斉藤道雄のレビュー一覧
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ろう者が手話で生きる。手話を生きる。手話はいのち。という所以をさまざま考えること知ることができた。バイリンガルろう教育のこどもたちが生き生き議論をする場面は、映像が目に浮かぶようでとてもいい教育だと感じた。ろう児が母語で学ぶ、母語で語れる、母語で他者と意見を交換できる、とても有意義だと思う。英語が話せなくてなんとなく言葉を控えてしまう気持ちがわくときがある。日本語になった時にきっとそんな感じなのかもしれないなと。聞こえないものでわからないもので語り合うことを目指すことは子供に無理を強いていると言われても仕方ないと思う面がある。子どもの明朗快活な様子が賑わう、とても理想的だなと思った。
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Posted by ブクログ
最後まで読んでないけど、一応の目処というか、これ以上読み進めても無駄だなと、思ったので。
一応自分も統合失調症なわけで。
親亡き後、どうしようもなく死にたくなったら、べてるの家に駆け込むのもありかな?と思ったんだけど。
ちょっと住む世界が違いすぎる。
自分はほとんど幻聴はないんですよね。
家にいる時、またに誰か帰ってきたような音がして、見に行くと誰もいない。
そんなようなものです。
よく言う、幻聴があれしろこれしろということは、全くない。仮にあったとしてもフルシカトしますけどね。
でもべてるの家では、これが日常。
幻聴や暴力を受け入れてる。
それを研究して、何かあるんだろうか?
最後まで読めば何かつかめる?
かもしれないね。
でも爆発系からもう、付き合いきれない。
自分自身、親に暴力を振るうというのはあったんですよ。なにか思い通りにならないとキレるというね。
でも、江原啓之さんの本を読んで、「親に暴力を振るうのは甘え」とはっきり書かれていて、それからやめました。
甘える気持ちを捨てました。
だから止められるはずなんです。
でもべてるの家の当事者はやめられない。
そして関係者はそれを受け入れてる。
そこがもう、ついていけない。
そんなところにはすがれない。
やっぱり独りで生きていくしかないみたいです。
でもね、病状が重い人たちには、救いになると思いますよ。
べてるの家が意味無いとか、言うつもりもないし、思ってもいない。大いに価値があると思う。
ただ住む世界が違うというだけ。
11/3 追記
しばらくして、とりあえず最後まで読んでみた。
タイトルおかしいよね?
「治りませんように」
これ言ったら怒られるかもしれんが、
病気が現実逃避の手段になってないか?
ということだ。
日々の糧を得るために生きるのは、単調で苦しすぎるから、病気になることで回避している?
それは俺もそうだ。
統合失調症としての自分は、薬を飲むことでほぼ寛解状態となっている。
でも他の生きづらさがある。
それは薬ではよくならない。
さらに言うと、時間の経過とともに、確実に悪化してる。
だから近い将来、確実に働けなくなるだろう。
でも「べてるの家」がある限り、そこには救いがあるのかもしれない。
いつか働けなくなった時、いつかどうしようもなく死にたくなった時。
防波堤のような役割をするのではないかと、ひそかに期待している。
ひとつ生きる希望になったかもしれない。 -
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手話が存在することによって、ろう児として、そのままの自分で、聞こえる子と同じように学び、遊び、よろこび、悲しみ、育つことができる。日本語と対等の力をもつ手話という言語があるから、聞こえないことは「障害」ではなく「少数派」なのだといえる。
"「聴者の思い」と「ろう者の受けとめ方」のあいだにある大きな隔たり "
" 私たちの社会がこれまで行ってきたのは「聴者のろう教育」だった "
" 聴者がつくり、聴者が進める教育。その目標は、ろう児が聴者のようになることだった。"
ろうに限ったことではなく、健常者が考えた[障がい者教育]だったり[支援]というのは、当の障がい者からみれば「そうじゃない」ってことが起こりやすいのだろう。だから障がいをもつ人たちの意見を蔑ろにしてはいけないし、ましてや彼らを健常者の社会に合わさせようとするのが間違いなんだと、こういうノンフィクションを読むたびに反省し、考える。
私の幼馴染みが生まれつきの難聴で、成長とともに聴力はどんどん低下、成人する頃には完全に聞こえなくなったという。彼がいつも読唇していたこと、そのお陰で私はハッキリと喋る癖がついたこと、健聴児の私がよく彼の補聴器を調整していたこと、難聴者独特の発音も違和感なく理解できるようになっていたことなどを思い出す。もし彼が幼い頃から手話を身につけていたら、そして私も手話ができたら、もっと伝え合えることがたくさんあったんじゃないかと思いながら読んだ。
著者の斎藤道雄氏は先端医療、生命倫理、マイノリティ、精神障害、ろう教育などをテーマとしてきたジャーナリスト。「日本手話」で授業を行い、手話と日本語のバイリンガル/バイカルチュラルろう教育を実践する日本初にして唯一の学校、明晴学園の校長、理事長を務めた。
『もうひとつの手話』
(晶文社、1999年)
『悩む力 べてるの家の人びと』
(みすず書房、2002年)
★★★★★オススメ!
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Posted by ブクログ
『「先生、なんかやんないの?」診療が一息ついたところで、“師長さん”が先生に横目で語りかける。「あたし手伝うからさ、やんなさいよ」』―『あたしがなるから』
あたしが患者になってあげるから、新しい診療所を開きなさいよ、という看護師の言葉に背中を押されて本書が取り上げる「浦河ひがし町診療所」の精神科医は決心したという。もちろん、その言葉を字義通りに真に受けている訳ではないけれど、その言葉の真意を真に受けての決断だ。本書には、そんな表面上の理屈では片付けきれない、その裏にある根本的なもの(あるいはそれを本質的なものと言い換えても良いけれど、それが何かを鮮明にする訳でもない。あるいは、動物的な本能によるもの、と言い換えても良いような気もするけれど、それはただ単に、自然の摂理、と複雑なものも雑にまとめたくらいの意味しか持ち得ないだろう)との乖離が其処彼処に登場する。
そもそもの始まりも、言ってみれば矛盾に満ちた話なのである。長期入院の精神科の患者を退院させた(言ってみれば治療の成果が出た)結果、病院の経営が悪化し精神科病棟を閉鎖(新たな入院患者や外来患者の受け入れを放棄)せざるを得なくなる。そこで、吹っ切れて、新しい診療所を作(ってやりたいことをやりたいようにや)る、という流れなのだ。そして、この川村医師の患者への対応方針を端的に言い表した言葉が「治したくない」なのである。
本書で描かれている主に統合失調症の患者さんたちは、もちろん病に苦しんでいるし、社会的に不都合な状態に陥ることも多い。それでも、鎮静作用のある薬で「大人しく」させておくことが治療の究極の目標だと川村医師は考えない。地域で生活出来るのなら、病という名の性格と上手く付き合えるのなら、それで良いじゃないか、という。もちろん支援は必要であるし、その支援も時として壮絶なものになることもある。しかし、むしろ患者に人間とは何かを教えられる経験を積み重ねて、浦河ひがし町診療所メソッドは進化してゆく。その過程を放送局に所属していた元記者が丹念に追いかけまとめたものがこの本だ。
とはいえ、本書は決して「どう対応すれば良いか」を示したものではない。飽くまで「どうしてそれが起きたか」を読み取る本。そのための丹念なルポルタージュ、あるいはディテール(詳細)。そこから読み取れるものを端的に言うならば、多様性、ということになる。一人ひとり、その時々で事情やそれに対する反応は異なっているという「当たり前」を再認識する。
本書に登場する人々に限らず、人の悩みの大半は対人関係にあるとも言われる。つまり、単純に言えば「他人がいればイライラする」ということ。けれど他人が全く居なければ、意識は自分の中だけでぐるぐるとフィードバックを繰り返し、ハウリングのようにどこまでも増幅してしまう。結局、人はどうしたって人「間」であるということ、人「類」ではなくて(剥製にでもなれば人類だろうけど)。「類」というように複雑なものの共通項を抽出し、分類して一般化しようとすれば「個」は消失せざるを得なくなる。だから目の前の患者さんを個性のある人として見なくなる。何だか養老先生がいつも言っていることと同じような話(偏差値とか喫煙や高血圧の話とか、高いから良いとか異常だとかいう話じゃない、人によるだろ、という話)だけれど、そんなことを再認識するようなエピソードがこれでもかと記されている。そして、他人との関係を川村医師が一番に考えていること(干渉し過ぎないこと)こそが、まさに患者をして人として復権させ、社会適応出来る状態にすることを可能にした理由なのだと解る。とはいえ、川村医師も他人が解るとは言わない。むしろ分からない、積極的な意味で判ろう(それは対人関係をともすると主従関係に近い状態に押し込もうとする行為)としない。ああ、まるでレヴィナスの言う「他者」だなあ、と思っていたら、こんな文章に行き当たる。
『まるで鏡のように、精神障害は私たちのありようを反映するのである。そして精神障害への向きあい方は、私たちの社会のありようを反映する。(中略)それは何なのか。そこで診療所の人びとはいったい何をしているのだろう。なぜそんなことをしつづけていられるのだろう。そのようなとき、私の頭のなかではいつも「他者」ということばが浮かんでくる。それは二〇世紀フランスの哲学者、レヴィナスのいう意味での他者だ。「世界の組織のなかでは〈他者〉はほとんど無にひとしい。それでも〈他者〉が私に闘いをいどむことができる。言い換えるなら〈他者〉を打つ力に対抗することが可能であるのは、抵抗の力によってではない。対抗が可能であるのは、〈他者〉の反応が予見不可能であるからにほかならない」』―『無力、微力』
御意、という他ない。 -
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ネタバレ統合失調症を理解するために手に取った。北海道のクリスチャン界では「べてるの家」はわりと有名なのではないかと思う。カトリックのうちの母も知っている。
患者さんたち(みんな統合失調症)のエピソードの中に、病院で同じ入院患者を刺し殺した人と、殺された人の家族のものがあった。重大な事件ではあるが、みんなそろって教会に集まって故人を偲び、被害者の父親はこのままべてるの家を続けて欲しいと訴える。お互いの苦しみが痛いほどわかるからこそ、責めることなく、必要なのはべてるの家のような居場所であることをみんなで再確認する。人はここまで寛大な気持ちでお互いを助け、守り合うことができるのかと驚いた(そして泣いた)。それは病気をとおして得る人間性なのではないかと思う。 -
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精神障害者施設がべてるの家でのエピソードや理念が書かれている。手厚い就労支援と当事者研究を行うこの施設では、病気を治すことでなく病気と生きることを大切にしている。だからこその苦悩、豊かさを知ることができる1冊。
自分が病気になったときと同様に、精神障害者は病気を治したいと思っていて当然だと思っていた。しかし、そうではない。病気があるから今のその人や人間関係がある。治る不安もある。治らないという諦めもある。幸せに生きるということの意味を考えさせられる。進歩的でないことがポジティブな意味合いをもつようになる。
病院の、医者が主役にならない、患者を主役に、という考えもとても良い。べてるの家と病院が同じ方向を目指しているのが誰にとってもメリットだと思う。 -
ネタバレ 購入済み
手話は私達の言葉
私は聴覚障害者ですが、この本は本当に素晴らしく良いです。ろう学校に手話教育を教えるのが必要です。口話教育だと聴覚障害の子供達はほとんど解らないまま、普通の教科書を読んでも言葉の内容が伝わりません。私は聴覚障害児にとって手話が当たり前の言葉です。口話教育を受ける必要がなく受ける意味がありません !
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各地で自治体主催の手話教室が開かれ、多くの手話サークルが活動する中で、日本手話に対する理解はまだまだ途上にあるということに驚きました。ほんの十年前の2006年に、元聾学校校長という方が「日本語体系の習得は手話では難しい」と新聞に寄稿していたこととか(p73)。また、ろうあ連盟が「手話を『日本手話』と『日本語対応手話』に二分」する」として日本手話でろう教育を行うことに否定的である(あった?)こととか。なるほど、「日本聴力障害新聞」はろうあ連盟の機関紙なのだから、連盟の意見が反映されて当然ですよね。つい、「新聞」だから、ある程度は両論併記されていると期待してしまいがちですが。
「手話サークルのほとんどがろう者の手話ではなく日本語対応手話を教えている」というのは、実際のところどうなんでしょうか? うちのサークルではとにかく「ろう者の手話を見る」こと、そして「その地域での表現」や「年代による表現の違い」、「その人の癖」を覚えること、とよく言われますが。この辺りは、今度サークルの先輩方に聞いてみようと思います。
<気になった誤植>
P76 L12 できないこととが → できないことが
p219 後ろからL3 これを英語でを読むことを → これを英語で読むことを
あと、p215-216の「ニワトリと卵の議論」について。「手話という言語の社会的な認知が進まないのは、手話話者が少ないからだ、いや、手話話者が少ないから社会的認知が進まないのだ」は、「ニワトリと卵」なら後半が「社会的認知が進まないから手話話者が増えないのだ」となるのでは? 次の例の「手話をきちんと使える先生がいないから、手話の教育が進まないのだ、そうではなく、手話の教育が進まないから、結局手話をきちんと使える先生が育たないのだ」は、ちゃんとひっくり返っているので。うーん、何度も読みなおしているうちにわからなくなってきました。