海岸通り
著者;坂崎かおる
発行:2024年7月10日
文藝春秋
初出:「文學界」2024年2月号
今年はじめての単著を出版した作家。この「海岸通り」は7月に出たばかりだけど、初出は文學界2月号で、芥川賞候補となったとのこと。表紙デザインやタイトル、文章のタッチなどから、今どきはやりの女性作家による軽快な日常ものがたりかと思っていると、終盤でえらくシビアな話になってくる。話の展開もあり、それにちょっとしたどんでん返しもあるが、あえて真相を明かすということをせず、そこに込められた人や社会の矛盾、問題点、性などをえぐっていく。急激に純文学へと傾く。なかなかに厳しい作品である。124ページの中編だが、決して生やさしい話ではない。
クズミ(久住)という女性が主人公。たぶん、若い女性。30代ぐらい?
きらら(雲母)園という民間の老人ホームで清掃の仕事をする。週3日、出勤時間は朝の9時からだが、シフトで10時のこともあれば、時には7時のこともある。私という一人称で語られているので、基本的に自己評価でしかないが、真面目に、律儀に、几帳面に毎日同じパターンで同じところをしっかり清掃し、別の曜日や時間帯を担当する他の清掃員が手抜きをしているところも、しっかり汚れをとっていく。嫌々している様子は書かれておらず、喜びを感じながらこなしている。
施設の敷地内には、ニセのバス停がある。その時刻表の数字ひとつひとつにも、しっかり雑巾がけ。バス停の名前は「海岸通り」。入所者が帰りたいとごねることがあり、そういう人たちがこのバス停でバスを待つ。バスが来ないから諦めて部屋に戻る、そんなために設置したのが始まりだという。今でも、サトウさんは毎日のように来てバスを待つ。クズミはサトウさんと色々と話をする。しかし、清掃員がそんな相手をしてはいけないので、5分程度話し、一度退社のタイムカードを押してから、続きを話す。プライベートタイムで話すことになる。
サトウさんに声をかけると、「ナギサ」と呼ばれる。息子の嫁の名前で、しっかりものであり、息子は救われたと口にする。しかし、娘の「ミサキ」だとおもっているらしい。ただし、あんたが息子の嫁だったらいいのに、とも言うので、実際に頭の中でクズミがどういう存在なのかは不明。
同僚の神崎が夫の九州転勤にともなって退職した。彼女の掃除は手抜きが結構あったが、仲は悪くなかった。神崎の後に入ってきたのが、マリアというウガンダ出身女性だった。夫は日本人のラッパー。マリアは、それなりに日本語を話せた。一生懸命に覚えようとし、日本の料理にもなれようとしている。ランチは近くで買ったパンだったので、クズミが自分の弁当のおにぎりをあげると、酸っぱいのが好きと梅干しおにぎりを食べた。次から余分に作っていくと、マリアはお礼を言って100円玉を渡す。そんなのいらないといいつつ、受け取ってポケットに。やがて弁当を作ってもっていくようになる。すると、500円くれるように。タコのウインナー。賞味期限切れだけど入れることも。
アフリカ出身者ということで、施設では珍しがられたが、一人だけ、元全共闘の永峰というじいさんが差別的な言い方をしたので、彼からは外した。クズミは、マリアに適当な息抜き方法も指南。おそらく職員たちがお金を出し合って買っているであろう休憩室のスティックコーヒーも、既成事実的に使って飲んだりしている。
マリアが、うちに来て欲しいと言い出した。休みの日にバスで行く。団地の部屋、日本人ラッパーが出てくるかと思ったら、ウガンダ人らしき男女3人がいた。1人だけ男性は「おとうさん」と呼ばれるリーダー格。ここはウガンダ人コミュニティのようだった。次の週も招かれ、その次も招かれたが、理由をつけて断るようになった。
クズミは、休みの日もよくきらら園に来ている。サトウと話をしたり、他の入所者の部屋に行って話をしたり。なにを目的にそうしているのかは、語られない。
仕事も人間関係も、うまく行っているように描かれている物語だったが、事態は急変する。
(以下、ネタ割れ)
クズミはある日、クビを宣告される。コロナの影響で、家族ですら会えない、掃除は園の職員がするしかない、と。でも、マリアはクビにならないんでしょ?と質問すると、それは答えられないと返答される。結局、時給の低いウガンダ人がこき使われる、自分は切られる、そういうことだと思った。職員だけの清掃ではやりきれませんよ、と反論すると、それはそうだが、コロナだけが理由ではないんですよ、と言われた。施設の備品がフリマサイトに出ていることは把握しています、と。
クズミは手癖の悪い人間だとされた。休憩室のスティックコーヒーも勝手に出せないようにされた。1ヶ月で退職を宣言された。園での会話はここまでで、そのことについて言い訳や議論などがあったのかどうか、全く不明。
クズミは戻ると、今度は内容証明を受け取る。家賃滞納のため、明け渡しを宣告された。仕事も家も失う。どうしたらいいのか・・・顔色が悪いと職場で声をかけるマリア。話をすると、うちへ来いという。コミュニティの方?日本人ラッパーがいる自宅の方? コミュニティの方だった。そこで暮らし始める。家庭菜園を手伝ったり、掃除をしたり。野菜は近くで売ってお金になっていて、少し小遣いももらえる。ただ、失敗が多くて掃除が主な仕事に。マリアは夫と住んでいないのか?ちょっと喧嘩しているという。他の女と仲良くしているから、と。
サトウさんが施設から出て行くことになった。お金が払えなくなったから自宅に戻るという。
クズミは、マリアと2人でサトウさんを海岸に連れ出そうと作戦を練った。クズミの勤務の最終日に。サトウさんは、夫が漁師だった。息子を誰かに預け、2人目がお腹の中にいるころ、どういうわけだか夫が海から戻ってこない。身重で海を見つめたことを思い出として語っていたことがあった。それから夫がどうなったか、帰ってきたのかどうか、聞いていなかった。でも、きっと海を見せたら喜ぶだろうと計画して、作戦を練った。だが、清掃員が連れ出せるわけがない。ランドリーカートにサトウさんを隠し、ごみを捨てに行きますといいつつ施設を出て、本物のバス停まで行き、そこからバスに乗って連れ出す。そんな手はずを整える。
しかし、最終日にマリアは来なかった。クビになったという。フリマサイトに備品などを出していたのは、実はマリアだったことが分かったと言われる。彼女はランドリーカートに入れたごみを捨てにいくフリをして、備品などを持ち出していたのだという。入所者が目撃しているし、彼女の夫も証言しているという。
あなたを疑って申し訳なかった、戻る気があるなら戻れる、と言われた。
戻らないと言い放った。フリマに出したのは自分だ、マリアはしていない、マリアがしたのを目撃したなどというのは、きっとあの永峰のじじいだろ!そそして浮気している夫だろ、と。