斉藤道雄のレビュー一覧
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とても強く共感した文章
『しかし、生まれたときから聞こえない人にとっては、聞こえないということがごく自然な状態になっている。「聞こえないために電話もできないしラジオを聞くこともできないなんて、さぞ不自由で困ることでしょう」などと言われてもまったく実感が湧いてこない。聞こえる人がある日突然聞こえなくなった状態とは違って、聞こえない人は最初から電話もしないレラジオも開かない。聞こえない自分に合った方法で生活しているから不自由や障害を感じることはないのだ。
私たちは「耳が不自由」「聴覚障害」「聴力障害」ということばを好まない。聞こえないことが自然しそういう気もちを込めて、私たちは自分たちのことを -
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みすず書房 斉藤道雄 「悩む力」 べてるの家 の人びと
総合失調症患者の共同生活の場であり、仕事の場でもある「べてるの家」の活動記録。病気を折り込みながら 自立的な生活と仕事の日々を送っている
病気を折り込んだ自立支援の例
*不平等の貫徹〜できる人が仕事をし、できない人は仕事をしない
*三度の飯よりミーティング〜議論をしつくすことを目的とする
*自由と安心感が商売につながる〜病気が出れば サボってもいい
この本には書いてないが、治すことができない精神医療の限界と ここまで 寛容的にはなれない一般企業の障害者雇用の難しさを感じた
著者のメッセージ
*病気に悩み、苦しみながら -
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「べてるの家」について書いてきた著者であるが、これまでは当事者と彼らを支える向谷地さんの話が主であった。今回は、浦河日赤精神科がなくなり、「ひがし町診療所」が立ち上がり、そこでの経緯ややり取りを通じて、川村医師の人となりを伝え、精神障害者が地域でいかに生きているかを述べられた本である。今回は川村医師と彼を取り巻く当事者とスタッフのやり取りが中心であるが、当事者と援助者だけでの関係ではなく、ヒトとヒトがいかに関わっていくかを考えていくのにたくさんのヒントが詰まった本である。そのヒントの文として、「『しっかりしてない』たくさんの人たちがかかわるという援助のあり方は、じつは地域を作る上での核となる考
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ろう児のための学校、明青学園の設立にかかわった作者の目からみたろう者のための手話教育についての話。
日本においてはつい最近までろう学校で手話を教えることは禁止されていた。ろう者は聴者の唇の動きを追って話を読み取り、口話と呼ばれる方法で声を出し話すことで、つまり「日本語」でコミュニケーションを取るように指導されて来た。これは世の中の大多数、すなわち聴者と交わることを最優先にしているためで、手話を知ると、口話を身につける妨げになるという理由で禁じられてきたのだ。
こういう考え方は日本に限らず世界各国でもあったようで、手話というものが決してろう者の教育の主流ではなかったということにまず驚く。
一 -
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# 悩む力
この本の中に私は自分を発見し、生き生きとした人間の生を感じました。こんなに幸せなことはなかなかないと思う。この本は、分裂病患者が共同生活を営む「べてるの家」を取材したドキュメンタリーである。
記録に、印象に残った言葉たちを記しておこうと思う。
・(べてるでのSST社会技能訓練について記した項で。)
「じつにかんたんな会話のようであっても、メンバーの一人ひとりはSSTに集まることによってひとつのことを確認しているかのように思える。私たちはつながっていたいと。(中略)こうしたひとつひとつのことが、彼らをつなぎとめ、人間の輪の中に引き戻し、ひいては人間関係を取り戻すことに繋がっている -
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北海道の浦河にある精神障がい者の施設「べてるの家」は、どんな患者も排除せず、昆布製品の販売等で利益をあげている稀有な施設。
べてるの家の考え方は、精神病を完治させるのではなく、病とともにある人生を肯定して幸せに生きようというもの。精神病の完治は非常に難しく、それを目的にした人生は苦しい。それならば、病ありの人生を幸せにしてゆこうという凄い考え方。病ありの人生にだって苦労はある。その苦労をすることでより味わい深い人生になると考える。べてるの家の考え方は、ある意味で超ボジティブ。そのポジティブさが、どこにも居場所を見つけられなかった患者たちを支えているのかも知れない。 -
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ネタバレ・アイメッセージ
言葉の土壌に、芽が出て、木になり、花が咲く。
・人間アレルギー
死に向きあってしまう。 日本に来た禅僧のネルケ師の話にそっくり。
・治さない
前にも後ろにも立たない、寄り添う立場の精神科医。
・苦労の哲学
何もかも正面から受け止めてきた人が、相談員になってそばにいる。
・しあわせにはならない
言葉は心から出てくるが、その心は自分の心だけでなく、他の人の心と響き合っている。 アウシュビッツの煙突から出る両親を焼く煙を見上げた少年の心が、時と場所を遠く離れて、別の人の口に「僕は幸せになりません」という言葉になる。
彼が結婚するとき、今度は自分の言葉となって耳 -
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精神病に苦しむ人達を支える方々(向谷地さん、教会の宮島牧師夫妻、日赤の川村先生)にも凄いな…とおもうけど、
唯一の収入源だった下請けの仕事を切られてしまった時に、
利益優先の決められた枠の中での社会復帰を押し付けるのではなく、「じゃあ自分たちで商売を始めてみよう」と、自分たちなりの働き方で成立する商売(1時間しか集中出来なかったり、毎日続けては働けなかったりする人も居る)を立ち上げてみたり、
(作業中サボる人がいてもだれも責めない/誰のことも切り捨てずに、利益を出して行く会社)
暴力を振るってほとほと皆を困らせていたべてるの家のある入居者に、
出て行ってもらう代わりに、とことん皆で話し合って
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・幻聴さん、お客さん、自己病名、誤作動。
・強迫的な確認鉱がなぜ起きるのか。そうするのは「悩んでいる」、「疲れている」、「ひまで」、「さびしい」、「お金がない」か「おなかがすいた」とき。それぞれの頭文字をとった「な・つ・ひ・さ・お」は、べてるの家の名言としてたちまちメンバーの間に定着してしまった。
・私が声をかけ、そっけなくあしらわれたのはこの時期だった。病院の外来に「ぼくも行こうかな」といい、「あ、行ってください」と突き放されたとき、彼女はそこで私を罵倒しかねない自分を必死に抑えていたのだろう。一見落ち着いていたけれど、仮面の下は極度の緊張状態だったはずだ。
→中井久夫が統合失調症で一年