あらすじ
葬儀はカオス。
耳が聴こえない、父と母。宗教にハマる、祖母。暴力的な、祖父。
ややこしい家族との関係が愛しくなる。
不器用な一家の再構築エッセイ。
“ぼくの家族は誰も手話が使えなかった。聴こえない父と母の言語である手話を、誰も覚えようとしなかった。祖母も祖父も、ふたりの伯母も。唯一、家族のなかでぼくだけが下手くそなりにも手話を自然に習得し、両親と「会話」していた。(本文より)”
聴こえない両親に代わって、ほんの幼いころから「面倒を見る」立場になることが多かった。大人からの電話も、難しい手続きも、わからないなりにぼくが対応するしかなかった。家に祖母の友人などが集まり、楽しそうにしていても、母は微笑んでいるだけだった。社会から取りこぼされてしまう場面が多い母を見て、いつも胸が締め付けられた。どうしてみんな母のことを置き去りにするんだろう。“ふつう”を手に入れたかったぼくは、“ふつう”を擬態することを覚え、故郷を捨てるように東京に出た。それなりに忙しい日々を送っていたある日、滅多に帰省しないぼくの元に、伯母からの電話があった。「あのね、おじいちゃん、危篤なの」……。
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Posted by ブクログ
5/100
作者 2冊目を読み終えた。
元ヤクザの祖父、宗教に浸かってる祖母、聾者である両親である家族のエッセイ
絶対に許せない筈の祖父の葬儀を終えた作者に思うのは、やはり「人の優しさ」である。
Posted by ブクログ
“家族なのに、最後までわかり合えなかった。
嫌厭し、寄り添わなかった。
恐れずに近づいていけば、もっと理解できたかもしれないのに。ぼくはずっとそれを放棄し、諦めていた。やがて、取り返しのつかないところまで来てしまったのだ。
祖父のことをすべて許せるわけではないけれど、それでも、なにかできたことはあったはずだろう。それをしてこなかったことに対して。”(p.106)
“いなくなればいいと、何度も思った。でも、いざいなくなってしまうと、その気持ちのやり場も同時に失ってしまい、消化不良な想いが沈殿していくのを感じた。いま、祖父に対してなにを思っても、それが届くことはない。もうなにもできないのだ。(p.138)”
Posted by ブクログ
〈生まれて初めて参列した葬儀は、祖父のそれだった〉
五十嵐大さんのお祖父様は、元ヤクザの暴れん坊。
P46〈そんな祖父が大嫌いで、憎くて、いなくなってほしいと思っていた〉
危篤の知らせを聞いたときは
〈ざまあみろ〉と思ってしまったほどだ。
そして、お祖母様は、ある宗教の熱心な信者。
聴覚障害者の両親を支える気持ちが強かった五十嵐さん。
大人びた子供だったと思う、と書かれている。
母方の伯母、佐知子さんとのエピソードが好き。
タイトルから興味津々で読み始めたけれど
「“ふつう”の人生」ってなんだろう。
考えるきっかけにもなった一冊。
Posted by ブクログ
著者は、家族関係が複雑で、家族が疎ましく、関わるのに尻込みしていましたが、祖父の喪主を務めることで、少しずつ自分を取り巻く家族への思いが変わっていきます。
最初、家族をまるごと疎ましく思うなんて冷たいと少し思いました。でも結局は、そんな家族を受け入れる気持ちに至った著者は優しい人なんだなと思いました。
Posted by ブクログ
ネット記事から知った本。
ヤングケアラーについて触れた内容じゃなかったかな。
祖父の臨終から葬儀までの流れを懐古した内容になってるけど、家族の理不尽。家族の不思議をどこか俯瞰しているような視点で書かれてる。
「家族」って誰にとっても俯瞰した方が心を波立たせないものなのかもね
Posted by ブクログ
地方出身者ならよくあるかもしれない家族のリアルな姿を描いたエッセイ。危篤の知らせから通夜や葬儀に至る流れは、は自分自身も経験したので、共感を持って読むことができた。
しくじりなどでは決してない、誰もしくじっていない、現実のそこかしこにある家族がそこには描かれていた。
Posted by ブクログ
聴覚障害の両親と元ヤクザの祖父に宗教にハマった祖母.普通でない家族から離れたくて東京で一人暮らしする.祖父母には問題もあるがそんなにひどい家族だろうか.祖父の葬儀をきっかけに家族や親戚と改めてその関係を見つめているが,,両親の寂しさを思うととても気の毒だった.