フィッツジェラルドのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
アメリカ文学の古典的名著ということで、読まずにはおれんだろうというミーハーな気持ちで手に取る。
ディカプリオの映画予告編のイメージが強いからか、乱痴気騒ぎのエンタメ小説かと思っていたが抒情的な栄枯盛衰物語でしたね。
後半の展開で徐々に明かされるギャツビーの人物像とその魂胆、終盤の展開とハラハラさせれたな。
ところどころの風景描写の色彩豊かさ、情景を想起させる名文であることが翻訳ではあるが随所に感じられる。名家として根っからの富豪に対するきな臭い成金のギャツビーという対比、もっと大枠の上流階級と一般市民のパワーバランス、作品構成として非常に引き込まれる練り上げ方をされている。時代も国も違うけど、根源的な人間の無常感を感じさせる。1920年代、第二次世界大戦前の不穏な空気感を味わえた気がする。
村上春樹訳もあるとのこと。本書に思い入れが強いようなので気になる。文体が全く異なるだろうし、再読にはそちらも読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
何回目かわからないぐらい読んでいるけれど、今回は津村さんの世界文学の紹介をきっかけに再読。
フィッツジェラルド節満載で相変わらず文体がカッコいい。そして前回読んだ村上春樹訳とはまた違った味わいがある。こちらの方が読みやすい。
全員がどこかしら一癖ある西部出身の登場人物達が東部ニューヨークの風に馴染めず、それでもしたたかに生きるトム、デイジー、ベイカーに対し、やはり馴染めずに帰郷する語り手のニック、そして過去よもう一度とばかりに不器用ながら純粋に生きるギャッツビー。誰かに感情移入するということはなく、1920年頃の時代の雰囲気を感じることができる。
難しいといえばそんなことはないのだけれど、決して分かりやすくはなく、人生経験を積んでからこそ味わえる作品という気がする。とはいえフィッツジェラルドが執筆したのは29歳の時。人生の重さが現代とは違う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレすごく好み。今読んで良かったと思う。
ディカプリオ主演の映画を見て、小説も読んでみようと思った。
何社かから出版されていたので、本屋で迷った。私が外国の本を選ぶ際に重視していることは、日本の小説のように文脈に違和感を感じずに読むこと。外国語に忠実に訳されたところで、回りくどかったり日本語として成り立たず理解できなければ意味がなく、そんなに細かい言い回しが知りたいなら原文で読んだら良いと思うので。
まず村上春樹訳を手にとってみた。装丁の可愛さから初めに目を付けていたけれど、中を見てみるとザ・村上春樹という文体で、「オールドスポート」がそのまま書かれている。次に手に取った新潮文庫は日本語が古くて読み辛いと感じた。
この二冊から選ぶのは難しいと思っていたところ、光文社文庫からも出ていることが分かった。何となく思い込みで、堅苦しそうなイメージを持っていたけど、パッと見ただけでもとても読みやすそう。オールドスポートは訳されていなかったけれど、この本に決めた。
光文社のポリシーが「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」らしく、私が求めているものだったので納得。
機会があれば村上訳も見てみたいなぁ。
読んでみると、既に映画を見た後なので話が入ってきやすい。アメリカの恐慌前の様子を知らなかったしそもそも考えたこともなかったけど、まるでヨーロッパ貴族のようなオシャレな暮らしをしていたり、街全体が好景気で浮かれていたなんて。
客観的に見ると「結局まともだったのはギャッツビー」だと言うのが分かる。彼はデイジーしか見えていないようなロマンチストで現実的ではなかったが、それが彼の全てだった。他の生き方や、デイジー以外の原動力なんてなかった。
トムやデイジー等、現実を生きて幸せであるはずの人々がそれに満足できず、ふらりと逃避してしまう。子供も自分で育てず家政婦に任せっきり。そりゃあ退屈で遊ぶ余裕もあるだろう。
それで不器用で真っ直ぐなギャッツビーが振り回される。
ニックも語り手として隠れているけれど、巻き込まれた側だろう。
トムやデイジーはきっとこの先も周りを勝手に振り回して、その結果起こったことには責任を取らず逃げるだけ。
ギャッツビーにとって、緑の灯は遠いままの方が良かったのか……?
ギャッツビーが唯一得たものと言えば、ニックとの友情だろう。長い付き合いでもないニックが、葬儀に参列するように知り合いを訪ねて奔走してくれるほど、ギャッツビーには徳があった。本当はその他の薄情な人々に来てもらう必要などなかったのかもしれない。
個人的にはニックには全ての真実を関係者に明かしてほしかった。それが義務のような気がして。
読んでいると1920年代のアメリカの様子が分かる。エアコンがなくて夏は異常に暑かったこと、灰の谷と呼ばれる荒廃した地域とその周辺で住む人々、禁酒法と裏社会の稼業……作者がまさに生きていた時代だからリアルで興味深い。
T.J.エクルバーグ博士の目や、緑の灯火が何回も出てくる。視覚的にわかりやすく、はっきりした描写が楽しかった。
最後のシーンが特に美しくて大好き。
西部人が東部で暮らすのに違和感を感じるように、元々金持ちではないギャッツビーが生粋のお嬢様であるデイジーと一緒になるのは難しい。過去を取り戻すことも。
それでも夢を追うギャッツビーが素晴らしいということか。自分の意志を持って光に進んでいくことが。
20180909 -
Posted by ブクログ
サリンジャーが少年期ならば、フィッツジェラルドはまさに青年期にふさわしい。
失ってしまったもう戻らないもの、失うまいと光を追い求める人々、この短編集に出てくるすべての悲しみや情熱や美しさや儚さは、全部わたしたちの中にあるものだ。失ってしまったものを取り戻すために、それらを思い出すために文学が存在するとしたら、フィッツジェラルドは永遠に忘れ去られることはないだろうと思う。
原題は"ALL THE SAD YOUNG MEN"だが、これを『若者はみな悲しい』と訳した翻訳者のセンスに敬意を表する。
若者はもちろん、かつて若者であったすべての人々に読んでもらいたい作品だ。
中でも『冬の夢』と『常識』は特に好きな短編です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1920年代、禁酒法真っ只中。
第一次世界大戦が終わり、節制の時も終わりを告げる。
自動車が世の中を席巻し、大量生産・大量消費の時代に突入している。
女性の社会進出も進みはじめ、身体を締め付ける服からゆとりのあるファッションへ。
そんな浮き足だった華やかな時代において、巨大な屋敷で毎晩のように豪華なパーティーを催すギャツビー。
初めは掴めず上品で聡明な男の印象があるが、物語が進むにつれメッキが剥がれていく。
生まれながらの金持ちお嬢様への恋を成就させるべく、人様には自慢できない方法で巨万の富を得ている。
恋を実らせるための常軌を逸した執念と、出自を誤魔化す部分が見えてくる。
アメリカンドリームが過去のものになった世界で必死にもがいて成り上がっても、生まれながらの金持ちとは肩を並べることができない。
語り部はやるせなさ、情けなさを抱いているように見える。
一方でナチュラルボーン金持ち連中から見え隠れする他者への無関心さにも嫌悪感を抱いている。
序盤の華やかで騒がしい様子から一転、ラストはなんとも皮肉が効いた締めくくり。
ギャツビーのモデルで有力なのは密造酒王のジョージ・リーマスと言われている。
この本が出版された1925年、彼はヴォルステッド法違反で起訴されている。
彼はギャツビーのように、いやそれ以上に派手なパーティーを開くほどの成金で、時代の寵児といえた。
ヴォルステッド法での逮捕は間違いなく痛手だったはずだが、致命的ではなかったはず。
致命的だったのは妻の浮気及び資産持ち逃げだった。
ほとんどの資産を妻とその愛人に持ち逃げされ、しまいには彼女を銃殺している。
そしてなんと、元弁護士の実力を発揮して無罪を勝ち取った。
とはいえ、失われた資産及び社会的地位は回復せず、ひっそりと生涯を閉じている。
事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ夢から覚めたような、どことなく寂しい読後感。
対岸からデイジーの住むイーストエッグを眺める景色は美しかったのだろうが、ギャッツビーは最後まで手に入れることはできなかった。緑の灯とは、ギャッツビーを導いたものであり、同時に手の届かない遠い理想、過去への執着だったのかもしれないと感じた。
ギャッツビーは金持ちにはなったが、元々金持ちのトムやデイジーとは明確に線引きされている。また、ギャッツビーはデイジーを愛してはいたが、デイジーと過ごさなかった過去を変えることはできなかった。ラストの段落は何度も読み返してしまう。
「だから夢中で漕いでいる。流れに逆らう舟である。そして、いつでも過去へ流される」
理想を追い求め、過去への執着を捨てられない。それがギャッツビーの人間らしいところだと思った。 -
Posted by ブクログ
タイトルが、何となくカッコいいと思いました。でも、何のことやらさっぱり分からず読みはじめました。ただ、GATSBY(ギャツビー)といえば、洗面台に夫のヘアスプレーみたいのを見たような...
読み進めるうちに、ギャッツビーとは人物であることが分かりました。そして生い立ちや、人となりが分かってくると、かなり謎めいている男。実家はサンフランシスコ。育ちはアメリカ。オックスフォードを出ている。31、2才。人柄は悪くなさそう。
1920年代のアメリカが舞台です。ギャッツビーは元カノであるデイジーの未練(5年も思い続けている)を断ち切れず、盛大なパーティーを開き、彼女を引きつけて取り戻そうとします。その経過を隣人、ニックが語ります。
デイジーの夫、トムは不倫をしている。そんな状況ですから、ギャッツビーの恋心が再燃するのも分からないわけではないですが、デイジーはそんなにいい女性か?と思ったり。1人の女性を巡る男の争いはすさまじかった。
ギャッツビーの蔵書の余白に残されていた、自分のスケジュールと心がけの記載。心に残りました。彼は自分なりの目標をもって、懸命に生きようとしていた。それなのに...
アメリカンドリームと相反する、彼の最期は悲しすぎる。
冒頭の、ニックが父に言われた言葉
「人のことをあれこれ言いたくなったら、ちょっと考えてみるがいい。この世の中、みんながみんな恵まれてるわけじゃなかろう」
お父さん、いいこと言うなあ。ホントその通りだ!
村上春樹訳も気になるところですが、本書の小川高義訳は、短文で読みやすかったです。 -
Posted by ブクログ
『グレート・ギャツビー』との接点は映画版(2013年)くらいで、観た当初は訴えたい内容が何も伝わってこなかった。
原作に挑戦した今でも掴みどころがないのには変わりないが、どことなく記憶に足跡を残す物語である気がしている。
舞台は「狂乱の20年代」と呼ばれた、1920年代のアメリカ。
自動車に映画館、ジャズ・ミュージックで彩られた豪華なパーティーと、作品の端々でギラついたアメリカが垣間見られる。タイトルの『グレート・ギャツビー』自体、まさに「ギラつき」の代表格ではないだろうか。
しかし、当の本人であるギャツビーさんは全くの謎に包まれた人物で、それこそ掴みどころがない。
誰も彼の出身や経歴について知らず、「夜な夜な屋敷で豪華なパーティーを開く謎の大富豪」としか認知されていない。そのパーティーに招待されるのは、よほど特別な人物とされている。(パーティーは、基本的に飛び入り参加自由)
ギャツビー邸の隣に引っ越してきた青年キャラウェイは、ある日ギャツビーからの招待を受け、以降交流を深めていくことになるが…
「人間には四種類しかない。追われる、追う、動きたがる、動きたがらない」(P 130)
小説の登場人物というのは、ルックスや動向を通して、読者側に手に取るように伝わってくるものだ。一方でギャツビーは…映画版でギャツビーを演じたレオ様を何とか当てはめたものの、読書中はイマイチ手応えがなかった。
だが物語が進行するにつれ、実は意中の人を射止めようと、あらゆる策を講ずる情熱家であることが明らかになっていく。それまで大富豪の余裕をちらつかせていたのに、段々と落ち着きのなさも露呈していく…。(事故の後、かの女性の邸宅前に佇む場面が今も忘れられない)
経済も恋愛もイケイケどんどんな時代に、珍しく純情な男がいるもんだと妙に感心したし、ようやく実態という名の尻尾を掴んだ気分だった。
結局キャラウェイほか一部の人間(読者含む)を除き、誰も本当のギャツビーを知らないまま、彼は物語から退場する。
どことなく記憶に足跡を残したものの、まだ何か物足りないような感覚が残っていて、本編終了後はいささか不安になっていた。そんななか、面白い切り口の視点が訳者あとがきに書いてあったので、最後に引用したい。
ギャツビーのことばかり書いてきたけど、本書は彼のような富裕層と庶民階級との対比がはっきりと描かれており、特にそれぞれの立場によって自動車との関わりが違っているのだとか。
前述の通り自動車は20年代の産物で、ギャツビーもまたカーライフを謳歌している。現代のガソスタ的役割も果たす自動車修理屋のウィルソンは、ギャツビーらとは対極の位置にあった。当初サービスする側だった彼は、ある自動車事故を機に車に関わることを放棄する。
新興成金のギャツビーとはまた違う形で、ウィルソンも時代への反乱を起こしていた、という見解には、目から鱗がボトボト落ちたな…。
これで私のギャツビー考が終わったとは思えないから、いつかまた考察本を持ち込んでくるだろう。その時はどうか、ギャツビーのような温かい眼差しで見守ってください…。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ再読。以前に読んだのは15年ほど前。
当時、関西の家を引き払い、金沢に引っ越す直前に読んでいた。
詳しいことは忘れたが、冬の夢を気に入ったのを覚えている。
関西に戻って長く時間が経ったいま、再読し、当時のことを思い出した。
青春の甘さと痛みというかんじ。
小川さんはラヒリの翻訳で出会い、気持ちのいい、キリッとした日本語がカッコよくて大好きだった。
今回、ふとまた再読し、改めていい一冊だなあと思った。
あとがきにあるように、フィッツジェラルドは視覚処理の上手い作家なのだろう。
登場するヒロインや若奥さんがわりとどれも似ている。
(野心的な若いアメリカ男も似ている。整髪料の匂いまでする気がする。)
作者はツンツンしてる若い美女がそんなに好きなんか、ほーん、となる。
フィッツジェラルドには特に思い入れがないのですが、たぶん、グレートギャッツビーより私にはこの本が合っていたと思う。
(小川さん訳のグレートギャッツビーは読んでいないけれど)
簡単に以下にメモ。
お坊ちゃん…なかなかシビアな主人公。母親への視線に本音。すっぱい話。
冬の夢…うまい。好き。お坊ちゃんの主人公とちょっと似ている。
子どもパーティ…わちゃわちゃ。目に浮かぶ。
赦免…こういう視点、面白い。好き。
ラッグズ・マーティン以下略…タイトルに驚く。ストーリーはコメディ映画のよう。主人公について、天涯孤独の大金持ち美少女(美女)だが、超一流の金持ちでもない、というフレーズに笑ってしまう。
調停人…これはホラーではないんですか?
温血と冷血…座りのいい話でホッとした。
「常識」…つら。
グレッチェンのひと眠り…どんでん返しで楽しい。
冬の夢の好きな部分を以下に引用する。
p98
冬の夢の初期段階で金持ち階級へのこだわりがあったとしても、この若者が上ばかり見ている俗物だったのではない。きらきら輝く人やものとお近づきになりたいのではなかった。きらきら輝くものが欲しかっただけだ。
舞台は1920年代、今から100年前ということでそこにも単純に驚かされる。