トーマス・マンのレビュー一覧
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だいたい、ハンスの行動は最初から変だった。
普通の健康な人間にとって、病や病者とは通常禍々しくて遠ざけるべきものであって、誰も病者の群れの中に三週間も身を置こうなどとは考えないだろう。
そんなことを考えるのは、早すぎた父母の死(二人とも【彼の五歳ど七歳のあいだに死んだ】)から類推して、自らの体内にもすでに死が育ちつつあるのではないかとの不安を抱いている者だけになし得ることではないだろうか?/
【音楽は時間の流れを、きわめて特殊ないきいきとした分割法によって目ざませ、精神化し、貴重なものにします。音楽は時間を目ざまし、私たちが時間をきわめて繊細に享受するように目ざましてくれます‥‥その点で音楽は倫理的です。芸術は目ざますかぎり倫理的です。
しかし、その反対の場合にはどうでしょう?音楽が私たちを麻痺させ、眠りこませ、私たちの行動と進歩とを阻害するとしましたら?】/
前段はロシア・フォルマリズム※1のシクロフスキーの文章を思い出させる。
【生の感覚を回復し、事物を意識せんがために、石を石らしくするために、芸術と名づけられるものが存在するのだ。知ることとしてではなしに見ることとして事物に感覚を与えることが芸術の目的であり、日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法が芸術の方法であり、そして知覚過程が芸術そのものの目的であるからには、その過程をできるかぎり長びかせねばならぬがゆえに、知覚の困難さと、時間的な長さとを増大する難解な形式の方法が芸術の方法でありー以下略ー】(ヴィクトル・シクロフスキー『散文の理論』)/
【イメージの目的は、その意味をわれわれによりよく理解させることではなくて、対象の独得な知覚を創造すること、つまり、対象を《知ること》ではなくして、《見ること》を創造することなのである。】(同上)/
※1:ロシア・フォルマリズムは、1910年代半ばから1930年代にかけてのロシアの文学運動・文学批評の学派。
日常的言語と詩的言語を区別し、(自動化状態にある)事物を「再認」するのではなく、「直視」することで「生の感覚」をとりもどす「異化」の手法を提唱した。/
トーマス・マンは1875年生まれで、『魔の山』は1924年に書かれており、シクロフスキーが「異化」概念を成立させるべく著した2つの小論、「言葉の復活」と「手法としての芸術」は、それぞれ1914年と17年に発表されているが、当時のマンに、はたしてロシア・フォルマリズムの影響があっただろうか?/
【「(略)あなたは人生の厄介息子です。】/
突然、名前を呼ばれた。/
【ハンス・カストルプは、(略)機会あるごとに不幸な(略)夫人をいくども訪ね、(略)面倒をみてやるようにつとめた。たとえば、粥を食べるときにスプーンを注意ぶかく口へ運んでやり、食物が喉につかえると、吸呑みから水を飲ませ、ベッドで寝がえりをするのにも手をかしてやった。(略)ハンス・カストルプは、食堂へ行く途中や散歩からの戻りに、ヨーアヒムに(略)一足さきに行ってもらい、彼女の部屋を訪ねて、世話をしてやり、ーー世話をしながら胸がひろがるような幸福感をおぼえたが、】/
認知症の母を介護していた頃が思い出された。/
◯ 後部座席の ドアを開ければ 立ちあがる 母と暮らした 黄金の日々/
◯ なにひとつ まともに出来ぬ 者なれど 老母は吾を 頼りていたり/
◯ 生きるには あまりに弱き 者なれど 老いたる母の 世話に生かさる/
【墓地は形が不規則で、初め南に長方形にのび、それから左右へ方形にひろがっていた。いくども拡張する必要にせまられて、隣接する田畑を編入したことが一見してわかった。(略)石碑も十字架も質素なもので、あまり費用のかかったものではなかった。碑銘についていうと、(略)さまざまな名前があったが、数字はどれも同じように若くて、行年(ぎょうねん)はだいたいにきわめて数が若く、誕生から死亡までの年数はどれもほぼ二十年、もしくは、それをあまりこえていなかった。】/
増殖する新しい墓のイメージが、ロシアの墓地を呼び出した。/
◯プーチン発言:
《ロシアのプーチン大統領は25日、「特別軍事作戦」と称するウクライナ侵攻に出征した兵士の母親代表者らと会合し「誰もがいずれは死ぬ。交通事故死も3万人だ」と述べた。
プーチン氏は「近親者、とりわけ息子が死ぬのは大きな悲劇だ。だが交通事故、あるいはアルコールが原因でそれぞれ年間3万人ほどが死ぬ。われわれは神の下にある。大切なのはどう生きるかだ」と出席者に説いた。》(2022年11月27日、産経新聞)/
どうやら、プーチン・ロシアにおいては、生き方と同様死に方までをも国家が決めているらしい。
犯罪者は国のために死すべきであり、少数民族も、貧者も同様である。
これは、プーチン式「生政治」※2であり、いわば「死政治」とでもいうべきものではないだろうか?
そして、それは明らかに全体主義の一つの貌である。/
※2:フーコーの「生政治」:
《私が「生政治」と呼ぶのは、人口として構成された生きる人々の総体に固有の諸現象、すなわち健康、衛生、出生率、寿命、人種といった諸現象によって統治実践に対し提起される諸問題を、十八世紀以来合理化しようと試みてきたやり方のことである。》(ミシェル・フーコー『生政治の誕生』)/
【「道徳?(略)ソウネ、ワタシタチハ考エルノヨ、ワタシタチハ道徳ヲ徳ノナカニ、ツマリ理性、秩序、良風、誠実ナドノナカニモトメルベキデハナクテ、ムシロ、ソノ反対ノモノ、ツマリ罪ノナカニモトメルベキダト。危険ナモノノナカニ身ヲ投ゲコミ、危険ナモノ、ワタシタチヲ破滅サセルモノノナカヘ飛ビコムコトニヨッテネ。ワタシタチハ、一身ノ安全ヲハカルヨリモ、一身ヲ破滅サセ、損傷サセモスルコトガ、ズット道徳的ナコトダト思エルノヨ。偉大ナ道徳家ハ、有徳ノ士ナドデハナクテ、悪ノ、悪徳ノ冒険家デアッテ、悲惨ノマエニキリスト教的精神カラ跪クコトヲ教エテクレル偉大ナ罪人デアッタトネ。(以下略)」】/
思いがけないタイミングで、マドンナ、ショーシャ夫人の口から核心に触れるような言葉が発せられる。/
訳文は「うさんな」「ハシナイ」などの言葉に見られるように、しばしばやや古風でしゃちほこばって響く。
これから読まれる方には他の訳の方が読みやすいのではないか? -
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ゲーテのヴィルヘルムマイスターと並ぶドイツ教養小説の名著。1924年作。
主人公ハンス・カストルプはスイス山奥のサナトリウムでの療養という非日常の世界で、出会い啓蒙喪失葛藤を通して成長していく。
思想、政治、イデオロギー、宗教、哲学、文学、オペラ、自然科学、神秘体験等とにかく広範なリベラルアーツや当時の西洋アカデミズムに触れることができて面白い。西洋でいう批評精神批判精神がどういうものかもよく分かる。が、上下巻1400ページにわたる大著、博覧強記の教養、読み終えるのに苦労しました…
さて、下巻。
いとこで親友のヨーアヒムの臨終の場面はとりわけ迫真で胸に迫る。大人物ペーペルコルンとの出会い対決別れ、憧れの女性ショーシャ夫人との別れを経て、霊感の強い少女ブラントを霊媒に死んだヨーアヒムと再会するが、非業の死を遂げた親友を無理やり呼び出したところでかける言葉などあるはずもない。二人の師の決闘によりナフタは自ら命を絶ち、庇護者である大叔父も死ぬ。失意と諦念の中、主人公は第一次大戦の戦火の中に飛び込んでいく。
この作品は無垢な青年が病い戦争個人的な不幸に翻弄されていく悲劇の物語ではあるが、彼もまた第一次大戦やその他多くの戦争で死んだいった多くの若者たちの一人に過ぎない。主人公ハンスが、自分も他者をも正当化しない潔さというようなものを獲得したということを一つの希望にしたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレついに読み終わりましたよ、上下巻1400ページの大作!
若い時なんで読まなかった、いえ、読めなかったのでしょうね。大作ということならもっと長大編を読みましたものね。でも、とにかく夏の暑い盛りに(豪雨もありましたが)汗かいてよくこの歳で読めたと自分で感心してます。
作家倉橋由美子さんは病気になるとベットに持ち込み読んで、読み終わると病気が治るのが理想だそう(『偏愛文学館』)10年ごとに読みたくなったそうですが、そんなに病気になるのはちょっとどうも、ですよね。
主人公のハンス・カストルプがスイス高原のサナトリュウムへ、いとこの見舞いに行ったら自分も結核になっていたということがわかり、いっしょに入院、療養に長き時を過ごすその間に、いろいろな人たちがああでもないこうでもない。
ストーリーは複雑ではありませんが、登場人物達のセリフというかおしゃべりが摩訶不思議なので、なかなか噛み応えがあります。
考えさせられるような、しかしわけのわからないような登場人物たちの御託、まじめなんだかどうなんだかですけど、ちょっとユーモラスでもありかつ大変勉強になります。
ハンスが不倫の恋に落ちるクラウディア・ショーシャ夫人は、竹久夢二が描く女性のように「くんにゃり」としているようにわたしは感じました。『トニオ・クレーゲル』に出てくる少年達のように、ハンスが少年の時に好きだったプシービスラフ・ピッペ少年にその夫人がそっくりなところもちょっとドキッとします。思わず『トニオ・クレーゲル』も再読してしまいました。
これはほんのさわり、内容は思索的、精神的なことに色濃い作品です。当然ですよね、ノーベル文学賞作家ですもの。しかし、純真無垢なハンス青年がスイスの恵まれた療養所でゆっくりと(7年も!)思索的人生勉強なんて、やっぱり物語だからです。
トーマス・マンはこの物語で「時の流れ」ということを、とてもうまく表現していると思います。あれもこれも時の過ぎ行くまま、読み終わってほっとしております。 -
Posted by ブクログ
舞台は第一次世界対戦前、スイスの山奥にあるサナトリウム。ヨーロッパ中から結核患者が集まって療養している。
マンは講演で「私は一生を通じて一つの物語を語りつづけてきた市民的作家であって、市民性から脱却する過程を語りつづけてきた。」と言っており(河出書房版解説)、
主人公「ハンス カストルプ君」は、「ドイツ君」だと考えれば、読みやすく分かりやすい。
キャラクターの濃いのがたくさん出てきて個人的にはめちゃくちゃ面白かった。
中でもゼテムブリーニとナフタの、ハンスカストルプを賭けての思想合戦が面白い。が、難しく理解したとは言えないので、知識を付けて、10年後ぐらいに再読したい。 -
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上下巻の大長編なので読み通すのに精一杯、というのが正直な所だが教養小説を志向しただけに、様々な、そして趣の異なった魅力がふんだんに詰まった小説だった。
第一としてはセテムブリーニ、そしてナフタとの議論、この部分が通読して一等面白かった。第二はシャーシャ夫人との恋の行方だろうか。第三にはマンの本作における時間感覚。小説内の時間の問題についてはジュネットの『物語論』を適用させられるのだがそれだけでは済まない〈魔の山〉独特の時間の流れ方を考えてみるのもよいかもしれない。
続けようと思えば何処までも続けられる類の小説なのだろうが、一応の筋はあるので、それに関して思った事と言えば、これは獲得と喪失の話なのだろうな、という事。なるほどハンス・カストルプなる青年は教化されて上巻に比べれば一端の論客になれそうなくらい、知恵はついたし深く物事を考える態度を得た。その一方で、親しい人々が次々と死んでいく。この経験は果たして青年ハンスに何をもたらしたか、そこに内面の成長を喚起させるものがあったか、まああったのだろう、敬虔さを身に着けたのかもしれない。それにしても親しい人の相次ぐ〈死〉という喪失による精神的ダメージを次々と経験していくさまが痛ましいとは思えないか。わたしならこれは堪らない。後追いというわけではないが、ハンス青年は切実な心持ちで〈死〉に接近していたはずだ。
しかしながらマンもあこぎな事をする書き手で、ハンス青年は病が癒えてしまう。結核療養所である〈魔の山〉においては、死神がすぐ横に侍している病人ばかりである。その中でハンス青年は〈魔の山〉においてはストレンジャーになりうざるを得ない。快癒したのならば下山すればよいのだが、彼は幼い時に両親を失っていて、七年間も過ぎたら彼の帰りを待つ人や場所(勤め先)もなくなった。死神に去られたハンス青年は〈魔の山〉の居住資格を失って、かつ帰る場所もない。喪失したアイデンティティーである〈死〉を求めて、あるいはヨーアヒムの果たせなかった軍務を代理して成就させるためを以て、いずれか、それとも両方の理由から第一次世界大戦に出征したのではなかろうか。
この幕引きのための最後の十ページほどの中に戦場に臨むハンス青年の心理や思考は詳しくは描かれない。解釈に正解も間違いもない、マンが答えを示さなかったのだから読んだ人間の数だけ解釈があってよいはずで、なので幾つか『魔の山』論を読んでみたい気にさせた。読み終えてもまだまだ考えたい事柄が残るというのが名作の条件だと個人的に思っていて、その点からすれば本作は紛うことなき名作である。 -
Posted by ブクログ
ネタバレとにかく長い。退屈。特に何も起きないまま上巻が終わる。ちょこちょこ動きはあるのだけれど。サナトリウムでの様々な人々との交流を通した青年の成長物語、とでもいうのかしら。病気、死、宗教、戦争、いろんなテーマを登場人物を通してひたすら討論していく場面が続く。しんどい。下巻、盛り上がりを見せてきたところで終わってしまう。しんどい。小説というよりも哲学書のような。しんどかったけど達成感はあった。これを読めたらもう何でも読めそう。ハンスが遭難しかけて生と死について開眼していくところは繰り返し読んだ。あの部分のために他を読んだのだと言ってもいいレベルで沁み入った。結論、しんどかったけど読んでよかった。しんどいけど読んだ方がいい。
好きだった箇所をメモしておいたので貼っておく。
「人間は死よりも高貴であり、死に従属するには高貴すぎる、頭脳の自由を持つからだ。人間は生よりも高貴であり、生に従属するには高貴すぎる、心の中に敬虔さを持つからだ。」 -
Posted by ブクログ
ネタバレとてつもなく大作。
様々な人が入り混じり
通り過ぎ去っていく…
そしてハンス青年は変わらず…
彼の心はどこか空っぽだったのかもしれませんね。
最終的には強制的に魔の山からは
去らざるを得なくなり、
必然的にこの物語は幕を閉じます。
いつかはやってくるのですよ。
自主性を持つ日が…
結局のところセテムブリーニやナフタのような存在は
机上の空論を食っているだけで
やはりどこか読んでいて違和感を覚えました。
ハンスは彼らにとっては無知の象徴でしたが
染まらなかった点では無知でないと思いましたが。
人には様々な誘惑もあり、
その中には悪のものもあります。
ショーシャ夫人がある種の堕落の
象徴なのかもしれませんね。
この版は読みづらいので
別エディションをいつか読みたいな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこれは読むのに苦労したなー…
なぜならば終盤のハンス青年の
ほのかな思いが成就するときに
他の言語でしゃべっているのを表現するために
カタカナ混じりの会話になってるのよ。
平凡な位置青年であるハンスが
いとこの療養に付き合いうために
3週間の期限付きでサナトリウムに
行くことになったけれども…
…がつく通りでお察しです。
それとページ数で。
結局彼も発熱により
サナトリウムから降りられなくなるのです。
平凡な彼は
やがて様々な患者に感化され
心の成長を遂げていきます。
人体に興味を覚えたり
恋というものを覚えたり
そして、それが成就したり。
下巻、すごく気になるのよね…