五十嵐大のレビュー一覧
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ぼくが生きてる、ふたつの世界
五十嵐大
幻冬舎文庫
ぼくは好きと嫌いとの間で揺れ動き、ときには母のことをひどく傷つけてきた。
存在を否定するような言葉をぶつけては、彼女のことを哀しませてきた。
そのたびに母は、「お母さんの耳が聴こえなくて、ごめんね」と謝る。
瞬間、罪悪感が芽生える。どうしてそんなひどいことを言ってしまったのだろう。母を傷つけたいわけではないのに、うまく距離が取れない。胸が潰されそうになりながら、常に母と向き合ってきた。
ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を改題したもの -
Posted by ブクログ
ネタバレ故人を取り巻く人々はそのひとりひとりが故人を思い、案じ、何が故人にとって幸せなのかを自分なりに考えていた。
その思いだけに着目すれば、それは愛情と表現して差し支えないものだと思う。
ただ、自覚の有無にかかわらず彼らの取った行動はそれぞれに利己的に歪んでいて、それらの歪みの積み重ねが故人を傷つけ、苦しめた。
一切利己的でない人間なんてこの社会では生きられないから、彼らのあり方は自分と地続きだ。
愛情のつもりで、手助けのつもりで、選択肢を奪う。
障害福祉に関わっていたって(勿論全く無縁でも)、この落とし穴は常に薄皮一枚隔ててすぐ隣に存在している。
選択肢を奪われ傷ついている人に提示された自分の意思で選べる(と言えるのか微妙だが…)選択肢があんな機会だったことがただただしんどい。
本当につらいお話だった。けれど読んで良かった。 -
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この小説はフィクションのはずなのに生々しい。
生きていくってひとつひとつをこなしていくというより、いろんな問題が解決しないまま連なっていく感じで、この小説に終わりがないという点もリアルを感じさせるひとつの要素なのかなと思う。何が正解かもわからないまま生活は続いていく。
この小説にはいわゆる「悪い人」は出てこない。
それぞれの少しづつの感覚の差異がひとつの事件に発展してしまうわけなんだけど、たぶんなにかが悪いとしたら「タイミング」なんだろうなって思う。そういう感じもまた実にリアルで。
また、子ども支援に携わる身としてもこの小説は「今」にマッチしていて秀逸と感じている。「子どもの最善の利益」に基づいた支援はもうひと昔前のやり方で、支援される本人の気持ちに寄り添う「意見表明支援」について考えるいい教材でもあると思う。
支援仲間たちにぜひ勧めてみようと思える本。 -
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ネタバレ「え? ちょろっと文章書いてもらうだけなのに、そんな金取んの?」
耳が聴こえない両親のもとで育った聴こえる子ども・コーダである伊賀紡(いが・つむぐ)は、自分のことを“ふつう”に見てもらえない環境に嫌気がさし、親元を離れ、東京でライターとして活動することに。
ところが、そのライター業でも無力感に苛まれる出来事ばかり。
両親を地元に残したまま“逃げてきた”自分への罪悪感が募る一方だ。
こんな状態ならば、親のために生きるべきなのではないか……。
そんな紡にとっての心の支えは、紡と同じように地元を出てきた共に暮らす親友、柏樹優平。
ともに苦労を分かち合うことでなんとか日々を過ごしてきた。
ある日、ヤングケアラーとして育った過去を持つ実業家・蓮音美羽の取材で、彼女の様子がおかしいことに気がついた紡はある質問を投げかける。
このことがきっかけとなり、紡は少しずつ自分が進むべき道を見出し、自信をつけていく。
しかしそんなとき、優平から思いもよらない言葉を投げかけられ……。 -
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Netflixで観た映画の原作だったので気になって読んでみた。俺の興味領域にあるコーダの話だったので、当事者の言葉を読んでみたかった。ものすごく胸を打たれる母子のシーンが二箇所あって、泣かされた。
五十嵐氏の体験はコーダ当事者からしか語ることのできない非常に貴重なもので、そこに普通の親子関係にもある親への複雑な愛憎が混ざっていて、これを開示するには相当な勇気が必要だっただろうと評価する。
ただ、俺の興味の中心はどちらかというと手話と音声言語の言語としての違いにあるので、その点については物足りなさを感じた。聾者の友人を助けるつもりで振る舞ったことが、逆に彼らから「できること」を奪ってしまっていたと気づく場面は、読んでいて強く印象に残った。
全体として五十嵐氏の語りは個人的体験に強く依拠していて、筆力という意味では特に際立つものは感じなかった。けれど、個人的体験を超えた先に何を書いていくのか、そこには期待したい。 -
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昨年映画を観て、今回本屋さんで見かけたので
手に取りました。
コーダは、揺れるもの。
聴こえる世界と、聴こえない世界を行き来して。
どっちも「日常」なのに、ろう者の家族を手伝えば「えらいね」と言われたり、「あそこは障がい者のいる家だから」と揶揄されたり。
そんな日常を行き来していた、五十嵐さんの物語。
決して綺麗事ではない。日常を称賛されたい訳ではなくって。
なんて言うんだろう、うまく言葉には出来ないんだけど、世界を少しだけ広げて欲しかった、そんな願いがあったのかな。
コーダにも支援が必要、そんな言葉にハッとした。
ぎゅーって、なりながらも、知りたかった世界。
読めてよかったな、と思いました。 -
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障害を持つ家族と共に生きるという事のリアリティを感じる一作でした。
東京でフリーライターをしている小野寺の元に
知的障害のある兄の自殺の知らせが届く。
故郷は震災を受けた松島。
第一章で、兄と故郷を追懐し
第二章で、父親の悔恨を
第3章で、早逝した母親に代わり世話をした叔母 の渇望を
第4章で、幼馴染みの母親の身勝手な欺騙を
第5章で、わからなかった兄の気持ちを知った弟の慟哭を
兄に関わった人達を訪ね、死の真実を捜す
本格的ミステリーではありません。
兄と生活を共にした人達の過去をたどる心理描写と暴かれる秘密がミステリアスです。
障害を持つ家族を描く、という難しいテーマとなりますが、この著者さんのご家族の紹介に
耳の聞こえないご両親の元で育った(祖父母の経歴もなかなか)とあります。
フィクションでありながら、リアリティを感じるのはその経験もあるのかもしれません。
これから誰も書けなかった社会派ミステリーを期待します。
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Posted by ブクログ
旧題、ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと。
こちらの本を元に製作された映画がとても素晴らしく、原作があると知り、手に取った。
CODA:Children of Deff Adluts…「聴こえない親の元で育った、聴こえる子どもたち」。
映画やドラマで、昨年くらいからよく目にするようになった言葉だ。
主人公-CODAである筆者・五十嵐大さんの苦悩と葛藤は、件の映画でも十分に伝わってくるけれど、こちらではより詳細に背景や感情が綴られている。
もっと深いコミュニケーションが出来るよう、小学校で手話クラブを作ったこと。
進路相談や高校受験の孤独な闘い。母が補聴器を買った時の会話…
親と共通言語で会話が出来ないことが、子供にどんな影響を与えるのか。
聴覚障害を持つ友人からの「私たちから出来ることを奪わないで」。
筆者同様、頭をがつんとやられたような気がした。
自分が相手を守ろう、助けようと思うが故に、障害を持つ一個人の自由を奪ってはいないか。
そして、「世間からかわいそうな子と同情される苦しみ」。
人は境遇の辛苦よりも、他人からの不躾な視線に最も傷つけられるということが、
この本を読んでいるとよく分かる。
五十嵐さんはあとがきで、
「マイノリティとマジョリティの分断は『知らないこと』によって生まれる」
と言及されている。だからこそ、知ってほしいと。
正にこの本で、CODAの五十嵐さんの人生を垣間見ることで、考えるきっかけをいただいたと思う。大人だけでなく、子供たちにも読んでもらいたい本だ。