菊地明のレビュー一覧
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新撰組といえば、武士よりも武士らしく生きた集団。滅びの美学に殉じたことでも有名。しかし、組織としての新撰組は内部粛清を繰り返した。芹沢鴨、山南敬助、伊東甲子太郎などの幹部クラスを含めて約40人もの組織員が死罪や暗殺などに処されている。その数は戦闘で命を落とした者よりも多い。
オウム真理教やあさま山荘事件のように過激な無法組織が信賞必罰と規律維持を極めると、「死」をもって償うという結論に達するのは必然だろう。しかも、新撰組隊士にとって担保となるのは自らの身体だけ。守るべき財産も家も名誉もない彼らに罰を与えるには「死」という選択肢しか残らない。その結果、新撰組が規律を守るためには粛清しかなかった。
とはいえ、そんなことを繰り返していたら貴重な人材は殺されるか、逃亡するか。そして、凡人だけが残った新撰組は自然淘汰されただろう。現在のシャープや東芝で優秀な社員ほど先に辞めていくことと同じ。しかし、新撰組は人材難で崩壊する前に親会社の幕府が崩壊し、トップの近藤勇も斬首して、やむを得ずに解散。
幸か不幸か、新撰組は「粛清好きな過激集団」という悪名を残す前に滅びることができた。 -
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新選組は清河八郎が幕府に働きかけて浪士が集められた集団が母体だが、清河はすぐに朝廷側につき江戸に帰った。残された芹沢・近藤らは攘夷活動経験を有する芹沢のつてで会津藩主松方容保預かりの立場を得た。芹沢は酒癖が悪く酔うと強盗や放火をやらかしたため、会津藩から近藤土方らへ暗殺命令が下った。土方と沖田が寝込みを襲い殺した。
山南敬助は試衛館以来の同志で、学に優れ近藤派の中では近藤に次ぐ有力者だった。人柄もよく人望もあった。突然切腹しておりその原因ははっきりしない。尊王派の伊藤甲子太郎と通じたことを親幕派の近藤らに嫌われた、西本願寺への移転を強行しようとする近藤を諌めるためなど諸説ある。
伊藤甲子太郎は尊王攘夷のため新選組入りしたが近藤土方は親幕であり、分離を企てた。油小路で惨殺され、伊東一派も殺された。
新選組が殺した敵より殺した身内の方が倍くらい多い。幕臣や藩士など正規の武士なら財産没収などの処分もあり得たが、新選組隊士は無産者ばかりで担保となるのは命だけだった。そのため処分は切腹しかなかった。 -
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ネタバレ過去に同様の謎解き本を数冊読みましたが、新しい発見があるかと思い購読。
著者は過去の文献を丹念に読み通説としてまかり通っている部分を排除し、事実と思われる事のみで辻褄が合う結論を導き出そうと言う内容。
内容・結論共にこれまで読んだいろいろな本と比較しても特別新しい発見があるわけでは無かったが、それは新たな事実が発見されたりしない限りは当然かと。
菊屋峰吉が嘘をついているとするところは、黒鉄ヒロシ著の「龍馬を斬る」と同じ見方をしている。
本著の結論としては、実行犯は京都見廻組で特に黒幕は居ない。(ある種情報伝達の不備も要因)
薩摩には龍馬を排除する相当強い動機はあったが実行に至っていない。
と言う感じかな。
同じ様な本を色々読んでいるので、話もだいたい頭に入っているからあっさり読めました。 -
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新撰組の組長であった、斎藤一の生涯を書いた本。
昔の文献の文章をそのまま引用している部分が結構あるので、古語がわからないと少し読みづらいかもしれない。
主に新撰組にいた時代のことが中心。
しかし、斎藤一のことを中心に書かれているから、他の人物が雑w
ちょっと待ってw
山南敬助はなんでいきなり切腹してるの?
w
理由やエピソードに全く触れられずに話が進んでるw
鳥羽伏見の戦いで負傷した隊士たちは、江戸へ戻ってきて、松本良順の治療を受けたのね!
この人、日本人で初めてハンバーグを食べた人で、正露丸のロゴマークの人というのを数日前に知ったばかり。
なんたる偶然。
斎藤一が高田の東本願寺にたどり着くまでには、塩川ー坂下(ばんげ)ー野尻ー津川ー山ノ内ー分田ー加茂ー三条ー地蔵堂ー出雲崎ー柏崎ー柿崎ー黒井ー高田
をたどったようだが、今の各駅停車での旅に似てる気がする。
藩士たちは、70箇所の寺院等に分けられて謹慎させられたようだが、「会津藩北越高田謹慎名簿」にそれが載っているらしい。