鎌田東二のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「神道用語」を調べるための本と思って手に取ると、いい意味で裏切られる。各項目は短いのに、背後にある歴史の層が見えるように配置されていて、縄文・稲作・祖霊観から、記紀の神話、祭祀、神仏習合、中世神道、近代の国家神道、戦後の変化までが一本の線でつながる。
とくに、神道を教義よりも身体感覚・生活感覚として捉える視点、穢れを「気枯れ」と捉え直す説明、神=生命循環思想という整理がわかりやすい。通史を読んでいて「ここで出てくる用語って結局なに?」となったときに引けるのはもちろん、用語から時代の空気を掴み直せるのが便利。
章立ては用語解説の集合体だが、読後には「神道とは何か」を自分の言葉で言い直せるようになる構成になっている。たとえば、祓・禊・忌みといった行為が、共同体の秩序や身体のコンディション管理と結びついて語られるので、宮廷儀礼や疫病流行、政争の場面を読むときの解像度が上がる。
逆に、出典の厳密な注記や一次史料の引用を積み上げて検証したい場合は、別の専門書を併読するとよい。用語ごとに短く引ける一方、概説として読むなら「用語→歴史の流れ→また用語」の往復が必要(拾い読み向き+通読は整理しながら)。入門と整理の"道具"として、手元に置く価値が高い一冊。 -
Posted by ブクログ
そういえば「神道」というのは、身近なようで何も知らないなぁ、と思い、神道入門に読んでみることにしました。
自然への畏怖と尊敬が根底にあるというのは非常に伝わってきました。また、神道の歴史をざっくりと説明していたため、(こんな経緯があったのか)と興味深く読み進めることができました。
ただ、本書に限らないそもそも論的な話になりそうですが、未だ宗教というものが掴めそうにありません。読む途中途中、(ほんまの真面目に?)と感じてしまう自分が悲しかったです。まだまだですね…。
本書は神道における道具や神々の解説本ではなく、本質的なものを語っているため、目的に合致していれば面白いのではないでしょうか。ぜひ。 -
Posted by ブクログ
鎌田東二氏は、上智大学グリーフケア研究所特任教授などを務める宗教学者で、神職の資格を持ち、神道ソングライターとして作曲活動も行っている。また、『神道とは何か―自然の霊性を感じて生きる』(2000年/PHP新書)は、「松岡正剛の千夜千冊」(0065夜)でも取り上げられている
私は、「死んだらどこへ行くのか」というテーマに弱く(?)、これまでにも、書棚・蔵書録をざっと見ただけで、『人は死んだらどこに行くのか』(島田裕巳)、『死んだらどうなるの?』(玄侑宗久)、『わたしが死について語るなら』(山折哲雄)、『輪廻転生』(竹倉史人)、『恐山』(南直哉)、『死生観を問い直す』(広井良典)などを読んだ。
それらの本との比較で言うと、前段の、宮沢賢治の宇宙観、柳田國男の『先祖の話』と折口信夫の「まれびと」、『古事記』と本居宣長と平田篤胤のあたりは、他書でも取り上げられており、特段の目新しさはない。(今般上記の本を読み返したわけではないので、それ以外の本に書かれていたのかもしれない。また、遠藤周作の『深い河』は知らなかった)
一方、後段では、「現代」は「中世」の再来である、即ち、中央集権体制を強く希求していた「古代」と「近代」に続く「中世」と「現代」は、分権化や割拠が進み、その結果、社会システムが「無縁化」した(ている)点において似た状況にある、という認識を前提として、我々が「死」に対してどのように対処するべきかを語っている。
そして、そのように「無縁化」が進む現代においては、中世に宗教的な救済が求められたのと同じように、臨床宗教師等によるスピリチュアルケアやグリーフ(悲しみ)ケアが必要とされていることが強調され、また、中世において、無縁化した魂を鎮めるために『平家物語』や「能」のような芸能が生まれ、『古今和歌集』や『新古今和歌集』のような勅撰和歌集が編まれたのと同じように、現代においても、「アート・オブ・ピース(=平和をつくりだすワザ)」を新たに生み出し、自分の身の回りの「死」を「歴史」的な視点で位置付けて「物語=詩」にすることが重要であるとされている。(私は「スピリチュアル」というワードに瞬間的に拒否反応を示すのであるが、「スピリチュアルケア」はそのような性質のものではないようだ)
「日本人は死んだらどこへ行くのか」の直接的な回答は得られないが、死生観について考えを深める材料を提供してくれる一冊である。
(2017年6月了) -
Posted by ブクログ
二点。ひとつは一元集約型の限界。もうひとつは善意や正義の押し付け。
まず復興について言及しているのは、やはり一元集約型じゃなく、分散して地域の特性に合わせること。これは一概には言えないが、大きくなりすぎた企業や組織もそうあるべきだと思う。もっと小単位でフレキシブルに自律的に動けるほうが、活動密度も濃い。「トップダウンがほしい」「上からの方針がないと」みたいに、いけしゃあしゃあと他責が簡単に許される大組織では先が思いやられる。
また、ボランティアでありがちな「自分は正しい」「良いことをしている」みたいな強すぎる思い。例えば、本来サポートに徹する立場なのに、過去の実績をこねくりまわして「こんな傾向じゃダメだ」「これについて報告してくれ」と、ピントがズレたまま余計な仕事だけ増やしてくれるというよくある日常のひとコマ。前じゃなくて後ろに焦点当ててどうすんの?
と半分まで読んでみたけど、なぜかストレスなことが思い浮かんでしまうのであった。
宗教学者と玄有宗久の対談形式。震災と宗教が、どこら辺まで絡んでくるのか、後半に期待。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
従来、弥生時代に起源を持つとされることが多かった神道。
しかし、本書で著者は、縄文時代、さらにはそれ以前から人々に宿るアニミズムの感覚に遡る、より大きなスパンで神道を捉え直すことを提唱。
その視点から神仏習合、吉田神道の登場、神仏分離令に至る、神道の歴史を読み解いていく。
大いなる自然から贈られ続ける生命に驚き、感謝して生きる「かみのみち」こそが、環境破壊・宗教不信など多くの問題を乗り越え、新たな世界を開くと説く、壮大なる神道文明論。
[ 目次 ]
第1章 神道の環太平洋ネットワーク
第2章 日常に宿る神道
第3章 神と仏はなぜ習合したか―神道の原像と展開
第4章 神仏分離令と民衆宗教―近現代の神道
第5章 神道を日常生活にいかす
第6章 これからの神道
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
最近、こういう熊楠と別の誰かを比較する本が立て続けに出てくる。この2人の場合どちらもM・Kであることを著者はさかんに強調する。なるほど、たしかにそうだ。でも、たしかに熊楠と賢治は似ているんだけれど、わたしもどちらも好きだし、ずっと関心を持ち続けているけれど、それは、ほぼ同時代に、その時代背景のなかで、恵まれた家庭に育ち、父親との確執がありつつもその経済的恩恵にしれっとあずかり、というか二人ともまともに働かないまま親の金を食い潰して死んでいった、という条件下で、そりゃあ考え方や行いは似てくるでしょう、というだけのことでしかないんじゃないかなあ。わたしは、熊楠や賢治も好きだけど、同時代に生きて、無名で終わって死んでいったような、でもその時代に必死で生きていた人々に関心があります。
-
Posted by ブクログ
古代から現代にいたるまでの神道の歴史のなかから重要な事項をピックアップして紹介するとともに、宮崎駿のアニメや松任谷由実の音楽にも言及しながら著者自身の考える神道の本質的特徴について論じている本です。
著者は、さまざまな地域や文化に見られるアニミズムや、レイチェル・カーソンの「センス・オヴ・ワンダー」にも通じる生命論的な発想が、神道の根幹をかたちづくっていると考えています。こうした著者の主張は、これまでもさまざまな著作のなかで述べられていたので、あまり目新しさは感じませんでした。
また、鈴木大拙の「日本的霊性」に対する批判もくり返されています。これについては以前にも述べたように、個人的にはかなり問題があると考えていますが、神と仏を対比して、「神は在るもの、仏は成るもの」「神は来るもの、仏は往くもの」「神は立つもの、仏は座るもの」と述べられているところにも、おなじ問題が現われているように思います。著者の生命論的な立場は、禅における「即非」の否定性をもたず、全体としての自然への直接的な帰入に陥ってしまう危険性をまぬかれていないのではないかという気がしてなりません。