五十嵐大のレビュー一覧
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ネタバレ故人を取り巻く人々はそのひとりひとりが故人を思い、案じ、何が故人にとって幸せなのかを自分なりに考えていた。
その思いだけに着目すれば、それは愛情と表現して差し支えないものだと思う。
ただ、自覚の有無にかかわらず彼らの取った行動はそれぞれに利己的に歪んでいて、それらの歪みの積み重ねが故人を傷つけ、苦しめた。
一切利己的でない人間なんてこの社会では生きられないから、彼らのあり方は自分と地続きだ。
愛情のつもりで、手助けのつもりで、選択肢を奪う。
障害福祉に関わっていたって(勿論全く無縁でも)、この落とし穴は常に薄皮一枚隔ててすぐ隣に存在している。
選択肢を奪われ傷ついている人に提示された自分の -
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この小説はフィクションのはずなのに生々しい。
生きていくってひとつひとつをこなしていくというより、いろんな問題が解決しないまま連なっていく感じで、この小説に終わりがないという点もリアルを感じさせるひとつの要素なのかなと思う。何が正解かもわからないまま生活は続いていく。
この小説にはいわゆる「悪い人」は出てこない。
それぞれの少しづつの感覚の差異がひとつの事件に発展してしまうわけなんだけど、たぶんなにかが悪いとしたら「タイミング」なんだろうなって思う。そういう感じもまた実にリアルで。
また、子ども支援に携わる身としてもこの小説は「今」にマッチしていて秀逸と感じている。「子どもの最善の利益」に -
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Netflixで観た映画の原作だったので気になって読んでみた。俺の興味領域にあるコーダの話だったので、当事者の言葉を読んでみたかった。ものすごく胸を打たれる母子のシーンが二箇所あって、泣かされた。
五十嵐氏の体験はコーダ当事者からしか語ることのできない非常に貴重なもので、そこに普通の親子関係にもある親への複雑な愛憎が混ざっていて、これを開示するには相当な勇気が必要だっただろうと評価する。
ただ、俺の興味の中心はどちらかというと手話と音声言語の言語としての違いにあるので、その点については物足りなさを感じた。聾者の友人を助けるつもりで振る舞ったことが、逆に彼らから「できること」を奪ってしまって -
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昨年映画を観て、今回本屋さんで見かけたので
手に取りました。
コーダは、揺れるもの。
聴こえる世界と、聴こえない世界を行き来して。
どっちも「日常」なのに、ろう者の家族を手伝えば「えらいね」と言われたり、「あそこは障がい者のいる家だから」と揶揄されたり。
そんな日常を行き来していた、五十嵐さんの物語。
決して綺麗事ではない。日常を称賛されたい訳ではなくって。
なんて言うんだろう、うまく言葉には出来ないんだけど、世界を少しだけ広げて欲しかった、そんな願いがあったのかな。
コーダにも支援が必要、そんな言葉にハッとした。
ぎゅーって、なりながらも、知りたかった世界。
読めてよかったな、と思いま -
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ネタバレ知的障害者の聡ときょうだい児の衛。上京して7年ぶりの家族からの連絡は兄の訃報…
登場人物みなエゴや欲ばかりの人でした。罪は大小あれど組み合わさってはいけない歯車が噛み合ってしまった。兄は妙子は描かないが皐月は描いていた。でも皐月は家族をくれる人であって女性として愛していたわけではなさそう…この結末だとそれが救いなのだけど
周りに疎まれた聡は無償の愛を注げる対象が欲しかったのだろうか…
そして衛は兄と仲良しだったのに、兄の精神年齢を超えてしまい、周りに同調しなければ自分を守れなくなり、そして上京して自由になれたときの解放感。兄を後ろめたく思いながら生きるよりも、きっとよかった。でもお兄ちゃん -
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障害を持つ家族と共に生きるという事のリアリティを感じる一作でした。
東京でフリーライターをしている小野寺の元に
知的障害のある兄の自殺の知らせが届く。
故郷は震災を受けた松島。
第一章で、兄と故郷を追懐し
第二章で、父親の悔恨を
第3章で、早逝した母親に代わり世話をした叔母 の渇望を
第4章で、幼馴染みの母親の身勝手な欺騙を
第5章で、わからなかった兄の気持ちを知った弟の慟哭を
兄に関わった人達を訪ね、死の真実を捜す
本格的ミステリーではありません。
兄と生活を共にした人達の過去をたどる心理描写と暴かれる秘密がミステリアスです。
障害を持つ家族を描く、という難しいテーマとなりますが -
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旧題、ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと。
こちらの本を元に製作された映画がとても素晴らしく、原作があると知り、手に取った。
CODA:Children of Deff Adluts…「聴こえない親の元で育った、聴こえる子どもたち」。
映画やドラマで、昨年くらいからよく目にするようになった言葉だ。
主人公-CODAである筆者・五十嵐大さんの苦悩と葛藤は、件の映画でも十分に伝わってくるけれど、こちらではより詳細に背景や感情が綴られている。
もっと深いコミュニケーションが出来るよう、小学校で手話クラブを作ったこと。
進路相談や高校受験の孤独な -
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APD当事者のインタビューから引用
― むしろ、APDではないと言われることの不安のほうが大きかったんです。(中略)だから診断された直後は、APDというカテゴリーに自分が入ることに安心したくらいです。
APDの診断を受けるために病院に行くのは聞き取りにくさで迷惑をかけてきたこと、今後もかけることを「APDだから仕方ない」と赦された気になりたいという不純な動機なんじゃないか、また、しっかり検査することでAPDではないと診断される可能性もあり、それを怖いと思っている自分に嫌悪感がありましたが、そんな風に思っていてもいいんだと背中を押されました。 -
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何度も泣いた。
20代の時、手話教室に一時通っていた時があってその時の先生が聾唖の方で奥様も。
一人娘さんがいてまだ小学生だったかな、その子は聴者で。
まさにコーダの世界を生きていたんだね。
著者がおかあさんのことが大好きだからこそ、世間から傷つけられたくないと、パートに出ようとした母親を無理に決まってると反対してやめさせたこと、すごくわかる。
でもそのことがずっと心にひっかかってて大人になってちゃんと謝れたこと、そしてこのおかあさんが素晴らしい人格者で、このおかあさん無償の愛に心を打たれっぱなしだったよ。
コーダとして生まれたことを嘆いた時もあったけど、今はほとんどのコーダはその両親から生れ -
Posted by ブクログ
映画が気になり鑑賞してみて、あまりにも心が揺さぶられて感動したので、衝動で本書を手に取りました。
映画の内容とは多少は違うところはあったものの、本書はまた違った良さがありました。
今回の映画や本書を機に「CODA」という「聴覚障害者のもとに生まれた聞こえる子どもたちのこと」を指す言葉も初めて知りました。なので、もしかしたらこれまで私が無知故に知らず知らずのうちに彼らを傷つけてしまっていたのではないかと思い、ものすごく内省しました。できれば、彼らのような存在が実際にいること、様々な苦労をされていることを周りの人に発信して、微力ながら貢献していけたらいいなと思います。
私は障害を持つ人が身近にいた