増田義郎のレビュー一覧
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顔も知らない父親、ペドロ・パラモを探しに来たファン・プレシアドがたどり着いたのは生者と死者の交わる町だった。町をさ迷ううちにファン・プレシアドも息絶え、墓の中で死者たちは囁き続ける。
ペドロは冷酷な地主だった。町は発展するが、ペドロが唯一欲したのは、幼馴染のスサナだけだった。30年ぶりに再会したスサナは精神に異常をきたし、父親とは近親相姦にあった。スサナを手に入れたペドロだが、二人はまともに言葉を交わすことも出来ない。スサナの死後ペドロは町を荒むに任せる。数年後、ペドロの私生児の一人がペドロを殺す。ペドロは乾いた石の様に大地に倒れ、その数年後、ファン・プレシアドがペドロを探しに町へやってくる…
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文学の凄さが伝わってくる傑作です。過去と現在が交わり死者と生者が語らう幻想的な筆運びの中にメキシコ社会が見えてくる作品。作者のルルフォはメキシコ革命の混乱で土地と家族を焼かれ、生涯2冊の本しか残していませんが、その2冊をして史上最高の作家。 -
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アステカ文明とインカ文明を破壊したスペイン人のことについて、きちんと学ぶ機会はなかったのだが、この本を読んでだいぶよくわかった。
とにかく「金に狂ったスペイン人」は、現地人を騙して、虐殺しまくる。その背景には、キリスト教があって、邪悪な異教を信じている悪魔を虐殺するためならどんなに汚い手段でも使う。
それに対して、インディオたちの純真さはどうだろう。金のありかを聞かれて答えてしまう。歴史とは正しい正しくないということではないといいながら、このスペイン人の不正はナチスどころではない。
想像すると気持ち悪いほどの残虐行為を、敬虔なクリスチャンが行うのであるから、現代のタリバン勢力の非人間性なんて問題にならない。キリスト教の信者たちよ、あなた方の先輩が世界中で犯した残虐な犯罪行為に少しでも心を寄せてください。
隣人への愛がキリストの教えであるはずなのに、隣人を動物以下扱いをする悪魔になっている。それは十字軍遠征の時もそうだったし、帝国主義による植民地支配の時もそうだった。
キリストよ
あなたは苦しみから救わないこともさること
残虐な殺戮行為を十字架を掲げながら行うあなたの信者についてどう思うのだろうか? -
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マリノフスキーによるトロブリアンド諸島の民族誌。贈与交換の制度的な結晶としてのモカの慣行と、それを支える呪術に関する生き生きとした叙述もさることながら、以後の比較・理論的研究に資するように貴重な文化事例を記録するための方法論についてしっかりとした議論がなされる。
モカではまさにモカの中で交換されるための希少品(首飾りと腕輪)を当該地域に住む集団間で一方は右回りに、他方は左回りに交換する。モカは互酬的な贈与であり、首飾りをもらった後に数年おいて腕輪を返礼する(もしくはその逆)。モカでの交換に伴って、生活物資の物々交換も行われるが、住民たちの心理にとって重要なのは儀式的に贈与される装飾品である。ここで、モカの参与者をまとめ上げるためにも、モカにおける贈与の価値を高めるためにも重要なのが呪術である。
マリノフスキーは参与観察を通じて、モカの慣習と呪術の意義に特に注目したためにこれらについては詳しく論じられているが、例えば首長位がどのように受け継がれるか、一般人と首長の格差は何によって決まっているかなどはあまり論じられていない。それよりもむしろ、丁寧な描写を通じて、未開人は生活上最低限必要な身体的欲求を充足するための経済活動のみを行うなどといった当時の未開人観を覆すことに主眼があるようだ。
マリノフスキーはトーテミズムヤタブーなどの概念のように一地域で見つかった文化事例が、その概念を知ってから世界を見ると世界中多くの場所で独立に発見されることがあることを参照しつつ、モカが象徴する贈与の問題系を新たに切り出している。そしてそれはモースの『贈与論』で結実することになる。近年はこのような態度を逆に先入見を持ってフィールドに行くものが陥る誤謬と考える向きもあるかもしれないが、他の現象と比較可能な認識が得られて初めて学問的意義を持つのだというマリノフスキーの主張は意義深いと思う。 -
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すごく不可思議な小説で、構成が最初良くわからず、物語世界に入っていくまでに時間がかかりました。
解説を先に読めばよかったかも知れない。
途中からどんどん惹きこまれていって、死者が語るのも気にならず、登場人物それぞれの話しぶりや人柄もわかってきて、勢いがつきました。
土地勘がないので、そのあたりの自然、たとえば蒸し暑さや風の音を想像するのも難しいのだけれど、映像が目に浮かぶような感じで、なんだか違う世界に連れて行ってもらえたような。
描写が詳しいわけでもないのに、映画的な作品に思えました。
ラテンアメリカ文学の多くは、独自のカトリック信仰が底辺に流れているので、その部分を理解できないと物語の表層だけをなぞることになりそう。
人と人との問題以前に、神と人との問題があって、神父さんが出てくるからとかそういうことじゃなく、聖書はもちろん、「告解」とか、カトリック的考え方を知らずに深い理解はできない感じ。 -
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ネタバレ
子供の時に読んだことがあるくらいだが、
当時もロビンソンの無人島生活を
わくわくしながら読んだ。
特に自分の住処を作るあたりが子供心に
非常に面白く読んでいた覚えがある。
今回この完訳本を読んでみたが、
当時読んでいた少年向けのものが
どれだけ省略されていたのかがよくわかる。
特に大きく違うのは、
ロビンソンの宗教観というものが、
要所で記述されていることだろう。
確かに少年向けにする際にはこの部分を省くよなぁとは思う。
また、序盤が大きく付加されており、
こんな話だったっけと戸惑う。
一度奴隷にされた箇所とか無かったような記憶がある。
また、解説を読み、当時の世俗と合わせて
そういう見方があるのかと。
もし、大人になってから読み直すならこの本はお薦め。 -
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1955年発表。メキシコの小説家、フアン・ルルフォ著。父ペドロ・パラモを探しに母の故郷コマラを訪れた主人公は、死者達のささめきに呑まれていく。七十の断片で構成され、時系列が激しく前後し、死者の会話が入り乱れる。
不思議な小説だった。まずストーリーは、はっきり言って一回読んだだけではよく分からない。解説と照らし合わせながらもう一度読み返してみると大体の内容は掴める。しかしむしろ、この小説はストーリーではない部分に核がある気がする。淡々とした断片の配置が生み出す浮遊感、まるで当然のことのように交わされる死者との会話、簡潔で不可思議な詩的表現などから醸される雰囲気。円環的なストーリーのせいでもあるのだろう。たどたどしくて不安定というか、切ないというより寂しげというか、まさに幽霊的な感じがする。
ラテンアメリカの小説・架空の町という設定・前衛的手法という点でガルシア=マルケスの「百年の孤独」と比較されることもあるようだが、コマラが死者の町ということだけあって、「ペドロ・パラモ」はだいぶ静的で淡々としている印象受ける。 -
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ラテンアメリカの歴史を理解するのに最適な一冊です。
素晴らしい。
遠く恐竜の時代から始まり、20世紀までを10章かけて回想する。
コンパクトなのに内容が濃厚、しかも、文章が簡潔で分かりやすい。
星マイナス一つなのは、発行されたのが1998年で、内容が若干古いため。
最近の動向は、別途追う必要がある。
しかし、それでも、現在もラテンアメリカが抱える課題や人々に根付く様々な習慣や感情などがとてもよく理解できる。
前半の1章から5章までで、ヨーロッパ人たちが大陸にやってきて各地方を制圧した16世紀までが見渡せる。
歴史的事実なのだろうが、ややヨーロッパ人に否定的な書き方をしている印象を受けた。
確かに我々のような第三者からすると、ヨーロッパ人たちが「一神教のキリスト教を押しつけた」のだが、ラテンアメリカでは今でも「キリスト教を教えてくださった」という風潮がある。
私が見た現地の教科書では、ヨーロッパ人の「征服者」はあまり好ましく描かれていないのに、「宣教師」はかなり好意的に描かれていた。
それにしても、金(きん)の求心力って恐ろしい。
スペイン人とポルトガル人の新大陸征服の原動力となった、金銀。
命かけてまで突き進み闘う戦士たち。
ヨーロッパ本国では、金持ち以外は恵まれない生活を強いられていた時代背景もあるのかもしれない。 -
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ようやく読んだ古典中の古典。アダム・スミスからマルクス、大塚久雄まで古今の経済学者が引用するだけあって経済学的な要素にあふれている。遭難前の行動は商取引・国際貿易の典型例だし、遭難後の生活は生産様式の発展そのもの。そして主人公ロビンソン・クルーソーの行動原理がまさに合理的経済人を示している。環境の分析から計画、実行、新たな事象の発生とそれに応じた計画の修正。合理性の限りを尽くして身体の保護、富の蓄積に邁進する。経済学の文脈で引用されるよもむべなるかな(良いことと悪いこととを貸方・借方で列挙するあたりは半分冗談にしか思えない)。
それからなんと言ってもキリスト教信仰という観点からもこれはすごく興味深い。というより宗教小説としてこそこの作品の面白さはある。ロビンソン・クルーソーが合理的な生活を営む根源的な理由こそキリスト教への信仰にある。ここにおいて合理性と進行とは完全に一致し、それらが彼の生活に秩序をもたらす。フライデーという異教の撹乱要素が現れても、やはりそれは信仰=合理性=秩序の中に回収されるべき対象にすぎない。ウェーバーはクルーソーをプロテスタンティズムの特性を示す例として引き合いに出すが、それはプロテスタントに限った話ではない。信仰と合理性と合致はあらゆる信仰に生じる事態であるし、転倒するなら信仰が担保するもののみが合理的であると言える。ともすれば信仰は不合理なものとみなされがちではあるものの、信仰と合理性とが排他的か否かは決して自明ではない。信仰と合理性との関係を問い直すにも大きな示唆を与えてくれる。