入江敦彦のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ここで言う「御つくりおき」とは、「オーダーメイド」「特注品」の意味。
探して、探して、探しまわったけれど、どうにも気に入ったものが見つからなかった時、入江さんは「職人」という神様にお願いをするのである。
この本は、買い物自慢の本ではなく、(品物は自慢しているが)この世に二つとない品物を生み出してくれる職人さんたちが主人公の本。
「お客様は神様ではない」と言うくだりから始まる。
(近頃はとみに、厄病神みたいなお客が増えているようだが…)
良いものを作っていただく、譲っていただくためには、お店と職人さんとお客は対等であるべきだという。
真にその通りだと思う。
京都には(もちろん京都以外にも)さまざまな伝統の技が伝えられているし、新しい技も生まれている。
それは、「買う」と言う形でしか応援することができない。
入江さんは、良いものを手にしたらしまい込まず、日常に使い込む。
「良いもの」というのは贅沢品ではなく、使いやすく美しい「用の美」を持つもの。
それが心も豊かにしてくれるのだ。
まあ、良いものを普段使いすると、皿屋敷みたいなことも起こるけれども(笑)
私は、百円均一で済ませることができるものならそれで済ませてしまう、所謂貧乏人であるが、この本を読んで、気持ちは本当に分かるし、心の豊かさのおすそ分けを頂いた。
入江さんのような人脈やセンスは持ち合わせないけれど、ここぞ、というものには、身の丈に合うくらいの、ささやかに良いものをあがなって、日本の匠を応援したいと思う。
けれど、「よっしゃ、カッコいい!御つくりおき真似してみよ!」などと、いきなりお店に押し掛けてはいけません。
まずは、お店に何度も足を運び、並べてある品物を買い求め、お店の人や職人さんと会話を重ね、関係が熟して初めて、自分のためだけの品物をお願いできるのです。
それは、京都のお付き合い全般に言えるのかもしれません。
そういう、京都特有の人間関係を、今では尊敬しています。
この本には成功例を書いていますけれども、もちろんたくさんの失敗もしたのです、という話も、正直に、またはお茶目に書かれている。 -
Posted by ブクログ
笑えます。『イケズ』でしかも『いらんこといい』の京都人の持つ陰翳、隠微な心の襞が垣間見え、それを笑いながらも、我々、非京都人(よそさん)は「ひょっとして自分は単純バカの田舎者ではないのか」と冷や汗をかきます。考えさせられます。あまり考えすぎると疑心暗鬼になり情緒不安定になります。
『イケズ』は陰険ではない。
『イケズ』は意地悪ではない。
『イケズ』は皮肉ではない。
『イケズ』はイヤミではない。
『イケズ』は毒舌ではない。
『イケズ』は天邪鬼ではない。
『イケズ』はイジメではない。
『イケズ』はそれらと同義であると誤解されるほどそれらに近いところに身を置きながらも、微妙にその位置をずらし、はぐらかしながらそれとなく相手に本質をさとらせる『極めて高度な頭脳労働』である。あるいは相手を傷つけすぎることなくネガティブな意向を相手に伝える微妙な間(距離感)である。
京都人は慇懃でなければならない。
京都人はおもねらなければならない。
京都人は『いらんこといい』でなければならない。
京都人は飯どきを避ける気遣いがなければならない。
京都人は珈琲を勧められても断る遠慮がなければならない。
京都人は「うんこ」に「さん」をつけなければならない。
京都人は「違う」を「ちゃうちゃう」と繰り返すことでやんわり拒絶しなければならない。
京都人は恥の本質に敏感でなくてはならない。
京都人は相手の言葉の裏にある意味を解析する頭脳がなければならない。
京都人は相応しくない客にものを売ってはならない。
京都人は子供であっても不躾であってはならない。
京都人はイケズの名の下に平等でなくてはならない。
京都人はツッコミにクロスカウンターでツッコミ返さなくてはならない。
京都人は木綿豆腐を冷や奴で食べてはならない。
京都人は人の言うことを額面どおりに受け取ってはならない。
京都人は技巧を旨とし感情的になってはならない。
京都人は「よう知らんけど」という言葉を語尾につけなくてはならない。
京都人は徹底した個人主義でなければならない。
京都人は自己韜晦するような真似をしてはならない。
京都人はチャーミングな偏屈でなくてはならない。
京都人はおいしい会話を楽しまねばならない。
京都人はイケズに鍛えられて精神に免疫をつけなければならない。
つまりタフでなければならない。
しかし、京都人はズバリ直接的にものを言い相手を傷つけてはならない。
つまり優しくなければ京都人たる資格がない。
いやーつかれるわ。賢すぎて私ら播州人はついていけへんわ。
-
Posted by ブクログ
俺は大阪人。
嫁は京都人。
言い争いになると、決まって俺が感情的になり最後には泣かされる。
一方嫁は。
終始穏やか。
姿勢一つ崩さず、眉一つ動かさない。
そして、静かに、ポツリ、ポツリと二三言葉を発する。
これがクリティカルヒットする。
全弾命中である。
俺はもう轟沈するしかない。
しかも。
それでは終わらない。
二三日後、その爆弾は炸裂する。
「だーーああ!あのときの言葉はそういうことやったんかああああああっ!!」
即死必至の言葉意外に、時限装置内蔵の言葉も発していたのである。
これでは勝てるわけは無いのである。
それもそのはず。
嫁は生粋の京都人。
先祖代々、言葉のルチャリブレを繰り広げてきた彼女に適うはずがないのである。
「イケズ」「イヂワル」
同じ言葉でどちらに受け取るかは絶えず受け取る側の器量、スキルが試されている。
縁あって京都在住の今。
彼女の眉がピクリと反応するぐらいはスキルを上げたいものだ。