、自尊心を抑制する。近年人気の「やり抜く力(GRIT)」や「回復力(レジリエンス)」といった能力も、心、知性、意思を同じように組み替えたものだ。
本書の中核的テーマは、社会的状況を解決するべき問題として見るよりも、育成するべき人や制度として見るべきだというものだ。この問題は、異なる側面から多くの人々に取り上げられてきた。
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マイクロソフト・リサーチでキャリアを重ね、今ではミシガン大学の准教授になっている方による、貧困を救うためにはテクノロジー一本槍じゃダメなんだ、という主張。
読み始めた時は、もっとテクノロジーよりの細かい話で、「こういうところを改善すれば…」的な提言でもあるのかしら、と思っていたのですがさにあらず。前半は優れたテクノロジーがあっても上手く行かなかった例、後半は、援助において(あるいは物事全般において)人を動かすためには何が必要なのかを語っています。
個人的には、少し視野が広がった感覚があり、タイトルだけから想像していた内容よりも良い意味で意外な展開でした。
例えば、スラム街の学校にパソコンを導入して、賞まで受けたプログラムも「現場を訪れてみると、パソコンが使われていないか、機能していないか、年長の男の子がゲームをするために占領しているか」という有様で、結局のところ「大人による動機付けや指導」が不可欠。テクノロジーは所詮ツールに過ぎない、ということを語っています。
少々読んでいて難しく感じた所もあったのですが、著者の長年の経験が活きた生々しい事例が多いのは素晴らしいなぁと感じました。 -
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書きたいこと、いっぱいあるな。
まずはやたらICT導入とか言っちゃって、人の予算削ってまで機械にお金注ぎ込む能無し自治体へ、爆弾のように投げてやりたい。
といっても、そんな能無し野郎どもはこれを読むだけの能力もないかも、だけど。
翻訳文で、かなり厚いよ。
とはいえ、4分の1は参考文献と原注と索引だけどね(笑)
とにかく自治体の物事を見通す力のなさを呪いたくなる1冊でありましょう。
テクノロジーの作用というのは人間の生活を良くする効能があるのではなく、今ある現象を増幅させる(レバレッジを効かせる)作用があるということ。
昔の人は偉かった、こういう事象をちゃんとすでにことわざにしてる。
「馬鹿とハサミは使いよう」
使う方に能力があれば素晴らしい結果が生まれるし、残念な人はさらに残念なことに。
格差があれば、それを増幅してしまうに過ぎない。
それともう一つは、本書で介入パッケージと呼ばれる様々な取り組み(ICT機器導入に代表されるような)が、ほぼ壊滅的に機能しない原理が嫌というほど理解できる。
全国で広まった朝読書運動なんかもこの介入パッケージに該当するのだろう。
単に、なんかいいらしいからうちでもやるか、先生は丸つけするのに丁度いい時間にもなるしね、などという導入は何の解決策にもならないということ。
読書マラソンしかり、読書郵便しかり、ランニングデーしかり、なんちゃらウィークしかり、人権週間しかり、あらゆるパッケージは導入しただけでは、全く機能しないということに今更ながら強烈に気づかされる。
介入パッケージが劇的な効果をもたらすのは現場でそれを推進する側の心と知性と意思である。
もうそこまで心血を注げない、注ぐ余裕のないパッケージは、いったんやめにしませんか、学校さん。
どんなユートピアを描こうと機械はそこにあるだけだ。
それを使う人をこそ育てなければ、ドブにお金を捨てるのと大差ない。 -
Posted by ブクログ
近年の貧困研究についての状況が丁寧に書かれている。
解決策が明確になってるわけでなく、考える切っ掛けとなる本。
第一部 生と死、死亡率や病気、身長といったモノがどう変わってきたのか
第二部 お金、所得格差の状況や変化について
第三部 助け 様々な格差にどう立ち向かうのか
様々なデータを紹介しつつ著者の考えが述べられている。
世界がどう変わってきたのかを多くのデータから推考しながら今後どうあるべきかを考えさせられる。
よくある国際比較や貧しい国といったことだけでなく、死や病気などからの「大脱出」は先進国でも起きているといった話や、貧困にあえぐ人の中には「知識」が広まると解決するであろう事があるが、なぜ「知識」が広まらないのか、貧困への援助は本当に貧困に立ち向かう武器になっているのか、むしろ逆効果ではないのかというデータもあったりでボリュームがある一冊。