【感想・ネタバレ】大学教育についてのレビュー

あらすじ

大学とは職業教育の場ではなく、専門知識に光をあてて正しい方向に導く一般教養の光明をもたらすところである。文学、自然科学、社会科学、道徳・宗教、芸術などの一般教養科目についてそれぞれの意義を述べながら、大学教育の原点と理念を指し示す。名高いセント・アンドリューズ大学名誉学長就任講演。(解説=竹内洋)

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Posted by ブクログ

やはり古典は素晴らしい。200年前に遠く離れたスコットランドで書かれたとは思われないほど、現代に通じる含蓄に満ちている。特に現代でも度々問いただされる古典不要論がJ.S.ミルが生きてた時代から言われてたと知ってつくづく人って変わらないなと思った。
専門バカにはならないように大学在学中は広く学ぼうと思う。

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2025年11月24日

Posted by ブクログ

教養とは何か、それがなぜ重要なのか、そしてそれはどのようにして身につけられるものなのか。ミルの大学名誉学長就任演説である。学生に懇切丁寧に語っている。語られて150年近く経っているが、昨今の教養課程廃止や文系不要論への最良の反論となりうる。高校生や大学生に是非読んでほしいと思う本である。巻末の竹内洋の解説も簡にして要を得て素晴らしい。

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2019年11月10日

Posted by ブクログ

大学の中だけの事に限らず、
人間が人生で生きる上で非常に重要なもの、それは教養だ。

仕事をする上での専門技術も、それを人の役に立て、世の中を今までよりも良くする為にという素養があってこそ活きる。

それを養うのが、教養だ。

広く自分の専門分野でない事も、その分野の要点や本質を深く理解することは、人生を生きる上での武器となる。

一生をかけて学ぶことは
重要であり、楽しいことだ。

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2017年12月06日

Posted by ブクログ

大学で学ぶ学生がぜひとも読むべき著作。大学の本質的な役割が良く分かる。政策考えるときも、この原点は頭に入れておかなくては。

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2016年01月27日

Posted by ブクログ

大学での教育について、古典文学、自然科学、芸術などに分けて語られています。
自分はなぜ大学で勉強しているのかということを見つめ直すには、
本書を読むと有効かもしれません。
大変読みやすく、おもしろく、勉学意欲が湧いてきます。
また、訳者の解説では、ミルの生涯について簡単紹介されています。
短い解説ですが、大変興味深く、ミル自伝も読んで見たくなりました。
薄い本なので、大学生は買って読むことをオススメします。

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2012年06月15日

Posted by ブクログ

読むべき本。

p.178迄(6/17)
p.108迄(6/16)
p.58迄(6/15)文学教育について.古典と近代文学の対比.普遍性を感じる.今まで師事してきた人たちが各々異なる機会にのたまっていたことがすべて繋がっていくのが分かる.
p.22迄(6/14)
読み始め(6/14)

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2012年06月17日

Posted by ブクログ

薄い本だけれど、目が覚めるような言葉が各所にあって、一度ではなく何度も読みたい。

・「文系教育と理系教育、どっちを取るか」と語られることがあるが、どうして両方ではいけないのか。
・「言葉」は思考を決定してしまうおそれがあり、より客観的に物事を見るために、多くの言葉を学ぶ必要がある。そのために古典の学習は有効である。
・実験科学を学んで、物事を正しく推測、検証する方法を学ぶ。
・人に物事を語るときのために、論理学に触れておくことは有効。
・好奇心は人生の最高のパートナー

大学で教養をつける重要性を語るが、ミルの話を聞いていると、彼自身が教養ある知識人を体現しているように思える。

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2012年03月25日

Posted by ブクログ

素晴らしい名著でした。
J.S.ミルといえば自由論で有名だが、本書でもその適格かつ教養深い彼の思考、哲学が遺憾なく生きていて、それが凄まじい。

約150年も前になされた演説の内容だというのに、
その教育論は今日でも変わらず鮮烈であり、真理に通じている。

とても勉強になりました。

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2012年01月13日

Posted by ブクログ

ミルがイギリスのセント・アンドルーズ大学の名誉学長就任する際の講演録である。なんと草稿に1年の準備期間を取ったという。彼は大学を出ているわけではないが、哲学者・経済学者という立場で、新聞や雑誌で公共知識人として意見を述べていて、多くの知識人に影響を与えた。

講演から150年が経過した今でも大学における一般教養教育の重要さは変わらない。専門性を生かすにしても、その人が持っている知性と良心によって効果が決定されるというような指摘は、近年の答申で何度も目にしているだろう。また、一般教養教育は、個別に学んできたことを包括的に見る見方と関係づける仕方を教えることであり、体系化と哲学的研究を踏まえて、諸事実の発見と検証することがその極致である、ということも同様だろう。

ただ疑問も残った。教養の要素は、「知識と知的能力」と「良心と道徳的能力」が主なものだが、少し劣るが「美・芸術」もあるとしている。イギリス人が伝統的に美に関心がなかったからだそうだ。これは意外だった。美の解釈こそ教養の代名詞かと思っていたからだ。ミルは、英国人の商業主義からの美を無駄なものと解し、清教主義で神を敬う心以外は罪悪に陥る一種の罠と考えていたからといっている。ドイツ・フランス・イタリアと全く異なっているところがおもしろい。

さらに、大学段階では、道徳教育・宗教教育は、身の回りや家庭でなされるものとして、管轄外としている。キリスト教社会全体の中における大学だからこそこのようにいうことができるのだろう。

解説で訳者が大学改革のキーワードが商業主義によるものばかりで、それを自浄作用できるのは、教養教育といっている。市場化・競争原理が促進される中でも、常に教養教育を考えていきたい。

2012.5.13追記
高等教育論5/12補助教材として、「科学教育」の項までの抜き刷りを講読。

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2012年05月13日

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大学教育とは専門性を高めることのみならず、様々な概念を広範囲に適応することを学ぶ場である。教養教育のあり方が明示されている。

読書をある程度してきた者でないとなかなか難しい。大学受験が終わった学生に薦めたい。

今、たくさんの本を読みたいという気持ちがこの先の人生にとって良いものであることを認識することができた。
また、文学・科学・倫理学・道徳教育などは学ぶ価値あるものだとなんとなくわかるものだが、本書ではさらに「美学・芸術教育」の重要性を説いている。

「詩は、われわれの本性の非利己的な側面に訴え、われわれが属している制度の幸不幸を直ちに自分自身の喜びや悲しみとするそういう人生の一場面一場面をわれわれにもたらし、また、行為を直接導くものではないが、真剣に人生を考えさせ、そしてわれわれの前に義務としてあるものすべてを引き受けさせる厳粛な、思いやる感情をわれわれの胸底深く刻み込みます。」126


「ある人間の知性と他の人間の知性とを区別する根本的でもっとも特徴的な点はなんでしょうか。それは証拠となるものを正しく判断できる能力です。」65
上記の部分は『学問のすすめ』(福沢諭吉・齋藤孝訳、ちくま新書)にも似たような部分があった。物事を正しく判断するために学問というものはある。

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2025年01月25日

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個人的なハイライトは知的教育の意義を提示した部分。ミルによれば、大部分の真理の認知においては直覚に頼ることができない。この弱点を矯正、緩和するのが知的教育である、という。
たしかに大学教育を経た者は、全員ではないが、観察可能な部分から原理原則を推論することに長けている。この点については大学教育がある程度の成功を収めているといっても差し支えないかもしれない。

一方で大学教育のあるべき姿を巡る主張と議論はこうも変容しないものかと驚いた。大学教育論が19世紀から進歩していないわけではないだろうが、問題自体は根治していない、あるいは悪化していることが窺われる。
大学が専門性教育に傾倒せず知性を育み人間精神を涵養する場であってほしいと、大学を職業訓練に利用してしまった身として自戒の念を込めて願う。

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2023年06月11日

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まず僕含め、ミルが語っているような学生生活を送る学生がほぼいない、この日本の「大学」という機関に絶望した。(勿論僕の環境に限った話ではあるが)

それは文理選択を高校の時に迫る制度が一つの原因だろう。文系が化学や数学をやらなかったり、逆に理系が歴史を勉強しないことが当然と言っても過言ではない制度だ。

文理問わず、教養として身に付けておくべきはずのものを学ばぬまま学生を終える。そんな人々に警鐘を鳴らす著作である。

本の内容からは逸れるが、僕は高校が大学という機関について教えるとともに、その存在意義を考える機会を設けることで、この課題がほんの僅かでも変わるのではないかと思う。(高校がこの著作を大学入学を控えた生徒に読ませるのも有効かも知れない)

近年、大学不要論なんかがよく唱えられてる。
大半が大学を手段でなく目的にして、その本質を見失ってるから当然の話であって、上記のことを高校が実施するだけでも状況は変わるのではないか?

もっと言えば、教養の有無が人生の豊かさを左右するとも本書で述べられている。大学が学生の未来を決めかねない。

その教養を培うための、「独力で学ぶために必要な読書習慣と楽しみを生徒の心に育てないような教育制度がもしあったとしたならば、それはまったくの失敗」ともミルは嘆いている。

美学・芸術の教養についてはめちょくちゃ共感!
「ゴシック様式の大聖堂の壮観さによって喚起される感動に浸る」や「日常の仕事が味気ないものであればあるほど、あの高尚な思想と感情の息づくところをしばしば訪れることによって、われわれの心の調子を高めておくことがますます必要」

本書に書いてある水準まで学ぶことは困難でありつつも、まずは論理学・歴史哲学・幾何学を最低限勉強しようと決意した。

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2020年03月14日

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ヤスパースとかと比べるとはるかに具体的で、ミルらしいのかもしれない。大学論の古典としての位置づけみたいなのは定まってるのかな?

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2020年02月04日

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平成バブルが崩壊した頃から、大学生が大学教育にもとめるものが変質した。文部科学省の考え方も変わっている。
それは、一言でいえば、大学教育の目的について、ミルのしているようなきちんとした検討をしなくなったこと。大学教育が就職の手段、企業の利益の手段と化し、手段が目的化している。近年の実学重視、理系優位はその結果です。
人間がきちんとした一般教養を身につけることの意義をよく検討しないといけない。
本書は、そういうことをじっくり考えさせてくれる良書です。

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2023年02月24日

Posted by ブクログ

大学は職業教育の場ではない。では何を学ぶ場なのか。日本が明治維新を向かえるまさにそとのき、スコットランドでかのジョン・スチュアート・ミルが、学生選出の名誉学長就任講演として、大学教育の原点と理念を既に話し尽くしている。これは大学に入学した学生、そしてあまりにも経営・商業主義的な部分に偏りすぎている現在の大学教育に関わる全ての人々が一度は読むべき、そして心に刻んでおくべき内容だと思った。原文のJ.S.ミルの英文自身が長文かつ難解であるようだが、訳文があまりにも直訳調で、日本語としては読みにくいのは難点であるけど。この就任講演は3時間程度に渡ったようで、よっぽど意識の高い学生でなくては寝てしまうかもしれない。今の日本では。

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2016年04月18日

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『学問ノススメ』と合わせて読むことで、明治期に開国間もない日本も含めたグローバルな大学教育関係者が「学問」になにを目指していたのかがよくわかる。

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2012年07月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

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人間が獲得しうる最高の知性は、単に一つの事柄のみを知るということではなくて、一つの事柄あるいは数種の事柄についての詳細な知識を多種の事柄についての一般的知識と結合させるところまで至ります。(中略)広範囲にわたるさまざまな主題についてその程度まで知ることと、何か一つの主題をそのことを主として研究している人々に要求される完全さをもって知ることは、決して両立し得ないことではありません。この両立によってこそ、啓発された人々、教養有る知識人が生まれるのであります。
    --J.S.ミル(竹内一誠訳)『大学教育について』岩波文庫、2011年、28頁。
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19世紀中葉、専門知と教養知の大論争を背景に、両者の有機的統合を示唆したミルの講演を収録したもので、小著ながら大学教育、教養教育、科学教育(専門教育)の関係と意味、真理に基づく行動の意義を説く。学生だけでなく教養教員、専門教員も読むべき一冊。

古典教育がなぜ必要なのか。ギリシア、ラテン語を通じて歴史を原典で学ぶことで、古代を学ぶだけでなく、今生きている社会に掛けさせられている「眼鏡」への自覚がもたらされるからだ。たえず自身を相対化させ、賢明な思想と考察を得ることが古典教育の神髄としつつも、当時の訓詁的学習スタイルには批判的でもある。

教養教育は「包括的な見方」と「結合の仕方」「(諸科学の)体型化」を促す。この原理を身につけることで、全体人間として専門知が生きてくる。加えて「美学。芸術教育」、「道徳教育」がそれを補完する。

さて、全体知としての「詩的教養」を毀損するのものは何か。「商業面での金儲け主義」とミルは言う。世界の工場・イギリスの東インド会社の審査部長をつとめたミルのこの指摘は重く受けるべきであろう。これこそ人間性を破壊するものに他ならない。
※経済学の否定ではないので念のため

訳者解説には次の指摘がある。


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いまや大学改革のキーワードが「アカウンタビリティ」(説明責任)や「ステークホルダー」(利害関係者)など市場経済用語になっているように、大学自体がビジネス文化に浸食されはじめている。覆いつくさんばかりの商業文化の「自浄作用を担うのは教養教育をおいてほかにないはずである。
    --ミル、前掲書、173頁。

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ミルは、高等学校の『倫理』の教材で「功利主義」というレッテルで張られて「はい、おしまい」という感がありますが、『自由論』にせよ『自伝』にせよ、先の講演にせよその「枠」に収まらない脈々さがあります。読んでから判断すべき先達の一人だと思います。本書は御茶の水書房より1983年に刊行された『ミルの大学教育論』のうち、講演を文庫化した一冊。手軽な小著ですが、最初に言及した通りおすすめです。ベンサムとミルでは断絶があるし、キーワードで対象化できない「横溢」が存在します。

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2012年06月18日

Posted by ブクログ

「真に教養ある人間は、すべて(everything)について何事か(something)を知り、何事かについてはすべてを知る人間だ」と述べ、その体現者であったと言われるJ.S.ミルのセント・アンドルーズ大学名誉学長就任講演。
歯切れよく語られる150年前の教養養育論と大学論は現代でも少しも色あせない
「知識と知的能力」と「良心と道徳的能力」の教養の主要2要素を補助する第3の分野として「美学・美術教育」をあげてる点は、ダニエル・ピンク『ハイコンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』を思い起こした。

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2012年06月03日

Posted by ブクログ

1867年に行われたミルの名誉学長就任演説.
大学教育の目的と役割が古典教育と科学教育を両立させた教養教育にあると説き,個々の学問の意義を簡潔に説く.考え抜かれた言葉が読むものの心にまっすぐ届く.
教養と大学が結びつかなくなり,教養が良き社会人の必須科目でなくなった現代であるにもかかわらず,ミルの言葉は古びることなく,いろいろなことに気づかせてくれる.

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2012年02月03日

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