五十嵐大のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
タイトルからおばあちゃんが霊能者なのかと思ったら、探偵ものだった。
冒頭、主人公の小学6年生・蒼が母親に置き去りにされて途方にくれる場面で始まる。
母子家庭の蒼にとって、たった一人の頼れる大人がいなくなってどうする…と心配したら、今まで会ったことのない祖母が迎えにきて東京から青森へ引っ越すことになり、祖母との暮らしが始まる。
この祖母が『カミサマ』と呼ばれる拝み屋なのだが、実際は霊能力ではなく、調査力と観察力と推理力で解決する探偵だった。
誰に対しても上から目線で話す、個性派おばあちゃん。だがその実、どの事件も解決するだけでなく、当事者―特に弱者に寄り添う結果に導いている。
意外だったのは、蒼もまた探偵であること。
時に祖母の推理をアシストする材料を与えたり、時には自身が探偵として犯人を糾弾したり。さすが拝み屋の孫だ。
事件のからくりはシンプルだが、その裏にある真相は小学6年生にはハード。しかしそこは祖母や新しく出来た友人たちが支えになっている。
個人的に好きだったのは祖母の身の回りの世話をしているゆりえさん。
料理が得意で、時に拝み屋の助手もやっているらしい、ほんわかした雰囲気で包んでくれる。
最後には気になっていた、母親の事情も明らかになる。ネタバレになるので書けないが、これは続編…あり? -
Posted by ブクログ
ぼくが見つめた、ふたつの指先
五十嵐大
角川文庫
いつからか「大丈夫」という言葉の意味さえよくわからなくなっていた。
でも、本当は大丈夫じゃなかった。全然。
本当は、いつだって誰かに助けてもらいたかったのだ。
ただ、幼いぼくが抱えている苦しさに気づいてくれる大人なんて、どこにもいなかった。
それ以降、「ぼくはしっかりしなきゃいけないんだ。誰にも頼れないんだ。」と思うようになっていった。
怒りの沸点を超え、腹の虫が治まらないと、祖母の髪の毛を摑み、部屋の奥へと引っ張っていく。
やっぱり、ぼくは祖父のことが許せない。
許したくない。
死をこんなにも悼んでくれる人がいる
お前まで逆らうのか!誰がお前を育てたと思ってるんだ!
ぼくは「終わりよければすべてよし」という言葉が嫌いだ。
その言葉に則るならば、どんなに傍若無人な振る舞いをしてきた乱暴者でさえも、大人しい最期を迎えたらすべて許されるというのだろうか
許してほしいなら、謝ってくれよ。「すべてよし」にしたいなら、自分のしてきたことを心底反省し、きちんと謝罪の言葉を口にしてくれよ。じゃなきゃ、被害をすべてなかったことにできるわけじゃないか。
おじいちゃん、本当にごめんなさい。もしも生まれ変わって、また家族になることがあったら…今度は、今度はちゃんと話したいです
耳の聴こえないもの同士が一緒になって、幸せになれると思うかい?絶対に苦労する。
それぞれに「ひとりの人間」として見られるようになったということかもしれない
「家族」になりたかった
あなたが家族のことを書くことで、まるで大きなアルバムができるみたいだね -
Posted by ブクログ
ヤングケアラー(両親ともに聴力なしで幼少期から通訳して過ごしてきた)を主人公とした話。
両親から逃げるように上京し、現在はフリーライターとして東京で仕事をしている。
話の中心はフリーライターとしての仕事の様子が描かれているが、そこにバックボーンや両親への負い目(両親のそばで働くことが自分の役割であり使命ではないかと両親から思われているし思っているがそれに反抗するような形ででてきてしまったこと)も絡んできながらすすんでいった。
ライターの仕事はインタビューしたり会話した内容の意図をとり、それを言語化する仕事であるが、
その表現のしかたひとつで炎上したり、作りものとなってしまったりするのが日々の報道をみててもわかるので難しい仕事だなと思いながら読んでいた。目に留まりやすいように表現を誇張する方法もあるがそうではなく、たとえレビュー数は稼げなくても素直に感じた率直な想いを伝え、誰かひとりにささる言葉で伝えていこうという考えになっていった主人公には共感したし、私自身も言葉で表現するときも読み取る時にもそこを大切にしていきたいと思った。
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Posted by ブクログ
冒頭、しかも寝起きにお母さんに捨てられてしまう小6の蒼!
最近の色々な事件がちらついて、不安がチラリ。
置き手紙に「捨てることにします」って書いてあるんですよ!
そんなところに青森から疎遠になっている祖母がやって来て、祖母宅へ連れて行かれます。
祖母はにっこりと柔和な笑みを浮かべ…ず、チャキチャキと、凄みのあるタイプの人でした。
御酉様を拝み、祝詞を唱え、青森の人の悩みなどをズバズバ解決する拝み屋だったのです。
お母さんは不在、誰も知らない土地にやってきて、事件に遭遇しながら自分の居場所を作っていく姿は頼もしいです。
最後の謎は、私(とグーグル先生)でも解けました!
小学高学年くらいから読めると思います。 -
Posted by ブクログ
今まで、聴こえない人「ろう者」がほとんどいない暮らしをしてきた。
もちろん手話はテレビなどで見たことはある。
やってみたいと思ったこともある。
しかし、やらなかった。
この気持ちに近いことを、著者はこのように記している。
手話は、「ろう者の間で自然発生的に生まれた、独自の言語」である。
そう、手話という言語なのだ。
例えば、英語を話せなくとも、今現在暮らしていけるから、英語を学ばなくても生きていける、と言う感情と同じなのだ。
もし、他言語を学んだら、見える景色が変わるのだから、手話という言語を学んでみたら、ろう者と関わることなく暮らしている私も、少しは世界が変わって見えるのだ。
寄り添うという言葉を改めて考えた。
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Posted by ブクログ
人に歴史あり。
コーダである著者のお母様、冴子さんの人生について著者が本人や関係者から話を聞きながら浮かび上がらせる1冊。
自分でない人の人生について、何か決めつけたり、まして批評するのは危険なことだと思うのだけど、著者はあくまで聞き取ったことについて自分がどう感じたか、をベースに書いていた気がする。
優生保護法のくだりは私も読んでて辛かったな。
目を背けたくなる事実だし、思考を放棄したくなる問題でもある。
でもこの本を読んで、私の中にコーダである五十嵐大さん、聴覚障害を持つ冴子さんや浩二さん、その家族である銀三さん、奈江子さん、佐知子さんや由美さん、聴覚障害児の教育に携わる方々など色んな視点がほんの少しだけどインストールされた気がする。
世の中を生きるひとりとして考え続けていきたいと思う。