あらすじ
第168回芥川賞受賞作!
娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。
その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。
言葉にならない感情を呼びさましていく芥川賞受賞作「この世の喜びよ」をはじめとした作品集。
ほかに、ハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦を描く「マイホーム」、
父子連れのキャンプに叔父と参加した少年が主人公の「キャンプ」を収録。
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句読点の少ない文章で平凡な日常の描写が続くので読みづらく、最後まで辿り着くのに忍耐が必要だった。どうタイトルに繋がるのかという疑問を抱えながら読んが、ラストの1文で全てが回収された。"何かを伝える喜び"、これは全ての人が持つ喜びかも知れない。作者が幼い娘をもつ母親であり、高校の国語教師である事は、日本の未来にとって大きな価値があると感じた。
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なかなか一文が終わらない、句読点が少ない文で、ちょっと読みにくいです。あと誰が何を喋ったのか、場面転換がいつあったのかが分かりにくかった。(私の読解力の問題ですし、そこが良いところでもある)
・表題作
若者と喋るとパワーが貰えるし、子育ては人生2周目の追体験、みたいな話。著者の作品を初めて読みました。文体もそうですが、心地良いゆらぎを感じて、読んでいて新感覚で面白かったです。
・3本目のお話
お母さんになると、お母さんじゃなかった頃には戻れないのだと思いました。
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あなたは、嘗ての幼い娘達と多くの時間を過ごしたショッピングセンターの喪服売り場で働く。そんなあなたは、そこのフードコートの常連である少女と知り合う。一歳の弟の子守りに苦労していると語る少女の姿に、あなたは嘗ての自分を重ね合わせる———
(この世の喜びよ)
語り手はフードコートの少女と、かつての自分を重ねている。1歳の娘を持っていたかつての自分と、1歳の弟の世話を焼く少女を。少女の目線から見れば、語り手の存在は、子育ての先輩という面も持っていたが、同じ悩みを持つ友人と思っていたのではないかと思う。それは、語り手自身が、人と会話するときに、自分と相手の間に若いときの自分を一枚挟んでいることが原因であるとも考えられる。そして、何度目もの会合の先に、二人の関係は深まっていく。少女は気の知れた友人として日常の様々なことを相談していく。弟のこと、母のこと、受験のこと、スキンケアのこと。そこまでは語り手も同じであり、自身の娘のことを中心に相談し合っている。しかし、そんな語り手の少女への思いは、少女がそうであってほしいと思っていた友人同士という関係から少々逸脱し、母娘に近い関係へと変化してしまったように思えた。少女は自身の肌荒れを語り手に相談する。そこで彼女が望んでいた返事としては、同情や共感、そして励ましであったと思う。しかしながら、語り手が少女にかけた言葉は心配であった。それは、これまでの二人の会話に何度も登場してきた、語り手が自身の娘に届ける言葉のような姿をしていた。聞きたかった言葉とは似つかぬ形を突きつけられた少女は語り手の目に、どんどん小さくなる自身の背中を見せつけた。そんな光景は奇しくも、少女の年齢に見合った、母に対する小さな反抗のように見えた。
そんな展開、見ているこちらの胸が痛むような語り手と少女の思いの交錯からの、ラストシーンまでの流れが、本当に美しかった。この世にあるいくつもの喜びのなかから、自らの胸をいっぱいに満たす喜びを再び手にした語り手。若者でなくても、自分の胸は何度だっていっぱいにしてもいい。その喜びを、語り手にはこれからも手放さずに大切にしてほしい。
少女を通して、語り手は過去の自分と今の自分が混じり合う。かつての私があのときとった行動は、今の私のこの行動へとつながっている。私というあなたと、あなたという私がつながって、少女というあなたともつながった。自身とのつながりが、他者とのつながりがこの物語には紡がれて、ショッピングセンターでの一幕という、小さなお話を幾十にも層が積み重ねられ、これほどまでに大きく魅せている。
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表題作は、他者に伝えることが得意ではない主人公の「あなた」と、他者に屈託なく伝えることができる「少女」を中心とした小説。
「あなた」の中を絶えず流れ続ける言葉を、そのまま写したような文体で話は進む。癖はあるが、現在から記憶まで思考が転々とする様子がとてもリアルで、ここまで文字で表現できるものなのかとびっくりした。
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詩のように書かれた物語。本来なら句点で区切られるような文章が読点で繋がれてゆき、不思議なところで句点が打たれる。解説を読み、まるで川のような文章だと思った。道端を這う水が流れ行く先を見ようと水を辿っていくが、思いもよらないタイミングでその水が途切れるような、そんな感覚。視点もそのように移り変わっていく。“あなた”の目の前の出来事が書かれていると思いきや、段落を変えず次の文章では、“あなた”の過去の出来事に視点が移り変わる。思考の自然な揺らぎを文章で読むことにしばらくは慣れなかったが、慣れると意外にも読める。目の前の少女と、自分の二人の娘の小さな頃を重ねる“あなた”。親として娘たちを大切に思う気持ちと、目の前の少女を大切に思う気持ちが、ゆっくりと重なり合っていく。それは親心ではなく友愛なのだが、“あなた”はそれをまだ受け取る心の準備が整っていない。「この世の喜びよ」とは新たな自分に出会えることや、大切なものや人が増えていくこと、自分の中に新たな感情が芽生えることの喜び、なのだろうか?
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内側から溢れ出る水を、言葉の形に押し留めているような詩的な文体。頭の中で響く言葉のように、連綿と読点で繋がれ流れている。「私の頭は私の考えにいつも付き合ってくれる」自分の記憶を呼び起こせたことをあたたかな言葉に紡げるのが素敵。
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読んでいる間はずっと灰色のイメージ。暗いと言うのは違うのかもしれないが、晴れやかな気持ちには一度もならなかった。けれど読み終えるとなんだか、まぁ人生とはこんなもんだなとしっくりくる。なにもうまくはいかないし、とびっきりキラキラした出来事もそうそう起きない。
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表題作は、他者の思考の流れをそのまま読んでいるようで居心地が良いとは言えなかった。
母親は子育ての思い出をおそらく美化していて、はじめは優しいお母さんなのかと思っていた。でも娘ふたりは母親に対して少なからず不満を持っている。勤務時間に売り場にいないことや、自省することがなく他人のせいにするところなど、娘の登場によって明らかにされる母親の本当の姿が見えた時に驚いた。
少女に言われたことも本当に理解したのかは怪しく、善意の正義感だけはあり、やんわりと強情で、この人物をどう捉えたらいいのかと途方に暮れた。わたしには母親が終始ズレているように感じられたのだ。
この世の喜びとは、あなたに何かを伝えられる喜びのことなんだろうか。言い争いの決着もないまま、一方的に伝えたいことを伝えるというのもどこか独りよがりなものを感じてしまい、複雑な気分だ。
でも、こういう描写にはリアリティがあると思う。それだけに、読んでいるとつらい。
「マイホーム」と「キャンプ」も家族の話だった。家族の中ではみんなそれぞれ役割がある。そこから解放されたらどんな自分が現れるのか、自分でも予想できない。
三作品の中では「キャンプ」が好みだった。人と人はこうやって友だちになるし、束の間交流してあっさりと別れていく。
Posted by ブクログ
三編の短編集。
表題になっている『この世の喜びよ』
は読んでいて なかなかその文章に慣れることができなかった。
主人公は“あなた”という二人称で語られる 穂賀という ショッピングセンターの喪服売り場で働く中年女性。
社会人と大学生の娘がいる。
ある日“あなた”はフードコートに頻繁に一人で来ている十五歳の少女と話しをするようになるのだが 何度か話すうちに口下手な“あなた”は 少女を怒らせてしまう。
文章がなんとなく詩のようだ。
“あなた”の目に映っている場面や、その時々に入り込んでくる回想を思いつくまま語っているような感じで、まとまりがなく 散らばっているような印象を受ける文章だった。
正直 私には なかなか手強い作品だったけれど、売り場に立つ人間の目線や広いのに閉塞感が漂うショッピングセンターの空間はよく描かれていると思った。
Posted by ブクログ
言葉という掴みどころのない有形無形な存在を、濃密でありながら象る輪郭が見えないような、不思議な気持ちになる短編集だった。
この物語に出てくる登場人物たちは皆どこか不器用で、漠然とした不安を抱えている。
ひとりでは不明瞭だった思いが、人との関わりの中で交差し時にぶつかりながら明瞭さを帯びていく様は、一抹の妖しさを感じると共に心惹かれるものがあった。
Posted by ブクログ
つらつらと、流れる言葉に流されてしまうかと思うが、所々に、はっとする表現がある。
詩を書くひとの心が見える、とでも言うのか。
流れていく言葉と、流れを止める言葉を楽しむ読書となった。
Posted by ブクログ
表題作
過去と今、未来を行ったり来たり。
語りかけられているようにも聞こえる。
ぼんやりと過去を懐かしんだり、
過去を通して今を見ていたり、
心と時間、思い出とか考えが同じ一直線上にあって、
1人の人間の営みを内側から感じられた気がする。
読み慣れない文章で句読点も少なく、
流れるようで、一冊が詩集のようだった。
新鮮、と言う意味で星四つにしました
後半くらいまでずっと走馬燈見てるんかと思った笑
Posted by ブクログ
表題作は、スーパーの喪服売り場で働く中年女性が、いつもフードコートにいる中学生と話をするようになる様子を、同じスーパーで働く人たちとの交流を交えて描くお話
何か大きな事件があったり、決定的に悲しい出来事があるわけではないのだけど、日常を送る中で孤独を募らせている中年女性が、自らの子育てが終わりを迎えようとしている中で、中学生に心を開こうとするというような内容で、読んでいて切ない気分になる作品でした。
二人称で書かれているのが特徴的だけど、過去を振り返ってやさしく自分に語りかけているように感じたけれど、二人称は同時にその語りかけが読者にも向けられるように感じられるから、情報の処理のプロセスがいつもと違う感じになって、読むのに時間がかかってしまいました。
特にドラマ性のない現代の普通の人々の暮らしの中に普遍的な人生の後半の寂しさを描いているところが芥川賞に繋がったのかな。
Posted by ブクログ
音声で聴いていたので、この小説のすごさがわかるほどのレベルに達してはいないのだが、淡々とした描写のまま何事もなく、小説は閉じられる。表現方法が特徴的とのこと。芥川賞受賞時の選評を引いておく。
平野啓一郎
「V・ウルフ風の「意識の流れ」を二人称で描くという難しい挑戦が成功している。」「「あなた」という穂賀への語りかけは、ヤング・ケアラーの少女への「あなた」へと転ずる最後の場面で、彼女の子育てを否定する、唯一の真の他者へと開かれる筈だったが、その対立性は曖昧に呑み込まれ、結局、全篇を貫く自己承認回路へと吸収されてしまう。」
小川洋子
「(引用者注:「荒地の家族」と共に)丸をつけた。」「特異なのは、何も書かないままに、何かを書くという矛盾が、難なく成り立っている点にある。」「ごく当たり前に、“あなた”の過去と現在は一つに溶け合う。」「状況設定の特別さに頼らず、平凡を描写する言葉そのものの力で小説を成り立たせる。タイトルとは裏腹に、これは凄まじいことをやり遂げた作品ではないだろうか。」
島田雅彦
「何処か心地よい室内での日常的営みを大胆な筆致で描いたフェルメールを思い出させるが、技法は正攻法なので、完成度の高いエチュードという印象。」
松浦寿輝
「常同的な人物、常同的な場所、常同的な日々。それにこれほどの言葉を費やしてみせるミニマリズムの趣向をどう評価するか。最後の段落で甦ってくる風と光と水音の記憶にはうたれないでもないが、そこに「この世の喜び」というほど大仰なものが漲っているのかどうか。」
奥泉光
「how(引用者注:どう書かれているのか)への意識と工夫の点で傑出していた。」「技法の洗練はともすれば世界を狭くしてしまう弊があると、自戒を込めつつ助言もしたいところだけれど、まずは受賞作たるに十分な技術の練磨があると考えた。」