あらすじ
手話という少数言語。手話が存在することによって、聞こえない子――ろう児は、ろう児として、そのままの自分で、聞こえる子とおなじように学び、遊び、よろこび、悲しみ、育つことができる。日本語と対等の力をもつ手話という言語があるから、聞こえないことは障害ではなく、むしろ少数派なのだといえる。日本のろう者・ろう児の母語である「日本手話」で授業を行い、手話と日本語のバイリンガル/バイカルチュラルろう教育を実践する日本初にして唯一の学校、明晴学園。著者はジャーナリストとして前進であるフリースクールの立ち上げから関わり、のちには明晴学園の内側に身をおいて日本手話と日本語、ひろく言語の世界に思いを向けつづけてきた。ろう教育の歴史、手話という言語が乗り越えてきた、そして今も向き合っている困難、言語学からみる手話、人工内耳など近年の最新動向……ろう者・ろう児とその親、教育者、日本手話の話者・通訳者、手話言語学の研究者など多方面へのインタビュー、欧米の事例や研究成果、国内外の文献、そして何より「手話を生きる」子どもたちのことばをとおして、過去から未来へ現在進行形で変わりつつある手話の世界を描く。
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Posted by ブクログ
手話が存在することによって、ろう児として、そのままの自分で、聞こえる子と同じように学び、遊び、よろこび、悲しみ、育つことができる。日本語と対等の力をもつ手話という言語があるから、聞こえないことは「障害」ではなく「少数派」なのだといえる。
"「聴者の思い」と「ろう者の受けとめ方」のあいだにある大きな隔たり "
" 私たちの社会がこれまで行ってきたのは「聴者のろう教育」だった "
" 聴者がつくり、聴者が進める教育。その目標は、ろう児が聴者のようになることだった。"
ろうに限ったことではなく、健常者が考えた[障がい者教育]だったり[支援]というのは、当の障がい者からみれば「そうじゃない」ってことが起こりやすいのだろう。だから障がいをもつ人たちの意見を蔑ろにしてはいけないし、ましてや彼らを健常者の社会に合わさせようとするのが間違いなんだと、こういうノンフィクションを読むたびに反省し、考える。
私の幼馴染みが生まれつきの難聴で、成長とともに聴力はどんどん低下、成人する頃には完全に聞こえなくなったという。彼がいつも読唇していたこと、そのお陰で私はハッキリと喋る癖がついたこと、健聴児の私がよく彼の補聴器を調整していたこと、難聴者独特の発音も違和感なく理解できるようになっていたことなどを思い出す。もし彼が幼い頃から手話を身につけていたら、そして私も手話ができたら、もっと伝え合えることがたくさんあったんじゃないかと思いながら読んだ。
著者の斎藤道雄氏は先端医療、生命倫理、マイノリティ、精神障害、ろう教育などをテーマとしてきたジャーナリスト。「日本手話」で授業を行い、手話と日本語のバイリンガル/バイカルチュラルろう教育を実践する日本初にして唯一の学校、明晴学園の校長、理事長を務めた。
『もうひとつの手話』
(晶文社、1999年)
『悩む力 べてるの家の人びと』
(みすず書房、2002年)
★★★★★オススメ!
Posted by ブクログ
知った気でいたことが何段階にも知らなかったことで上書きされていく。圧倒的多数による無意識の思い込みや一方的な対策など。効率重視や知ろうする努力を怠ることの危うさを強く感じる。
手話は私達の言葉
私は聴覚障害者ですが、この本は本当に素晴らしく良いです。ろう学校に手話教育を教えるのが必要です。口話教育だと聴覚障害の子供達はほとんど解らないまま、普通の教科書を読んでも言葉の内容が伝わりません。私は聴覚障害児にとって手話が当たり前の言葉です。口話教育を受ける必要がなく受ける意味がありません !
Posted by ブクログ
なぜ「手話で生きる」ではなく「手話を生きる」なのか、読んで納得。手話は日本語の補助ツールではない。むしろ、ろうの人にとっては第1言語であり、日本語は第2言語。まずそれを理解しないと何も始まらない。人工内耳を拒んでまでろうでいたいという気持ちには複雑な思いがする一方で、人間としての尊厳をベースに考えれば当たり前のことかもしれない。
Posted by ブクログ
各地で自治体主催の手話教室が開かれ、多くの手話サークルが活動する中で、日本手話に対する理解はまだまだ途上にあるということに驚きました。ほんの十年前の2006年に、元聾学校校長という方が「日本語体系の習得は手話では難しい」と新聞に寄稿していたこととか(p73)。また、ろうあ連盟が「手話を『日本手話』と『日本語対応手話』に二分」する」として日本手話でろう教育を行うことに否定的である(あった?)こととか。なるほど、「日本聴力障害新聞」はろうあ連盟の機関紙なのだから、連盟の意見が反映されて当然ですよね。つい、「新聞」だから、ある程度は両論併記されていると期待してしまいがちですが。
「手話サークルのほとんどがろう者の手話ではなく日本語対応手話を教えている」というのは、実際のところどうなんでしょうか? うちのサークルではとにかく「ろう者の手話を見る」こと、そして「その地域での表現」や「年代による表現の違い」、「その人の癖」を覚えること、とよく言われますが。この辺りは、今度サークルの先輩方に聞いてみようと思います。
<気になった誤植>
P76 L12 できないこととが → できないことが
p219 後ろからL3 これを英語でを読むことを → これを英語で読むことを
あと、p215-216の「ニワトリと卵の議論」について。「手話という言語の社会的な認知が進まないのは、手話話者が少ないからだ、いや、手話話者が少ないから社会的認知が進まないのだ」は、「ニワトリと卵」なら後半が「社会的認知が進まないから手話話者が増えないのだ」となるのでは? 次の例の「手話をきちんと使える先生がいないから、手話の教育が進まないのだ、そうではなく、手話の教育が進まないから、結局手話をきちんと使える先生が育たないのだ」は、ちゃんとひっくり返っているので。うーん、何度も読みなおしているうちにわからなくなってきました。
Posted by ブクログ
とても強く共感した文章
『しかし、生まれたときから聞こえない人にとっては、聞こえないということがごく自然な状態になっている。「聞こえないために電話もできないしラジオを聞くこともできないなんて、さぞ不自由で困ることでしょう」などと言われてもまったく実感が湧いてこない。聞こえる人がある日突然聞こえなくなった状態とは違って、聞こえない人は最初から電話もしないレラジオも開かない。聞こえない自分に合った方法で生活しているから不自由や障害を感じることはないのだ。
私たちは「耳が不自由」「聴覚障害」「聴力障害」ということばを好まない。聞こえないことが自然しそういう気もちを込めて、私たちは自分たちのことを「ろう」と呼んでいる。』
Posted by ブクログ
ろう児のための学校、明青学園の設立にかかわった作者の目からみたろう者のための手話教育についての話。
日本においてはつい最近までろう学校で手話を教えることは禁止されていた。ろう者は聴者の唇の動きを追って話を読み取り、口話と呼ばれる方法で声を出し話すことで、つまり「日本語」でコミュニケーションを取るように指導されて来た。これは世の中の大多数、すなわち聴者と交わることを最優先にしているためで、手話を知ると、口話を身につける妨げになるという理由で禁じられてきたのだ。
こういう考え方は日本に限らず世界各国でもあったようで、手話というものが決してろう者の教育の主流ではなかったということにまず驚く。
一方で日本における「手話」にも大きく二種類ある。一つは日本語を話しながら日本語の単語に対応する手話を当て振りするかのように語る「日本語対応手話」。一般に紹介されることが多いのはこの日本語対応手話だそうだ。
もう一つは「日本手話」と呼ばれるもので、これはろう者の社会において昔から使用されていた手話。日本手話がろう者における自然な言語だとすれば、日本語対応手話はこの日本手話を切り出して、日本語に当てた人工的な手話と言える。
ただ単語を当てるように使う日本語対応手話は表現力が弱い。考えてみればわかるように、仮に英語を話す人に対して日本語に英語の単語をあてて喋ったとしよう、これはまさに片言英語の最たるものになる。そこでは各単語の意味は伝わったとしても、話の内容全体が正しく伝わっているかどうかは定かではない。
そう考えるとろう者の世界で自然と使われてきた日本手話のほうがいいと考えるはずだが、これもまた身振り手振りが聴者にはちょっと変に見えるという理由で、つまりスマートではないという理由で教育の場では避けられてきたのだそうだ。
それはある意味、手話というものに対する聴者の偏見、そしてろう者という「少数者」が聴者という「大多数」に合わせるべきだという暗黙の前提で社会が動いてきたという時代性がそうさせたと言えるだろう。
作者の関わる「明晴学園」では「日本手話」を第一言語として、ろう者の教育者がろう者の生徒に手話を教えるということを実践する日本最初のろう学校として活動している。
TV番組等でも時々手話通訳がつくが、手話というものを見る目を変えてくれる本だった。