エリザベスストラウトのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
1作目は自分の読書歴オールタイムベストに入る作品。人生に寄り添ってくれる小説というのでしょうか、中高年の方に強くお勧めできる小説です。で、その続編が10年ぶりに出て迷わず買ってから2年放置しましたが、初読から10年、細部を忘れてるので、今回最初から読み始めやっと通読できました。
構成はオムニバスと言われる連作短編集で、オリーヴは主役、脇役、チョイ役と年齢順に出てきます。2冊で40代から86歳までのオリーヴが、架空の街、メイン州クロズビーの人々と共に描かれます。その意味で2作はきれいにつながっています。1つの短編を時間をかけてしっかり読んでいくことが吉。
オリーヴは、かなり嫌味な毒吐き女性で感情移入は難しい人物設定です。感動とは程遠い、普段の生活が淡々と進むなかで、ちょっとした波乱や、老いや寂しさを感じさせるトラブルが丁寧に描かれていきます。
前作の完成度は素晴らしい分、続編は楽しみだけど本当は知りたくない、という感じでしょうか。続編は晩年の枯れを語る物語で、老いや病気、あきらめ、寂しさが前作よりさらに色濃くなって、それが読者の気持ちに反映してくる。誰しも老いていくし、気が付いたら自分はそういう歳になったけどまだまだ心は若く20歳、まさかすぐに死ぬなんて思いもしてない。でもいつかは現実に死を自覚する時が来る。その時にどう向き合うのか、それを問うてくる小説。
そういったジャンルがあるかわからないけど、老境文学として胸に深く染みわたる本。もし10年後にまた読めたとき、現存在における老いと寂しさはどう自分に迫ってくるだろうか。
沈思して黙考したい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ相変わらず、痛快!
オリーヴ・キタリッジが身近にいたら、私はどんな態度をとるのだろうという問いにはまだ答えが出きらない。
最後の「友人」は、いくつになっても友達って良いなとほっこりした。(当初はイザベルを、ネズミパンツ呼ばわりしていたオリーヴには笑った。)
「心臓」に出てきた、政治思想の異なる介護士ベティが泣く姿を見て、二人の距離が近くなる場面も良かったな。
「詩人」の中に出てくるジャックとの会話もたまらない。
"もうちょっとオリーブを薄めてくれないか。”
...
"結婚しよう"
"なんで?"
"そりゃ、オリーヴだからだ"
"あまりにもオリーヴだって言ったじゃないの"
"うるさい、黙れ。結婚するぞ"
丸ごとそのまま愛してるって素敵だなと思う。
オリーブが感じた老いていくことへの不安や戸惑いを通じて、良い意味で、いつか老いていく自分についても考えさせられた。 -
Posted by ブクログ
しっかり二度読み返した。とはいえ難しい話ではない。各篇に一人の話者がいて、ほとんどモノローグで、自分とそのすぐ近くにいる人々について語る、ただそれだけの話だ。特に何があるというわけでもない。貧しい暮らしを送ってきた中西部、イリノイの田舎町の人々の話である。田舎町の常として、人々はほとんどが知り合いで、一族の昔のことまでよく知っている。中には、人に知られたくないこともあるが、田舎人の楽しみというのは、他人に噂話をすることだ。それもひとかけらの遠慮もなく。
全九話。ひとつひとつが互いにどこかでつながっている。ひとつの話の中で話題に上る人物が、次の話の語り手を務めている。そうやって、多くの視点で多層的に語られることで、トウモロコシ畑と大豆畑とがどこまでも続く中西部にある田舎町アムギャッシュの佇まいや、そこに生きる人々のつましい生活が、鮮やかに、というのではない。薄汚く、わびしく、嫌らしく。それでいて、泥水の中にきらりと光る滑石のような、悲哀の底に沈む救いのようなものが最後に顔をのぞかせる。やりきれない話の集積の中、それが唯一の救いとなる。
九つの短篇をつないでいるのは、若い頃に町を出て行き、今はニューヨークに住む作家ルーシー・バートンその人である。立志伝中の人物というのは、こういう人のことをいうのだろう。子ども時代は相当貧しかった。父はベトナム戦争から帰って来ておかしくなった。いわゆるPTSDである。母親は仕立物をして一家を養った。子どもは三人。長男がピート、長女がヴィッキー、末っ子がルーシーである。
学校でもいじめられた。それでもルーシーは学校から帰りたがらなかった。その頃のことを用務員をしていたトミー・ガプティルは今もよく覚えている。巻頭を飾る「標識」は、そのトミーが語り手をつとめる。トミーは自分の酪農場が火事になり、借財を返すため土地を売って学校の用務員になった。トミーは時々一人暮らしのピートの家を訪れるが、ピートはそれを喜ばない。トミーの酪農場の火事は父の仕業で、トミーはそれを思い知らせるためにやってくるのだと思い込んでいる。
実は、トミーはずっと自分が搾乳機の電源を切り忘れたせいだと思っていた。ピートの父は仕事中手淫をしているところを雇い主のトミーに見とがめられたことを疎ましく思っていたのだ。トミーは火事に遭ったことを悔やんでいない。何が大切なのかを教えてくれた神の啓示だとさえ思うほどに。トミーは笑われると思って誰にも言っていなかったそのことをピートに話す。根っから善良なトミーの存在は、この田舎町の救いであり、この小説を静かに照らす灯りでもある。
人物相関図が必要と思えるくらい関係が入り組んでいる。まず、ルーシーの同級生でナイスリー姉妹の末娘パティは、高校の進路指導を担当していて、ヴィッキーの娘ライラに、子どもがいないことを性的な経験がないせいだと揶揄される。実は、夫は継父に性的虐待を受けて不能になり、パティはパティで母親が他の男と寝ているところを目撃して以来、性行為を嫌悪しており、夫婦仲はよかったが子どもはできなかったのだ。勢いでライラに汚い言葉を吐いたパティは翌日謝罪し、ライラもパティに心を開くようになる。
小説の深部で常に響いているのが、戦争後遺症であり、児童虐待であり、性的少数者の問題であることは論を俟たない。それが表面上に浮び上ることはないが、様々な要因が相乗的に積み重なり、とんでもないところで問題を起こす原因になっている。戦争にさえ駆り出されていなければピートの父もチャーリー・マコーリーも、性に溺れたりせずにすんでいただろう。すっかり変わってしまった夫の扱いに疲れた妻は子どもに辛くあたり、ルーシーたち兄妹は虐待に近い扱い受ける。
パティの姉のリンダや、パティの同僚で仲のいいアンジェリーナの家族の話も挿まれ、ルーシーたち兄弟と同じく貧しい暮らしをしていたメイベルとドティー兄妹も立派になった姿を見せている。ゴミ箱の中に入り、まだ食べられる食べ物を漁っていたメイベルは今では空調会社の社長に収まっている。ドティーはB&Bの経営者だ。二人の逸話も味わい深い。ルーシーとの距離の遠近により、語られる内容の深さや軽さに変化があって、深刻になりがちな話の中で程よいバランスを保っている。ただ、その中にもやはり性的抑圧は姿を覗かせている。どこまでいってもそれはついてくるのだ。
アムギャッシュに久しぶりにルーシーが帰ってきて、三人兄妹が再開する話が「妹」。視点人物は兄のピートである。有名人になった妹を出迎えるために、ふだんしたこともない掃除をし、ラグまで買いに走る兄が微笑ましい。しかし、兄や姉の昔話を聞くうちにルーシーはパニック発作を起こしてしまう。会いたくて帰っては来たが、帰郷は蓋をして覆い隠していた過去を一挙に引きずり出してしまう。作家となった今でも、ルーシーは真実に向き合うことができない。ルーシー・バートンの思いもかけない脆さが痛々しいが、ピートやヴィッキーの真情が垣間見え、読んでいてうれしくなる。読者にとって、ルーシーが実在するようにピートもヴィッキーも生きているのだ。
『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評がうまいことを書いている。「なぜストラウスを読むかと言うと、その理由はレクイエムを聴くのと同じだ。悲しさの中にある美しさを経験する」。そういう小説世界が好きなら絶対にお勧めである。いうまでもなく『私の名前はルーシー・バートン』の続編、いわば姉妹編である。『史記』でいうなら「本紀」に対する「列伝」。短篇集ながら、フォークナーのヨクナパトーファ・サガにならって「アムギャッシュ・サガ」の誕生と呼びたい。『私の名前はルーシー・バートン』を読んでから読むと面白さは倍増する。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ“今はもう昔のことだが”、このフレーズだけで、あぁルーシー・バトンだなぁと、ストラウトの世界へと帰還する。
ロックダウン、BLM運動そして議事堂襲撃と分断と対立が増してゆくアメリカへ、離れて暮らす家族の問題へとルーシーの心は、あちらへ彷徨い、こちらへ想い悩みと、晴れることはない。
貧困、不確かな家庭環境など、子供時代のバックグラウンドなしに人を理解することはできないし、それでも人は皆それぞれ違った人生を辿るよなぁという、当たり前だろうと言われても割り切る気になれない感じが潮の満ち引きのように寄せては返す。
それでも人はわからないなりに、人生を切り抜けていくしかないという人生訓は、まぁそんなもんだよなぁと同意してみても、もやもやと心にくすぶる。
年を重ねていくと、ルーシーと似たような屈託がいつしか振り払えず身にこびりつくのは、仕方のないこと。雲間から光が刺すように、束の間の真理や天啓が閃めく、世界が変わる、なんて期待することはない。
読み終わって思うのは、ルーシーやウィリアムなどこれまで馴染んでキャラクターが、いかにも口にして、心に浮かべそうな科白とストーリーに、そうだよねぇと相槌を打ちながら付きあったという感じ。
「オリーブ・キタリッジの生活」のように、感情移入していなかった相手にふと心が揺さぶられる瞬間が訪れたり、「私の名前はルーシー・バトン」のように、パズルのピースが埋まって絵が浮かんでくるような、それでも明かしきれない隠された痛みが心を刺すような、そんな読後感はない。
それはそれでリアルな人間模様なのだろう。
-
Posted by ブクログ
ネタバレキタリッジさん、いよいよ人生の終幕へ。
前作でそうだった、いつも不機嫌を撒き散らしている態度に、少しずつ自覚が出てくるところがリアル。歳を重ねて、気付くことで変えられること、気付いても尚変えられないこと。
息子の子育てに失敗、と思ったら優しい変化もあって喜ばしいが、その変化をもってさえ、理想の息子像には足らない。過ぎ去ってしまった時代の満たされなさは、埋めようがない。そこもまた、人のリアルさを感じた。
全体として、前作より理解がしやすくなっている。でも、続きはもういらない。訳者あとがきにもあったが、キタリッジさん主人公お疲れ様、これ以上は酷だから、もうゆっくり休んでくださいと、自分も思った。