【感想・ネタバレ】フラジャイル ――弱さからの出発のレビュー

あらすじ

なぜ、弱さは強さよりも深いのか?
なぜ、われわれは脆くはかないものにこそ惹かれるのか?

薄弱・断片・あやうさ・境界・異端……といった感覚に光をあて、「弱さ」のもつ新しい意味を探る。
解説:高橋睦郎

===
“「弱さ」は「強さ」の欠如ではない。「弱さ」というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象なのである。部分でしかなく、引きちぎられた断片でしかないようなのに、ときに全体をおびやかし、総体に抵抗する透明な微細力をもっているのである”という著者が、薄弱・断片・あやうさ・曖昧・境界・異端など、従来かえりみられてこなかったfragileな感覚に様々な側面から光をあて、「弱さ」のもつ新しい意味を探る。解説:高橋睦郎

【目次】
I ウィーク・ソートで?
1 弱さの多様性
2 壊れもの注意!

II 忘れられた感覚
1 全体から断片へ
2 フラジリティの記憶
3 はかない消息

III 身体から場所へ
1 あいまいな「私」
2 振舞の場所
3 トワイライト・シーン

IV 感性の背景
1 葛藤の事情
2 複雑なシステム
3 いつかネオテニー
4 ハイパージェンダー

V 異例の伝説
1 欠けた王
2 境界をまたぐ
3 隠れた統率者
4 遊俠の季節

VI フラジャイルな反撃
1 感じやすい問題
2 ネットワーカーの役割
3 ラディカル・ウィル

あとがき
文庫版あとがき
解説◆弱々しさの勧め 高橋睦郎

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Posted by ブクログ

本誌p159で、正剛先生が『劣等感』の定義について語るくだりがあります。
結局のところ自分はこの部分を読むためにこの本を手に取ったのかもしれません。

著者は、劣等感は自分の弱さの自覚によって生じる訳ではなく、むしろ強さへの過信や期待、「ひょっとしたら(上手くいくかもしれない)」という高揚がなくては生じないと言います。
こうした高揚は現実ではあっけなく裏返り、それに人は恥じらいを感じ、そうした経験が幾度となく繰り返され劣等感が育つのだと語られました。

上記の内容は本誌で語られる『フラジャイル/弱さ・弱々しさ』の一部分です。
強さの理論に支配された現代社会を生きる上で、気付かなくてはいけない何かがこの本にはある気がします。

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2026年04月05日

Posted by ブクログ

松岡正剛の著作を制覇したい。
めちゃめちゃ面白かった。
強い/弱いを優秀/劣等ではない軸に置き直して議論した文章。揺らぎのある"弱さ”の方が豊かで物語性に富んでいることは自明のように思って、議論する余地があるのか疑問に思っていたが、確かによく紐解いてみると、差別や人間の起源や制度や楽しみの起源につなげることができる面白いテーマだった。「動物の赤ちゃんが可愛いのは庇護欲をそそるから」をもっと掘り下げることができる。構成能力すごい。特に被差別の話を健常に近い筆者が自由に論じている部分に憧れた。精神障害とニューロンのパターン、癩病者が差別を受けながらもネットワークを作ったこと、相対的な弱さを設定することで強さとの逆転が生じうる、欠けた者が力を持つ。確かに病弱への憧れ、ある。クリムトから始まったファッションモデルの細さ信仰にもつなげることができるだろうか。踊りや神輿担ぎのふらつきを模した足取りと、歩行困難性、片足、シンデレラの片靴をつなげる部分は鮮やかだった。シンデレラの場合、今シンデレラのイメージとされている可憐さや魔法や豪華さはむしろ(子供に届ける)"方法"の方だったのかな?
シャーマニズムや、此岸から彼岸を覗き見る場についての記述が通底していたのもすご〜〜く好きだった。呪術と現代社会を切り離して考えてしまうことが多いが、綱引きの綱のつながり、一夜の遊女のイメージとして、お祭りとかお参りとかで区分けされてない日常の中のダブルイメージを想像できてよかった。辻・門・境目・夕占・杖・呪文・ここと向こうの感覚も非常に普通なものだったんだろうな。
科学と文化をなめらかに行き来できるのが本当に気持ちいい。
あと普通に現代エンタメのリファレンス先も見つけたようで嬉しかった。
筆者は本当に名伯楽で、この人が評価することで色々なものがジャンルを超えて場に並ぶことができる。素晴らしい。
定着よりも遷移を。勝者の歴史(histoire)より敗者の物語(histoire)。忘れた後にも残るモヤを。
もう一回読みたい本。

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2026年05月08日

Posted by ブクログ

自分の弱さを否定して、他人に見せないように、強い自分であろうと、今まで努力してきた感があるけど、そんな自分の弱い部分を認め、自分の弱さと向き合うことこそ必要だったのではないか。そんなことを実感しているときに出会った本。
難解な例えも多いですが、読めば読むほど「弱さ」の深みにはまって、なるほどなーと思う部分が多々あり。弱い部分も含めて自分を好きになれると、大袈裟じゃなくて人生変わる気がします。今まで弱さを克服すること一辺倒だったけど、自分のそんな部分ともうまく付き合っていきたいと今は思ってます。
本書に出会えて良かった!

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2012年05月16日

Posted by ブクログ

少なくとも本書が創刊された1995年の時点で、松岡正剛は今流行りの「ネットワーカー」「ノマド」としての生き方に着目をしている。

この松岡正剛の見方を持ってすれば、現行の「ネットワーカー」や「ノマド」に注がれる意識の欠陥は、まさにその「『欠陥』を認識していない」というところに集約される。

「ネットワーカー」にしろ「ノマド」にせよ、それは本書のサブタイトルに示されているように「弱さから出発」するものであり、そこを無視した「ネットワーカー」や「ノマド」に深みが生まれるはずもない。なぜなら松岡正剛の指摘によれば、「弱さ」こそが深みをもたらすのだから。

表舞台にたった「ネットワーカー」や「ノマド」たちだが、もともとが底辺が故に頂上とつながることのできた彼らだ。

その過程をや性質を無視して、そのまま頂上に放り出されてしまえば、ある時そこから放り出されたときに、そのまま高いところから地面へたたきつけられるだけだろう。

「ネットワーカー」や「ノマド」の強さは底辺から、すなわち弱さから出発しているというところにあるのであり、その背景を忘れない限り、彼らは頂点でいると同時に底辺と接続し続ける。

それ故、彼らには頂点から放りだされて地面に激突するという事態が起こるはずもないのだ。「ネットワーカー」や「ノマド」とは、底辺と頂点との混合物なのだから。

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2012年03月01日

Posted by ブクログ

この本を読んで思考と感じ方のスタイルが変えられた。最も影響を受けた一冊。

どれだけ自分を弱めて世界の再微弱音を聴き取れるか、フラフラするものをどうつかまえてどのように通過させるか、そのための方法を探している。

フラフラするものはとても柔らかく曖昧なメディウムで様々な領域に流れ込んで敏感に変化してしまう非存在的存在の淡い連鎖。

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2010年03月22日

Posted by ブクログ

松岡正剛さんの名前を初めて知ったのは、3年前の誕生日に夫に買ってもらった「情報の歴史21」からだった。

ちょうど自分的に世界史ブームで沸いていたころ、世界同時年表さえあれば横の繋がりでよりダイナミックな歴史がわかるのでは⁈と大変興奮した。
こんな編集ができるなんて!
そして前書きやところどころに書いてある文章、なんて意味わからなくて面白いんだろう!

大きくて重たい「情報の歴史21」はめくってしまうと秒で時間が溶けるので最近は本の部屋に封印してある。

さて、わたしにとってはそれ以来の松岡正剛さんの著作。

「フラジャイル」とは、壊れやすいもの、傷つきやすいもの虚弱さ弱さ…などの意味を持つ。
一言で表せば、「弱さ考」とでも言おうか。

実にさまざまな弱さについて、ここからあそこ、あそこからあっちへと、わたしにとっては難解で、意味がわからないながら、めちゃくちゃ興味深い内容のトピックで考察されている。

弱さはなぜ、深いのか。

普通に生活してたら、こんな浮世離れした問いは思いつかない。
だけど、この本を読んでいると、あるある、わかるわかる、と思う瞬間も、難解すぎてわからない…って思うことと同じだけ出てくるから不思議だ。

わたしが今まで生きてきて感じていたこと、あの本やあの映画、日常に経験する些細な出来事について、誰かとの出会い、誰かとの会話…それら全ての中にそっと潜んでいた伏線を、あらっ?と思うようなトピックから回収してくれる。
そして、たぶん難解だな、わからないな、と思うような所は、これから回収される可能性がある新たな伏線になるんだろうな。

それにしても、「弱さ」について考えると、松岡正剛さんの手にかかれば、こんなにたくさんの情報や物語を経由することになるのか…。

昨年お亡くなりになった時も、少なからず思うところはあったが、今回、みっちりとその文章に触れて、偉大な知性の喪失に心許ないようなさびしさを覚えた。

千夜千冊にも手を出してみようかな。



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2025年09月01日

Posted by ブクログ

人生に定期的に訪れる倦怠感に悩まされてきたときに読んだ『フラジャイル』。自らのうちに住む「強者」と「弱者」。後者を飼いならさぬことには、前進を続けることはできない。歴史や文学、ときに物理や生物まで、縦横無尽な知でたどるフラジリティ。

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2017年08月28日

Posted by ブクログ

東大や京大、アメリカの著名な学校のMBAホルダーばっかりの某企業のマーケティング部にいた頃、強くなければ生きている意味がない、と思っていました。毎日が闘い。フィリップ・マーロウの「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がない」を唱えながら日々過ごしていました。
そんな中、尊敬する部長のお子様の作文のタイトルをふとしたこら知りました。曰く「I am a looser ぼくは負け犬」
新鮮でした。
私はもともととても弱い人で、こわがり。それなのに、生きていくために、弱さを封印して、「頑張り」「気勢」といった名前の鎧を身につけながら、あまりの重さにとっても疲れながら会社員をしていたものです。

「フラジャイル」では、無視されがちな「弱さ」に注目します。
「弱さ」は「強さ」の欠如ではなく、それ自体が特徴をもった現象だという。。。

そうなんだ、そうですよね。

弱いからこそ、知ることができる、深い深い世界があるということ、隠さず、むしろ、大事にすべきだ、と気付かされる衝撃の一冊です。

とても個人的なレビューで参考になりませんね。ごめんなさい。

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2012年07月12日

Posted by ブクログ

【最初のページ】
この本は、はなはだ奇妙な議論に熱中するためにある。私の熱中は、これまでまったく顧みられてこなかった「弱さ」というものをめぐっている。また、弱さにひそむ「フラジャイルな感覚」をめぐっている。

【感想】
読み途中ですが、登録してもいいかなと思えるくらい面白いです。
成功寓話やヒーローものが主流の現代、
あまのじゃくを感じる「落ちこぼれ」に焦点をあてた本。
「弱いもの」をキーワードに、文学から哲学、神話の世界まで
この人何冊本読んでんだ?と思えるようなたくさんのエピソードがつながります。

例。チョークは身をすり減らしながら、すぐに消せる線を描いて、
最後には消えてなくなってしまう。
それでも、黒板からサラサラと落ちる粉や、かすれた線は、
弱々しいことこの上ないにも関わらず、
一生ものの記憶になることがある。
あるいは、はらはらと散る桜。
何十回、何百回見ても、人の心を揺さぶらずにおれない儚さは、
一体何なのでしょう。

そういうことを考えさせられる本です。

【購入の経緯】
震災後、なんとなく不安を抱えて東京オアゾの松丸本舗に行き、
タイトル・表紙に惹かれて衝動買い。

【読みやすさ】
哲学的な話題を含むので、本は純粋にワクワクするために読みたい、
あるいは暇つぶしだ、という人には向いていないかもしれません。
ただし、哲学の本によくあるような難解な感じ、不親切な感じはあまりないです。

【こんなときに読みたい】
弱ってるときだろうな、そりゃもちろん。笑

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2011年04月09日

Posted by ブクログ

ものすごい本だと思った。松岡正剛という人は、書きたいことは山ほどあるのに、それを書いてまとめる時間が全然足りない人なんだろうと思う。
そういう人が、力を注いでまとめた一冊の本というのは、計り知れないほどの価値がある。この一冊が生み出される背景に、膨大な量の知識と、それらの有機的な結びつきが必要であることは間違いない。これは、どれだけ高性能な検索エンジンやスーパーコンピュータによっても作り出すことが出来ないものであり、ただ一人の驚異的な情報整理力を持つ人間の脳によってのみ、作り出すことが出来るものなのだと思う。

テーマとしては、「フラジャイル」という、「弱さ」とか「繊細さ」というような、かなり曖昧模糊としたものを扱っているけれど、その、あらゆる物事に関連するキーとなるような概念を中心にして、話しは周辺の様々な雑学的情報に触れながら、どんどんと奥行きを増していく。その範囲はとても広範で、この本自体が松岡氏本人が言うところの「キーブック」として機能するようになっている。

個々の内容について、あまり深く掘り下げれているわけではないにしても、これ一冊の中に収められた、膨大な情報は、「知の世界」ともいえる広大な領域を垣間見せてくれるに十分なインデックスを惜しみなく提示してくれていて、数え切れないほど多くの分野についての興味をかきたててくれる本だった。

敗北の美学のみが永続的だ。
敗北を解しない者は敗者だ。・・
人がもしこの極意を、この美学を、
この敗北の美学を理解しなかったら、
その人はなんにも理解しなかった人だ。
(ジャン・コクトー「阿片」)(p.11)

弱さや弱者はもっぱら排除の対象とされる歴史を背負ってきた。弱さは異質性や異常性として理解され、ケガレやキヨメの対象にされる。われわれの子供時代にも体験したことであるが、背が低い、顔が黒い、喋り方が変である、汚い町に住んでいる、病弱である・・こんなことのすべてが弱いものいじめの標的となる。
しかし、これはずいぶん昔からのことでもあった。なぜか童話の主人公の多くが体の異常や境遇の異例を訴えている。すなわち、そのような弱者の光景こそは、じつは歴史のなかであふれんばかりの熱意と描写をもって表現されてきたものでもあったのだ。危ういものや異例的なものは、しばしば物語の格好の主題となってきたのである。(p.18)

われわれは、つねづね自分はまるごと「一人ぶんの自分」だとおもいこみすぎているようだ。何がそういう「私」という統合性を維持させているのか知らないが、「俺は俺だ」という一体感がいかに勝手な思い込みによってささえられていたかということは、かりにも内臓をやられてみると気がついてくる。(p.109)

本節の話題にとって大きなことは、パララックス(平行視差)が劇的に発達したことである。
パララックスは二つの眼球が顔の両側の側面ではなく、顔の前面に二つ平行して並んだことをいう。おかげで眼球に焦点を自由にむすべるレンズ体ができあがり、ヒトは遠方と近傍のいずれをも把握する定点視野をもつことになったのである。これがあとからおもえば「距離観念」と「場所観念」の発生につながった。(p.121)

夕方には昼と夜の二つの世界がまじりあう。そこには昼も夜もない。中間である。昼でも夜でもないから、そこでこれをトワイライト・タイムとよぶ。トワイライトは文字通り「二つの光」という意味だ。
トワイライト・タイムは昼も弱く、夜も弱い。どちらでもなく、どちらでもある。明け方もまたトワイライト・タイムによく似ていると見えるが、夜明けの光はけっして弱くはならず、日の出とともに一挙に強くなる。これではいかにも野暮だった。(p.137)

私は、大人の心理の大半が少年少女期に芽生えているものだとおもっている。芽生えているというと、うっすらとしたオブラートのようなものとおもうかもしれないが、むしろ少年少女の心理体験は大人になってからの体験よりもずっと苛烈であり、ずっとドライブがきいている。大人の言動のカリカチュアが濃い輪郭をもってインプリンティングされているうえに、そこに、少年少女の特有の感受性が加わっているからだ。(p.163)

このように見てくると、この世で「複雑な世界」を最も凝縮して体現してしまっているのは、どうみても人間自身なのである。自然界でこれほど複雑なシステムをもっているものは見つかっていない。また、見つかってほしくもない。そんなシステムは悪女のようにあつかいがたいへんである。(p.198)

生物史では、だんだん複雑性が出てきたのではなく、あるときに複雑性を活用する戦略の変更が創発的に出てきたはずなのだ。その戦略の変更は情報編集のしくみにかかわっていた。さきほどのべたばかりの、ハード的な「デザイン」をソフト的な「編集」で訂正しているというのも、そういう意味である。(p.203)

われわれは自分のことを、健康で民主的ですばらしく平均的な人間像に近いものとおもわされ、また、ついついそのつもりになっている。
そのため、日々の中で意識の裏地からときどきやってくるトラウマやコンプレックスや「まさかの葛藤」にびくつき、おどろいている。この葛藤や矛盾は自分だけにおこっている不幸だとおもってしまう。しかし、どう考えても、われわれはもともと「損なわれた存在」であったのである。
われわれは、生物としては牙と毛皮と走力を失い、動物としては視力と聴力と嗅覚を低下させ、あげくに、数年におよぶ育児をしてもらわなければ一人前になれない未熟児として生まれてきた「損なわれた存在」だ。おまけに、われわれの脳には残忍なワニの脳と狡猾なネズミの脳とが同居し、エンドルフィンなどの麻薬物質が入っている。これでは人間の内側は「できそこないの狂暴」でできあがっているといわれてもしかたがない。(p.387)

ここでおもいあわされるのは、素粒子はたった一個で生まれてきたり消えていったりはしないということである。素粒子はつねに対発生と対消滅をくりかえす。これを科学者たちは「素粒子には自己同一性がない」などという。素粒子は自立していない。(p.421)

ネットワーカーは、なにも人ばかりをさしてはいない。自然界や生命界で「触媒」とよばれたり、また「ホルモン」とか「酵素」とかとよばれているものも、正真正銘の情報のネットワーカーなのである。(p.426)

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2020年07月15日

Posted by ブクログ

阿呆丸出しで単純に言ってしまえば、弱さや脆さ等の魅力に気づけ。って本です。
松岡正剛はisis千夜千冊のブックナビゲートでも分かるように私からすれば吃驚するような本読みで、この本でもとにかく引用の量が半端じゃないです。それが良いか悪いかは個々で決めてもらいたいものですが、この本を読むと多分読みたい本が20冊ぐらい増えるので心して読みましょう。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

兎に角、この人のものすごい知識の量に圧倒されます。フラジャイルというのは初めて聞いた言葉でしたが、一つの価値観・ものの見方、繋げ方を見せてくれます。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

「弱さ」というものの持つ意味を多様な(ものすごーーーーく^^;)観点から
探る・・・のだが
いやはや、この方の知識の広さは半端じゃない。
読みながらクラクラしてくるくらい(笑)
この中に引用された数々の文から
更に読書欲を刺激される。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

この作品はフラジャイルという、たった1つの単語を正岡さんの視点から沢山の意味をもたせ、その1つ1つを説明していく作品。
1つの言葉でこれだけの意味を持つと言うことそれを納得させる文章にどんどん、惹かれて行きました。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

要点:

fragment, fragile, fractal, agile, weak thought, radical will

部分は全体より大きいことがある。
全体は常に欠如の試練をうける。

体は皮膚で閉じてはいない。

「全体」って何? その「全体」とやらを見せてくれ。

10メートル離れるとアーティストに見え、5メートルに近づくと身障者に見える自分の目とはいったい何なのか。

「感じやすい問題」とつきあうには、自分と同じ挫折を知っている人とできるだけ話し合うこと。

気分(stimmung)

O(肛門)からA(口腔)に突き抜けているAO円筒。内は外。

あいまいな領域を示す言葉。あいまいな動向を示す言葉。弱い言葉。

ネットワーカーは「あいだ」にいる。「近さ」にいる。
既存勢力の抵抗を受ける。法を犯す。
ハードルの作り方が上手い。
メディアを作る。自身がメディアの本質をもっているから。

消極的なネットワーカー売茶翁のノマディックな茶店。
当座の茶室。仮の宿。ボランタリーなネットワーク。自発的。
境界を弱く柔らかくしておく。

情報は「弱さ」や「欠如」へ向かって流れる。

情報には地(ground)と図(figure)がある。関係が重要。
情報は自分の内なる関係性を外部性と交換したがっている。
情報は対発生したがっている。
情報は編集されたがっている。

ネットワーキングの本質は編集であり、
その編集の本質は「弱さ」を「近さ」に変えること。

「弱音を吐くこと」ではなく「弱音を聞くこと」を重視する。

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メモ:

ぼくが読んできた本のほとんどでは大部分が文脈のための文章であってユニークなメッセージはたかだか一頁に収まるのだったが本はそういうものなのだと理解している。くだらない本なら結論だけ読んで済ませる。
何度も読む価値のある本に出会うこともある。一度読めば済む本の価値が低いわけではない。
本を読むという個別的な体験に正解などない。何を読んでもいい。読みたいように読めばいい。『橋はなぜ落ちたのか』に立法府の制度を読んでもいい。人にどうこう言われる筋合いはない。
本に書き込む読書をやめてしばらくになる。流れるように読む。蓄積しない。忘れたらまた読む。食べるように読んでいるにすぎない。
著者名著書名引用などに拘るアカデミズムは知の共有という大義名分のための方便として知の私有制を確立しているに過ぎないはずだが知的私有権幻想は内面化されやすいようで学術論文の外でも名前(誰が)に執着するのは制度が価値観に転換した職業病の一種かと。
職業病は自覚しにくい。しばしば自覚しても不可避。ディシプリンは躾(しつけ)という意味。
意識は連続していない。毎晩眠る度に途切れる。身体は連続している。
自己とは何かを人間拡張技術の時代に考える。同一性や人権のありかや範囲はどこか。
『キル・ビル』で覚醒したブライドの心境
身体制御の再獲得とギブソン理論
視聴覚交換装置の拡張は身体交換。神社の階段を落ちるなど。
全人類一人一人の時間があるのだが、もしそれを撮影でアーカイブするなら一つの場にあって一画面におさまる人々を一画面で済ますことによってアーカイブは圧縮される。全人類が一つのホールに集まっているなら天井に一つのカメラがあればいい。
人々が同じ場にいると時間経過に伴う人数分の情報を圧縮できる。
体は皮膚で閉じてはいない。
sense、意味、感覚
本づくりにとって序文は縁先の一つ。
東洲斎写楽というヴァーチャル・キャラクター。

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正直5章までは「ざけんな松岡」と思いながら読んでいたw
6章が面白かった。読んだかいがあった。松岡さん、サーセンw

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2011年03月22日

Posted by ブクログ

4章-2まで。
最初はすごくおもしろいのに、ここらへんで雲行きあやしくなってきたので先を読む気がおこらない。

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2009年10月04日

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