松岡正剛のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ【要約編集(keynote editing)のための多様な技法】p121
①ストーリー性を生かしたダイジェストによる「重点化モード」
②論旨のアウトライン(骨組)だけに焦点を当てた「輪郭化モード」
③一枚ないし二、三枚の図にしてしまう「図解化モード」
④論旨の背景となっている考え方との関係を組み込んだ「構造化モード」
⑤別のメディアに変換するための「脚本化モード」
⑥ニュースとして伝える目的を持った「報道化モード」
<メモ>
ハイパークリエイター高城剛
コンテクストデザイナー高木新平
松岡正剛『情報の歴史』
【編集十二段活用】p193
①注意のカーソルを対象に向ける
②注意の対象およびその周辺に少しずつ情報が読みこまれていく
③同義的連想が始まって、シソーラス性が豊かになっていく
④段々情報の地(情報分母)と図(情報分子)が分離できていく
⑤さらに階層化が起こり、情報の周辺を含む全体像が立体化してくる
⑥様々な情報がネットワーク化され、リンキングを起こす
⑦デフォルト(欠番構造)やスロット(空欄)が見え隠れする
⑧それがハイパーリンク状態になったところで、そこに筋道を読む
⑨筋道にあたるレパートリー(情報見本帳)を検索する
⑩カテゴリーが凝集し、ステレオタイプやプロトタイプが出入りする
⑪必要な情報のレリバレンス(妥当性)を求める
⑫その他の色々の編集を加える
『石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力』
Cf. 「編集の国(ISIS: Interactive System of Inter Scores)」p247 -
Posted by ブクログ
タイトルが駄目。タイトルが内容とまったくあっていない、あるいはほんの一部分しかあらわしていないのが残念。「科学」と表現する必要があるのか?という。
カルチャーセンターの講座の記録がもとだということで[p429]、全体的に思いつきのエッセイのような記述が納得。
日本文化の歴史的な起源、発祥からみる(「山」から「都」へ[p16]など)だけではなく、科学的なエピソードもエッセイ的に取り込みながら、「景気」を盛りあうためのコミュニケーション様式、ユーザーインターフェースである「花鳥風月」に迫る。「隠れた次元」[p58]を浮き彫りにするよう。
まさに知識人?で、一つのことに対して芋づる式に別の事柄が接続していく(「わたしはそれ[※『かげろふ日記』の作者が美人だということ]を知ったときにすぐに『五番町夕霧桜』の佐久間良子を思い浮かべた」[p370]など)。
「はか」[p368]など、ことばをとりあげる箇所の多くが煩わしく感じる。しかし、「ウツる」というのが「移る」写る」「映る」であることから「花鳥風月」は「連続的に映し写されていくイメージの切れ目のない移行性」なのだ[p318]と重要な側面がいわれる。
また、「ここ」から「むこう」(ほか)へ過ぎ去っていく時間を獲得するための容器、「器」(ウツわ)[p329]などの示唆。
カルチャーセンターの記録がもとのまとまりのなさで、弱いか。 -
Posted by ブクログ
同じものを見ても、人によって感じること、考えることが違う。それは、それぞれが自分なりに受け取った情報を編集しているからだ。
なんだか読みづらい本だった。早口な人の話を聞いてる感じ。忙しい人なのかな。
ポール・オースター『ムーン・パレス』
「あいだ」の文学の王者
村上春樹『羊をめぐる冒険』
『遊びと人間』カイヨウ
人間がどのように社会関係を作っていったのかを、遊びの分類から説明している。
『嘘の効用』末松厳太郎
『映画編集とは何か』浦岡敬一
『知の編集工学』
編集とは、どれか一つを、選び出すこと。可能な限り正しいどれか一つを。
編集術は、今ある情報を元に、新たな情報を作り出すための技術だ。
編集で一番大切なことは、様々な事実や事態や現象のあいだに潜む関係を発見することだ。
そしてそれらをじっくりつなげていく。
編集は、生き物を相手にするように扱うと良い。
私たちの過ごす一刻一刻は、「編集的連続性」を裡に秘めている。
遊びは情報編集ゲーム。
アメリカ型のスポーツは、「より優秀な奴が前に出る」文化。
ヨーロッパ型のスポーツは、「一旦役割を分担したらできるだけ最後までまっとうする」文化。
スポーツも文化を編集している。
「キーノート・エディング」要約編集
要点・主旨・主眼・骨子・眼目を、かいつまみ、配り直す。星座を描くように。
箇条書きを増やしていって、最後に文章にまとめる。
遊びの中に学習も編集もある。 -
Posted by ブクログ
要点:
fragment, fragile, fractal, agile, weak thought, radical will
部分は全体より大きいことがある。
全体は常に欠如の試練をうける。
体は皮膚で閉じてはいない。
「全体」って何? その「全体」とやらを見せてくれ。
10メートル離れるとアーティストに見え、5メートルに近づくと身障者に見える自分の目とはいったい何なのか。
「感じやすい問題」とつきあうには、自分と同じ挫折を知っている人とできるだけ話し合うこと。
気分(stimmung)
O(肛門)からA(口腔)に突き抜けているAO円筒。内は外。
あいまいな領域を示す言葉。あいまいな動向を示す言葉。弱い言葉。
ネットワーカーは「あいだ」にいる。「近さ」にいる。
既存勢力の抵抗を受ける。法を犯す。
ハードルの作り方が上手い。
メディアを作る。自身がメディアの本質をもっているから。
消極的なネットワーカー売茶翁のノマディックな茶店。
当座の茶室。仮の宿。ボランタリーなネットワーク。自発的。
境界を弱く柔らかくしておく。
情報は「弱さ」や「欠如」へ向かって流れる。
情報には地(ground)と図(figure)がある。関係が重要。
情報は自分の内なる関係性を外部性と交換したがっている。
情報は対発生したがっている。
情報は編集されたがっている。
ネットワーキングの本質は編集であり、
その編集の本質は「弱さ」を「近さ」に変えること。
「弱音を吐くこと」ではなく「弱音を聞くこと」を重視する。
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メモ:
ぼくが読んできた本のほとんどでは大部分が文脈のための文章であってユニークなメッセージはたかだか一頁に収まるのだったが本はそういうものなのだと理解している。くだらない本なら結論だけ読んで済ませる。
何度も読む価値のある本に出会うこともある。一度読めば済む本の価値が低いわけではない。
本を読むという個別的な体験に正解などない。何を読んでもいい。読みたいように読めばいい。『橋はなぜ落ちたのか』に立法府の制度を読んでもいい。人にどうこう言われる筋合いはない。
本に書き込む読書をやめてしばらくになる。流れるように読む。蓄積しない。忘れたらまた読む。食べるように読んでいるにすぎない。
著者名著書名引用などに拘るアカデミズムは知の共有という大義名分のための方便として知の私有制を確立しているに過ぎないはずだが知的私有権幻想は内面化されやすいようで学術論文の外でも名前(誰が)に執着するのは制度が価値観に転換した職業病の一種かと。
職業病は自覚しにくい。しばしば自覚しても不可避。ディシプリンは躾(しつけ)という意味。
意識は連続していない。毎晩眠る度に途切れる。身体は連続している。
自己とは何かを人間拡張技術の時代に考える。同一性や人権のありかや範囲はどこか。
『キル・ビル』で覚醒したブライドの心境
身体制御の再獲得とギブソン理論
視聴覚交換装置の拡張は身体交換。神社の階段を落ちるなど。
全人類一人一人の時間があるのだが、もしそれを撮影でアーカイブするなら一つの場にあって一画面におさまる人々を一画面で済ますことによってアーカイブは圧縮される。全人類が一つのホールに集まっているなら天井に一つのカメラがあればいい。
人々が同じ場にいると時間経過に伴う人数分の情報を圧縮できる。
体は皮膚で閉じてはいない。
sense、意味、感覚
本づくりにとって序文は縁先の一つ。
東洲斎写楽というヴァーチャル・キャラクター。
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正直5章までは「ざけんな松岡」と思いながら読んでいたw
6章が面白かった。読んだかいがあった。松岡さん、サーセンw