三中信宏のレビュー一覧
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「生物分類学」の本かと思ったら、「哲学」「心理学」「形而上学」の本だった、と言う感じの内容。”ホモ・サピエンス”に限らず、動物やら植物には「種」があって、リンネに始まる近代分類学によって、階層的に・・目・・科・・属・・種というような学術名で科学的に当然分類されている、ものだと思っていた。それで、今まで見たことない昆虫だとかがたまに見つかって、それが学術的に「新種」だと分かったりするのだと思っていた。本書を読んでみると、そもそも「種」とは何なのか、そんなものが”実在”するのか、という議論自体が分類学の学術界でしばしば起きているらしい。驚きだ。そして実在とか存在という問題に入り込むと、そこは哲学、
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ネタバレ「哲学は、哲学者と呼ばれる一風変わった人々による深遠な学問的練習などではない。哲学は日々の文化的思想や行動の背後に潜んでいる仮定を考察するのである。われわれが自らの文化から学んだ世界観は、ちょっとした仮定に支配されている。そのことに気づいた人はほとんどいない。哲学者はこうした仮定を暴き出し、その正当性を検討することにある」(デイヴィッド・ザルツブルグ『統計学を拓いた異才たち』371頁)p210
【あとがき】p270
風のうわさによると「樹」はときどきものを言うそうだ―その声のささやきがあなたには聞こえるだろうか。:<From me flows what you call Time>。系統樹を -
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僕は水中そして陸上で、いわゆる「自然写真」を撮っています。
カメラのレンズを生物に向けることが多いので、「この生物は何という種類なのだろう」「あの種類を撮りたい」と思うことが、ままあります。
また、特に海の生物などは、よく見かける魚でも和名がついていなかったり、ある生物がとつぜん、2種類に分かれたりすることもあります。
そういう経験を通じて、「”種”とは何なのだろう?」と疑問に思っていました。
その疑問に答えてくれそうな題名の本を見つけたので、読んでみることにしました。
がしかし、この本は僕には難しかったようです。
理解できたのは、体系化するということには、「タテ思考」と「ヨコ思考」があるとい -
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要するに、生物学哲学論争史で、それなりに知識もつくが、そもそも分類行為の最初である民族分類について、きちんと書いていない点が不満である。著者の論点は「種」(spieces)は存在せず、生命の流れがあるだけだが(これを「スーパーワーム」というけど、実質はベルクソンの『創造的進化』と同じ)、人間は分類したがる生き物だから、分類がなくなることはないという点につきる。これを中世の普遍論争や、マイヤーの生殖隔離論、論理実証主義の影響やら、ルイセンコ論争やらいろいろ引いてくるものの、ほとんどが脱線である。『ピーター・ラビット』の著者が菌類学者だったとか、『ロリータ』を書いたナポコフが昆虫学者でもあったとか
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全般的に言って進化生物学の本だが、「系統樹」という発想は、生物進化に限らず、言語や写本の歴史などと関わり、決して生物学だけのツールではないと指摘している。第一章は進化=歴史が科学になり得るのかという問題を設定し、演繹・帰納だけでなくアブダクション(妥当な説明の推定)も科学の方法なのだと主張し、物理学などをタイプを扱う科学、進化論をトークンを扱う科学とする。第二章は系統樹の歴史をふり返り、ルルスなど中世の学問分類やヒューエルの古因学、現代の「系統樹革命」に及ぶ。三章・四章が系統樹の書き方である。基本的には点・辺・根を想定し、合流不能とするのが系統樹である。つまりネットワークの特殊例だ。系統樹が妥
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歴史は科学なのかという問いから始まります。繰り返し実験が可能な物理学などの自然科学と比較すると、歴史を科学とみなすことはそう簡単ではありません。本書は系譜を探求する(アブダクションする)ことをもって科学的な主張であるとみなそうと哲学的な立場に立っています。そういった立場を認めることで古生物学や進化学も科学となるということでしょう。このような考え方は決して新しいわけでなく様々な分野で普遍的に用いられてきたことを著者は指摘し、これを分類思考に対して系統樹思考と呼んでいます。
著者が面白いと思っていることと私が面白そうだと思うことに多少ズレがあるようで、どうも楽しく読めませんでした。図が不鮮明な