五十嵐大のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
旧題、ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと。
こちらの本を元に製作された映画がとても素晴らしく、原作があると知り、手に取った。
CODA:Children of Deff Adluts…「聴こえない親の元で育った、聴こえる子どもたち」。
映画やドラマで、昨年くらいからよく目にするようになった言葉だ。
主人公-CODAである筆者・五十嵐大さんの苦悩と葛藤は、件の映画でも十分に伝わってくるけれど、こちらではより詳細に背景や感情が綴られている。
もっと深いコミュニケーションが出来るよう、小学校で手話クラブを作ったこと。
進路相談や高校受験の孤独な闘い。母が補聴器を買った時の会話…
親と共通言語で会話が出来ないことが、子供にどんな影響を与えるのか。
聴覚障害を持つ友人からの「私たちから出来ることを奪わないで」。
筆者同様、頭をがつんとやられたような気がした。
自分が相手を守ろう、助けようと思うが故に、障害を持つ一個人の自由を奪ってはいないか。
そして、「世間からかわいそうな子と同情される苦しみ」。
人は境遇の辛苦よりも、他人からの不躾な視線に最も傷つけられるということが、
この本を読んでいるとよく分かる。
五十嵐さんはあとがきで、
「マイノリティとマジョリティの分断は『知らないこと』によって生まれる」
と言及されている。だからこそ、知ってほしいと。
正にこの本で、CODAの五十嵐さんの人生を垣間見ることで、考えるきっかけをいただいたと思う。大人だけでなく、子供たちにも読んでもらいたい本だ。 -
Posted by ブクログ
APD当事者のインタビューから引用
― むしろ、APDではないと言われることの不安のほうが大きかったんです。(中略)だから診断された直後は、APDというカテゴリーに自分が入ることに安心したくらいです。
APDの診断を受けるために病院に行くのは聞き取りにくさで迷惑をかけてきたこと、今後もかけることを「APDだから仕方ない」と赦された気になりたいという不純な動機なんじゃないか、また、しっかり検査することでAPDではないと診断される可能性もあり、それを怖いと思っている自分に嫌悪感がありましたが、そんな風に思っていてもいいんだと背中を押されました。 -
Posted by ブクログ
何度も泣いた。
20代の時、手話教室に一時通っていた時があってその時の先生が聾唖の方で奥様も。
一人娘さんがいてまだ小学生だったかな、その子は聴者で。
まさにコーダの世界を生きていたんだね。
著者がおかあさんのことが大好きだからこそ、世間から傷つけられたくないと、パートに出ようとした母親を無理に決まってると反対してやめさせたこと、すごくわかる。
でもそのことがずっと心にひっかかってて大人になってちゃんと謝れたこと、そしてこのおかあさんが素晴らしい人格者で、このおかあさん無償の愛に心を打たれっぱなしだったよ。
コーダとして生まれたことを嘆いた時もあったけど、今はほとんどのコーダはその両親から生れたことを誇りに思ってるって、そこでまた安堵の涙が…。
この作品が映画化されたらしいけど(著者が吉沢亮、男前すぎない?)俄然、観たくなったよ。 -
Posted by ブクログ
映画が気になり鑑賞してみて、あまりにも心が揺さぶられて感動したので、衝動で本書を手に取りました。
映画の内容とは多少は違うところはあったものの、本書はまた違った良さがありました。
今回の映画や本書を機に「CODA」という「聴覚障害者のもとに生まれた聞こえる子どもたちのこと」を指す言葉も初めて知りました。なので、もしかしたらこれまで私が無知故に知らず知らずのうちに彼らを傷つけてしまっていたのではないかと思い、ものすごく内省しました。できれば、彼らのような存在が実際にいること、様々な苦労をされていることを周りの人に発信して、微力ながら貢献していけたらいいなと思います。
私は障害を持つ人が身近にいたわけではないので、本当の意味で、著者を含めたCODAの方々の苦悩をわかることができたのか自信はないです。しかし、少なくとも本書を読んだことで、彼らの苦悩や葛藤、思いが少し理解できたこと、そして彼らに寄り添って、健常者・障害者関係なく、共生していくことの大切さを学べたような気がします。マイノリティの方々への偏見意識はないか、差別してないかというちょっとした意識を心がけながら日々を過ごしていこうと強く思いました。 -
Posted by ブクログ
映画を観た。
何も知識がない状態で映画を観たので、映画に原作があることも知らなかった。
観終わった時、原作を読みたいなーと、本屋にふらっといったら、ちょうどこの本が。
すぐに読み始めた。
映画はうまく繋ぎ合わせて作っていたんだなーという印象。
映画も原作の本著も、コーダと家族との繋がり。ではなく、コーダと母親との繋がりが描かれている。
我が家はコーダではないが、酒癖の悪い父がいたために、母は自分の身なりを気にせず働いてくれていた。
そんな母を愛しながらも、参加日には来て欲しくないといって悲しませ、大学の学費が払えないとわかると罵り。
自分の母も悲しそうな表情をしていたなーと。
五十嵐さんのことを読みながらも自分のことを思い出し、少し辛かった場面もあった。
五十嵐さんが何度となく書いていたこと。
「守ってあげなければ」という言葉。
五十嵐さんも書いていたが、この言葉の裏には、どこか自己満足や自分のためという思考が働いている気がする。
大人になった自分も、同様の思考が無意識に働いている感じが否めない。
本当は「見守る」ことが必要なのだろうが、それが難しいんだよな。。
五十嵐さんもあとがきに書いていたが、近年、聴覚障がいの方の書籍や映画、映像が多くなっている。
でも、やはり、どこかで「可哀想な人」と思う気持ちがないでもない気がしている。(友達に失聴者がいるのに、自分もどこかに感じている気がする。。。)
もっともっと、「可哀想な人」という感覚がない世の中になっていければな。と切に思う。
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Posted by ブクログ
私がこの作品を手に取った理由、それは私の生徒でこの著者と同じ、耳が聞こえない両親の元で育った姉弟がいるからだ。彼らはまだ小学2年生と1年生。2年生の女の子は、大人と話したい欲が強く、いつも色んな大人に声をかけている。そんな彼女たちがこれから中学高校大学と進んでいくにつれて、壁にぶつかっていく姿を想像すると何かしてあげたい、でも何をしてあげたらいいのか分からなくて、とりあえず今はたくさんコミュニケーションを取って彼女たちとの会話を重要視している。
この本を読んだだけで、コーダのは人たちの気持ちを100%理解することはできない。たくさんの苦しみや葛藤があったと思う。ただその一部をこうやって文字で読んで知ることができてよかった。
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Posted by ブクログ
五十嵐大さんのエッセイを拝読すると
いつも、涙がにじんでしまう。
〈耳が聴こえないお母さんで、ごめんね〉
息子からぶつけられた言葉を全身で受け止め
眉尻を下げて笑ってみせる優しいお母さん。
〈母のことを書きたい・・・いや、知りたい〉
1950年代、聴覚障害の情報がないため
お母さんは地元の小学校に通った。
みなと思うように意思疎通ができない。
お母さんの、その6年間を思う。
「優生保護法」についても詳しく書かれている。
情報が溢れる時代になっても個々が目を背けてしまえば
同じことが起こるのでは無いかな。
読んでいてそう思ってしまった。
何より、五十嵐大さんのお母様の穏やかな笑顔が目に浮かぶ。 -
Posted by ブクログ
“家族なのに、最後までわかり合えなかった。
嫌厭し、寄り添わなかった。
恐れずに近づいていけば、もっと理解できたかもしれないのに。ぼくはずっとそれを放棄し、諦めていた。やがて、取り返しのつかないところまで来てしまったのだ。
祖父のことをすべて許せるわけではないけれど、それでも、なにかできたことはあったはずだろう。それをしてこなかったことに対して。”(p.106)
“いなくなればいいと、何度も思った。でも、いざいなくなってしまうと、その気持ちのやり場も同時に失ってしまい、消化不良な想いが沈殿していくのを感じた。いま、祖父に対してなにを思っても、それが届くことはない。もうなにもできないのだ。(p.138)”