あらすじ
新選組屈指の剣術の技量を持ち、組長として幕末の京都を取り締まる。また御陵衛士に潜入するなど、間者としても活躍。さらに隊長として会津で戦い、明治維新以後は、警察官として西南戦争に従軍するなど、幕末・明治・大正を生き、戦いに明け暮れた斎藤一。しかし、その出自や活躍については、虚実入り交じり、新選組隊士の中でも謎の多い人物とされていた。本書では、その謎につつまれた剣客の生涯をさまざまな資料をもとに綿密な考証を行い、明らかにする。斎藤一とは、いったいどのような人物だったのか? また、なぜ落城寸前の会津に残り、降伏後、会津藩士とともに斗南に向かったのか? 試衛館時代、新選組加盟、長州間者の刺殺、池田屋事件、天満屋事件、鳥羽・伏見の戦い、会津戦争、西南戦争、そして晩年、斎藤一のすべてがこの一冊でわかる。
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Posted by ブクログ
ほとんどが「この事件に関してのはじめちゃんの記述はない」みたいな謎多き男。さすがです。
しかしそんな中でも著者の方が必死で探して(?)、いろいろとはじめちゃん情報が載ってます。
…「新選組!」が見直したくなる。三谷さんがちゃんと史実に合わせて書いてるんだなってのがこの本を読んで改めて分かった。さすがです。
Posted by ブクログ
新撰組の組長であった、斎藤一の生涯を書いた本。
昔の文献の文章をそのまま引用している部分が結構あるので、古語がわからないと少し読みづらいかもしれない。
主に新撰組にいた時代のことが中心。
しかし、斎藤一のことを中心に書かれているから、他の人物が雑w
ちょっと待ってw
山南敬助はなんでいきなり切腹してるの?
w
理由やエピソードに全く触れられずに話が進んでるw
鳥羽伏見の戦いで負傷した隊士たちは、江戸へ戻ってきて、松本良順の治療を受けたのね!
この人、日本人で初めてハンバーグを食べた人で、正露丸のロゴマークの人というのを数日前に知ったばかり。
なんたる偶然。
斎藤一が高田の東本願寺にたどり着くまでには、塩川ー坂下(ばんげ)ー野尻ー津川ー山ノ内ー分田ー加茂ー三条ー地蔵堂ー出雲崎ー柏崎ー柿崎ー黒井ー高田
をたどったようだが、今の各駅停車での旅に似てる気がする。
藩士たちは、70箇所の寺院等に分けられて謹慎させられたようだが、「会津藩北越高田謹慎名簿」にそれが載っているらしい。
Posted by ブクログ
藤堂平助の流れで読みかけたままにしていた斎籐一を再読。
中断していた理由は、斎籐はまだ亡くなって満100年、若くして命を落とした隊士に比べれば子孫や縁者の記述の信憑性は高い。
本書では以前の史記や小説に描かれた斎籐の逸話を抜粋し、斎籐の縁故深い人物の取材や参考文献を元に反故にしていくスタイル。
好きこそ故、真実を追及したい気持ちは私にもあるけど遠回しに「脚色されたもの」とばっさり斬られている様で、イメージ像も大事にしたい私には違和感を覚えたから。
膨大な資料も出元が不透明なものもあるようで鵜呑みにするのも危険?
昨年会津に旅行の折、斎籐一改め藤田五郎の眠る阿弥陀寺を訪れました。
無口で質素を好んだとされる斎籐の墓石の前に、手を合わせ空を仰げばその一画だけ燃えるような紅葉が鮮やかにそして静かに葉を散らし、それがやたら泣けてきて誰も居ないのをいい事に、暫く佇んでいました。
史実がどうであろうと斎籐一が今尚、愛され続けている事は紛れもない事実。
私も参考資料として認識したいと思います。
Posted by ブクログ
この手の書籍は先人の研究をいい意味で換骨奪胎する事に意義があり、特に目新しい内容ではないが、簡便にまとまった良書だと思う。
現在残されている絶対確実な「藤田五郎=斎藤一」の写真が掲載されているのは、新選組ファンにとっては嬉しい事だろう。
Posted by ブクログ
会津で読みたかった、だがしかし会津にはまだ売っていなかった。
タイトルの割に斎藤一情報はあまり?記録がないんだからしょうがないのか。
しかしながらの自分的新事実。
・斎藤さんの実家とつねさんの実家がご近所だったかも
・身長170センチかそれ以上。デカい。
・試衛館加入は藤堂原田より早い。しかも天然理心流やってたかも
・左利き説はかなり怪しい。子母澤さんのにだけ。もし左利きでも持ち方は右利きと同じ。
・大鳥さんに「守備の陣形変えろ」と言われたり。心許なく思われたそうで。
・残留決心は母成峠の後?
・残留したのは殆ど斎藤旅館に泊まった人
・板橋のは永倉さんより良順先生主導。幹事に斎藤さんの名前も。しかもちゃんと「斎藤」
・斗南と警察官の間は放浪生活
こういうの読むと、斎藤さんが日記残してくれてればなぁと本当に思う。絶対書いてないだろうけど。
阿弥陀寺の斎藤さんの墓にあった写真が最後に載ってました。大正になってからのもの。なんか、らしい。この姿。