斉藤道雄のレビュー一覧

  • 手話を生きる――少数言語が多数派日本語と出会うところで

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    とても強く共感した文章

    『しかし、生まれたときから聞こえない人にとっては、聞こえないということがごく自然な状態になっている。「聞こえないために電話もできないしラジオを聞くこともできないなんて、さぞ不自由で困ることでしょう」などと言われてもまったく実感が湧いてこない。聞こえる人がある日突然聞こえなくなった状態とは違って、聞こえない人は最初から電話もしないレラジオも開かない。聞こえない自分に合った方法で生活しているから不自由や障害を感じることはないのだ。

    私たちは「耳が不自由」「聴覚障害」「聴力障害」ということばを好まない。聞こえないことが自然しそういう気もちを込めて、私たちは自分たちのことを

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    2024年07月06日
  • 悩む力――べてるの家の人びと

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    みすず書房 斉藤道雄 「悩む力」 べてるの家 の人びと


    総合失調症患者の共同生活の場であり、仕事の場でもある「べてるの家」の活動記録。病気を折り込みながら 自立的な生活と仕事の日々を送っている


    病気を折り込んだ自立支援の例
    *不平等の貫徹〜できる人が仕事をし、できない人は仕事をしない
    *三度の飯よりミーティング〜議論をしつくすことを目的とする
    *自由と安心感が商売につながる〜病気が出れば サボってもいい


    この本には書いてないが、治すことができない精神医療の限界と ここまで 寛容的にはなれない一般企業の障害者雇用の難しさを感じた



    著者のメッセージ
    *病気に悩み、苦しみながら

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    2023年08月08日
  • 治したくない――ひがし町診療所の日々

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    北海道の浦河でひがし町診療所を運営する川村敏明先生が、精神科の患者にどのように対応しているかを克明に記述した本だが、出てくるエピソードが全てユニークで非常に考えさせられた.所謂、統合失調症の患者が入院しないで普通の生活を営めるように支援することを実践しているのだが、医者とスタッフの連携が素晴らしく、余裕を持って対応して環境を維持しているのが特筆ものだ.様々な症状が出る患者を薬で抑えるのではなく、人間として対応することで自尊心を復活させるものだと理解した.大変なことだが、それを続けていることは敬服に値すると思う.

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    2023年04月02日
  • 治したくない――ひがし町診療所の日々

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    「べてるの家」について書いてきた著者であるが、これまでは当事者と彼らを支える向谷地さんの話が主であった。今回は、浦河日赤精神科がなくなり、「ひがし町診療所」が立ち上がり、そこでの経緯ややり取りを通じて、川村医師の人となりを伝え、精神障害者が地域でいかに生きているかを述べられた本である。今回は川村医師と彼を取り巻く当事者とスタッフのやり取りが中心であるが、当事者と援助者だけでの関係ではなく、ヒトとヒトがいかに関わっていくかを考えていくのにたくさんのヒントが詰まった本である。そのヒントの文として、「『しっかりしてない』たくさんの人たちがかかわるという援助のあり方は、じつは地域を作る上での核となる考

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    2021年01月03日
  • 治したくない――ひがし町診療所の日々

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    何が普通で 何がそうでないのか
    何が健常で 何がそうでないのか

    斉藤道雄さんの本を読むたびに
    深く考えさせられる

    「べてるの家」に関する著作の時にも
    たっぷり考えさせてもらいましたが、
    今回は そのより発展した形での
    「今」ということで
    より思考をほぐしてもらえた気がします

    「治したくない」
    よくも 名付けたり
    見事な 書名ですね

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    2020年11月27日
  • 手話を生きる――少数言語が多数派日本語と出会うところで

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    ろう児のための学校、明青学園の設立にかかわった作者の目からみたろう者のための手話教育についての話。
    日本においてはつい最近までろう学校で手話を教えることは禁止されていた。ろう者は聴者の唇の動きを追って話を読み取り、口話と呼ばれる方法で声を出し話すことで、つまり「日本語」でコミュニケーションを取るように指導されて来た。これは世の中の大多数、すなわち聴者と交わることを最優先にしているためで、手話を知ると、口話を身につける妨げになるという理由で禁じられてきたのだ。

    こういう考え方は日本に限らず世界各国でもあったようで、手話というものが決してろう者の教育の主流ではなかったということにまず驚く。

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    2019年06月15日
  • 悩む力――べてるの家の人びと

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    # 悩む力
    この本の中に私は自分を発見し、生き生きとした人間の生を感じました。こんなに幸せなことはなかなかないと思う。この本は、分裂病患者が共同生活を営む「べてるの家」を取材したドキュメンタリーである。

    記録に、印象に残った言葉たちを記しておこうと思う。

    ・(べてるでのSST社会技能訓練について記した項で。)
    「じつにかんたんな会話のようであっても、メンバーの一人ひとりはSSTに集まることによってひとつのことを確認しているかのように思える。私たちはつながっていたいと。(中略)こうしたひとつひとつのことが、彼らをつなぎとめ、人間の輪の中に引き戻し、ひいては人間関係を取り戻すことに繋がっている

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    2017年10月07日
  • 悩む力――べてるの家の人びと

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    べてるの家について述べられたもの。
    精神病は治らなくても良いと考えている患者もいる。
    精神病はある一定の閾値を超えた人に過ぎないのではないかと思った。
    会話をすることの大切さ。これはミーティングを行う事にも表れている。結論は出なくても話すことが大切。

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    2014年05月06日
  • 治りませんように――べてるの家のいま

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    病気を自分の一部として付き合う。
    つらいこと、大変なことでも物事の見方を変えて生きていく。
    どんなつらく苦しいことも、だからこその自分がいる。
    病気こそが自分の個性

    自分が求めていることと方向が同じかもしれない

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    2013年09月13日
  • 悩む力――べてるの家の人びと

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     北海道の浦河にある精神障がい者の施設「べてるの家」は、どんな患者も排除せず、昆布製品の販売等で利益をあげている稀有な施設。
     べてるの家の考え方は、精神病を完治させるのではなく、病とともにある人生を肯定して幸せに生きようというもの。精神病の完治は非常に難しく、それを目的にした人生は苦しい。それならば、病ありの人生を幸せにしてゆこうという凄い考え方。病ありの人生にだって苦労はある。その苦労をすることでより味わい深い人生になると考える。べてるの家の考え方は、ある意味で超ボジティブ。そのポジティブさが、どこにも居場所を見つけられなかった患者たちを支えているのかも知れない。

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    2013年01月04日
  • 悩む力――べてるの家の人びと

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     「魔性の女」の章を読んでいて、ショックを受けた。べてるの家の何がすごいのかを考え続けてきたが、「他者への思い」をこめた会話を続ける「場」としてのべてるの家という表現がある。互いにつながり続けることそのものが目的の「場」。
     そういう「場」って、あまり無いように思う。会社、職場はもちろん違う。家族や友人関係が近いように思えるが、私自身の家族や友人関係のなかには、どこか功利的なものがあるように思えてしまう。
     内田樹のいう「交話的こみゅにけーしょん」、「最後のセーフティ・ネットとしての家族」というのを、連想した。

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    2012年06月10日
  • 治りませんように――べてるの家のいま

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    ネタバレ

    ・アイメッセージ
     言葉の土壌に、芽が出て、木になり、花が咲く。

    ・人間アレルギー
     死に向きあってしまう。 日本に来た禅僧のネルケ師の話にそっくり。

    ・治さない
     前にも後ろにも立たない、寄り添う立場の精神科医。

    ・苦労の哲学
     何もかも正面から受け止めてきた人が、相談員になってそばにいる。

    ・しあわせにはならない
     言葉は心から出てくるが、その心は自分の心だけでなく、他の人の心と響き合っている。 アウシュビッツの煙突から出る両親を焼く煙を見上げた少年の心が、時と場所を遠く離れて、別の人の口に「僕は幸せになりません」という言葉になる。 
     彼が結婚するとき、今度は自分の言葉となって耳

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    2011年11月29日
  • 治りませんように――べてるの家のいま

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    今年のはじめに「降りていく生き方」ではじめて「べてるの家」に触れたけど、その最新刊っぽい。記載されている内容的には同じ(前著は横川さん、本書は斉藤さんと別の肩がかかれたためかもしれませんが)ような感じがした。

    結局満足できる体・精神状態とは、決して100%でなくてもあるがままの自分を受け入れ、背の長に合わせた生き方をできることかどうかということですね。
    人間は欲望の塊と言いつつも、いずれ体も老いてなくなってしまうんだから、せっかくの今を有意義に感じて過ごしたいですね。

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    2011年04月23日
  • 治りませんように――べてるの家のいま

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    犯人は精神病院に通院中だった、
    ということを聞くと、
    (精神病院の治療は、本当に正しいのだろうか)
    (治療ではなく悪化させているんじゃ…)
    と考えてたりしたので、
    べてるの家の試みは、
    考えさせられた。

    最近、事件が起きる度に行われているような気がする、
    「精神鑑定」の意味とか。

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    2010年08月28日
  • 悩む力――べてるの家の人びと

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    精神病に苦しむ人達を支える方々(向谷地さん、教会の宮島牧師夫妻、日赤の川村先生)にも凄いな…とおもうけど、
    唯一の収入源だった下請けの仕事を切られてしまった時に、
    利益優先の決められた枠の中での社会復帰を押し付けるのではなく、「じゃあ自分たちで商売を始めてみよう」と、自分たちなりの働き方で成立する商売(1時間しか集中出来なかったり、毎日続けては働けなかったりする人も居る)を立ち上げてみたり、
    (作業中サボる人がいてもだれも責めない/誰のことも切り捨てずに、利益を出して行く会社)
    暴力を振るってほとほと皆を困らせていたべてるの家のある入居者に、
    出て行ってもらう代わりに、とことん皆で話し合って

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    2010年06月10日
  • 治したくない――ひがし町診療所の日々

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    みすず書房 
    斉藤道雄 「治したくない」

    総合失調症患者を 薬やベットから解放し、医療から生活ケアに 治療の重点を置いた「ひがし町診療所」のドキュメンタリー


    「診療所の日々のありようは〜答えはない けれど 意味はある」という言葉から、治らない病気に向き合う無力感、そんな中で自分が何を求められているのか問い続ける探究心が 伝わってくる


    当事者研究(患者が自分の病気を見直そうとする試み)としての様々なミーティングは 、解決を求めるのでなく、語る場を設け、たっぷりムダな話をしながら、まわり道と脱線を重ねて、少しずつ改善していく様子が読みとれる





















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    2023年08月10日
  • 治したくない――ひがし町診療所の日々

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    タイトルのインパクトが強いけど、医療者が薬でコントロールして押さえつけることではない、ということが言いたいのかなと、思った。心に残る考え方がたくさんつまっていた。
    意思決定支援の視点も多かった。周りが良かれと決めちゃう、それは誰にとって良いこと?なりがちだし、意思決定能力の有無の判断についても、もっとよく考えなくちゃ。
    支えてる側だって、人は1人で生きてないし、正解はひとつじゃない。いろんな人のいろんな意見や立場や個性で支え合って生きてる。

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    2020年09月08日
  • 手話を生きる――少数言語が多数派日本語と出会うところで

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    本書によって日本語対応手話と日本手話は異なるものであることを知り、ろう者にとって手話がいかに必要不可欠なコミュニケーションツールであるかを認識する。健聴者が見過ごしてしまいがちな「言語」としての手話とろう者教育の現状を綴った良書。

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    2016年07月24日
  • 治りませんように――べてるの家のいま

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    ・幻聴さん、お客さん、自己病名、誤作動。

    ・強迫的な確認鉱がなぜ起きるのか。そうするのは「悩んでいる」、「疲れている」、「ひまで」、「さびしい」、「お金がない」か「おなかがすいた」とき。それぞれの頭文字をとった「な・つ・ひ・さ・お」は、べてるの家の名言としてたちまちメンバーの間に定着してしまった。

    ・私が声をかけ、そっけなくあしらわれたのはこの時期だった。病院の外来に「ぼくも行こうかな」といい、「あ、行ってください」と突き放されたとき、彼女はそこで私を罵倒しかねない自分を必死に抑えていたのだろう。一見落ち着いていたけれど、仮面の下は極度の緊張状態だったはずだ。
    →中井久夫が統合失調症で一年

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    2013年12月29日
  • 治したくない――ひがし町診療所の日々

    匿名

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    創作物ですね。

    ここに書かれている患者さんたちのストーリーはきちんとした同意もとられていないようです。
    作者の思い込みをルポルタージュとして発表することがいつまで許されるのでしょうか?
    浦河のある一面をある角度からみた物語に過ぎません。創作物として読むのがちょうどよいでしょう。

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    2021年03月08日