増田義郎のレビュー一覧
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亡き母との約束を守るため、顔も知らない生き別れの父を探す青年が辿り着いたのは、ひとけのないゴーストタウンだった。女たちのささめきに導かれがらんどうの町をさまよう青年の父探しと、父ペドロ・パラモが町を支配していたころの記憶が交錯し、地上の煉獄のように死者が留まり続ける円環的な世界を描いたメキシコの名作。
マリアーナ・エンリケスやベンハミン・ラバトゥッツを通して南米面白い!となっていたところに、ネトフリで本書の実写版映画(2024)を発見してそちらを先に見た。眩い太陽の下でゴーストタウンと化した20世紀のメキシコの町が美しく、女性たちの演技も印象的で、これは原作も好きな気がする、とすぐに注文し -
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膨大な情報をもとにひとりの人間の記録を書き切った作品で,当時のイギリス市民の精神がよく反映されている。漂着後は持ち前の知識と信仰心で困難を越え,捕虜をうまく飼い慣らし,やがて戦いに勝利する姿は,当時の理想像にも見える。
かつてスペインやポルトガルが握っていたカリブ海へ,イギリスは進出しようという時代。海の向こうに夢見た人々に,本作はうまく適合したのだろう。
1719年に59歳で『ロビンソン・クルーソー』を出版したデフォーは,もとはジャーナリストとして諷刺詩を数多く書き,トーリ党の幹部ハーレーの下で週刊誌『レヴュー』を発行し実質的な政府の広報官として活動していた。
全体的に,予定調和ではあ -
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ロビンソン・クルーソーと言えば、誰もが子ども時代に縮約版で親しむ作品だが、その実は文庫で400ページを越える長編小説なのであった。青年時代に親に反抗して家を出て以来、海賊に捕われて奴隷となり、脱出してブラジルに渡って事業で成功し、さらに貿易船の航海中に嵐によって無人島辿りついて、ようやく誰もが知っているサバイバル・ストーリーが始まる。
直面した苦難や無いものを嘆くのではなく与えられているものに感謝すること、足るを知ること、現状の暗い面よりも現に楽しんでいることに注目することなど、21世紀の自己啓発書にでも書いてありそうな知見を孤独な生活の中で獲得していく様と、その後の波瀾万丈を描く。子ども時 -
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初読は高校の課題図書。
メキシコの片田舎、父を探して主人公がたどり着いたのは死者の町だった・・・といった話なのだがストーリーは当時全く意味不明。ただ、砂ぼこり舞う真っ白な道、陽炎に揺れる怪しげな街、という描写は異様に頭に刷り込まれている。
「燃える平原」にひっくり返り再読。
2017年12月14日付The Economistによると、魔術的リアリズムの元祖でもあるルルフォは、実はフォークナーの影響を受けているらしい。あれだけ土俗的なラテン・アメリカ文学が北米の作家の系譜に連なるのも意外と言えば意外。
“The reader gradually realises that all the -
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ネタバレささ‐めき【私=語】
ささめくこと。ひそひそ話。ささやき。また、男女のむつごと。
「貴妃の―、再び唐帝の思ひにかへる」〈海道記〉
初めてこんな言葉を知ったが、これほど的確にこの小説を表す一言はない。
ささやく。ひそめく。
まずは翻訳の文体の素晴らしさ、語のセレクトの素晴らしさ。
少ない文字数から滾々と湧く抒情。
次に構成のしかけ。
ただシャッフルしているのではない、ひとつの言説が連想を呼び過去を掘り起し広がり深くなる。
最後に語られる内容。
極悪な奴なのにスサナへの思いが、たまらなく切ない。
すべてを手に入れようとしてそれだけ手に入らず。
これだけの男の行き詰まりは街の行き詰まりを呼び -
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死者が埋葬され土と石に帰るのなら、私たちは堆積した死者の上に生きているのではないか。彼らの記憶も積み重なり、それは時間の進行という枠組みを超えて断片的に交差する。本書が南米文学の起源であると同時に到達点だと言えるのは、決して循環する構造が故だけではない。土地と血縁、そして革命と血生臭いモチーフが用いられているのにも関わらず、それらが全て断片的な構成として提示されるからこそ幻想的な魅力を帯びてくる。死者の記憶に耳を傾け続けることが生者の努めだとするならば、本書はまるでレクイエムそのものなのだと言えるだろう。
(2013/10/08追記)
再読。積み重なる死者の記憶が印象的な故に初読時はレクイエ -
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ネタバレなかなか勉強する機会がなかったラテンアメリカの歴史をしることができました。
モンゴロイド、白人、黒人がいりまじった社会を形成し、現代社会の坩堝と化しているラテンアメリカ。
そこから、新しい文化のいぶきを嗅ぎ分けるには、歴史を知ることが手がかりになるだろう。
気候、風土、資源、ラテンアメリカをしるのに、この3要素にもっと切り込んでもらえるとうれしいかもしれない。
ラテンアメリカに対抗する文化は、中東のイスラム社会だろう。
さらに、インドと中国の4つを加えれば、BRICSのブラジル、インド、中国の3つの主要国が押さえれたことになる。 -
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いつものように、なにげなく書店の文庫新刊棚を眺めていたら、ロビンソン・クルーソーという文字が目に飛び込んできました、
わあなつかしいと思わず手に取って、ふと訳者の名前をみてとても驚きました。
増田義郎・・その人は私にとっては特別の意味を持つ、いってみれば神のような存在でした。
というのはちょっと大げさですが、それでも高校生の一時期、熱狂的に没頭したラテンアメリカとりわけインカ帝国やアステカ王国について、この文化人類学者・ラテンアメリカ歴史学者=増田義郎教授のお世話にならなかった日はなかったのです。
もともと西部劇が好きで、いつも悪者扱いのインディアン=ネイティブ・アメリカン(アメリカ原住 -
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ネタバレこの本は、ポーランド出身の人類学者ブロニスワフ・マリノフスキが、1914年から1918年にかけてニューギニア島東部のトロブリアンド諸島で行われたフィールドワークに基づいて著した民族誌である(原著の出版は1922年)。
よく語られることであるが、この本がもたらした人類学への貢献は、「フィールドワーク」という方法を、人類学にとって不可欠なものとして「定着させた」ことである。この本が出版される以前は、旅行者や宣教師からの「伝え聞き」によって集められたデータに基づいて、当該の「民族社会」が描かれる、ということがあった。
当時の西洋人たちの多くは、「西洋」の側に属さない人々に対する偏見が強かった。 -
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ラテンアメリカ文学において、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』と並ぶ傑作だそうで。
そこまで分量があるわけではない中篇だが、夜中に読み始めたにもかかわらず、どうしても止められなくて一気に読み切った。
読むのを止められなかったのは、複雑な構成なので間を開けたくなかったこともあるが、何よりもこの独特の世界観に浸り続けたかったからだ。
会ったことのない父親ペドロ・パラモを探して訪れた田舎の街でのファンに起こる出来事を中心に描かれるかと思いきや、話は過去にも飛ぶし、目の前で話している人間が読み進めていくと死者だったりする。
70の断片からなる物語だそうだが、その断片は時間軸も、生死の境も、すべ