あらすじ
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この本の題の「一銭五厘の旗」とは庶民の旗、ぼろ布をつぎはぎした旗なのである。この本の全部に、その「一銭五厘の旗」を振りかざした著者の正義感があふれている。正義感ということばは正確ではないかもしれない。しかし、それに代わる適当な言葉が見つからない。よこしまなもの、横暴なもの、私腹をこやすもの、けじめのつかないもの、そういう庶民の安らかな暮らしをかき乱すものすべてに対する著者の怒りとでもいったらいいだろうか。(刊行当時の「毎日新聞」書評より)
『暮しの手帖』の基礎を築いた初代編集長・花森安治の思いが詰まった自選集、今なお輝きを放ちます。1972年(第23回)読売文学賞随筆・紀行賞受賞作。
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Posted by ブクログ
「それって昭和だよね」とか「めっちゃ、昭和じゃん!」とかいって「昭和」をつかう。
ちょっと聞いてほしい。(ちょっとではなく、長くなりました、ごめんなさい)
「昭和」というまえに、今の令和の源流である「昭和」のまんなかで、明治生まれの花森さんが何を語っているのか、読んで感じてほしい、と思う。
昭和生まれの還暦すぎのおじさんだけど、ぼくには、なつかしさではなく、「今」を感じる文章だった。
著者の花森安治さんは、19011年(明治44年)生まれ、『暮らしの手帖』の創業者だ。
この本は、昭和35年から昭和45年に、花森さんが『暮らしの手帖』に執筆したものから自身で選んだ29篇の文章でできている。
たぶん、名文だとおもう。
自分には真に名文かは判別できない。
だから、自分基準の名文だ。
最初の『塩鮭の歌』を読んだ。
驚いた。
ひらがなが多用されて、ほんとうに読みやすい。
簡潔かつ美しい文章で、自然、歴史、ひとが語られ、当時の社会の課題について花森さんの考えが語られている。
読んでみて、花森さんはジャーナリストだとわかった。
この漢字を少なくした文章は、花森さんがどうしても伝えたいと思う読者に、届いてくれと、願って書いた文章だったのだ。
そして、花森さんが心の底から憤りを感じたとき、その文章は、研ぎ澄まされて、詩のような文になる。
それが『戦場』と『一銭五厘の旗』だ。
『暮らしの手帖』は商品テストが有名だ。
いろいろなメーカーの、暮らしに欠かせない商品をテストする。
商品テストをする理由におどろいた。
消費者が、洗濯機、冷蔵庫など作るわけにはいかないし、作れない。
メーカーに作ってもらうほかない。
そこで、メーカーに奮起を促すため、行ったのが商品テストなのだ。
『魔改造』とかいって喜んでいる場合ではないのである。
花森さんたちは、ほんとうに真剣に、必死の思いで商品テストをしていたのだ。
その様子は写真とともに『商品テスト入門』に書かれている。
すごい熱気だ。
公平、正確を大切にしている。
どんなふうにテストをしたらよいのかわからないから、そこから始めている。
たいへんそうだけど、楽しそう!
すごい熱量と知性をもったひとたちが集結していたに違いない。
写真のひとたちは、参加したことを自慢していたんじゃないかと思う。
テレビで『プロジェクトX』とか見ても「もっと凄かったよ」と、お子さんやお孫さんに話す姿が思いうかぶ。
花森さんは明治、大正、昭和と続いた暮らしの流れが戦争でとぎれたという。
昭和の暮らしを立て直し、理想を実現しようとしたのが花森さんだ。
「毎日の暮らしをどうすればもっと地についた美しいものにできるか」という理想だ。
そのために無くしたり、変えたほうがよいことについて語っている。
たとえば『結婚式この奇妙なもの』、耳が痛いはなしです。
もうひとつ『大安佛滅』、おっしゃるとおりです。
一方、残すべきものについても語っている。
たとえば、『もののけじめ』だ。
最近、魂の浄化や魂を磨くには「昭和なルーティン」がよいと聞いた。(非科学ですよ)
まさにそれにピッタリな文章がこれだ。
確かに実践したら魂がピカピカだろう。(妄想ですから)
ほんとうに多彩だ。
令和に生きるひとたちに、ぜひすすめたい。
最後に、この本をすすめてくれた、郷土愛あふれる読書家で、チェコ語堪能な高校の友人にお礼を言いたい。ありがとう。
感想書いた。約束果たしたよ。
※昭和46年発行のものを読みました
Posted by ブクログ
今読んでも、全く古びていない内容であった。
タイトルの記事は、水俣病を扱う記事だったが、
これを震災後の原発の問題に置き換えて読んでも
全くおかしくない。気骨のあるジャーナリストが
以前から警鐘を鳴らしてくれていたことが、今現在でも
解決されていないのだと、はっきりとわかる文章だった。
生活・戦争・ひとのありかた・これらを論じる時
当時よりも今の私たちの土性骨が抜けていることは
更に恐ろしい。
まして、もう著者はこの世の人ではないのだ。
読者に、これは他人事じゃないよと
「あなた」「君」と呼びかけ、膝を詰めるようにして
諄々と、烈々と語った人はもういない。
現在にも素晴らしい編集者はおられるだろうし
いろいろな問題に真摯に向き合った執筆者は
いると思う。
しかし彼のように、舌鋒鋭い批判というのとも違う
率直でがっしりとした言葉で、言うべきことを言うひとは
少ないのではないか。
徒に何かを騒いだり責めたてたりは、花森氏はしていない。
声をあげるべきは上げ、負けるべきなら潔く。
慈しむべきは慈しみ、日々の生活を愛する。
その姿勢が、この一冊に凛としてこもっている。
引用してどうこう、というのではない。
是非ひとつひとつの記事を丁寧に読み進めて頂きたい。