青木新門のレビュー一覧

  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    納棺という仕事に従事し、とことん生死を探求した青木新門の小説である。
    前半部の、納棺についての話は、生死に真摯に取り組まなければ生まれない、生の声が詰まっていた。
    後半部は、宗教について書かれており、本としては、まとまりがないものになってしまったことが残念である。

    作者の言う通り、私自身も死をネガティブに捉えていることに気付かされた一冊であり、死生観をがらりと変えることになった一冊でもある。

    0
    2012年06月10日
  • 人は死ぬとき何を思うのか

    Posted by ブクログ

    渡辺和子さんの文章が特に読みやすく、心穏やかな人間なんだろうなということがわかる。

    死を恐ろしいものとして捉えるのではなく、生の完結として考えているわたしとしては、理解しやすい本だった。

    老年になれば考え方も変わるんだろうが、、、。

    0
    2025年12月15日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    死を受け入れた人はみな安らかになるというのが印象に残った。全てが光り輝いて見えるのなら、いつか来る死も案外悪いものではないのかもしれない。全然次元は違うが、一度会社でものすごく大きな目標を達成した時に、仕事をする上で関わった全ての人に感謝の気持ちが自然と湧いてきたのを思い出した。それのもっとスケールの大きい感情が起こるのかもしれないと思うと、生きる苦しみを乗り越えた先にご褒美が待っているのかなと思える。

    孤独死、淋しい死などはなく、残された人が勝手に決めつけているだけで、どんな死でも安らかである、という考え方はすごく救われる。どんな人も自分の生をやり切って旅立っていくのであって、そこに他人が

    0
    2024年01月23日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    おくりびとも見たし、再読のはずが、僧侶見習いをしている現状から、いかに弔い、残された家族に言葉を伝えるか?を考えてしまう。

    0
    2021年06月06日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    映画「おくりびと」の「原作」である。

    小説、つまりお話の形になっているのかなと思ったら、著者が書き連ねていた日記をもとにした、随想のような本であった。後半は宗教書っぽくなり、また話は宇宙物理学にまで及んだりする(死を突き詰めて考えると、どうもそういうところまで行ってしまうらしい)。

    映画では納棺師と言っていたが、なんと「納棺夫」だ。実際、映画のようなきれいな世界ではないし、忌まれる存在であったことは想像に難くない。本にも、(家族などの)素人がいろいろいじっていたら血とか何とかが出て来ただとか、蛆とか轢死体とか、映画ではあり得ない生々しい描写もある(映画でも少しは触れていたけど)。

    さてし

    0
    2019年06月06日
  • 人は死ぬとき何を思うのか

    Posted by ブクログ

    渡辺和子、大津秀一、石飛幸三、青木新門、山折哲雄諸氏の死生観でしょうか「人は死ぬとき何を思うのか」、2014.7発行です。一期一会の精神で人とつきあう(渡辺和子)行きたいところに行き、食べたいものを食べる(大津秀一)自然にまかせれば眠るように旅立つ(石飛幸三)現代の日本人には死生観が欠落している(山折哲雄)。69歳で病死した父は死ぬ少し前「母を頼む」と。99歳で死んだ母は眠るように旅立ったと聞きました。

    0
    2019年05月17日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    あとがきでも書かれていたけれど、私も1章2章派だな(^_^; 基本職業的文筆家ではない人の書いた文章だな、という印象を受ける本。
    あとまああれだ、本の中で散々批判されている側の人たちを、身近に昔から知っているからなー。そんなだけじゃないだろー、とも言いたくなる。

    0
    2017年01月21日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」の帯にこの本の著者の紹介があったので購入。
    「おくりびと」の元になった本だとは、他の人のレビューで知る。
    人生のいつのタイミングで読むかで、感じ方が変わるのだろう。
    いつかわからないけど、確実に来る誰かの「死」の時にきっともう一度読むんだろうな。

    0
    2016年06月11日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

     おくりびと、という映画があり、私はそれを読んでいないのだけれども、その元となった本としては聞いたことがあった。

     死と穢れと、ただ生きるということに対するまっすぐな視線が、読んでいると背筋を伸びる。
     さらに考えが成熟しているであろう、続編も読んでみたい。

    0
    2015年06月11日
  • 人は死ぬとき何を思うのか

    Posted by ブクログ

    5人の方が死について書かれている。
    石飛さん以外の方の書籍は読んだ事があったので
    イメージ通りでした。
    「平穏死」というもの。多分昔は当たり前だった事
    それを、受け入れて見守る大切さを考えさせられました
    でも、日本の今のシステムでは難しく
    本人や家族の思う通りにはいけないのかもしれない。

    0
    2014年12月03日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    死が光なのかしら、死の先に光があるのかしら。
    この人のいう美しい死とは、自然であるということかしら。自然になろうとするのではなく、そうあるというのは難しいことだろうに。
    この人の語りはなんだか自負というか驕りというか、強いプライドが見え隠れした。

    0
    2013年07月13日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    映画「おくりびと」の原作、ではなく原案になるのでしょうか?
    日記、という題ですがエッセイのような感じです。作者が葬儀社に勤めて、遺体の納棺を主にされていた話です。でも半分は宗教・哲学や死生観、親鸞とその著作や、死についての作者の考えが書かれていて、その部分はとにかく私には難解でした。詩人とそのスタンスー生と死、どちらにスタンスをとるかなどーについての話も。
    とにかく親鸞と嘆異抄なんて名前しか知らないし(・_・;)

    ただ、死に面して世界が輝いて見える、というのは少し実体験? があり、ちょっとわかる気もしました。
    腫瘍があります、と言われて病院から帰った翌日、本当に空も見慣れた町並みも異様に澄ん

    0
    2013年06月05日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    「嫌なもの、都合の悪いもの、特に生死に関わる根源的なものは、なるべく見ないようにして人間は生きている。地球を一つの生命体として見るなら、どこかが豊かでとこかが貧しいということなのだ。どこかの国にあり余るほど食物があれば、どこかの国で少女やハゲワシが飢えている。どこかで大漁の喜びがあれば、どこかでおとむらいの悲しみがある。美しいヒューマニズムの旗を掲げた人間が戦争を繰り返しながら、青い地球や少年の瞳を傷つけてゆく。悲しみは今日も、欲望の先に光っている。(p183)」

    0
    2013年05月10日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    映画『おくりびと』の源となった本。
    納棺夫なんて言葉は無い!周りの人に疎まれながらこの仕事を続けて良いのかと思いながら仕事をしていたある日、青春時代につきあっていた彼女の父をおくりだす事になる。
    その時に彼女の瞳の中に見えた光で主人公は救われ、生死について思慮を深めていく。
    作品の2/3は探し、悩む中で見つけた仏教の話をご自身の考えを交えながら解説されている。

    0
    2012年07月03日
  • 納棺夫日記 増補改訂版

    Posted by ブクログ

    第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画「おくりびと」の原作的位置付けの本。映画主演の本木雅弘がこの本に強くインスパイアされ、映画化を企画はしたものの、著者の意向により、映画は本とは全く別の話として脚本化されたので、“原作的位置付け”と言う微妙な書き方をしました。とは言っても、元々この本から映画を企画したので、一応、この本と映画は完全に別個の話と言うことにはなっているものの、所々に、同じようなエピソードが見受けられるのは仕方ないんでしょうね。一つだけ決定的に違うのは、この本は、著者の宗教観が本の後段に開陳されているんですが、映画においては、宗教観は語られていないので、そう言う意味では、全

    0
    2012年06月03日