【感想・ネタバレ】ここはとても速い川のレビュー

あらすじ

読んでいる間、ずっと幸福でした。――川上弘美

保坂委員が説明の途中で嗚咽した場面は
野間新人賞の選考の歴史に刻まれよう。――長嶋 有

選考委員--小川洋子、川上弘美、高橋源一郎、長嶋 有、保坂和志--
満場一致の、第43回野間文芸新人賞受賞作


【あらすじ】
児童養護施設に住む、小学五年生の集。
一緒に暮らす年下の親友ひじりと、近所を流れる淀川へ亀を見に行くのが楽しみだ。
繊細な言葉で子どもたちの目に映る景色をそのままに描く表題作と、
詩人である著者の小説第一作「膨張」を収録。

選考委員の絶賛を呼び、史上初の満場一致で選ばれた、第43回野間文芸新人賞受賞作。

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感情タグBEST3

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表題作は児童養護施設の小学生の視点でそっけない関西弁で綴られる。なんとなく泣けちゃうんだよー
『膨張』はアドレスホッパーの物語。アドレスホッパーって初めて知った。

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2025年01月13日

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これはすごい。
井戸川射子、詩人の姿を見た。

表題作「ここはとても速い川」は、集の発する言葉から彼の生命力と危うさと素朴さに満ちた目つきを想像させられる。嘘なんて存在しない集の世界に入り込むと、気づいたら泣き出しそうになっている

「膨張」は、ラストにかけてが物凄く良い。
速度のある文章から吹き付けられる風。

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2024年02月04日

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「ここはとても速い川」「膨張」の2作品が収められている。

「ここはとても速い川」は児童養護施設に住むこども「集」の語りで物語が進む。子供がそうであるように、目に映るものを次々言葉にしていく。だから、話は突然方向を変えるし、句読点もあえてずらしているのかと思う。それが子どもっぽい揺らぎを感じさせる。

形容詞がほとんどない。見たままを語る集。詩人でもある井戸川射子さんの描写力がすごいと思った。

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2023年10月17日

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井戸川作品2冊目。
文章のリズム感、グルーブに浸る。
人が記憶の隙間に落っことしてしまっているような、ディテールを丁寧に掬い上げる作風はとても好き。
これはいい。

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2023年03月04日

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ネタバレ

井戸川射子さんは詩人だそうだ。
詩はまだ読んでおらず、この小説が凄いと、石井千湖さんの紹介をきいて、手に取った。

なんという繊細にして大胆な子どもらの描写。
ワンパラグラフが長いように思う。そして、あまりに息継ぎもなく、流れるように、日常の中で意識が止まらないのと全く同じように、主語、語り手である集くんの、頭の中によぎることや確信に至るか至らないかに限らず考えていることが、情景風景ほかの人との会話なども絡みながら、さらさらと、ちくちくと、織り出されていく。
パラグラフは一気に読まないとダメだし、一気に読ませる。ここに伝えたいこと、他人じゃなくても自分に言い聞かせたり残しておきたいことだから息継がず一気だ。
それで、一気に読み終われるかというと、どうにも胸が詰まり時々休まないとこちももたない。
子どもたちはきちんと自分の欲望やもしかして他人の欲望の犠牲(いわゆるハラスメント)と感じることをノートに書き留めている。
児童養護施設では一般の家庭より詳しく性に関する教育注意喚起をしている。ルールもきちんと決められていてその運用を年齢とともに各自工夫している感じがする。そんな中でもこれおかしい?感じ悪い?セクハラ?と思ってしまいようなこと、微妙な感じで、どうなん?て躊躇しながらも記録はとっていく。子どもだから判断能力ないとか、思い違い思い込みでは?とかよく大人サイド加害者サイドが言い訳して逃れてるけど子どもや子どもでなくてもされてる方はわかっている、ということをつきつけてくる。

道や草や川、夕焼け、建物が光を取り込む様子ととにかく敏感に違いや整いや整っていないことを繊細に言葉にする。園長先生への、ひじりのノートに関する対応を走って確かめようと、自分のこれまでの既に重い局面をたくさん経験していることについての考えも確かめようと畳み掛けるように質問が繰り出されるところ、目の端に涙がたまる。

川の流れが早くてひじり君を助けようと集君も流されてしまう。死の恐怖とか、よりも、なにか掴むもの、しがみつかないと!と思い、先生は下で捕まえるからそのまま抵抗しないで流されて、という。これが生きるということで子どもは子どもなりに、大人、先生、責任を負うものはそれなりに体得している。

そして随所に出てくる川の流れ、水の流れ、それは一筋の流れではなく、たくさんのそれぞれ個別な流れが集まりぶつかり合いできているのだと。これが世の中というもの。

自分は子どもの頃でもこの子たちみたいに世界をみれてなかった。さして不足もなくさして疑いもなく、なんかおもしろくないなとは思ったかもしれないけど、大きく足りてないものはなかったから細かいことも気にならなかった。それでも子どもの頃も今も大人になっても少し上流に行ったり下流に行ったりすれば景色がぐっと変わることに衝撃に近い感銘を受けることがある。梅田のビル群が見えるようなところに豊かな淀川がありこの子らの住む施設もあるのかと思うとその事実がまたなんともいえぬ事情となり、深い感慨となる。 
おばあちゃんとの、連鎖し繰り返しくる悲しみと不幸せとその中で幸運だよかったと思えるようなことを確認するような会話。おばあちゃんはどうしようもすることができないことをすまなく感じているが、そんなに悪くないとも孫に精一杯教える。集くんは、施設のテレビで映画を見ながら、いい人悪い人を見分ける練習をするようにしているのだ。登場の仕方に注目すべきだ、と。

ママが集くんを産んだ時、男の子と知って、
よかったねえ。悲しいことは起こりにくい。こんなに血を出さんでも、自分の子どもに会えますわ。母港や母国の母の字の、一部にならんでええんやわ。、、と節をつけていっとった、とおばあちゃんが思い出すくだり。まさにこのことがフェミニズムに関わる問題そのもの。母がつく言葉の一部になりたくない。

タンスのささくれだったところを触りながら、家具に生まれ変わるのもよいかもな、馴染んでも気にもされずいて使い終わりも自分で決めないから。というくだりが圧巻である。この子らは、集くんを生きるためのちょっとした知恵(悪気のあるものや打算的なものではない)や、それ以上に否応なしの死生観を持っている。

同じ文庫本に収録されている、膨張という作品は作者、詩人の小説第一作だそうだ、ここでも繊細な詩的な言葉が連なり連なり、シーンが変わるところまで息を継げない。塾の生徒たちをみて

散在するかたまりたちがほどけていって、集まる若さは噴水だ、小さくても見応えがある。歳をとると川になってしまう。…どれも混ざり合わない、大きな水の流れ

という文章などがあり膝を打つ感じなのだ。でも、ここはとても速い川、ほどの共有感、共通感覚はない。あまりにも痛々しく現実的で読む方も避けてしまうからかも。
関西弁で、笑ったらちよっとわるいとこだけど笑ってしまうような速い川の子どもらや少しずるこくそれを気づかないふりして自分なり言い訳がましく生きてる大人たちの生き方暮らしぶりより、標準語でもっと堅苦しい言語を用いてアドレスホッパーなる部外者からは信仰宗教、カルト的に見える背景があるからだと思う。関西弁て、生粋の関西人でなくでもなんらかの共有体験がありニュアンス分かる人には最強の言語ツールであるな、とも。関西弁の方が身体感覚強い気がする。これは蛇足。



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2023年01月22日

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詩的。文章の密度は濃いが、独特な柔らかいことば遣いの表現は心にしみ入るように伝わってくる。
子どもの心情を深く描き出していると感じた。劇的な展開のある物語ではないが、語り口の柔らかさと伸びやかさが、タイトルに反するように、緩やかな大河の流れを想起させる。

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2024年11月07日

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『とても速い川』と『膨張』の2つの話。
決して読みやすい文章ではない。がとても惹かれる。
主人公は養護施設の少年。感動的なことは何も起こらない展開に心が揺れた。

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2024年02月18日

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詩人の書く小説らしく、表現が詩的で描写力が素晴らしい。
井戸川射子さんの小説は、「詩人出身の感じ」が読みにくいという意見を見たことがあるけど、個人的にはこういう、趣向を凝らした美しい描写は好きなので楽しく読めた。
表題作ももう一作も、人生の一場面を切り取ったような小説だった。良かったです。

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2024年02月16日

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ポリタスで石井千湖さんが本書を紹介した時、初めて著者の名前を知った直後『この世の喜びよ』が芥川賞を受賞したタイミングで読んでみることに。
一見すると薄い文庫本だし少年が主人公とのことなので、サクッと読めるかと思いきや予想外の展開で侮れない。水の流れに足を取られないよう足元を確かめながらゆっくり読ませる作品だった。
大阪弁の文章が美しい。

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2023年03月08日

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本のタイトルになっている「ここはとても速い川」と著書のデビュー作である「膨張」の2編を収録。

「ここは-」は主人公の少年の関西弁による1人語りの形式ですが、方言で書いてあることに加えて、子どもならではの話の飛躍も多く、話の筋がよくわからなくなるところがあちこちにありました。
ただこれが、第三者目線で筋道立てて展開される物語であれば、全く印象は変わっていたはずです。

これまであまり小説をたくさん読んできた方ではないですが、「わからなさ」をラッピングで包まず、そのままわからないものとして差し出す潔さ。それをアリとして受け入れる小説という表現の懐の深さを改めて感じました。

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2025年08月12日

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◼️ 井戸川射子「ここはとても速い川」

連ね続けられる文章、別れが、刺さる。野間文芸新人賞。

井戸川射子は芥川賞を取り、書評も見かけたので興味を持っていた。地元の人らしく、関西弁がからむ文章。詩人でもあるそうで、表題作と小説処女作の「膨張」、どちらも80ページくらいの作品が収録されている。

まざまな事情により親と暮らせない子どもたちの施設。小学5年生の集は1つ下のひじりと仲が良い。無邪気なひじりと、淀川の亀にエサをやったり、ボロアパートに住む大学生モツモツと知り合ったりと活動的に暮らしている。集は入院先の祖母の元へ通い、ひじりは病気が快方に向かう父親と会っている。親のこと、先生のこと、大人の世界は必ずしも、正しいとは限らないー。

なんか尻切れのあらすじ紹介となった。というのが、集のモノローグのこの作品、日々目にすることや出来事、友人のことを関西弁で連ね連ねて書くスタイルで種々のシーンが現れては消える。もちろん多少大きな動きであったり、集が気に病むことはあるが、基本は少し重たくずっと流れていく感覚だ。

そして喪失が訪れる。ここもさらり、だから余計に刺さる。幼い児童には自分でできることが限られていることを痛切に感じさせるラストになっている。

スタイルは「膨張」も同じでアドレスホッパー、決まった住処を持たずに日々共同ベッドのゲストハウスなどに泊まっている若い女性塾講師の話。ある性癖を持つ同性の恋人がいる。

まあその、読みやすいか、といえばそうではない。でも、「速い川」で感じたように人が暮らす世界には日々何かが関係し屈託も喜びもあるという感覚を伝える手法としては有効かもしれない、と思った。読みにくいが分かりにくいわけではない。また、この書き方に出会ったのは初めてでもない。

これも読書の1つできちんと立っている作品、ふむ、と読み終えたのでした。

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2025年08月05日

Posted by ブクログ

読み始めは中々内容が理解しづらく感じる文体であるが、読み進めていくと著者が作り出す物語の中にまるで沈んでいくようにして浸っていける。そしてそれは現実と離れすぎた内容だからわからないとかではなく、あまりにも現実すぎて物語と認識しづらいような感覚が読者に与えられる。その繊細且つ濃密な語りは、詩人でもある作者の言葉へのひたむきさと忠誠心だと捉えても良いのかもしれない。ちなみに本の詳細のページ数が288になっているが、手元の2022年12月15日第1刷発行の文庫本はどう見ても162でノンブルが終わっている。

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2024年12月12日

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2つの物語は繊細で、むなしさが残りました。
全てが報われるとは思っていませんし、自分の価値観を押し付けるのは違いますが、やっぱりどこかで報われていてほしいなと思いました。

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2024年07月03日

Posted by ブクログ

あなたは、”施設実習”という言葉を知っているでしょうか?

保育士の資格を取るために欠かせないもの、それが”施設実習”です。保育園や幼稚園へと赴く『実習』の他に、『児童養護施設』や、知的障害者施設など様々な施設へと、泊まり込みや住み込みで10日程度赴く必要があるという”施設実習”。子どもを相手にする保育士の仕事として保育園や幼稚園はそれを直接にイメージし、目指される方が多いのに対して、”福祉職”でもある視点から用意されている”施設実習”には戸惑いを覚える方もいらっしゃるようです。

では、『実習』へと赴く方たちは、『施設』の中で日常を送る子どもたちからどんな目で見られているのでしょうか?

 『テレビ見たりする時、家族団らんのCMももちろん流れるやんか。そういう時ここの子どもたちはどういう反応を今してるんかしら、何を感じているんかしら、みたいにさりげなく見回す実習生とは仲良くせえへん』。

さてここに、『児童養護施設』を舞台に『施設』で暮らす子ども視点で描かれた物語があります。『それぞれが事情あって家族と暮らせてないんや』と日々を送る子どもたちの日常が淡々と描かれるこの作品。何か大きなことが起こるでもない日常をそこに見るこの作品。そしてそれは、繊細な言葉で綴られていく物語の中に、大人の醜さを直に感じる子どもたちを見る物語です。

『また洗うてる』と『後ろから』『のぞき込んでき』た ひじりに『乳歯はもっとねばっとったらええのにな。大人の歯でいる時間が長過ぎるわな』と返すのは主人公の集(しゅう)。『もうみんな玄関集まってんで。靴履かな』という声に『台所から一枚ちぎってきといたキッチンペーパーに全部置いて拭く』集。『三棟に分かれて子どもが住んどって、給食室棟とか入れたら五棟の建物が囲むグラウンドは横に広い』という『児童養護施設』に暮らす集は『会場』となる『小学校のグラウンドへと列になってみんなで進みます。『地域の祭り』が開かれている場にたくさんの出店が出ているのを見て、『大麦園の子たちは四十分後に校門集合やからね、と叫ぶ正木先生の言葉を聞いてすぐに走り出す』面々。『お腹いっぱいになりたかったから百五十円のアメリカンドッグを買った、ちょっと待ったら揚げたてをくれた』と『熱いから、唇を付けんように歯だけで噛』んでいく集。その後、『スライムが百円やったから』と、『僕は薄い水色のんにする』と ひじりと選ぶ集。やがて、『ヤドリギ棟の子たち帰るよ、と大きく伸びてくる上田先生の声が聞こえてみんな』が集合しました。
場面は変わり、『ピノサンテっていう二階建てのアパートが園のすぐそばにあって、ずっと気になっとってん』というアパートへ ひじりとやってきた集。『「ここの建物いつものぞいとんね」と言う ひじりに「何か、俺が住んでるとしたらこんなアパートやろうなと思って」と答える』集は、『一回入ってみいひん?と言われて』、二人で『廊下を進』むことになります。『ここ基地にしようや。誰も怒らへんようなとこやん』と言う ひじりに『基地いうても座る場所もないわな』と返す集。そんな時、『前のドアから声がして、若い男の人が出てき』ました。『こんにちは、ととりあえず礼儀正しく』する集の一方で、『このアパート、住んでないんですけど入ってみたんです』と話し出した ひじり。『ふうんと答えながら頭をかいて、中入る?』と若い男は訊きます。『まあ背も低いし大丈夫やろう』と思う二人が部屋に入ると『テレビは銃を構えたゲームの画面で止まっ』ていました。『大学生だけど今はバイトばっか、と答え』る男。『ゲームのユーザーネームはモツモツ、とカタカナで書いて』ある、と画面を見る集。『チェーンのパスタ屋』でバイトをしていると語る男は『5gのパック一つやろうか?』と訊いてきたのに対して、『「俺らあそこの施設に住んどるから使わへん」と断る』集。『近くの、あの大きいやつ?』と訊く男にうなずく集に『そっか』と答える男。その後、さまざまな話をして『また来る約束をし』た二人は、『モツモツて呼ぼか』と話します。
再度場面は変わり、『俺な、昨日も一昨日もピノサンテ行ってん』、『モツモツんとこ?』、『別に家にピンポン押しにいくわけちゃうくて』と会話する集と ひじり。そんな中で『モツモツの玄関の横って階段』、『下に空間があって、そこに紫色の花が生えとったん』と語る集は、『俺植え替えたいねん。あのアパートじゃないどっか』、『日も当たらへん…俺らは移動できるけど花はかわいそうやんか』と続けます。そして、ピノサンテへと訪れた二人が花を見ていると『何なってんの?』とモツモツが声をかけてきました。部屋へと上がらせてもらって話をする二人。『あの花気に入ってて反対されたりしたらめんどいな』と思う中、『やろうぜ、群れのいるところに連れてってあげたらいいじゃん、俺もあれいらないと思うし』とモツモツは答えます。『じゃあ来週やっちゃおうか』と言うモツモツ。『児童養護施設』に暮らす集と ひじり、そんな二人の日常が描かれていきます…という表題作の〈ここはとても速い川〉。関西弁で満たされた文章に思った以上に読み進める苦労を感じた短編でした。

“児童養護施設に住む、小学五年生の集。一緒に暮らす年下の親友ひじりと、近所を流れる淀川へ亀を見に行くのが楽しみだ。繊細な言葉で子どもたちの目に映る景色をそのままに描く表題作と、 詩人である著者の小説第一作「膨張」を収録”と内容紹介にうたわれるこの作品。ほぼ同じ分量の二つの短編が収録されていますが、表題作の〈ここはとても速い川〉は、第43回野間文芸新人賞受賞作であり、もう一つの〈膨張〉は、井戸川射子さんが初めて執筆された小説となっています。

では、作品を見ていきたいと思いますが、なかなかレビューが大変な作品という印象がまずあります。というのもこの作品は久々に読むのを途中でギブアップしそうになった作品だからです。井戸川さんの作品は芥川賞受賞作の「この世の喜びよ」に次いで2作目となります。「この世の喜びよ」は、まさかの二人称で『あなた』、『あなた』、『あなた』…と書かれる文体にこちらも読みづらさを感じましたが、レビューに書いた通り読み方の工夫で克服できました。それに対して、この作品、〈ここはとても速い川〉は、凝った文体が使われているというわけではありません。なのにどうして読みづらく感じるのか?それは、全編にわたって関西弁で満たされているからです。もちろん関西弁で書かれた作品は世に数多あります。西加奈子さん「きいろいぞう」、「通天閣」、瀬尾まいこさん「戸村飯店青春100連発」などなど、私が読んできた作品ですぐに名前が浮かぶ作品もあります。西さんも瀬尾さんも関西に生活されてきた方であり、そこには本物の関西弁の味が感じられ、また読みづらくてギブアップとなるものでもありません。一方でこの作品の作者である井戸川さんも兵庫県の方であり用いられる関西弁はまさしく本物だと思います。しかし、妙に読書のハードルが高く感じます。少し抜き出してみましょう。小さい頃の遠足の場面を思い出す集です。

 『…地面には大きく正方形の穴が掘られてあるんやった。ちょっとのぞき込んだらもう次の子に交代せんとあかんかった』。

後半の『交代せんとあかんかった』はすっと入ってきますが、前半の『掘られてあるんやった』という記述はどこか引っかかりを感じます。読むスピードがここで大きく落ちます。なんで、”掘られてんねん”、と書かへんねんやろ…と思ったりもします。

 『内側の壁は土のままで不安やわ、こんだけ掘らんと神様みたいなもんに突き当たらんかったんやろうか』。

『不安やわ』、『…やろうか』と二つの思いを一文で繋げた表現ですが、後半の『突き当たらんかったんやろうか』という表現は口に出しても舌を噛みそうになりますし、文章で読むにもスピードが間違いなく落ちます。

 『大人が二人、池のほとりにしゃがんどんねん。上からやと遠いし顔も見えへん、黒い頭と鼻の出っ張りだけ見えた』。

『しゃがんどんねん』は関西弁っぽさが良い味を出していると思いますが文章としては読みづらいです。『見えへん』とキレの良い短文でない関西弁は文章にしても読みづらさだけが増すように感じました。使われる関西弁が独特なのか?頻度が高すぎるのか?いずれにしてもこの作品はページ数の割には読む時間が異常に長くなってしまいました。また、上記で触れた通り引っかかりを強く感じます。関西弁なら任して!という方のご意見も是非お伺いしたいと思います。

また、この作品は主人公の集視点で書かれており、上記抜き出しでそれがよく分かると思います。集が見るものを描写するだけでなく、感じること、思うことについても”ごちゃ混ぜ”に表現されていきます。この作品は章に分かれることもありませんし、その内容も集の日常風景を行き当たりばったりという感じで描写していきます。唐突にこんな話、あんな話…と展開していく物語は関西弁の読みづらさも相まって、読書の現在位置が掴めない、読者を不安に陥らせる要素多々に展開していきます。内容紹介に”子どもたちの目に映る景色をそのままに描く表題作”と記されるまさにその通りの景色がそこにあるわけですが、残念ながら私には戸惑いだけが残りました。

そんなこの短編の舞台は『児童養護施設』です。『三棟に分かれて子どもが住んどって、給食室棟とか入れたら五棟の建物が囲むグラウンドは横に広い』という施設は『ヤドリギ、セージ、サフラン』という建物で構成されていることがわかります。また、『ヤドリギは一番大きな棟で今子どもは二十何人かおる』という表現によってこの施設が全体でおおよそ50〜60名収容の施設であると見えてもきます。”保護者のいない子どもや虐待されている子どもなどを自立まで養護する施設”とされる『児童養護施設』。そんな施設を小説内で扱った作品で私がもっとも印象に残っているのは、有川ひろさん「明日の子供たち」です。”施設に入っているからと言って、かわいそうとは限らない。わたしは、施設に来て、ほっとした”と語られていく物語で印象的だった”かわいそう”という言葉。『児童養護施設』について何も知らなかったことを改めて突きつけられる印象的な物語でした。そして、この井戸川さんの作品の特徴は、上記した通りそんな施設に暮らす集視点の物語です。そこには、そんな施設を管理する側である大人に向ける子どもたちの視点の数々が集の思いとなって顔を覗かせます。その一つが『実習生』に対する視点です。

 『次から次に園にやって来て一ヵ月くらいでおらんくなっていく。来すぎてもう全員の前で紹介とかもあんまりされへん、順繰りにいつの間にかいる』。

そんな風に冷静な目を向ける集は、こんな見方をします。

 『テレビ見たりする時、家族団らんのCMももちろん流れるやんか。そういう時ここの子どもたちはどういう反応を今してるんかしら、何を感じているんかしら、みたいにさりげなく見回す実習生とは仲良くせえへん』。

私は保育士になろうと思ったことはないので、”施設実習”の経験はありません。しかし、”施設実習”という場において、子どもたちがこのように思っているというそのリアルな描写に衝撃を感じます。『仲良くせえへん』とまとめる一文は、他のどんな修飾よりも強い拒絶を感じさせます。もう一箇所見てみましょう。学校から帰ってきて、『実習期間が今日までの優衣先生は』もう帰ってしまったと説明された集。『また会える』と一言続ける先生に集はこんなことを思います。

 『実習期間が終わってからここに来る実習生なんてこれまで見たことなくて、そらそうや、振り分けられただけの人たちや』。

この感情も『実習生』としてきていた者には全く知る術もないものだと思います。『振り分けられただけの人たちや』と言い切る集の言葉の冷たさの中に、集の心の内に込められた深い闇が垣間見えもします。有川さんの作品は施設の現場を見せつつも救いがある物語でした。それに対して井戸川さんのこの作品は集の目を通してあくまで淡々と施設の日常を綴っていくところが特徴です。『児童養護施設』という外から閉ざされた、それでいて子どもたちが確かに日常を送る小さな社会の中で唯一接点を持つ大人社会の代表である先生や『実習生』たち。そこに見えてくる大人が持つ人間の嫌な部分、それは狡猾さだったり、傲慢さだったり、さまざまなエゴに満ち溢れたものだとも言えます。この作品では、日常を関西弁で描いていく井戸川さんの描写と、施設に暮らす集視点の淡々とした描写によって大人社会に存在する不条理がふっと浮かび上がるそんな物語が描かれていたのだと思いました。

 『この川も奥の方でどんどん、知らん流れが走ってるんやわ』。

『川』という存在を象徴的に用いる表題作と〈膨張〉という二編が収録されたこの作品。そこには、表題作では『児童養護施設』という閉鎖空間の中で日常を生きる小学5年生の集の人生が、そして〈膨張〉では塾講師という職はあるものの定住せずに『アドレスホッパー』としての日常を生きる女性・あいりの人生が、ある意味対になるように描かれていました。関西弁の描写に読みづらさを強く感じるこの作品。そんな物語の背景に『児童養護施設』の存在を色濃く感じるこの作品。

なかなかに難解と感じさせる物語の中に、〈解説〉の倉本さおりさんのおっしゃる”世界を俯瞰することなく、自分の体のある場所で懸命に「いま」と向き合うしかない小さき者たちを言祝ぐ井戸川の筆”という言葉が印象的にも響く、そんな作品でした。

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2024年06月24日

Posted by ブクログ

二作品収録の細くて薄いそれでいて濃いまるでカルピスの原液のような作品。
まずはじめに、ここはとても速い川ですが、これだけならよかった。少年期の目まぐるしいほど環境の移り変わりが速いなかで彼らはあまり変わることなく過ごしている感じが流されてくように感じて文学としての表現が素晴らしいと思いました。その刹那さに心がグッときます。
ただ最後の膨張に関して言えばなんだかよくわからない、どう消化すればいいのか、あるいは噛み砕けばいいのか、終わり方もパッとしません。共感が持てないのも原因かもしれませんが、おそらく概念にない話なので僕は読んでも何も思いませんでした。ただよく書けている。と言った具合です。文学としては完成していると思います、ただ好きじゃない。それだけですので総合的に星3つです。

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2024年06月24日

Posted by ブクログ

もともと詩を書かれてた作者さんだからか、比喩表現が多く、癖のある独特な文体にはじめは苦労したがそのうち慣れる。
その比喩表現のところに話の核となる関係性の象徴など現れている感じなので結構かみくだいて読んだ。
淡々と思考が湧き出てはとめどなく流れるように綴られていく。初めは違和感あったけど、普段私たちもこうやって思考が流れ、湧き出てをくり返しているのだろう。
ストーリーも、文の感じもまさに表題のように流れの速い川のよう。また暫く時間を置いて、再読時は流されないようにじっくり読みたい。

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2024年02月22日

Posted by ブクログ

児童養護施設に暮らす小学5年生の集(しゅう)。園での年下の親友・ひじりとの楽しみは、近くの淀川にいる亀たちを見に行くことだった。

▽感想
子どものような日記で、何となく句読点や文章が幼く感じる。子ども目線で物事がかかれており、慣れるまで読みにくさが多少あった。

話の道すじもまっすぐではなく、あっちにいったり、こっちにいったり。

モツモツと集とひじりで紫色の花の世話をしたり、養護施設の中の様子を話す様子も全部、愛しい子どもたちの目線だった。

子どもならではの狭くて、だけどいろんなところを見てる独特な視点をよくここまで書き込んだなと思った。

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2023年11月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

モツモツのアパートから集やひじりが移動させた紫色の花が、まるで集たち自信を表しているようでなんとも言えない気持ちになった。

どこから来たのかも分からない、なぜそこにあるのかも。

まるで孤児である集なようで、

また、
おばあちゃんの家に移された花も一見育ちやすい、幸せそうな環境になったようには見えたが、

おばあちゃんに掘り返されたかどうかは謎なまま。

まるで、
お父さんの元へ帰ったひじりのようだった。

なにが本当の幸せなのか考えさせらる本だった。

P48
浅いところは石で痛くて、深いところは怖いんやった。注がれてくる水が水をまたいで、川は群れでめっちゃ飲んでしまう。勢い、流れ落ちひんためには、なにかの形にしがみつかなあかん。水の帯がこうやって囲むんやなと思う、まだ大事なもんみたいに握りしめている網は何も助けへん。残りの指で傍の石をつかむけど固定もされてない、一緒にただ押し出されてしまう。

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2023年05月22日

Posted by ブクログ

子供目線で書かれているのが新鮮で気付かされることが多かった。

私自身もこういう思考の時代があったのかなと考えるが今では全然記憶に残っていない。
子供は大人より狭い生活範囲で行動しているから思考は見えているものだけであり俯瞰してみることはあまりない気がする。でも俯瞰してみることで遠回りの思考になることがある。たまには子供の思考に戻って見える範囲を整頓することで気付かされることもあるから子供の思考も尊重されるべきだと思った。

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2023年05月18日

Posted by ブクログ

文章が独特で馴染みづらかった。作者が詩人とあとで知って納得。慣れるまでつまらなく感じ、終盤やっと慣れて途端にすごくおもしろく感じた。丁寧に読まないと、お話の流れこそとても速い川のようなので、足を掬われてしまう。時間の説明がなく、区切りのわからない散文を読んでる感覚になるのかなと。
大人びた少年の感情の抑制と放出。園長に胸の内を話すシーンは泣いてしまった。

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2023年04月19日

Posted by ブクログ

とても濃ゆい作品で咀嚼に時間がかかった。
子どもながらの素直さというか、こういう風に見えたりするんだな〜と真っ直ぐな言葉だからこそ刺さる部分があった。不安に感じたり不快に感じたり、子どもは子どもなりに大人との付きあい方と向き合って過ごしているんだなと。
自分のいる環境で、友達との違う部分を感じたり、子どもだけど大人びているところがあったり、切ないところもありました。
どんな大人になるんだろうか。

膨張。ウオは大人になって何を思うのだろか。
あいりはなぜ千里を好きだったのだろうか。

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2023年04月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

全体的にやわらかな文章。けれど中身は濃く、たまに鋭く容赦なく突き刺してくる印象の一冊。

児童養護施設で暮らす小学5年生・集(しゅう)の物語『ここはとても速い川』と、特定の住所を持たず生活拠点を点々としながら生活するアドレスホッパー・あいりの物語『膨張』。
両者は全く異なる物語のようだけれど、私にとってはとても近い世界の物語のように思えた。
大人の都合で生活拠点を決められた子供たち。"普通の暮らし"が何なのか。どんな生活ならいいのか。そんなことは人それぞれの価値観だからどうでもいい。けれどそれに従うしかない子供たちの気持ちはどうなるのか。読みながらずっともやもやしてしまった。

『膨張』の、アドレスホッパーを続ける母親に付いていく息子・ウオに、こういう暮らしをどう思うか尋ねた時の返事「思って、変わる?」。その後ウオが逆に聞き返す「大人に踏みつけにされたことある?」。そしてその翌朝行方知れずになるウオ。

表題作。児童養護施設で共に暮らしていた年下の親友・ひじりが施設を離れ実父の元に帰ることに。集とひじりの会話が印象的。
「二人(ひじりとひじりの実父)でいると、僕がここを盛り上げな、と思ってまう」
「夕ご飯の時、今かって上田先生とか朝日先生が喋りまくってるんでもないやんか。大人と話なんか合うわけないねん」
「ほんで、目の前にいてくれてる親は自分の子なんて、眺めてるだけでもう楽しいんやろ」

ひじりとウオ。環境も事情も異なるけれど、大人に振り回されていてどこか諦めているように思えてならない二人。そんな二人に感情が揺さぶられ、もやもやが止まらない。

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2023年02月04日

Posted by ブクログ

 本書の著者・井戸川射子さんは、高校国語教師→詩創作開始→中原中也賞→小説デビュー→本作で野間新人文芸賞→『この世の喜びよ』で2022下半期芥川賞候補(1/19発表予定)と、異色の経歴をお持ちのようです。
 本書は2編の短編集で、井戸川さん初読でした。

○表題作「ここはとても速い川」
 児童養護施設に暮らす子どもたちの日常を、主人公の小学生の視点で綴った物語
○小説デビュー作「膨張」
 定住する特定の家を持たず、居住先を転々とするアドレスホッパーの人々の物語

 2編の共通点として、主体としての子ども・大人の違いはあれど、社会の中での生きにくさを扱っている点が挙げられるかなぁ‥。
 とりわけ子どもの場合は、分からないこと、嫌なこと、怖いこと、悲しいこと等を上手く言葉にできません。その分、大人をよく観察していて、下手な同情や子どもの心を探ろうとする態度や質問に対しては、ごまかし、避け、距離を置くのですね。
 2編とも、お涙ちょうだい的な悲しみの抒情に流されず、さらりとむしろ軽やかに言葉を重ねる表現力に秀でていると感じました。

 ただ、表題作は、子ども目線での状況(思考の対象)が次々に変わるとともに、ほぼ改行のない関西弁の文章が続くためか、平易な言葉でありながらスルッと入ってこない印象を受けました。(※改行なしは他の一編も同様)
 短編なのに長く感じる所以はこの辺にあるのか、言葉の重みか、私には熟考を要するなぁ‥。

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2023年01月03日

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