小池水音のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「僕」は五歳の時、母を病気で亡くした。以来、2軒の祖父母の家、叔母さんの家を行き来して過ごす。
ある時、通っていた幼稚園にイギリス帰りの「さりかちゃん」が転入してくる。
両祖父母も叔母さんも、何不自由なくこの上なく僕を慈しみ、大事にしてくれる。
そんな生活の中のにさりかちゃんが入ってきた。
外国暮らしが長く、あまり周囲に溶け込めないさりかちゃんとの距離は徐々に縮まり生活の大半はさりかちゃんと過ごすようになる。
5歳から6歳にかけての半年ほどの期間の出来事やその時の気持ちなどを大きくなった(高校生くらい)の僕が回想している。
その時々、思っていたこと、考えてきたこと。
優しく接してくれる大人たちに対する思い、妻を亡くしなかなか立ち直れない父に対する態度、少し大人びてしっかり者のさりかちゃんと過ごす楽しい時間とだんだんずれていく感覚。
5歳や6歳にしたら決して大人が思う無邪気さもなく、5歳や6歳だから気持ちや思いは十分に言葉にできず、伝えることができないもどかしさ・・・
そういうすべてのことを大きくなった僕は思い起こしている。
それはどんな気持ちだろう。
後悔ではないだろうし、肯定もしないし、当時に戻りたいわけだもないだろうし。
まだまだ続いていく未来につながるものであって欲しい。
あの頃の僕は若すぎて
君の気まぐれが許せなっかた
そんな君のやさしさは
大人びていました
(作詞・伊勢正三)
こんな歌がずっと頭の中で流れていました -
Posted by ブクログ
ネタバレ「今の神崎の状況について、俺の口からは何も言えない。けれどな、とにかく、じぶんの頭で考えるんだよ。うまいやり方を探すんじゃない。今の神崎だけができることを、神崎の頭を使って考えるんだ。そして考え抜いたら、それを伝えに行くんだよ。じぶんの言葉でな。俺たちにできることは、神崎、てだそれだけなんだ」
望まない方向へと向かわせているものは、一体何なのか。
「じぶんの頭で考えるんだ」
育てているはずの親が、むしろ子どもの方から、多くのことを教わっている。舞がまだ幼い頃には、日々、そんな風に感じて過ごしていた気がする。そう感じなくなったのはきっと、舞が変わったためではなかった。いつの頃からか自分たち 親の方が、舞にたくさんのことを教えなければいけない、正しい道を示してやらなくちゃいけないと、姿勢を変えてしまったのだと思った。 -
Posted by ブクログ
女性の書き手が綴る身体や性にまつわるエッセイ「私の身体を生きる」の、男性版。
女であり女であることに違和感なく生きてきた私にとっては、女性の書いたものの方が当然共感するところは多かったけれど、男性たちの綴る文章もとても興味深かった。
男女問わず、どんな属性の人だってそれぞれ尊重されるべきではあるけれど、同質である必要は全くないなと改めて思う。
女性と比べて、身体やジェンダー、性のことを直接的に書いている人がかなり少ない印象を受けた。
と同時に、男性が男性性を語ることの難しさとはこういうことかと納得させられる。社会において強い側とされる側が何をどう語るのか、語って良いのか、難しいのかもしれないけれど、もう少し踏み込んだ内容が読みたかったな、というのが正直な感想。
身体より社会、に意識が向いているように感じた。
その中でも田中慎弥さんの偏屈さが滲む文章がとても好きだった。好きだったとかも言われたくないのかなとか思っちゃう。なんだかいじらしい愛しさがある。
最後の最後で朝井リョウが‘やっている’。
両手を掴んでいたはずなのに、その手を掴んだまま大きく振り回されて、遠心力で吹っ飛ばされたような気持ちで本を閉じた。