嵐山光三郎のレビュー一覧
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ビスケット先生(夏目漱石)、饅頭茶漬(森鷗外)、牛タンの塩ゆで(幸田露伴)、自己を攻撃する食欲(正岡子規)、萎びた林檎(島崎藤村)、ドブ板の町のかすていら(樋口一葉)、ホオズキ(泉鏡花)、『一房の葡萄』(有島武郎)、一汁一菜地獄(与謝野晶子)、最期に吐いた飯つぶ(永井荷風)、もの食う歌人(斎藤茂吉)、弁当行乞(種田山頭火)、金目のガマのつけ焼き(志賀直哉)、咽喉に嵐(高村光太郎)、幻視される林檎(北原白秋)、食うべき詩(石川啄木)、ヌラヌラ、ドロドロ(谷崎潤一郎)、雲雀料理(萩原朔太郎)、食っては吐く(菊池寛)、食魔の復讎(岡本かの子)、餓鬼道肴蔬目録(内田百閒)、鰤の照り焼き(芥川龍之介)、職業は支那ソバ屋なり(江戸川乱歩)、西欧式菜食主義者(宮沢賢治)、伊豆の海苔巻(川端康成)、檸檬の正体(梶井基次郎)、ランボオと穴子鮨(小林秀雄)、暗がりで弁当(山本周五郎)、鰻めしに死す(林芙美子)、蝕歯にともる洋燈(堀辰雄)、安吾が工夫せるオジヤ(坂口安吾)、空気の中の蜜(中原中也)、鮭缶に味の素(太宰治)、百味真髄(壇一雄)、屁のまた屁(深沢七郎)、むかしの味(池波正太郎)、店通ではあったが料理通ではなかった(三島由紀夫)…目次を眺めるだけでお腹一杯である。
饅頭茶漬がたいへん気になりますぞ。ワタシも悪食か。 -
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『作家にとって、食とは何か?食と作品どのようなかかわりがあるのか?』その疑問に鋭く迫った異色の作家、文学論です。読むもここまで調べたなぁという作者のの執念に思わず脱帽してしまいました。
この本は『文人悪食』の続編になります。37人の文士・作家の食癖がこの本には取り上げられているんですけれど、「文人悪食」に取り上げられている作家たちにも負けず劣らず、一様に皆、個性的過ぎる食生活を送ってらっしゃったのですね。それにしても、古今東西の文献を調べ尽くして、それを一冊の本に纏め上げる。作者の執念めいた仕事に今回改めて読み直して、ただただ、脱帽するばかりでございました。
自分が気に入っているところは出世一途の人生を送りながらも酒癖が悪かったために寺男になってしまい、孤独と寂寥の中で破調の俳句を読み続けた尾崎放哉と、20代からアルコール中毒で、酒と旅に人生をささげた歌人、若山牧水に関するところや、伊藤左千夫の本業が牛乳を搾る農家だったので、丼飯に牛乳をかけて何倍もかきこんでいたところには『野菊の墓』とはまた違ったイメージの作者像が浮かび上がってきて、少し驚きました。
ハイライトは荒幡寒村の言うところの『監獄料理』でこの本を読む限りではどう考えてもまずそうな豚とジャガイモの煮つけを奥様に『お前も監獄に行って食べてくるとわかる』といって大目玉を食らった場面なんかは大笑いしつつも、作家という人種は業が深いものなんだなぁと思った次第でございました。 -
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『作家は何を食べて作品を書いてきたのか?』作家における食と作品をの関係をつづった本の第一弾です。どれもみんな個性的な方が多くて圧倒されます。
これと続編である『文人暴食』の二つは札幌にいたころ、ずいぶんと読んだものである。この話は思い出すのも正直つらいのだが当時、僕は本当に食うにも事欠いた生活を送っていたので、せめて想像の中ではたらふくめしを食いたいというほんとうにほんとうに切実な日々が背景にあったというのが実情だが、なるほど、「食と文学」という視点で作家を見ると、これほど奥が深いのかと、この記事を書くために今回また読み返してそう思った。
たとえば、谷崎潤一郎なんかはその見栄えや文体とおりのこってり、ヌラヌラしたものを好んだというし、森鴎外の好物はなんとご飯の上にあんこ入りの饅頭を二つに割って乗せて、その上にお茶をかけて「饅頭茶漬」としてさらさらと食べ、細菌学を専攻した関係から果物にいたるまで「なまもの」は一切口にしなかったそうである。
そのほかにも、種田山頭火の「食と水と酒」の業に近い話や、坂口安吾の「わが工夫せるオジヤ」にまつわる話なんかが面白かったです。機会があれば、ぜひ読んで頂ければと思います。 -
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単行本が上梓されたのが1999年、すでに一度2002年に新潮文庫が出ていますが、再文庫化ということで、ともかくあの名作『追悼の達人』が帰ってきました。
病気や死がテーマの宮澤賢治や安部公房などの文学作品を、『病いの人間学』(1999年)で鮮やかに私たちの目の前で私たちの日常的に役立つように説いてくれたのが立川昭二でした。
あるいは追悼=死者を思って悲しみにひたるということなら、吉本隆明が『追悼私記』(1993年)という、美空ひばりや手塚治虫からミシェル・フーコーや昭和天皇への自分が書いた追悼文を集めた本を出していますが、それなら負けじと、わが鶴見俊輔も『悼詞』(2008年)というバートランド・ラッセルや高橋和己から司馬遼太郎や赤塚不二夫まで、総勢125名への半世紀にわたった全追悼文を集めた本を書いています。
この文脈でいうと、立川昭二は別として、両巨頭には申し訳ありませんが、二冊の本がどう逆立ちしても、タモリが赤塚不二夫の葬儀のときに、まるであたかも原稿をよんでいるような振りをして、まったくのノー原稿でながながと弔辞を述べたパフォーマンスにとうてい太刀打ちできません。
実は嵐山光三郎とは、その著書を読む前からのつきあいでした。といっても、実際に知っていたわけではなく、私が小学生の頃から雑誌『太陽』や『別冊太陽』を読んでいて、その編集長が彼だったこと、毎回とても興味ある特集を企画するこの人はいったいどういう人なのだろうという編集者に関心を持った最初だったこと、そこで知った本名が祐乗坊英昭(ゆうじょうぼう ひであき)という僧侶のような名前だったことなど、興味尽きない人なのでした。
本書は、追悼といっても故人を忍んで称えるばかりではない追悼もある、というところに眼をつけて書かれた本だと思います。
とかく追悼というと欠点や悪行は伏せておいて、美辞麗句を重ねたよそ行きの言葉で語られがちで、誰もひどい飲んだくれとか、とんでもない嘘つきだったとか、助平で淫乱で尻軽で不逞の輩だった、などとは、いくら今にも喉元から出そうでも、口が裂けても言わないのが人情みたいなところがあるからです。
まあ、自分のときを想像してかもしれませんが、つまり、いまあんなにひどいこの人に言わないから、私のときにもみんな言わないでねみたいな感じ。
それはともかく、現代において確固たる地位を確立している、文豪と呼ばれるまでになった作家なのに、批判される夏目漱石や罵倒される永井荷風、軽視される谷崎潤一郎という事実が面白くないわけがありまん。
きっと当人たちは言われて面白くなかったはずですが、ともかく嵐山光三郎が調べに調べつくして集めた追悼文の数々によって、その赤裸々な追悼文、死者に鞭打つこの所業、かつてのあの時代の文豪たちがいかに周りにねたまれていたかがわかるのか、それとも、はたまた、彼らがずる賢く、虎視眈眈と有名になるために他人を蹴落としてまで振舞ったのかの真相は、実際に読んでお確かめあれ! -
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自分では手に取らない本、というのがあります。
見た目と言うか、雰囲気と言うか、オーラと言うか。
私は自他共に認める乱読タイプで、広く浅くたくさん読むほうなんだけど、それでも、しらないうちにある一部分、まったく手付かずにすごしてしまったことに気付くことあります。
例えば、この嵐山光三郎の『文人悪食』はそんな私の手に取らないっぽいにおいのぷんぷんする本です。
人に紹介してもらわなかったら、手に取らなかった確率99パーセント。
だけど、うんとよかったです。
森鴎外や夏目漱石から林芙美子、坂口安吾など、近・現代を代表する作家の食生活、食癖からその素顔を垣間見よう、というような趣旨の本です。
やっぱり、「食べる」って、本能行動だから、ものすごく人間らしい素顔がのぞけます。
私の崇拝する三島由紀夫についても書かれていたのですが、綿密な下調べに基づいて三島由紀夫の食を明らかにした上での人間三島由紀夫の考察がすばらしい!
舌を巻くものでした。
「三島氏は、「虚飾と純粋」をあわせ持っていた人である。人並みはずれた嘘と、人並みはずれた真実を、魔法使いのように使い分けた。」
そうそう!そうなんですよ!
嵐山さん、話がわかるね! -
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「漂流怪人」とは実に絶妙な表現。
75歳のきだみのるの担当編集者として付き合った実体験、その際の会話をベースにしつつ、きだの代表作のポイントを要領よく説明してくれるもので、評伝としてのクオリティが高い。
前半生についても本人の話を交えながら書いていて、そこも面白い。
甘粕正彦に呼び出されて満州で工作員になるように勧誘された話などは、嵐山も半信半疑で聞いているのだが、いかにもな話で面白い。
伊藤野絵が大杉栄のもとに走る前の夫であった辻潤ときだは友人関係で、辻潤が残された幼い息子をパリに連れて行ったことに影響されて、きだが「ミミくん」を連れ歩いたと推測する。
率直に言って、「自分ではあまり付き合いたくないけど、話としては面白い」対象だと思う。嵐山も少しそういう感想を書いている。
でも、嵐山は振り回されつつも、きだのファンであり続けていたように見える。そういう目線で書かれているので、はみ出し者として突き放さずにいて、安心して読める(糾弾一辺倒で書かれてもおかしくないキャラクターなので)。
嵐山以外にもきだのファンである編集者、新聞記者が多くいたようで、良い時代だったのだなあと思う。
ところで『気違い部落周游紀行』の巻頭にある
「目を押せば二つに見えるお月さま」
という謎の一句について嵐山はきだに尋ねている(よくぞ聞いてくれた。私も「なんだこれ?」と思った)。
そのときは「あとで教えてやるよ」と答えたきりだったが、最晩年に入院しているきだを訪ねたときに解題があった。
富田渓仙の絵半切が由来なのだという。嵐山の記述によると
「寒山か拾得のような格好の小僧が片目を指で押して天をにらみ、空には月がふたつ描かれていた。月をひとつにするためには指をはずせばよい。見る側の欠陥や偏見のため、現実がゆがめられて見えてしまう。」
このエピソードは感動的で、だからこそ嵐山は最終章の最後にこの解題話を書いたのだと思うが、あまり効果的になっていないのは残念だ。