岩井克人のレビュー一覧
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これもまた水野先生からの課題図書。
モーリス・ゴドリエさんの「経済人類学序説」でマルクスの貨幣論を勉強した後に持ってこられた。まったく、いつもタイミングがすごすぎる。
表題作の「ヴェニスの商人の資本論」はとても面白い謎解きになっていて、貨幣の資本主義における働きが何となく掴めるようなお話しである。おすすめ!
中盤は経済学のお話しがいろいろ続いて、なんだか一処にとどまり続ける息苦しさと行き詰まりを感じたのだけれども、最後まで読んで印象はひっくり返った。
最後の「十冊の本」という短いエッセイは、知と知識の違いを皮肉的に説明してあるようなお話しで、「本読んでるぞ~!」と思い上がっていた私の顔面にパンチを喰らわせてくれた。
日々毎日、その時その時に応じて「事」に当って応対していくというやり方と、実際にそのことに当たる前に事前に少しでも準備をしておいて、いざ!その「事」に対応するというやり方がある。万全の準備をしようとするとフレーム問題で全く身動きができなくなるのだけれども、全然準備をしていなければ、それはそれイチかバチかでとても危うい感じがする。しかし、どの程度の準備が適切かと考えてみてもちょっと即座には答えが出ない。案外なにも準備すること無くその場で対応したほうがうまく行ったりするのかも知れない。
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「知識」などという冗長な言葉はもうすっか死語になっている。今ではその代わりに、短く―「知」―と言わなければならないのである。仏教において絶対で不滅な人生の根源のことを意味している「識」という言葉の重みを取り払われた「知」は、軽妙で、微細で、多元的で、非中心的で、ズレに満ち、そしてなによりも胡散臭いものとして規定される様になったのである。ひとは、かつてのようにみずからの中に知識を貯えて「知識人」になるのではなく、この「識」を失った「知」なるものに対して、その冒険的な狩人になったり、それを祝祭的に蕩尽したり、そのねじれの構造を批評したり、それを玉手箱のように脱構築したり、それと軽やかに戯れたりしなければならなくなってしまったようだ。
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と岩井さんは皮肉を言われる。
あくまで資本主義経済社会に踏みとどまり専門分野である経済に関して、なんとかして「知」を「識」にまで織り上げようと呻吟されている苦悶、苦闘が感じられる。なんか…学問って闘争というか死闘なんだなぁ~と感じてしまった。
それに比べて、自分のなんとお気楽なことか…
しかし、読むのは止めないつもり。読むのをやめたらたちまち暗黒の闇に舞い戻り世界を呪い、自分を呪うことになってしまいそうだからである。ただただ時間を消費して、他人に迷惑をかけないために本を読むというのが、手持ちの脳のメモリーが小さくて、CPUのクロック数も低いが故に「知」を「識」に編みあげるなどとても出来ない相談である私の読書体験なんだなぁ…
水野先生が感想を聞いてくださるのが唯一の救いだな。 -
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ネタバレ平成22年のセンター試験に出題があったので読みました。
21世紀のという本の題は少し違うなと思いました。
20世紀の発想をかなりひきずっていて、21世紀の発想の提案にはなっていないかもしれない。
センター試験は「資本主義と「人間」」という
朝日新聞1985年4月2日夕刊
に掲載のあった記事とのことです。
その後、単行本になり、文庫になっています。
試験問題と単行本の違いは、問題のためのカタカナへの書き換えや、横線だけでなく、「ふりがな」と出典の記載の有無があることがわかりました。
新聞掲載時の内容ははまだ未確認です。
岩井さんの本は、ほかにも読んだことがあります。とても分かり易いです。
岩井さんと話をしたことがありません。文章に二重拘束、三重拘束があるかどうかは分かっていません。
全著作を読んでいないので、執筆当時と現在の解釈の違いは未確認です。
ただし、著者が「あとがき」で「本書に集まられた文章は、巻頭論文以外は、すべてすでになんらかの形で発表されたものである。だが、本書に収録するに際しては、字数や表現に制約がある新聞や雑誌に掲載された文章ではなく、わたしの手元に保存してある原稿を基底にし、それに大小さまざまな改訂をほどこした。」と2001年1月1日付けで書いている。
初出当時の見解だけではなく、出版当時の見解も入っている可能性がある。
他の収録している著作との関係で、省略している事項があるかもしれない。
後半に収録した論文はある理論の発見後のもので、「資本主義と「人間」」は前半なので、発見前だということがわかる。ということは、理論を適用後には、別の書きぶりになるのかもしれない。 -
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ネタバレ会社とは、モノとしての存在と、ヒトとしての振る舞いを併せ持つ特異なものである。
その会社を株主はモノとして扱いたいのか。経営者達はこの会社というものをヒトとして成り立たせるために、手となり足となり、頭脳となる。
日本の会社は、従業員でさえこの経営者として機能している。
商業資本主義から産業資本主義になり、そして現在ポスト産業資本主義の時代、今後の資本主義は何が基軸として機能するのか。
それは、今までと違い差異を意図的に作り出す事。第三の波とか情報化社会とか言われる状態。
そのような状況で「グローバル化」「IT革命」「金融革命」は必然的に手を取り合って訪れた、ということか。
そこでは、個々人のコアコンピタンスこそが重要な差異を産む源になると予言される。 -
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300ページ弱の大作だけれど、話があちらこちらに飛ぶこともなく、というか話はいろいろ飛ぶんだけれど、展開が理論的で筋が通っているから、不思議と全体を見失うことなく全部を読み切れる。
この本が読みやすいのは、理論の繋がりがとぎれないようにとの著者の配慮と、もうひとつは所々でキーワードを持ち出して、そのキーワードを用いながら話を展開してくれているから。
アメリカ型企業→法人名目的企業→ポスト産業資本主義、かたや日本型企業→法人実在的企業→産業資本主義とこんなふうに適切な言葉を用いてくれるから、とても分かりやすい。
こういうカッチリとした理論的な内容の本は物理問題を解いているみたいで大好き。
法人において、従業員は社員じゃないなんて初めて知った。確かに僕たち労働者は会社と雇用契約を結んでいるから、会社の内部の人間ではなく、外部の人間だ。ただ、内部の人間では無いはずの労働者があたかも内部の人間のような意識で働いているというのが日本型企業の特徴。
「そもそも法人とは・・・」というテーマからグッグッグと、まるで詰将棋のように理論が進む。
多分日常生活には全く顔をださないテーマだけれど、生産性も全く無いけれど、世の中の仕組みに興味がある人は読んでもいいかも。こういう基本の部分を理解しているといろんな展開ができるように思う。 -
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ネタバレ「貨幣論」や「ヴェニスの商人の資本論」の著者として有名な岩井克人氏のエッセイ集。岩井氏の書く文章はユーモアに富んでいて、ついつい夢中になって読んでしまう。この手のユーモアは、明治・大正期の学者である寺田寅彦や中谷宇吉郎のエッセイを読んでいる時に感じるものと同じである。科学者としての鋭い指摘を絶妙なユーモアを交えて論じる技法は、まさに職人技と言えるだろう。
内容についてだが、本書には資本主義について主に倫理的視点から論じたエッセイが多く取り上げられている。特に筆者がいくつかのエッセイで繰り返し述べているのは、「法人(legal person)」という言葉が持つニ面性からの「株主主権主義」の批判だ。「株主主権主義」では、「会社は全て株主のモノ」と捉え、それゆえに企業は「株主のリターンを最大化するべく活動すべき」と考える。自由主義思想の先駆者であるミルトン・フリードマンは、1962年の出版した『資本主義と自由』の中で、「会社はその所有者である株主の道具でしかない」と述べているという(初耳でビックリした)。だが筆者は、「株主主権主義」を理論的な誤謬であると批判する。なぜなら、会社は「法人」だからだ。先述の「法人」の二面性を踏まえると、株主が保有しているのは抽象的な"モノ"としての会社=株式にすぎず、その他の資産である設備やオフィスを所有したり、従業員と契約を結んでいるのは"ヒト"としての会社にほかならない。したがって、株主が会社の所有者であると考えることは傲慢ですらあると筆者は指摘する。
我々が生きる21世紀経済は、岐路に立たされている。著者は、それを産業資本主義→ポスト産業資本主義への転換と表現している。なぜなら、1930年以降広く信仰された新自由主義思想にしばしば綻びが見られるからだ。綻びたものを修復するためには、「法人」の議論と同じように、思想の背景にある抽象的な概念の意味をもう一度捉え直す哲学的思考が必要ではないかと思う。 -
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貨幣とは何か?
この問いの深淵さ、「意地の悪さ」に初めて気がついたのはマルクスだ。
マルクスは貨幣を「形而上学的な奇妙さに満ち満ちたもの」と呼んでいる。
貨幣を当たり前だと思わずに、そこに形而上学を見出したことこそマルクスの天才だ。
貨幣を形而上学的謎として解くためには、マルクスの「資本論」、特にその「価値形態論」を抜きにしては、アプローチする出来ない。
と、言うことで、岩井克人は、マルクスの「資本論」を自家薬籠中のものとして、縦横に活用する。
本書は、岩井克人によるマルクス「資本論」の独創的読解だ。
さわりの一章だけをざっと見るとこんな感じだ。
第一章 価値形態論
資本論の要である「価値形態論」と「交換過程論」から貨幣登場のメカニズムを炙り出す。
貨幣は貨幣として流通してしているから貨幣なのだ。
このトートロジーこそが謎の根源だ。
神の成立と同じメカニズムに基づく社会現象だ。
したがって、マルクスの「価値形態論」は、貨幣論に留まらず、神の発生論でもあり、更には、言語の発生論、国家の発生論でもあるのだ。
経済学、宗教岳、言語学、政治学の根幹に存在する形而上学的謎を、トートロジーとして「価値形態論」として抉り出して見せたのだ。
そして、価値形態が生まれてくる(つまり、貨幣が、神が、言語が、国家が生まれてくる)メカニズムを「交換過程」と言う動的な相で捉えてみせるのだ。
そして、貨幣が神となった特殊な資本主義社会的は、トートロジーの行き着く先、ハイパー•インフレーションという危機を招くと予言する。
トートロジーには実体はない。
実体の無い虚空から生じた「剰余価値」は、実体のなかった虚空の宇宙に生じた物質のようだ。
この「奇跡」が、実体があるかのように振る舞う貨幣を生み出した。
他人が貨幣として受け取るから、他人が貨幣として信ずるから、貨幣として機能するのだ。
そして、剰余価値は剰余価値を生み出し続けて、巨大な価値のハイパー•インフレーションを作り出すのだ。
こうして、貨幣商品説も貨幣法制説も葬り去る。
本書を十分に理解するためには、難しいマルクス「資本論」を理解しておくことが望ましい。
そのための最良のガイドが、柄谷行人の「マルクスその可能性の中心」だ。
第二章 交換過程論
第三章 貨幣系譜論
第四章 恐慌論
第五章 危機論
と続く。 -
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本書では資本主義の本質を探るだけではなく、ポスト資本主義の社会についても考察していく。著者はこれまで「貨幣」とは何か、を再三追求しており、その命題に対して著者は「貨幣は貨幣だから貨幣である」という結論を出す。これはマルクスの「価値形態論」を批判し追求した結果、貨幣の本質が自己循環論法であることを証明した。また貨幣のみならず、「言語」と「法」の実態についても本書で繰り返し考察される。著者によると、これら三つは、それ自体には物理的な力を持たないが、社会的実在、すなわち社会的動物としての人間が、これらを媒介することで、人間が人間として存在するのだという。言語は意味を、法は権利と義務を、そして貨幣は価値という、目では見えないが一定の力が働く。
後半では、資本主義を超えた先にある市民社会のあり方についても考えていく。市民社会とは、国家(法の力)の側面と資本主義(貨幣の力)の側面の二つを持っていると著者は考える。そして、最終的には法が支配する国家か、貨幣が支配する資本主義を補完するようなシステムになるだろうと著者は考える。そこで鍵となるのが人間の倫理性であり、倫理性が現状の資本主義に対抗する力を有しているという。 -
Posted by ブクログ
本書は貨幣論などで有名な岩井氏のエッセイが多数収められた本になります。著者が最後に述べているように、大きくは1)資本主義論、2)貨幣論、3)不均衡動学論、そして4)他人の著書の論評の4つになりますが、個人的にはやはり貨幣論が一番面白く感じました。そして貨幣論自体は1)の資本主義論や3)の不均衡動学論にも応用されていて、その意味では貨幣論が本全体の根底にあるのではないかと感じました。
岩井氏の主張は深みと面白み、そして納得感をもたらしてくれます。本書で批判を加えている「経済学的思考」についても同様の感想を持ちました。それは何かというと典型的な経済学者は、現実と経済理論が異なる際に、「現実が間違っている」という言い方をします。つまり経済理論こそが真の姿であり、それが何らかの「阻害要因」によって歪められているのが「現実」だというわけです。そんな考え方は馬鹿げていて、「社会」が何かを理解していない研究室で純粋培養された経済学者のたわごとなのですが、主流派の経済学者の間ではそれが当たり前だということになっているわけです。岩井氏はそれに対して非常にロジカルに反論を加えており、大変気持ちよく読むことができました。
全編通じて興味深く拝読しましたが、1点、4)他人の著者の論評、については割愛してもよかった気はします。何かこれだけが本の中で浮いている感じがあり、しかも対象となる本を読んでいない人からすると、岩井氏が何を論じているのかポイントがよくわからないのではないか、という印象を持ちました。1)〜3)のトピックだけの方が締まりが良い気がしました。