鳥山まことのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
衝撃的。
最近いい小説にたくさん出会っているけど、この小説ほど心の琴線に触れたものはない。
超おすすめ。
特に生きる意味とか考えちゃう30代40代の方!
物語としての起伏がほとんどないうえに、最初に詳しすぎるやろ!というレベルの家の細かい描写から始まるのでとっつきにくい感じがするけど、がんばって読み進めてほしい。
家の物語。
空き家となり取り壊される家に、かつて縁があった青年が忍び込みスケッチをする。
スケッチするたびに四十年前、三十年前、二十年前に住んだ人の記憶がテクストに流れこむ。
青年は家に住んだ人々のことを知らない。
住んだ人々もお互いのことを知らない。
だけど家の記憶を通して、 -
Posted by ブクログ
家はそこで過ごした人々の記憶が積み重なってそこにあるということを、丁寧な描写で伝えてくれる一冊。シームレスに人物が入れ替わる展開も、記憶の積み重なりを感じて心地よく、いつまでも読んでいたいと思える素敵な読書体験でした。
この家のサイズは四間四方とあり、検索すると、縦横の長さが約7.27メートルの正方形で面積に換算すると約16坪(約52.9平方メートル)、32畳分の広さに相当とのこと。圭さん夫婦がこの家を広く感じるか、狭く感じるかで行き違う場面がありますが、このコンパクトさでどのような空間が生まれていたのか、藪さんの設計を(特に大黒柱のあるLDKを)想像しながら読むのも楽しめました。 -
Posted by ブクログ
「更地にした方が売りやすい」と取り壊しすることになった住宅街の中の空き家は、35才の青年にとって小学生の頃慣れ親しんだ隣人の家だった。
隣人は引退した建築家で、人の手の温もりを大切にする丁寧な設計で職人達から慕われてきた。最後の仕事として自分自身のための平家を設計し、退職後はそこでスケッチをする日々を送っていた。青年は鍵っ子だった子ども時代、彼に誘われて共に絵を描く午後を過ごしていた。
その家は建築家が亡くなると、海外赴任の夫のいる主婦が開く学習塾の場となる。さらに子どものいない夫婦のものへと代替わりし、時を紡ぐ。
誰もがこの家の「心が馴染む感覚」を愛しみ、彼らの生活の背景には家があった。
こ -
Posted by ブクログ
籐巻の大黒柱や漆喰壁などおもてに見えるものから梁や躯体など直接は目に触れないところ。さらにそれらの経年による味わいだったり、細かについた無数の傷だったり。青年の描く写実的なスケッチを通して、そこにある温度や湿気、匂いまでもが丁寧に描写されていて、まるでその場に自分もいるかのような没入感があった。
この家に住んでいた三代の住人たち。亡き妻を想いながら設計し自身の住処とした薮さん。震災で最愛の友人を亡くしても、実感が湧かないまま17年を過ごし、現在はひとりで塾を営む緑さん。両親の熟年離婚に照らして、夫との気持ちのすれ違いと2人のこれからが不安になる圭さん。家は時の幹。そこから伸びる枝葉は彼らの毎 -
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そうだよな、芥川賞ってこういう感じのやつだった。自分は最近ポップなものばかり読んでいたかも…と思ってしまった。
例えば家についての造形を伝える時、動画や画像の方が隅々まで詳細を手っ取り早く伝えられるのに、それを長々と文字で情景描写するなんて…と序盤は読んでいて思った。ただそれだとやっぱりこぼれ落ちてしまうものがあって、場面をとめて文字で語らないと家にまつわる人々のあれこれは伝えられないかもしれない、とも思った。
大きく何かが起こるわけではないけれど、登場する人達はみな深い優しさみたいなものをたたえているような気がして、そんな雰囲気が最初から最後まで流れていて、本当になぜだか分からないけど涙腺に -
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第174回芥川賞受賞、そして第47回野間文芸新人賞受賞作品
「売物件」の看板が掲げられた一軒の平屋。その家の壁や傷や柱を前に青年と三代の人たちが何を思っていたのか。それぞれの人が交わることはないのだけれど、それぞれの思いをしっかりと受け止めたような気がしました。
まるで家自体が生きているかのように感じた小説でした。家自体の木も石も漆喰も金属も温度や湿度で変化していくことを初めて実感できました。それと同時に、かつてそこに住んでいた三代の人たちのことが書かれていました。なかでも、その家を建てた最初の住人の藪さんの並々ならぬ思いを感じることができました。
家を建てようと思い、逡巡し、形になって -
Posted by ブクログ
芥川賞&野間文芸新人賞のダブル受賞作。
芥川賞は何が良いのかよくわからない、と感じることが多く、村上龍「限りなく透明に近いブルー」、高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」くらいだったが、これは素晴らしかった。
筆者が建築士ということもあり、冒頭の建物が日に当たる描写からすでに美しすぎる。
いつまでも売れない古い戸建てに侵入し、絵を描く青年。その家が建てられてから住んでいった3人とその家族や関わった人々の想いが、青年が目にし、触れ、嗅ぎ、感じるものとともに蘇っていく。
会話が極端に少なく(ほとんどなく)、地の文がひたすら続く。純文学は文章自体を楽しむというのはこういうことか