斉藤道雄のレビュー一覧
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最後まで読んでないけど、一応の目処というか、これ以上読み進めても無駄だなと、思ったので。
一応自分も統合失調症なわけで。
親亡き後、どうしようもなく死にたくなったら、べてるの家に駆け込むのもありかな?と思ったんだけど。
ちょっと住む世界が違いすぎる。
自分はほとんど幻聴はないんですよね。
家にいる時、またに誰か帰ってきたような音がして、見に行くと誰もいない。
そんなようなものです。
よく言う、幻聴があれしろこれしろということは、全くない。仮にあったとしてもフルシカトしますけどね。
でもべてるの家では、これが日常。
幻聴や暴力を受け入れてる。
それを研究して、何かあるんだろう -
Posted by ブクログ
『「先生、なんかやんないの?」診療が一息ついたところで、“師長さん”が先生に横目で語りかける。「あたし手伝うからさ、やんなさいよ」』―『あたしがなるから』
あたしが患者になってあげるから、新しい診療所を開きなさいよ、という看護師の言葉に背中を押されて本書が取り上げる「浦河ひがし町診療所」の精神科医は決心したという。もちろん、その言葉を字義通りに真に受けている訳ではないけれど、その言葉の真意を真に受けての決断だ。本書には、そんな表面上の理屈では片付けきれない、その裏にある根本的なもの(あるいはそれを本質的なものと言い換えても良いけれど、それが何かを鮮明にする訳でもない。あるいは、動物的な本能に -
Posted by ブクログ
ネタバレ統合失調症を理解するために手に取った。北海道のクリスチャン界では「べてるの家」はわりと有名なのではないかと思う。カトリックのうちの母も知っている。
患者さんたち(みんな統合失調症)のエピソードの中に、病院で同じ入院患者を刺し殺した人と、殺された人の家族のものがあった。重大な事件ではあるが、みんなそろって教会に集まって故人を偲び、被害者の父親はこのままべてるの家を続けて欲しいと訴える。お互いの苦しみが痛いほどわかるからこそ、責めることなく、必要なのはべてるの家のような居場所であることをみんなで再確認する。人はここまで寛大な気持ちでお互いを助け、守り合うことができるのかと驚いた(そして泣いた)。 -
Posted by ブクログ
精神障害者施設がべてるの家でのエピソードや理念が書かれている。手厚い就労支援と当事者研究を行うこの施設では、病気を治すことでなく病気と生きることを大切にしている。だからこその苦悩、豊かさを知ることができる1冊。
自分が病気になったときと同様に、精神障害者は病気を治したいと思っていて当然だと思っていた。しかし、そうではない。病気があるから今のその人や人間関係がある。治る不安もある。治らないという諦めもある。幸せに生きるということの意味を考えさせられる。進歩的でないことがポジティブな意味合いをもつようになる。
病院の、医者が主役にならない、患者を主役に、という考えもとても良い。べてるの家と病院 -
ネタバレ 購入済み
手話は私達の言葉
私は聴覚障害者ですが、この本は本当に素晴らしく良いです。ろう学校に手話教育を教えるのが必要です。口話教育だと聴覚障害の子供達はほとんど解らないまま、普通の教科書を読んでも言葉の内容が伝わりません。私は聴覚障害児にとって手話が当たり前の言葉です。口話教育を受ける必要がなく受ける意味がありません !
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各地で自治体主催の手話教室が開かれ、多くの手話サークルが活動する中で、日本手話に対する理解はまだまだ途上にあるということに驚きました。ほんの十年前の2006年に、元聾学校校長という方が「日本語体系の習得は手話では難しい」と新聞に寄稿していたこととか(p73)。また、ろうあ連盟が「手話を『日本手話』と『日本語対応手話』に二分」する」として日本手話でろう教育を行うことに否定的である(あった?)こととか。なるほど、「日本聴力障害新聞」はろうあ連盟の機関紙なのだから、連盟の意見が反映されて当然ですよね。つい、「新聞」だから、ある程度は両論併記されていると期待してしまいがちですが。
「手話サークルの