井戸川射子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
詩のように書かれた物語。本来なら句点で区切られるような文章が読点で繋がれてゆき、不思議なところで句点が打たれる。解説を読み、まるで川のような文章だと思った。道端を這う水が流れ行く先を見ようと水を辿っていくが、思いもよらないタイミングでその水が途切れるような、そんな感覚。視点もそのように移り変わっていく。“あなた”の目の前の出来事が書かれていると思いきや、段落を変えず次の文章では、“あなた”の過去の出来事に視点が移り変わる。思考の自然な揺らぎを文章で読むことにしばらくは慣れなかったが、慣れると意外にも読める。目の前の少女と、自分の二人の娘の小さな頃を重ねる“あなた”。親として娘たちを大切に思う気持ちと、目の前の少女を大切に思う気持ちが、ゆっくりと重なり合っていく。それは親心ではなく友愛なのだが、“あなた”はそれをまだ受け取る心の準備が整っていない。「この世の喜びよ」とは新たな自分に出会えることや、大切なものや人が増えていくこと、自分の中に新たな感情が芽生えることの喜び、なのだろうか?
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Posted by ブクログ
文体が好みではなく、他の収録作は読まなかった。ただ、表題作の中で描かれているあなたが思い出してるのは、まさしく今の私(32歳)と娘(2歳)の生活。ワーママから専業主婦になって最初は本当に辛かったけど、この日常が当たり前じゃなくなったとき、きっとこの毎日が猛烈に懐かしく、愛おしく感じるんだろうなと思うと、専業主婦を選んだのも良かったのかもしれないと思えるようになったという点で、今の私にとっては読んだ価値があった。
「これがこの世の全てというくらいに肌を擦り合わせた。」という一文のように、今は娘と毎日のように肌を擦り合わせて、身近にというかもはや自分かのように娘を感じている。この平凡で穏やかな毎日を大切にしたい。 -
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて読んだ1冊。
主語がなく、倒置文のような表現が多い為、誰が、誰に言っているのか分かりづらく、また句読点の使い方も独特であるので、その場面を想像する事も難しい。
こんなにも読みづらい本が、過去にあっただろうか!と思う。
同じ文を何度か読み直しても、結局よくわからなくて(方言なのか?)読み飛ばした部分も数ヶ所。
友達ではなく、"知り合い"の愚痴を、上の空でただ延々と聞いているような、最初から最後までそんな感じだった。
私がこの本を書いた作者の国語担当教師であったら、赤ペンでの訂正が盛りだくさん!
と思ったら、なーんと著者は国語教師なんだって!
あちゃーー。
こんなにも読みづらいものが芥川賞を受賞とは、小説とは芸術なんだなーと思う。
難しい!
だがしかし、それらは、巻末の"解説"を読むと、まるで伏線回収か、いや、ゲームの攻略本と言った方が近いかも。
ほぉ!!なるほど!!そういうことか!!
とスッキリする。
小説とは文学なんだなーと思う。
面白い! -
Posted by ブクログ
ネタバレ表題作は、他者の思考の流れをそのまま読んでいるようで居心地が良いとは言えなかった。
母親は子育ての思い出をおそらく美化していて、はじめは優しいお母さんなのかと思っていた。でも娘ふたりは母親に対して少なからず不満を持っている。勤務時間に売り場にいないことや、自省することがなく他人のせいにするところなど、娘の登場によって明らかにされる母親の本当の姿が見えた時に驚いた。
少女に言われたことも本当に理解したのかは怪しく、善意の正義感だけはあり、やんわりと強情で、この人物をどう捉えたらいいのかと途方に暮れた。わたしには母親が終始ズレているように感じられたのだ。
この世の喜びとは、あなたに何かを伝えられる喜びのことなんだろうか。言い争いの決着もないまま、一方的に伝えたいことを伝えるというのもどこか独りよがりなものを感じてしまい、複雑な気分だ。
でも、こういう描写にはリアリティがあると思う。それだけに、読んでいるとつらい。
「マイホーム」と「キャンプ」も家族の話だった。家族の中ではみんなそれぞれ役割がある。そこから解放されたらどんな自分が現れるのか、自分でも予想できない。
三作品の中では「キャンプ」が好みだった。人と人はこうやって友だちになるし、束の間交流してあっさりと別れていく。 -
Posted by ブクログ
母娘三代の日常を訥々と綴っている。
その間には、1995年と2011年の大きな震災があった。
そのときに経験した思いも母や娘では感じ方が異なっていても大筋では変わらない…それは日常に不変が入り込んだもので一生分を思うと過ぎてしまったことになる。
「写真なんて余韻よ」と母。
「余韻こそ大事やんか。残るもんは余韻だけやんか。」と娘。
その何気ない応答が、後から何かをするたびに思い出すことなんだろうと感じた。
母が娘にそして孫にと伝わるものは、言葉でありそのときの記憶である。
同じように時間は進むのだが、記憶は薄れても残っている僅かはきっとあるに違いないと…。