花森安治のレビュー一覧
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1971年刊。函入り、B5判338ページ。
1958年から70年まで「暮しの手帖」に連載された「ある日本人の暮し」から29篇をセレクト。テーマは各種各様。ルポルタージュ、批評、評伝、エッセイ、一種のアジテーションもあり、スタイルもさまざま。花森の構成力と文章力には、ただただ驚くしかない。そしてそれに添えられたインプレッシブなモノクロ写真。
「世界はあなたのためにはない」「見よぼくら一銭五厘の旗」「千葉のおばさん」「医は算術ではない」……何度も読み返してしまう。半世紀を経ても、そのメッセージは古びていない。
装幀も、函の意匠も、すべて花森による(文庫化は無理だ)。花森安治のエッセンスが詰まった名品。 -
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もとは1954年刊のエッセイ集。戯れ文調の15篇。
軽薄を装いながら、当時の日本の世相に斬り込んでゆく。「暮しの手帖」の花森安治に慣れた人には、多少の違和感があるかもしれない。
「国会へ行きましょう」「女だけの政治」「サルまねのすすめ」「高価なものと美しいものと」「教祖芸術」「無茶苦茶の茶」「無茶人のおせっかい」「芸術祭おやめなさい」……、etc。「暮し」を欠いた政治や芸術や文化に対する抵抗と批判。スタンスは「暮しの手帖」の花森となんら変わらない。
(p.s. 当世(1954年頃)の流行りのことばとして「ギョギョ」が出てくる。あれはさかなクンのオリジナルではなかったのだ。) -
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「それって昭和だよね」とか「めっちゃ、昭和じゃん!」とかいって「昭和」をつかう。
ちょっと聞いてほしい。(ちょっとではなく、長くなりました、ごめんなさい)
「昭和」というまえに、今の令和の源流である「昭和」のまんなかで、明治生まれの花森さんが何を語っているのか、読んで感じてほしい、と思う。
昭和生まれの還暦すぎのおじさんだけど、ぼくには、なつかしさではなく、「今」を感じる文章だった。
著者の花森安治さんは、19011年(明治44年)生まれ、『暮らしの手帖』の創業者だ。
この本は、昭和35年から昭和45年に、花森さんが『暮らしの手帖』に執筆したものから自身で選んだ29篇の文章でできている。
たぶん、名文だとおもう。
自分には真に名文かは判別できない。
だから、自分基準の名文だ。
最初の『塩鮭の歌』を読んだ。
驚いた。
ひらがなが多用されて、ほんとうに読みやすい。
簡潔かつ美しい文章で、自然、歴史、ひとが語られ、当時の社会の課題について花森さんの考えが語られている。
読んでみて、花森さんはジャーナリストだとわかった。
この漢字を少なくした文章は、花森さんがどうしても伝えたいと思う読者に、届いてくれと、願って書いた文章だったのだ。
そして、花森さんが心の底から憤りを感じたとき、その文章は、研ぎ澄まされて、詩のような文になる。
それが『戦場』と『一銭五厘の旗』だ。
『暮らしの手帖』は商品テストが有名だ。
いろいろなメーカーの、暮らしに欠かせない商品をテストする。
商品テストをする理由におどろいた。
消費者が、洗濯機、冷蔵庫など作るわけにはいかないし、作れない。
メーカーに作ってもらうほかない。
そこで、メーカーに奮起を促すため、行ったのが商品テストなのだ。
『魔改造』とかいって喜んでいる場合ではないのである。
花森さんたちは、ほんとうに真剣に、必死の思いで商品テストをしていたのだ。
その様子は写真とともに『商品テスト入門』に書かれている。
すごい熱気だ。
公平、正確を大切にしている。
どんなふうにテストをしたらよいのかわからないから、そこから始めている。
たいへんそうだけど、楽しそう!
すごい熱量と知性をもったひとたちが集結していたに違いない。
写真のひとたちは、参加したことを自慢していたんじゃないかと思う。
テレビで『プロジェクトX』とか見ても「もっと凄かったよ」と、お子さんやお孫さんに話す姿が思いうかぶ。
花森さんは明治、大正、昭和と続いた暮らしの流れが戦争でとぎれたという。
昭和の暮らしを立て直し、理想を実現しようとしたのが花森さんだ。
「毎日の暮らしをどうすればもっと地についた美しいものにできるか」という理想だ。
そのために無くしたり、変えたほうがよいことについて語っている。
たとえば『結婚式この奇妙なもの』、耳が痛いはなしです。
もうひとつ『大安佛滅』、おっしゃるとおりです。
一方、残すべきものについても語っている。
たとえば、『もののけじめ』だ。
最近、魂の浄化や魂を磨くには「昭和なルーティン」がよいと聞いた。(非科学ですよ)
まさにそれにピッタリな文章がこれだ。
確かに実践したら魂がピカピカだろう。(妄想ですから)
ほんとうに多彩だ。
令和に生きるひとたちに、ぜひすすめたい。
最後に、この本をすすめてくれた、郷土愛あふれる読書家で、チェコ語堪能な高校の友人にお礼を言いたい。ありがとう。
感想書いた。約束果たしたよ。
※昭和46年発行のものを読みました -
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前回、花森氏のエッセイを初めて読んだのが「暮しの眼鏡」
それよりも格段に読みやすかった。
初出版は、戦争の痛手から日本もずいぶん立ち直って…しかし、焼け野原となったのは土地だけではなく、どこが境界線やらガイドやら分からなくなったのは、文化やモラルや政治も同じだったらしい。
やたらと元気で押し出しの強いものばかりが大きな顔をし始め、そうかと思えばお役所始めとする人間の頭の中は今だもって旧態依然…という混沌の時代だったらしい。
どうして「逆立ちの世の中」というタイトルになったのかは不明だが、花森氏の書き様は、どうも逆立ちして世の中を見ているような気がしてならない。
疑ってかかることを「眉つば」と言うが、同じような感覚で…
どうもこの世の中、逆立ちして眺めた方が真実に行きあえるのではないかと。
ストレートな風刺も多いが、逆説的な書き方も多い。
ただ、読者が読み違えてしまうような表現が多かった「暮しの眼鏡」に比べると、ああ、皮肉なんですねというのが分かる。
しかしその中で、氏がかなり気を使っているなあ~というか、オブラートを一枚余計に包んでいるな、と思えるのが、女性に対する意見。
基本的には女性を応援しているのだが、もちろん、女だってこういう所は良くないよ、こういう女は馬鹿だよ、と言いたいことがある。
しかし、はっきり書いては、暮しの手帖の読者からも反感を買いかねないから、ずいぶん気を使った表現になっているのではないかというのは勘ぐりすぎ?
商品テストに代表される雑誌作りの姿勢と同じ精神で、お仕着せの観念や、古くからの因習に従うのではなく、自分の目で物を見て、自分の頭で考え、自分の感性で物の価値を判断しなさいという姿勢が貫かれている。
分かりやすく繰り返し出てくるのが、「その商品にいくら払うか」という、まことに主婦向けの問題。
その商品に値段をつけるのは、値札ではなくあなたである、という考え方だ。
今でも通じる、むしろ、バブルのバカ騒ぎを通り越して、そういう価値観を大切にしようと考える人も多くなった。
人の価値、物の価値を考える時、思い出したいことがたくさん書かれている本だ。 -
Posted by ブクログ
今読んでも、全く古びていない内容であった。
タイトルの記事は、水俣病を扱う記事だったが、
これを震災後の原発の問題に置き換えて読んでも
全くおかしくない。気骨のあるジャーナリストが
以前から警鐘を鳴らしてくれていたことが、今現在でも
解決されていないのだと、はっきりとわかる文章だった。
生活・戦争・ひとのありかた・これらを論じる時
当時よりも今の私たちの土性骨が抜けていることは
更に恐ろしい。
まして、もう著者はこの世の人ではないのだ。
読者に、これは他人事じゃないよと
「あなた」「君」と呼びかけ、膝を詰めるようにして
諄々と、烈々と語った人はもういない。
現在にも素晴らしい編集者はおられるだろうし
いろいろな問題に真摯に向き合った執筆者は
いると思う。
しかし彼のように、舌鋒鋭い批判というのとも違う
率直でがっしりとした言葉で、言うべきことを言うひとは
少ないのではないか。
徒に何かを騒いだり責めたてたりは、花森氏はしていない。
声をあげるべきは上げ、負けるべきなら潔く。
慈しむべきは慈しみ、日々の生活を愛する。
その姿勢が、この一冊に凛としてこもっている。
引用してどうこう、というのではない。
是非ひとつひとつの記事を丁寧に読み進めて頂きたい。 -
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もとは1953年刊。ラジオで話したことのトランスクリプト。
1951~52年、花森安治は、開局したてのラジオ東京(のちのTBS)で、週1回、「風俗時評」という番組を担当した。本書はそのうちの15回分を収める。雑誌「暮しの手帖」を創刊してまだ3年、肩書きは雑誌編集長や文筆家ではなく、風俗評論家だった。
トークは衣食住がテーマ。冒頭は「今朝は大変寒いようですね」とか、「今朝新聞をみておりますと」とか、「そろそろ新学期でもありますし」とか、かなりアクチュアルな入り方をする。
極めつけはこれ。「昨夜の毎日新聞の夕刊に、珍しく、男の風俗について面白い投書が出ております」で始まり、サラリーマンの服装についての投書を紹介した上で、「ボク個人」の考えを開陳している。同じく、「昨日の毎日新聞に」で始まるのは、服装の規則を守らなかった女子高生44名が停学処分になった「東京女学館事件」。世間の賛否が分かれるなか、花森流の意見を述べている。
花森安治がラジオや雑誌によく登場していたのは、この頃まで。この1、2年後からは、「暮しの手帖」に全力を傾注するようになる。その意味では、貴重な記録かも。