あらすじ
読んでいる間、ずっと幸福でした。――川上弘美
保坂委員が説明の途中で嗚咽した場面は
野間新人賞の選考の歴史に刻まれよう。――長嶋 有
選考委員--小川洋子、川上弘美、高橋源一郎、長嶋 有、保坂和志--
満場一致の、第43回野間文芸新人賞受賞作
【あらすじ】
児童養護施設に住む、小学五年生の集。
一緒に暮らす年下の親友ひじりと、近所を流れる淀川へ亀を見に行くのが楽しみだ。
繊細な言葉で子どもたちの目に映る景色をそのままに描く表題作と、
詩人である著者の小説第一作「膨張」を収録。
選考委員の絶賛を呼び、史上初の満場一致で選ばれた、第43回野間文芸新人賞受賞作。
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Posted by ブクログ
井戸川射子さんは詩人だそうだ。
詩はまだ読んでおらず、この小説が凄いと、石井千湖さんの紹介をきいて、手に取った。
なんという繊細にして大胆な子どもらの描写。
ワンパラグラフが長いように思う。そして、あまりに息継ぎもなく、流れるように、日常の中で意識が止まらないのと全く同じように、主語、語り手である集くんの、頭の中によぎることや確信に至るか至らないかに限らず考えていることが、情景風景ほかの人との会話なども絡みながら、さらさらと、ちくちくと、織り出されていく。
パラグラフは一気に読まないとダメだし、一気に読ませる。ここに伝えたいこと、他人じゃなくても自分に言い聞かせたり残しておきたいことだから息継がず一気だ。
それで、一気に読み終われるかというと、どうにも胸が詰まり時々休まないとこちももたない。
子どもたちはきちんと自分の欲望やもしかして他人の欲望の犠牲(いわゆるハラスメント)と感じることをノートに書き留めている。
児童養護施設では一般の家庭より詳しく性に関する教育注意喚起をしている。ルールもきちんと決められていてその運用を年齢とともに各自工夫している感じがする。そんな中でもこれおかしい?感じ悪い?セクハラ?と思ってしまいようなこと、微妙な感じで、どうなん?て躊躇しながらも記録はとっていく。子どもだから判断能力ないとか、思い違い思い込みでは?とかよく大人サイド加害者サイドが言い訳して逃れてるけど子どもや子どもでなくてもされてる方はわかっている、ということをつきつけてくる。
道や草や川、夕焼け、建物が光を取り込む様子ととにかく敏感に違いや整いや整っていないことを繊細に言葉にする。園長先生への、ひじりのノートに関する対応を走って確かめようと、自分のこれまでの既に重い局面をたくさん経験していることについての考えも確かめようと畳み掛けるように質問が繰り出されるところ、目の端に涙がたまる。
川の流れが早くてひじり君を助けようと集君も流されてしまう。死の恐怖とか、よりも、なにか掴むもの、しがみつかないと!と思い、先生は下で捕まえるからそのまま抵抗しないで流されて、という。これが生きるということで子どもは子どもなりに、大人、先生、責任を負うものはそれなりに体得している。
そして随所に出てくる川の流れ、水の流れ、それは一筋の流れではなく、たくさんのそれぞれ個別な流れが集まりぶつかり合いできているのだと。これが世の中というもの。
自分は子どもの頃でもこの子たちみたいに世界をみれてなかった。さして不足もなくさして疑いもなく、なんかおもしろくないなとは思ったかもしれないけど、大きく足りてないものはなかったから細かいことも気にならなかった。それでも子どもの頃も今も大人になっても少し上流に行ったり下流に行ったりすれば景色がぐっと変わることに衝撃に近い感銘を受けることがある。梅田のビル群が見えるようなところに豊かな淀川がありこの子らの住む施設もあるのかと思うとその事実がまたなんともいえぬ事情となり、深い感慨となる。
おばあちゃんとの、連鎖し繰り返しくる悲しみと不幸せとその中で幸運だよかったと思えるようなことを確認するような会話。おばあちゃんはどうしようもすることができないことをすまなく感じているが、そんなに悪くないとも孫に精一杯教える。集くんは、施設のテレビで映画を見ながら、いい人悪い人を見分ける練習をするようにしているのだ。登場の仕方に注目すべきだ、と。
ママが集くんを産んだ時、男の子と知って、
よかったねえ。悲しいことは起こりにくい。こんなに血を出さんでも、自分の子どもに会えますわ。母港や母国の母の字の、一部にならんでええんやわ。、、と節をつけていっとった、とおばあちゃんが思い出すくだり。まさにこのことがフェミニズムに関わる問題そのもの。母がつく言葉の一部になりたくない。
タンスのささくれだったところを触りながら、家具に生まれ変わるのもよいかもな、馴染んでも気にもされずいて使い終わりも自分で決めないから。というくだりが圧巻である。この子らは、集くんを生きるためのちょっとした知恵(悪気のあるものや打算的なものではない)や、それ以上に否応なしの死生観を持っている。
同じ文庫本に収録されている、膨張という作品は作者、詩人の小説第一作だそうだ、ここでも繊細な詩的な言葉が連なり連なり、シーンが変わるところまで息を継げない。塾の生徒たちをみて
散在するかたまりたちがほどけていって、集まる若さは噴水だ、小さくても見応えがある。歳をとると川になってしまう。…どれも混ざり合わない、大きな水の流れ
という文章などがあり膝を打つ感じなのだ。でも、ここはとても速い川、ほどの共有感、共通感覚はない。あまりにも痛々しく現実的で読む方も避けてしまうからかも。
関西弁で、笑ったらちよっとわるいとこだけど笑ってしまうような速い川の子どもらや少しずるこくそれを気づかないふりして自分なり言い訳がましく生きてる大人たちの生き方暮らしぶりより、標準語でもっと堅苦しい言語を用いてアドレスホッパーなる部外者からは信仰宗教、カルト的に見える背景があるからだと思う。関西弁て、生粋の関西人でなくでもなんらかの共有体験がありニュアンス分かる人には最強の言語ツールであるな、とも。関西弁の方が身体感覚強い気がする。これは蛇足。
Posted by ブクログ
モツモツのアパートから集やひじりが移動させた紫色の花が、まるで集たち自信を表しているようでなんとも言えない気持ちになった。
どこから来たのかも分からない、なぜそこにあるのかも。
まるで孤児である集なようで、
また、
おばあちゃんの家に移された花も一見育ちやすい、幸せそうな環境になったようには見えたが、
おばあちゃんに掘り返されたかどうかは謎なまま。
まるで、
お父さんの元へ帰ったひじりのようだった。
なにが本当の幸せなのか考えさせらる本だった。
P48
浅いところは石で痛くて、深いところは怖いんやった。注がれてくる水が水をまたいで、川は群れでめっちゃ飲んでしまう。勢い、流れ落ちひんためには、なにかの形にしがみつかなあかん。水の帯がこうやって囲むんやなと思う、まだ大事なもんみたいに握りしめている網は何も助けへん。残りの指で傍の石をつかむけど固定もされてない、一緒にただ押し出されてしまう。
Posted by ブクログ
全体的にやわらかな文章。けれど中身は濃く、たまに鋭く容赦なく突き刺してくる印象の一冊。
児童養護施設で暮らす小学5年生・集(しゅう)の物語『ここはとても速い川』と、特定の住所を持たず生活拠点を点々としながら生活するアドレスホッパー・あいりの物語『膨張』。
両者は全く異なる物語のようだけれど、私にとってはとても近い世界の物語のように思えた。
大人の都合で生活拠点を決められた子供たち。"普通の暮らし"が何なのか。どんな生活ならいいのか。そんなことは人それぞれの価値観だからどうでもいい。けれどそれに従うしかない子供たちの気持ちはどうなるのか。読みながらずっともやもやしてしまった。
『膨張』の、アドレスホッパーを続ける母親に付いていく息子・ウオに、こういう暮らしをどう思うか尋ねた時の返事「思って、変わる?」。その後ウオが逆に聞き返す「大人に踏みつけにされたことある?」。そしてその翌朝行方知れずになるウオ。
表題作。児童養護施設で共に暮らしていた年下の親友・ひじりが施設を離れ実父の元に帰ることに。集とひじりの会話が印象的。
「二人(ひじりとひじりの実父)でいると、僕がここを盛り上げな、と思ってまう」
「夕ご飯の時、今かって上田先生とか朝日先生が喋りまくってるんでもないやんか。大人と話なんか合うわけないねん」
「ほんで、目の前にいてくれてる親は自分の子なんて、眺めてるだけでもう楽しいんやろ」
ひじりとウオ。環境も事情も異なるけれど、大人に振り回されていてどこか諦めているように思えてならない二人。そんな二人に感情が揺さぶられ、もやもやが止まらない。