【感想・ネタバレ】納棺夫日記 増補改訂版のレビュー

あらすじ

〈納棺夫〉とは、永らく冠婚葬祭会社で死者を棺に納める仕事に従事した著者の造語である。「生」と「死」を静かに語る、読み継がれるべき刮目の書。
序文・吉村昭 解説・高史明

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Posted by ブクログ

一章、二章と読みやすさを携え、これはノンフィクションなのだろうかと思うぐらい物語性に富んでいた。非現実のような現実。知らなかった事実。目を背けていた死との対峙。まざまざと眼前に突きつけられ、しかし己の未熟さを責めるわけでもなく、それを温かく、著者の体験として迂遠ながら間接的に教え諭してくれるような、そんな小説だった。第三章は、著者も言うように仏教用語のオンパレードで、ここにきて本作品がノンフィクションであることを思い出させる。司馬遼太郎が、専門用語による緻密な記号の羅列により成立する文は、学術論文ならさもありなん、小説においては控えるべきとあとがきで書いていたため、著者も加筆修正を加えようかと悩んだと言うが、個人的には(読み解くのは難解だが)これでよかったのだと思う。また、本当に幾つもの文献から、深淵な言葉が引用されており、それだけでも一読に値する。「風立ちぬ」に似た雰囲気をもった小説だと感じた。

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2016年08月06日

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生死観を変えてくれる力のある本だ。死が怖いものではなくなり、身近な優しいものに感じられてくる。そして生きることが愛おしくなる。▼著者は生活に困窮し新聞の職安欄を見て葬儀の会社に入り、納棺を担当する。それは、筆者が(仏の)「光」と出会うきっかけとなった。生者が忌み嫌う死人が、筆者を光の救いの道へ導く。釈迦と親鸞の教えを、実体験の肌で直接感じ取って、分かりやすく語ってくれる。他方で、近代科学の視点も通して説く世界観は、説得力を有する。眠っている目を開かせてくれる本である。▼また、詩人として、すばらしい詩を、「死・生・光」とういう、新たな視点で見せてくれる。

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2016年02月08日

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「生」と「死」があるのではなく、「生死」。
雪でもなく雨でもない「みぞれ」に託して語られる筆者の死生観がスッと入ってくる。

私自身はお盆もクリスマスも初詣も一通りこなす無節操な日本人ですが、自然を見つめ死者と対峙し詩を書く筆者の、実体験の中から立ち上って来た仏教的な言葉の数々には、居住まいを正して聞き入ってしまうものがありました。
人の「死」も信仰も、現在の日本の学校では教えにくいテーマであるだけに、残念ながら新鮮に感じてしまったのかも。

読んで良かったです。

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2013年09月07日

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映画「おくりびと」から本へ。映画はこの本から「納棺夫」という職業といくつかの小さなエピソードを持ってきているけれど、本の内容とは別物だと思う。ただ、映画もそれはそれですばらしい作品だった。

著者の経験と、美しい文章と、深い死生観・宗教観、非常に内容の深い本。年を取ってからまた読み返したい。

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2013年08月08日

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人が死ぬということ、
それについて深く考えさせられる。
また作者の仕事に対する意識の高さ、と想いは素晴らしい。
死ぬことと長年みつめあってきた作者の考えを少しでも理解できて、少し死というものがわかった気がする。

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2013年01月09日

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おくりびと の元になった本。おくりびとは山形を舞台に撮影しましたが、原作では青木さんの出身地の富山が舞台。
戦時中の話もあります。
色々な死が、表現豊かに描かれておりなんとも言えない気持ちになりますし、青木さんの感性に感服します。

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2026年03月04日

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 映画『おくりびと』の原作。死に対し真っ正面から向かい合う作者の態度に感動した。
 映画が話題になっていたときはさほどきにしていなかったことだが作者のいう「納棺夫」というのは長らく差別的な目を浴びせられてきたということだ。作者も親類から早く仕事を離れてほしいと頼まれている。しかし死者と関わりをもつ人々は納棺夫のほかにも看護師、警察、医師などがいるわけであるし、このような人々がいなければ社会はなりたっていかない。作者は納棺夫として卑屈になるのではなく使命感をもって取り組むことによって周りの信頼をあつめるようになった。このあたりが現代社会の偽善性とでもいうべきものを鋭くついているような気がした。
 1、2章は実体験が多く感動的だが、3章は浄土真宗などの教義を中心に書かれていて少し難しい。
 

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2012年09月27日

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映画『おくりびと』にかなりがっかりしていたが、こちらは期待を裏切らないクオリティ。おくりびとは参考映像程度に考えておいた方がよい。それくらい別物で、読み応えのあるエッセイ。

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2012年08月15日

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「りんごを正しく分析しても食べたことがなければ、味はわからない。
たとえ分かったとしても、理屈はわからない。
しかし世のエリートは、したり顔で伝えようとするのである。
生や死は現場の事実であって、まさにりんごを食べることである。」

本当に、そう。
長年の闘病介護の末、見送った身としては、
この文章がいかに現実なのか身に沁みる。

頭と心には、大きな距離がある。

経験しないとわからないことってたくさんある。
経験したことない人に伝えたとて、想像力には限界がある。
周りの励ましや気遣いに助けられつつも、
どこかずーーっと孤独だったし、
ずっとこの世から消えたかった。

でもそれって、全てにおいてそう。
私だって、相手の様々なことを想像しようと努めても
真の意味でその人の立場に立てないと思う。




それでも見送った後に、

葬式に参列してくれた友人
心遣いを送ってくれた友人
1番に電話をくれた友人
気にかけて折に触れて連絡くれる友人
さりげなく声かけて、心遣いをくれる先輩

そういう人達がとても眩しく、尊い。

平穏な日常では見えない、本物の信頼関係は、
人生の潮が引いたときに初めて輪郭を現すことを
教えてくれる機会にもなった。

哀しみや孤独は癒えない。
でも純粋にそう思えること自体がある意味、
すごく幸せなのだと思う。

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2026年07月17日

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青木新門(1937~2022年)氏は、富山県生まれ、早大中退後、富山で飲食店を経営する傍ら文学を志し、吉村昭の推挙で「文学者」に短編小説が載る。しかし、経営する店が倒産し、冠婚葬祭会社に入り納棺専従社員(納棺夫)となった。
1993年、納棺夫としての体験を『納棺夫日記』として地元の出版社・桂書房から出版しベストセラーとなる。それを読んだ本木雅弘が青木氏を訪ね、映画「おくりびと」が制作されることになったが、本の内容と映画の脚本が異なること等を理由に、青木氏の意向で、本書は映画の原作としてクレジットされなかったという。「おくりびと」(監督:滝田洋二郎、主演:本木雅弘)は、2008年に公開され、アカデミー賞外国語映画賞、日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞した。
私は従前より、人は死んだらどうなるのかなど、いわゆる死生観について関心があり、これまで様々な本を読んできたが、先日、井上理津子『葬送の仕事師たち』を読み、登場する仕事師たち(葬儀の専門学校の生徒、葬儀社の社員、湯灌師、納棺師、復元師、エンバーマー、火葬場の職員等)のプロ意識の高さに驚き、有名な本書を読んでみた。(私は映画「おくりびと」も見ていない)
本書は、著者自身が「日記と題していながら、日記でもなければ、自叙伝とも小説とも言えず、宗教書でもなければ、哲学書でもない。あえて言えば、ノンフィクションかなと思ったりしてみたが、そうとも言えない。」と書いているように、一風変わった本である。本編「納棺夫日記」の第一章、第二章は、著者が書き残していた日記・記録をもとに書かれているが、第三章は、著者の考える死生観を、親鸞・浄土真宗の思想を軸に、古今東西の宗教、文学から科学的見解まで含めて綴られており、更に、桂書房刊行のものから一部改訂され、「『納棺夫日記』を著して」が加えられている。
ひと通り目を通すと、前半の部分は、納棺夫の仕事を初めて知る場合はかなり衝撃的と思われるが、私は『葬送の仕事師たち』を読んでいたので、ある意味淡々と読み進めることができ、後半に引きつけられた。
著者は相当な博学で、上記の通り、実に幅広い角度から死生観を述べており、私がどれほど理解できたか心許ないのであるが、キーワードが「光/ひかり」であることは間違いない。本書には、32歳の若さでがんで亡くなった医師が、多数の転移を知って死を覚悟した日に、アパートの駐車場で見た全ての光景が輝いて見えたという、井村和清の『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』(1980年に出版されミリオンセラーとなった。私も子供の時分に読み、この部分だけは強烈に印象に残っている)の一節が引用され、また、著者自身は、遺体に湧いた蛆さえ光って見えたというが、その光は、臨死体験をした人たちが例外なく語る光、釈迦や親鸞や多くの宗教者が出合った光と同じであり、その光こそが、宇宙の生成と消滅、生き物の生と死を超えた唯一絶対の真理であり、生きとし生けるものの全てに現れ救ってゆく存在なのだとする。(後半は、私が苦手とするスピリチュアルの世界との区別がつきにくくなるが。。。)
また、正岡子規の『病床六尺』から引用されている次の一節が強く心に残った。「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」
本書の感じ方は、読む側の、それまでの体験や置かれた状況、心持ちで大きく変わってくるのだろう。また時を置いて読んでみたいと思う。
(2024年5月了)

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2024年05月27日

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おくりびとの元となった本。前半は納棺夫の仕事とその仕事を通じて人の死に多く接したこと、後半はそれを元に仏教的な死生観について述べられている。
自分も人の死に多く接している。しかし死の少し前、人が死を意識してから死ぬまでの間をよくみており、死んだ後のことやその後の家族の様子などはあまり見ない。その後は葬儀と宗教の世界なのだ。その辺の様子が知れてよかった。
仏教的死生観については自分も日本人として同意するところが大きい。いかに死ぬかは、いかに悟るかとも思える。

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2023年07月17日

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映画『おくりびと』の原作とも言われる作品。映画も悪くはないが、全く別の、もっともっと人間の死に、生に迫った、心の奥に染みる作品。映画を観たから、あるいは映画の内容からの連想で読まないのはもったいない。多くの人に読んでほしい。

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2020年09月28日

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日記の部分は少ない。でもその日記の部分はとても響いた。

死は悪ではない。
現代の隠蔽された死を露わにしてくれる。


僕は死んだ人に触れたことがない。

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2017年09月29日

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映画「おくりびと」の原作ではないが、元となった本。納棺夫というのは正式な職業名ではないが、この本をきっかけに、納棺をする人が世間に認知されるようになったようだ。
著者は葬儀屋で働いていて、たくさんの死体に向き合ってきた。その時の体験から、「死」そのものについて考えるようになった。突き詰めていく過程で、宗教、具体的には仏教、なかでも浄土宗の教えにたどり着く。生と死の間にある人がみるという「光」について、考証を重ねてゆく。
宗教と科学や医療や哲学など、いろいろな方面から偉人の言葉など借りつつ、死の概念を説明している。生にフォーカスするあまり、死は怖く、忌み嫌うものとしてタブー視されているのが現状であり、僧侶でさえも死の概念をよく理解していないと著者は指摘する。
阿弥陀の教えなど、分かりやすい解説だと思う。読者に結論を導くのをゆだねるというのではなく、きちんと考えが示されている。興味深かった。

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2015年03月27日

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有名な映画『おくりびと』の元になった本だが、そのテイストは全く異なる。鉛色の空の下の保守的な土地・富山に深く根付いた浄土真宗を柱に、キュブラー・ロスやシュレディンガーにまで触れ、生と死の根源的な意味を見つめる。筆者が獲得した「ひかり」の概念が随所に。

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2013年07月07日

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死を見つめ続けた男は、その仕事の先に何を見たのか。
死に「触れる」ことでみえてくる「生」。
「生」に執着するあまり見えなくなる「生」。
「死」、「生」、「神」、「仏」、「宗教」、「科学」と、絡めながら、「死ぬとは」、「生きるとは」を考える。
この本は、“残る”。

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2013年06月29日

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久しぶりに本が読みたくなって本屋に行ったら、この本に目が止まった。
「おくりびと」でも有名になっていて興味があったし、
1冊しか置いてなかったからすぐ買った。

最近私も身内をおくったので、死というものはどうなんだろうか?って思ってたし。

専門的な内容の箇所はちょっと難しかったけど、
者の納棺夫としての日々はとても興味深かった。

美しい死というものはどういうものだろうか。
身内は今思えば美しい死だったと思う。
最後は自分の生きたいように生きたはず。
ずっと病院に行け行けと言っていたにもかかわらず、
やっぱり自分の家が良かったのだ。それで良かったんだと思う。
周りに迷惑をかけず、あっさりと逝ってしまった。

だからかわからないけど、まだ居てくれてるような気もする。
肉体はなくなってしまったけど、まだあの笑顔や声はハッキリと思い出される。

死ぬのが恐ろしいとは思わなくなったかもしれない。
それは死ぬ為に今生きているから。
悔いのないように生きよう。

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2013年05月20日

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第三章がとりあえず難しい。日記かと思いきや違う。著者の頭の中を覗き見るみたい。これをきっかけに宮沢賢治の本を再び買ってしまいました。

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2013年03月27日

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青木新門著「納棺夫日記」を読みました。

 実は、今「OPローズダスト」を読み出したところだったのですが、「おくりびと」がアカデミー賞を受賞した翌日、職場の人がこの原作をぜひ読んでとわざわざ貸してくれたため、せっかくのお薦めだからとこちらを先に読み始めたのでした。

 映画「おくりびと」も見たいところだったので、やはりこの原作も気になっていました。

 原作は3章からなっており、1章と2章は、まさに作者が納棺の仕事を通して書かれた日記の文章になっています。

 そして、3章は「生と死」について、仏教の考え方をとおして作者の考えが述べられています。

 そして読み終わって感じたことは、いかに普段「死」について、真剣に考えていないということでした。

 理想とする「生」については、思い浮かべても、「死」についてはどうしても避けてしまうところがあります。

 でも、やはり「生」というものは、「死」というものがあって、考えられるべきものであることを感じました。

 最近ニュースで見られるような、残酷な「死」にまつわる事件が多いですが、「死」について、もっと深く考え、語るべきなのではないのでしょうか。

 映画「おくりびと」もぜひ見てみたいです。

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2013年01月24日

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昔、死は日常(生)の延長にあったが、
現在死は日常とは切り離された場所で秘めやかに起こっている。
生と死が遠く離されてしまう事で、
死はどんどんと忌み嫌われるものとなってしまう。

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2012年11月18日

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ネタバレ

一遍読んどかんといかんなあと思って。
お亡くなりになった方を棺に入れる役割が「納棺夫」。意図せずにこの職についた著者の回顧&宗教観。
映画にもなったため、かなり人が集まってこられたようだ。ご本人も書いておられるがだいぶん「名利の太山に迷惑」されたようだ。なかなか自分で「親鸞聖人か釈尊が著者の手をお借りして現世に出されたものと思いました。」という感想をあとがきに掲載は出来ない。
親鸞聖人の教えをよろこばれた方の個人の受け取りを聞かせていただくにはとても面白かった。ただ、ご自身が話していることや体得したことが正しいという前提で話が進んでいるところは正直疑問でいっぱいだった。あ、妙好人にこういうのをいったら怒られるのだろうか。でもしょうがない。そう思ってしまった。
オウム真理教の信者に関する視線も深くその状況を知ってというよりは「感想」じゃないかと感じた。
この本にある第一章、第二章のようなご自身の話は面白い。死とそのまわりにある生の対比を感じる感性は素晴らしいなと思う。一方、第三章のような宗教的なこととあとがきの意見に関してはこれが正しいと思う人もいるかなと懸念。
話題となった書としては押さえておいてもいいと思う。

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2026年06月15日

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死を受け入れた人はみな安らかになるというのが印象に残った。全てが光り輝いて見えるのなら、いつか来る死も案外悪いものではないのかもしれない。全然次元は違うが、一度会社でものすごく大きな目標を達成した時に、仕事をする上で関わった全ての人に感謝の気持ちが自然と湧いてきたのを思い出した。それのもっとスケールの大きい感情が起こるのかもしれないと思うと、生きる苦しみを乗り越えた先にご褒美が待っているのかなと思える。

孤独死、淋しい死などはなく、残された人が勝手に決めつけているだけで、どんな死でも安らかである、という考え方はすごく救われる。どんな人も自分の生をやり切って旅立っていくのであって、そこに他人が良い悪いを決める事はとても失礼な事なんだと思う。

途中の宗教の話は難解だと感じたけど、最後の章が補足になっていて良かった。

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2024年01月23日

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おくりびとも見たし、再読のはずが、僧侶見習いをしている現状から、いかに弔い、残された家族に言葉を伝えるか?を考えてしまう。

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2021年06月06日

Posted by ブクログ

映画「おくりびと」の「原作」である。

小説、つまりお話の形になっているのかなと思ったら、著者が書き連ねていた日記をもとにした、随想のような本であった。後半は宗教書っぽくなり、また話は宇宙物理学にまで及んだりする(死を突き詰めて考えると、どうもそういうところまで行ってしまうらしい)。

映画では納棺師と言っていたが、なんと「納棺夫」だ。実際、映画のようなきれいな世界ではないし、忌まれる存在であったことは想像に難くない。本にも、(家族などの)素人がいろいろいじっていたら血とか何とかが出て来ただとか、蛆とか轢死体とか、映画ではあり得ない生々しい描写もある(映画でも少しは触れていたけど)。

さてしかし、遺体を扱うだけに、技術や経験の蓄積みたいな話で済まないところが、この仕事の深さだろう。

多くの、さまざまな死(と遺族)に向き合っていると、やがて死と生とがひとつながりであることが見えてくる。

苦しんだ人も、怒りや憎しみを抱いた人も、死に顔はほとんど安らかなものであるという。いまわの際には「ひかり」が見えるともいう(立花隆氏の著書「臨死体験」にもそういうくだりがあったっけ)。著者自身、あるとき、蛆が神々しく光って見えたことがあったそうだ。

その「ひかり」の前では生への妄執や現世的な欲望などがすっかり浄化され、言ってみれば「悟り」の境地が自然に訪れるらしい。

なるほど、宗教とは何か、悟りとは何かを正面から論じている本だけに、映画(お話)に納得がいかなかったのも無理はない。

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2019年06月06日

Posted by ブクログ

あとがきでも書かれていたけれど、私も1章2章派だな(^_^; 基本職業的文筆家ではない人の書いた文章だな、という印象を受ける本。
あとまああれだ、本の中で散々批判されている側の人たちを、身近に昔から知っているからなー。そんなだけじゃないだろー、とも言いたくなる。

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2017年01月21日

Posted by ブクログ

「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」の帯にこの本の著者の紹介があったので購入。
「おくりびと」の元になった本だとは、他の人のレビューで知る。
人生のいつのタイミングで読むかで、感じ方が変わるのだろう。
いつかわからないけど、確実に来る誰かの「死」の時にきっともう一度読むんだろうな。

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2016年06月11日

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 おくりびと、という映画があり、私はそれを読んでいないのだけれども、その元となった本としては聞いたことがあった。

 死と穢れと、ただ生きるということに対するまっすぐな視線が、読んでいると背筋を伸びる。
 さらに考えが成熟しているであろう、続編も読んでみたい。

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2015年06月11日

Posted by ブクログ

死が光なのかしら、死の先に光があるのかしら。
この人のいう美しい死とは、自然であるということかしら。自然になろうとするのではなく、そうあるというのは難しいことだろうに。
この人の語りはなんだか自負というか驕りというか、強いプライドが見え隠れした。

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2013年07月13日

Posted by ブクログ

映画「おくりびと」の原作、ではなく原案になるのでしょうか?
日記、という題ですがエッセイのような感じです。作者が葬儀社に勤めて、遺体の納棺を主にされていた話です。でも半分は宗教・哲学や死生観、親鸞とその著作や、死についての作者の考えが書かれていて、その部分はとにかく私には難解でした。詩人とそのスタンスー生と死、どちらにスタンスをとるかなどーについての話も。
とにかく親鸞と嘆異抄なんて名前しか知らないし(・_・;)

ただ、死に面して世界が輝いて見える、というのは少し実体験? があり、ちょっとわかる気もしました。
腫瘍があります、と言われて病院から帰った翌日、本当に空も見慣れた町並みも異様に澄んで輝いて見えたものです。驚くほどに。(でも調べたら良性でした。。。(^^;) )

死に際して、その人が穏やかになること、、、これも記憶にあります。しかしこちらは、あまりに苦い記憶ですが。。。

死について論じることはまだ正直できないですし、その人、個々人のそれまでの生き方にもよると思うので、これという考えに至れるとも思えず。。。元々穢れとも思っていなかったものですし。
ただそういう思考をそろそろしてもよいお年頃かもしれないな、とは思いました。この年になると多くの人をお見送りしましたので………。

なんだかまとまりません。死について考えること、そのものが難しいです。
死ぬことって、事象だけみればすべて等価で同じ様にも感じますし。。。

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2013年06月05日

Posted by ブクログ

「嫌なもの、都合の悪いもの、特に生死に関わる根源的なものは、なるべく見ないようにして人間は生きている。地球を一つの生命体として見るなら、どこかが豊かでとこかが貧しいということなのだ。どこかの国にあり余るほど食物があれば、どこかの国で少女やハゲワシが飢えている。どこかで大漁の喜びがあれば、どこかでおとむらいの悲しみがある。美しいヒューマニズムの旗を掲げた人間が戦争を繰り返しながら、青い地球や少年の瞳を傷つけてゆく。悲しみは今日も、欲望の先に光っている。(p183)」

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2013年05月10日

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