感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「大沼先生との思い出がたくさんあるらしく、喋る手を止めない」
喋る手を止めないっていいね!面白い表現!
「それが結局は冴子のためなのだ、という当事者を置き去りにした善意の発露」
これ全場面であるよな、ずっと思い出していたい言葉
心の綺麗さが伝わってくる言葉たちだった
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五十嵐大さんのエッセイを拝読すると
いつも、涙がにじんでしまう。
〈耳が聴こえないお母さんで、ごめんね〉
息子からぶつけられた言葉を全身で受け止め
眉尻を下げて笑ってみせる優しいお母さん。
〈母のことを書きたい・・・いや、知りたい〉
1950年代、聴覚障害の情報がないため
お母さんは地元の小学校に通った。
みなと思うように意思疎通ができない。
お母さんの、その6年間を思う。
「優生保護法」についても詳しく書かれている。
情報が溢れる時代になっても個々が目を背けてしまえば
同じことが起こるのでは無いかな。
読んでいてそう思ってしまった。
何より、五十嵐大さんのお母様の穏やかな笑顔が目に浮かぶ。
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コーダである著者が母に訊いてみたかったこと。
それは、母のことを…知らなかったことを…知ることになり、わかったこともたくさんあったことが記されている。
知らなかった過去の話には、差別や偏見が見え隠れしていたが、母からは恨み言のひとつもなかった。
ほんとうは、もっともっと泣きたいことや起こりたいことがあったはずだろうと思うが、子どもがいるということがとても幸せなことだと感じていたからかもしれないと思った。
祖父が娘でも呼びかけやすいようにと『だ、い』と名前をつけたことに深い愛情を感じた。
Posted by ブクログ
今まで、聴こえない人「ろう者」がほとんどいない暮らしをしてきた。
もちろん手話はテレビなどで見たことはある。
やってみたいと思ったこともある。
しかし、やらなかった。
この気持ちに近いことを、著者はこのように記している。
手話は、「ろう者の間で自然発生的に生まれた、独自の言語」である。
そう、手話という言語なのだ。
例えば、英語を話せなくとも、今現在暮らしていけるから、英語を学ばなくても生きていける、と言う感情と同じなのだ。
もし、他言語を学んだら、見える景色が変わるのだから、手話という言語を学んでみたら、ろう者と関わることなく暮らしている私も、少しは世界が変わって見えるのだ。
寄り添うという言葉を改めて考えた。
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人に歴史あり。
コーダである著者のお母様、冴子さんの人生について著者が本人や関係者から話を聞きながら浮かび上がらせる1冊。
自分でない人の人生について、何か決めつけたり、まして批評するのは危険なことだと思うのだけど、著者はあくまで聞き取ったことについて自分がどう感じたか、をベースに書いていた気がする。
優生保護法のくだりは私も読んでて辛かったな。
目を背けたくなる事実だし、思考を放棄したくなる問題でもある。
でもこの本を読んで、私の中にコーダである五十嵐大さん、聴覚障害を持つ冴子さんや浩二さん、その家族である銀三さん、奈江子さん、佐知子さんや由美さん、聴覚障害児の教育に携わる方々など色んな視点がほんの少しだけどインストールされた気がする。
世の中を生きるひとりとして考え続けていきたいと思う。
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ろうの両親を持つコアの作者が母について書いている。恥ずかしくて両親の障害をひた隠しにしたとあったが、まだまだ社会の差別はこういった方にもあるんだな。
Posted by ブクログ
生まれつき両方の耳が聴こえない両親、特に母親についてその過去の話を本に仕上げたノンフィクション。両親共に1954年生まれということなので、インタビューした時期(2021年)は67歳。この年令を見ると、私からは叔父・叔母という感じになる。そんな人たちが、手話を使うことを否定されたり、あるいは『優生保護法』の犠牲になったりしたのかと思うと、『昭和』という時代は"差別"の酷い時代だったのだと思う(著者の両親は「強制手術」は受けていない)。昭和生まれの私にとっては、ちょっとショッキングな内容だった。