1863年刊。
有名で、現在はしばしば悪評も高いベンサムのスローガン「最大多数の最大幸福」というアレに代表される「功利主義」の考え方について、あれやこれやと弁明を試みる著作。
私自身、「最大多数の最大幸福」というスローガンは目下大嫌いで、あれを浅はかに理解し利用し、多数者のためなら少数者を虐待
...続きを読むしても良い、多数決で決まったら少数意見はことどとく蹂躙して良い、といった暴虐につながりかねないからだ。
ミルがどのようにこれを擁護するかというと、「効用」は人間の獣的な欲望の部分で測るべきはなく、すこぶる知的な・十全に道徳的な心性において最大限に長期的な視野に立って測るべきものだ、とするのだ。
だがこのような弁明は、ルソーが民主主義というものを十分に育成され知的に熟成された民の高度さを欠くべからざる大前提としているのに似ていて、現実とは大きく乖離せざるを得ないのではないか。実際の大衆というものは、もっと怠惰で、ワガママで、短絡的で、知的に劣悪な存在に過ぎないことを現実の歴史が明かしているのではないか。だから自由も民主主義も、本書で称揚される「効用」も、ことごとく劣化していき、解体してゆくほか無いようにさえ思える。
大海原を延々と漂流する救命ボートに5人の飢えた人間が乗り、何日間も食料を得られなかったとする。そのうちの、たとえば最も体力の弱い者を他の4人で殺害し、その人肉を食することによって4人の延命を図るべきなのか。5人もろともに死ぬよりも、1人が死という最大の不幸に追いやられてさえ、4人という多数が助かる可能性があるのだから、これを良しとするのか。
ミルならここで人間というものは人肉を食した経験を後半生において後悔し、ずっと夢にさえ見てさいなまれることになるだろうから、結局は幸福につながらない、と指摘しそうである。だが、現在の世論の一部は、4人の延命を支持しそうだ。すこぶる倫理的な問題を迫ってきたコロナ禍において、どうせ先の長くない老人が多少死んだって構わないから、若い者たちで社会の経済を栄えさせ楽しもうぜ、という主張の一派は少なくない。むしろそのような暗黙の主張がどんどん強まってきていると感じる。「最大多数の最大幸福」というスローガンは、結局はこのような帰結に至るのだ。そして、あの新自由主義という野蛮さにも。
従って、いかにミルが弁明しようとも、功利主義そのものを規範の核心とすることには私は危険性を感じてしまう。ボートの中の弱い1人を殺害するくらいなら、全員がおとなしく死を甘受するべきだと私は考える。