柿沼瑛子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ最後まで読んでよかった。
途中まで睡眠を疎かにするほど夢中になって読み進めていたけど、テレーズとキャロルの距離が離れてから読むのが苦痛で仕方がなくて、この本との距離も離れてしまった。
今は晴れやかな気分で感想を書いている。この本はテレーズがモラトリアムを脱するまでを描いているのかな。そう思えば、テレーズの感受性豊かなところ、惚れっぽいところも納得できた。ただの恋愛小説ではなかった。翻訳が素晴らしく読みやすかったし、何よりどちらかと言うと地味で淡々としたストーリーなのに、読ませる力が凄い。情景が、温度や湿度が、感情が、全身に染み渡ってくるような文章だった。
言葉にできない感想が沢山ある。言葉にしないままでいたい。こんな本に人生であと何度出会えるだろうか。
これからあらすじを読むのが楽しみ。 -
Posted by ブクログ
クリスマスのとある本の交換会で送った本。送ったら再読したくなった。
クリスマス前のデパート。おもちゃ売り場で働くテレーズは一際輝きを放つ女性キャロルと出会う。この出会いが素敵なんだ!人混みのなかでも一瞬でバチっと合う感じ。
そこからお家に遊びに行ったり、車で旅に出かけたりと親しくなっていく。
キャロルの夫とのすったもんだもあり、一度は縁を切った2人だったが…。
終わり方もいいんだよな。余韻に浸りまくってる。あと数日浸れる。テレーズの成熟しきっていない精神面は30代になった自分でも共感できる部分がある。
作品中の「古典とは時代を超越した、人間の業を描くものだと思います」を噛み締めた。
テレーズの内面を細かく書いているのも、キャロルとのやり取りのセリフも翻訳がいいんだろうな。古典の雰囲気を感じられるし、読みやすい。 -
Posted by ブクログ
ふんさつ、と読む。
こんな言葉はない。
焚 という字は焚書、くらいしか思い浮かばない。
書物を思想弾圧して大勢の前で燃やす行為。
これになぞらえた造語、焚殺。
「焚」は火をつけて燃やす、という意味だから、その上殺の字を加えることで、
火をつけて燃やして殺す、ということになる。
殺されたのは同性愛者32人。時は1973年、場所はアメリカニューオリンズ。
ゲイ・クラブ〈アップステアーズ・ラウンジ〉での放火事件。
300ページ以上のこの小説は、犯人が放火に至るまでの行動、思いと、
亡くなった人たちの周囲、そして社会を描いている。
この時代でも30人以上が焼き殺されれば大きなニュースになるところが、
被害者が同性愛者だ、ということだけで、黙殺されたのだ。
当時の差別感情を多くのページを割いて語っている。
最初はなんでこんな細かいのか、と思ったが、細かく丁寧に描き続けることで、
当時の空気を今の我々に教えてくれているのだ。
素晴らしい本だ。
その後50年かけて、同性愛に対する偏見はようやく無くなりつつあった。
しかしトランプ大統領が時計の針を戻そうとしている。
老人トランプ一人が言っているならともかく、彼を支持する若い人も同じ考えなら、
アメリカは重傷だ。
日本もどうか。
先日の福音派の本でも考えたが、思う自由はある。
しかしそれが少数派の生き方をないがしろにしてはいけない。
ましてこの本のように殺すのは論外だ。
序文
序章
【第一部】 炎
第一章 男同士の絆
第二章 日曜礼拝
第三章 ゲイ解放運動
第四章 団結すれば我々は立つ
【第二部】 灰
第五章 混乱の中で
第六章 助けを呼ぶ電話
第七章 ゲイ解放運動の到来
第八章 それぞれの光景
第九章 見世物小屋
第十章 火災危険度
第十一章 追悼式にて
【第三部】 レガシー
第十二章 公式見解
第十三章 転落
第十四章 立ち上がる人々
第十五章 癒えない傷
終章 セカンド・ライン
原注
謝辞
本書のリサーチに関して
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解説「死者たちを代弁する労作──『焚殺』の時代を解題する」北丸雄二 -
Posted by ブクログ
焚殺 とは、これまたすごい文言だ。秦の始皇帝の焚書坑儒がぱっと浮かぶ。いわゆる焼死であるのに、この文言を使ったことには、その遺体の凄まじさが起因している。
1973年6月24日、アメリカ南部ニューオーリンズのゲイ・クラブ アップステアーズ・ラウンジで放火事件が発生し、32人が命を落とした。これはアメリカ史上、同性愛者を標的とした最大の大量殺人事件である。
アップステアーズ・ラウンジは、LGBTQ+の人々が安心して集える数少ない場所であり、当時同性愛者を受け入れた唯一の教会であるメトロポリタン・コミュニティ教会(MCC)の活動拠点でもあった。事件当夜、いつものように談笑する客たちの下階で火が放たれ、炎は瞬く間に店内を包んだ。
火事が拡大した原因については、燃えやすい設備であったり、窓が逃げられない鉄格子になっていたなど、店自体の不備も確かにある。
問題は、事件の容疑者について目撃者がかなり詳しい事を言っているのに、警察が複数回取り逃がしている点だ。もちろん加害者が逮捕されたとしても、失われた命は戻らない。しかし、通常通りの捜査を行い、裁判にかけていれば、法の裁きがどんな人の前においても平等であることを示せたはずだ。加害者はゲイフォビアというわけではなかったし、地元の有力者やその関係者でもない。警察側に逮捕する気があれば、機会はあった。にもかかわらず、やらなかった、と言ったほうが正しい。これでは、被害者は浮かばれない。被害者は、軽んじられた、いや、差別されたのである。
ゲイ・クラブで起きたという理由だけで、地元メディアは事件をほとんど報じず、多くの宗教団体や公的機関も、犠牲者を悼む姿勢を示さなかった。遺族から遺体の引き取りを拒否されたり、教会から葬儀を断られたりした犠牲者もいた。遺族の多くは「家族の恥」として沈黙を選び、犠牲者たちは匿名のまま扱われ、扇情的な部分ばかり報じられて、事件はやがて人々の記憶から消えていった。生存者の中には、クローズド・ゲイであったのに、事件によって自身の性的嗜好が明るみに出て、家族と疎遠になった者もいる。
少数派であったが、記憶を語り継ごうとする人々が、この事件の風化を防いだ。25年後の追悼式には、事件当時は沈黙していた関係者たちが出席した。2013年には、ニューオーリンズ市議会が事件とその後の冷淡な対応に対して公式な謝罪決議を可決。
NHKドラマで放送されている、フランスとベルギーにわたる犯罪事件でも、被害者となった女性が弱い立場に置かれて、容疑者がなかなか捕まらなかった。捕まえる捜査陣と社会に、被害者に対する差別意識があり、その事が二重に被害者を苦しめている。罪は罪であり、罰を受けるべきは、罪を犯した者のみである。
エドガー賞 犯罪実話部門(2019年度)受賞。ラムダ文学賞LGBTQ+新人作家賞(2019年度)受賞。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ面白いミステリー書かれるだけあって、話の展開がとても秀逸。特にニョーヨークで2人が再会した場面からラストにかけて。
幸せの絶頂から一気に地に落ちて、神様のような存在だったキャロルは自分と変わらないただの人間だと気付いて…
そうしたテレーズの変化を察しながらも一緒にいたいと願うキャロルの純粋な思いに胸が締め付けられるほど切なくなった。
前半は超然とした、余裕のある大人の女性だったけど、だんだんと人間味が出てきて、臆病なところも垣間見えてくるキャロルのことが読んでいて大好きになってしまった。
別れを経て、華々しい世界に足を踏み入れようとするテレーズは、キャロルとの経験を踏み台にできる若さがあって。
ああそうやってキャロルも思い出にしていくのか、あの燃えるような恋心も若さゆえの一時の感情にすぎなかったのかと虚しくなってしまったんだけど、、
愛のある結末で良かった。 -
Posted by ブクログ
なぜ今バドリス?という意表をつく国書刊行会というより山口雅也氏のチョイス。
舞台はソビエト連邦ありし日の冷戦時代、国境付近の研究所での事故で重傷をおった研究員がソ連に収容されサイボーグ化され解放。顔はロボコップなみに仮面で覆われ体も多くが機械となって解放された。果たして本物の研究員なのかスパイなのか?
第三次大戦前夜の位置付けとなった現代において、もはや洒落にならない情報戦。歴史は懲りずに繰り返してしまうのか。という表面上のサスペンスもどきどきなのですが、この本の本質である自分とは何であるかどのように証明できるのか?という深いテーマが1周回って現代的。一度疑われたりレッテルを貼られたら「そうではない」ことを証明することの難しさは、現代ネットワーク社会も共通するどころかさらに大きな問題となってしまった。見たいようにしか見ないし、知りたいようにしか知りたくないという面がネットワークによって加速された恐ろしい時代。日常が戦争状態のうえに個人の存在証明の危うさも加わり、さらにうそつきAIもプラスされればもはやスラップスティックな世界。いや、恐ろしい。 -
Posted by ブクログ
舞台美術のデザイナーになる夢を追いながらNYのデパートで働く19歳のテレーズは、ある日接客した女性客を忘れられず、伝票から割り出した住所宛にクリスマスカードを投函する。それがキャロルとの運命的な出会いのはじまりだった。交際中の恋人リチャードとの関係に違和感を抱いていたテレーズは、キャロルへの燃えさかる感情に自分はやっと本当の恋を知ったのだと感じる。キャロルは夫と別居中で、一人娘の親権をめぐって争っている最中であることを明かし、娘を夫に預けているあいだの気晴らしとしてテレーズを車での旅行に誘う。旅中、ついに二人は心を打ち明けあい結ばれるも、キャロルの夫に雇われた探偵が二人を尾行していることが判明し……。
物語の始まり、テレーズは生活をひどく嫌悪している。勤務するデパートの客から、年配の従業員の曲がった腰から、恋人リチャードの爪の汚れまで。だから、生活感のない優雅な身のこなしをしたキャロルに強烈に惹かれていく。作中、テレーズの考案する舞台セットは空想的で主観的すぎると評されるが、そのセットのように彼女の理想だけで出来上がった世界から抜けでてきたような存在、それがキャロルだったのだ。
前半はそんなテレーズと一緒に自分もキャロルと恋に落ちるような気分でうっとりと読んだ。出勤前の逢瀬、昼に嗜む甘いカクテル、服から漂うシルクの香り。はじめてのドライブ、助手席で飲んだカフェオレ、キャロルお気に入りの緑の書斎、それから、疲れてベッドに横になったテレーズにキャロルが持ってきてくれるホットミルク。
「ミルクはとても熱くてすぐには唇をつけられなかった。少しなめると、肉体のさまざまな味が混然一体になって口のなかに広がった。骨と血の味がする。温かい肉のような、髪のような味。粉乳のように味気なく、それでいて成長する胎児のように生命力に満ちている。どこまでも熱く、カップの底のほうまで熱い液体をテレーズは飲み下した。おとぎ話に出てくる、人を変身させてしまう薬を口にするように。騎士が死をもたらすとわかっている盃を疑念も抱かずに飲み干すように。」
このあとキャロルから三つの質問をされ、テレーズが自分の意思とは関係なく溢れ出すように身の上を吐き出してしまうイニシエーションじみた場面へとつながる。このときキャロルはテレーズの魔法使いになってしまったのだろう。
二人がはじめて肉体関係を持った日の描写も美しい。「そして今、どこまでも広がる淡いブルーの宙を、テレーズは長い矢となって飛んでいた。矢はとてつもなく広い深淵をやすやすと越え、いつ止まるとも知れずに弧を描いて飛んでいく。テレーズはいつのまにかキャロルを抱きしめて激しく震えていることに気づき、その矢が自分自身だったことを知った。」彗星の青く自由なイメージ。
しかし二人のあいだには、経験値の圧倒的な差からくる不均衡が常に横たわっている。キャロルは結婚・出産をはじめ、同性との恋と破局、家具屋の夢と挫折、愛する娘と離ればなれになる恐怖など、テレーズが未経験のうちに漠然と恐れている事柄を多く経験しているが、それについてあまり語ろうとしない。また年齢差を気にしているせいか、喧嘩もまともにしようとしない。それは相手と向き合う勇気がないということだ。テレーズは終盤になってキャロルを「わがままを通す悪い癖がある」と評するが、わがままというよりこの人の場合はカッコつけが一番の悪癖だったんだと思う。被支配欲にどっぷり浸かったテレーズに、「寄りかからないで」と言えなかったのがキャロルの弱さだ。
一方、テレーズはNYに先に帰ったキャロルを待つあいだの悩みが自分勝手すぎて、もう少し子を持つ親の気持ちに寄り添ったれ(笑)。でもこれは孤児院育ちで母親に捨てられたと思っているテレーズの出自とかたく結びついているのだと思う。キャロルに捨てられることは再び孤児院時代に戻ることを象徴的に意味する。だから孤児院に飾られていたのと同じ複製画を見つけて、その肖像画とキャロルを重ね合わせて勝手に裏切られたと思いこむのだろう。テレーズが孤児院出身というのは、先に言った生活に強い嫌悪感を抱く理想主義者という点にも、家族という単位に何の疑問も持たないリチャードの生き方へのコンプレックスにもよく表れている。(追記:こうしたテレーズのキャラクター造形は読者の共感を呼ぶと共に、同性愛者を書くにあたってのエクスキュースでもあったかもしれない)
そう考えるとリチャードが手紙に書いてきた「こんな不安定で子供じみた行為は、人生の糧であるべきパンと肉の代わりにロトスの花や甘ったるいキャンディを食べて生きるようなものだ」という罵倒は、ある意味で的確に二人の問題点を捉えている。彼自身はレズビアニズムへの嫌悪を示しているつもりなのだが、この言葉自体は空想的な恋愛と、現実に人と人とが二人で生きていくこととのあいだにある普遍的なギャップを言い表していて、当たり前のようにテレーズを従順な妻として迎えられると思っていたリチャードにも跳ね返ってくるのだ。まぁでもパンと肉ってそんなに偉いのかって話で、できることならパンと肉を食べてても花とキャンディで生きてる気持ちになれるような魔法をかけてくれる相手がいいじゃんね、やっぱり。と思うんですけど。
では、二人はどんな未来に向かうべきか?そのヒントはミセス・ロビチェクに隠されていると私は思う。訳者あとがきでは、彼女はテレーズが憎む現実世界の象徴のように言われているけど賛同しない。何たってミセス・ロビチェクは作中でただ一人、テレーズを感動させるドレスを実際に作った人なのだ。クリエイターとして作中にミセス・ロビチェク以上の人は存在しない。彼女は才能のない凡人代表などではなく、“才能があっても夢破れることがある”という一つの未来の暗示であり、あるいは、テレーズを変身させられる“魔法使い”もいつかは老いるという、キャロルの未来を暗示する存在かもしれない。テレーズがロビチェクのような人を愛するようになることに、二人の未来がかかっているのだ。
こんなに恋愛小説に夢中になって、カップルの幸せを祈ったのは久しぶり。地の文とテレーズのテンションが完全に一体となった最終段落は泣いたし、ハイスミスのあとがきも泣けた。二人の行く先に、そしてこの世界にいるたくさんのキャロルとテレーズに祝福あれ。 -
Posted by ブクログ
クリスマスも近づいて参りましたので、「キャロル」を。
実は映画化された当時に購入したまま、積読となっておりました。
イヤミス(嫌なミステリー:読後感が良くない)の祖と呼ばれるパトリシア・ハイスミスの作品ですが、今作は異例の恋愛小説だそうで。
主題としてはNYに住む女性二人の恋愛模様と紆余曲折……と言ったところでしょうか。
この作品の時代背景と詳しい経緯については「あとがき」や他の方のレビューにもある通りなので割愛させていただくこととして、途中で中だるみというか、読んでいてつまらないなと(個人的にですが)思える箇所を少しずつ挟みながらも、やはり最初とクライマックスから最後までは一気に引き込まれる文章の熱量を感じました。
私自身はあとがきを読むまで知らなかったのですが、キャロルとテレーズの邂逅はハイスミス女史の実体験が元になっていたんですね。そりゃ、リアルで熱量があるわけだ、と納得しました。
世間的には同性愛者というのは「異常」であるとみなされていた世界で、キャロルは同性を愛することによって手ひどい仕打ちに遭うことになってしまいます。
それこそが、この時代の「歪み」であり、現代と比べてみても分かりやすい「差別」なのですが、そのことに当時の人たちが気づくわけもなく。「自分が正義だ、お前は間違ってる」となったときの(特にアメリカの)人の恐ろしさといったらありませんね。相手を軽蔑するだけでは飽き足らず、罪人ではない人間から何もかもを取り上げてしまおうとする、そんな恐ろしさがあります。
(そこの辺り、ハイスミス女史は巧みに描いています)
多様性と多数決は別次元で行われるもの、とはいえ実際の社会では「皆がこうなのになぜお前は違うんだ。それは異常だ」という考え方がまだまだ残っているなぁと感じずにはいられませんでした。
実際、同性愛は「(当人が)選べるもの」と認知されていたり、「何らかの外的圧力によって異性を愛せなくなった人間の逃げ」とされることもあるようです。
私自身は「他人を愛すること」から学ばねばならないのでそう詳しいことは分かりませんし、分かった気で話しちゃいけないのだと思いますが、「この人(相手)を好きという感情には理由なんてない……それが同性だったら違うのか?」というのが命題でしょう。
当時珍しかった(とされている)「お話の終わり方」にも注目の一冊です。 -
Posted by ブクログ
とんでもなくよかった。控えめに言って最高。
映画を見て、次の日に原作を購入した。
映画では描かれていなかったテレーズの想いが書かれていてすごく共感した、キャロルと出会った時のテレーズと同い年の私。
最後キャロルの同棲の話を断った後のパーティで、美人な女優さんに好意を抱かれているのを見てやっぱりテレーズは相当美人なんだなと思ったし、映画のキャストさんであるルーニーマーラで当てはめると、そりゃあモテる…と思った。テンション上がる。今でさえそうなんだから昔はかなりLGBTへの差別がキツくて、相当辛かっただろうし葛藤しただろうなと思う。今でさえ、同性で付き合うってなった時に間違ってるとか言わせてしまうのだから。それなのに、自分達の気持ちをしっかりと持って人を愛するなんてすごいなと思うし感動しかない。
性別が違うから愛せる、それが正しいんだという考えから人が人として人を愛するという考えに代わってほしいなと思う。 -
ネタバレ 購入済み
面白かった
もしもホームズとワトソンの関係が友情以上のものだったらのお話。
お互い想い合ってたけどこういう時代だからはっきり意思表示して愛し合えなかった、と直接的な身体の接触の表現はほぼ無いからこそ萌えた。
事件を交えながら進むストーリーも面白かった。
ワトソンははっきりとホームズが好きだと言っていて、片思いの関係を悩む様子が不憫。
でも嫉妬してるらしく回りくどく文句を言ってるホームズがいたり、やっぱり友情以上の何かがあると思わせる。
独身男性同士が同居してたら邪推したくなるよね!って論じられてるのわかる。