五十嵐大のレビュー一覧

  • ぼくが生きてる、ふたつの世界

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    聴覚障害の、私の母から勧められて読みました。
    この本を読んで初めて、私は"コーダ"というんだと知りました。
    私は幸いにも、家族が障害者だからといって差別や偏見に苦しんだことはないですが、住んでる地域や年代によっては偏見が色濃く残っていることもあるのだなと感じました。
    しかし、母が私の話を聞き取れなくて言い直さないといけないとか、手話を使ってるのを人に見られるのが恥ずかしいとか、共感できる部分が多くあって、他人事とは思えませんでした。
    コーダの方も、そうじゃない方も、みんなに読んでみてほしいです。

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    2024年10月19日
  • ぼくが生きてる、ふたつの世界

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    映画を観た。
    何も知識がない状態で映画を観たので、映画に原作があることも知らなかった。
    観終わった時、原作を読みたいなーと、本屋にふらっといったら、ちょうどこの本が。
    すぐに読み始めた。

    映画はうまく繋ぎ合わせて作っていたんだなーという印象。
    映画も原作の本著も、コーダと家族との繋がり。ではなく、コーダと母親との繋がりが描かれている。
    我が家はコーダではないが、酒癖の悪い父がいたために、母は自分の身なりを気にせず働いてくれていた。
    そんな母を愛しながらも、参加日には来て欲しくないといって悲しませ、大学の学費が払えないとわかると罵り。
    自分の母も悲しそうな表情をしていたなーと。
    五十嵐さんのこ

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    2024年10月05日
  • ぼくが生きてる、ふたつの世界

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    聞こえない親と聞こえる自分、CODAとしての苦しみや葛藤が描かれているようで、周りと違うことへの自覚や思春期以降の親とのすれ違いなど、多くの人が共感しやすい内容も多く描かれていた。
    映画を観てから読むとより理解が深まり、またひとつ自分の世界が開けたような感覚を覚えた。「電車のホーム」のシーンは映画同様必涙である。

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    2024年09月30日
  • 聴こえない母に訊きにいく

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    単純な母の生い立ちから現在に至るまでを聞いて記した本ではなく、その時代背景に何があって障がいを持った方々に如何に生きづらく苦しい時代があったか丁寧に説明されていた
    困難な時代に苦しみ等を抱えながらも明るく前向きに生きてきた作者の母には学ぶべき部分もあったと感じている

    かつて優生保護の名の下に障がいのある方々の人権が侵害されてきたことを忘れてはいけないし、今も続いている不当な差別を決して許してはいけない

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    2024年08月19日
  • ぼくが生きてる、ふたつの世界

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    葛藤が伝わってくる本。
    読んだきっかけはSNSで「いくら」さんというろうインフルエンサーさんが映画の宣伝を投稿していたから。

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    2024年08月11日
  • ぼくが生きてる、ふたつの世界

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    私がこの作品を手に取った理由、それは私の生徒でこの著者と同じ、耳が聞こえない両親の元で育った姉弟がいるからだ。彼らはまだ小学2年生と1年生。2年生の女の子は、大人と話したい欲が強く、いつも色んな大人に声をかけている。そんな彼女たちがこれから中学高校大学と進んでいくにつれて、壁にぶつかっていく姿を想像すると何かしてあげたい、でも何をしてあげたらいいのか分からなくて、とりあえず今はたくさんコミュニケーションを取って彼女たちとの会話を重要視している。
    この本を読んだだけで、コーダのは人たちの気持ちを100%理解することはできない。たくさんの苦しみや葛藤があったと思う。ただその一部をこうやって文字で読

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    2024年07月24日
  • 聴こえない母に訊きにいく

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    ネタバレ

    「大沼先生との思い出がたくさんあるらしく、喋る手を止めない」
    喋る手を止めないっていいね!面白い表現!

    「それが結局は冴子のためなのだ、という当事者を置き去りにした善意の発露」
    これ全場面であるよな、ずっと思い出していたい言葉

    心の綺麗さが伝わってくる言葉たちだった

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    2023年11月14日
  • 聴こえない母に訊きにいく

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    五十嵐大さんのエッセイを拝読すると
    いつも、涙がにじんでしまう。
    〈耳が聴こえないお母さんで、ごめんね〉
    息子からぶつけられた言葉を全身で受け止め
    眉尻を下げて笑ってみせる優しいお母さん。

    〈母のことを書きたい・・・いや、知りたい〉

    1950年代、聴覚障害の情報がないため
    お母さんは地元の小学校に通った。
    みなと思うように意思疎通ができない。
    お母さんの、その6年間を思う。

    「優生保護法」についても詳しく書かれている。
    情報が溢れる時代になっても個々が目を背けてしまえば
    同じことが起こるのでは無いかな。
    読んでいてそう思ってしまった。

    何より、五十嵐大さんのお母様の穏やかな笑顔が目に浮

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    2023年05月24日
  • しくじり家族

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    5/100
    作者 2冊目を読み終えた。
    元ヤクザの祖父、宗教に浸かってる祖母、聾者である両親である家族のエッセイ
    絶対に許せない筈の祖父の葬儀を終えた作者に思うのは、やはり「人の優しさ」である。

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    2022年02月06日
  • しくじり家族

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    “家族なのに、最後までわかり合えなかった。
    嫌厭し、寄り添わなかった。
    恐れずに近づいていけば、もっと理解できたかもしれないのに。ぼくはずっとそれを放棄し、諦めていた。やがて、取り返しのつかないところまで来てしまったのだ。
    祖父のことをすべて許せるわけではないけれど、それでも、なにかできたことはあったはずだろう。それをしてこなかったことに対して。”(p.106)


    “いなくなればいいと、何度も思った。でも、いざいなくなってしまうと、その気持ちのやり場も同時に失ってしまい、消化不良な想いが沈殿していくのを感じた。いま、祖父に対してなにを思っても、それが届くことはない。もうなにもできないのだ。(

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    2021年03月23日
  • しくじり家族

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    〈生まれて初めて参列した葬儀は、祖父のそれだった〉
    五十嵐大さんのお祖父様は、元ヤクザの暴れん坊。
    P46〈そんな祖父が大嫌いで、憎くて、いなくなってほしいと思っていた〉
    危篤の知らせを聞いたときは
    〈ざまあみろ〉と思ってしまったほどだ。
    そして、お祖母様は、ある宗教の熱心な信者。
    聴覚障害者の両親を支える気持ちが強かった五十嵐さん。
    大人びた子供だったと思う、と書かれている。
    母方の伯母、佐知子さんとのエピソードが好き。
    タイトルから興味津々で読み始めたけれど
    「“ふつう”の人生」ってなんだろう。
    考えるきっかけにもなった一冊。

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    2021年03月13日
  • 隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録

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    自分のことかと思い読み始めた。
    ・子音だけが聞こえる時がある
    ・固定電話、ガラケーの電話の音がザワザワしたところでは一切聞こえない
    というのはやっぱりAPD疑惑があるなぁと思った
    出てきた人は生きづらさを感じている人が多かったが、自分はなんとか飲食のバイトも、現在の仕事もどうにかなってるので、診断に行くほどじゃないんだとは思うけど、
    こういった人が他にもいるというのは安心できた

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    2025年12月02日
  • ぼくが生きてる、ふたつの世界

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    コーダの著者。抱える問題点や苦悩がリアルに伝わってきた。聴覚障害にがかわらず、いろんなことを知ることは大事だと思う。

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    2024年09月24日
  • 聴こえない母に訊きにいく

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    人として考えることは皆同じなんだと思いました。
    障がいがあるなしは関係なく、人としての思いやりを持ちながら、いろいろな人と関わり合うことが大切なんだと思いました。

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    2024年08月24日
  • ぼくが生きてる、ふたつの世界

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    読みやすかった。たまたま私が手話に関心があるから出会えた作者ではありますが、映画を機に、手話とか聴こえない方とか、優生保護法とかにまったく今まで関心のなかった方々に届くといいなぁ。

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    2024年07月14日
  • 聴こえない母に訊きにいく

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    コーダである著者が母に訊いてみたかったこと。

    それは、母のことを…知らなかったことを…知ることになり、わかったこともたくさんあったことが記されている。

    知らなかった過去の話には、差別や偏見が見え隠れしていたが、母からは恨み言のひとつもなかった。

    ほんとうは、もっともっと泣きたいことや起こりたいことがあったはずだろうと思うが、子どもがいるということがとても幸せなことだと感じていたからかもしれないと思った。

    祖父が娘でも呼びかけやすいようにと『だ、い』と名前をつけたことに深い愛情を感じた。



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    2024年04月09日
  • 聴こえない母に訊きにいく

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     今まで、聴こえない人「ろう者」がほとんどいない暮らしをしてきた。
     もちろん手話はテレビなどで見たことはある。
     やってみたいと思ったこともある。
     しかし、やらなかった。
    この気持ちに近いことを、著者はこのように記している。
    手話は、「ろう者の間で自然発生的に生まれた、独自の言語」である。
     そう、手話という言語なのだ。
    例えば、英語を話せなくとも、今現在暮らしていけるから、英語を学ばなくても生きていける、と言う感情と同じなのだ。
     もし、他言語を学んだら、見える景色が変わるのだから、手話という言語を学んでみたら、ろう者と関わることなく暮らしている私も、少しは世界が変わって見えるのだ。
     

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    2023年12月21日
  • 隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録

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    療育の現場でワーメモやLDの問題として扱っているのではないか不安になった。機能性構音障害としてみてるけど、ほんとは…ということもあり得るのか?カテゴライズすることを目的にするのではなく、困り感や症状をそのまま受け止めて対応でいいのか?いや、カテゴライズした方がより適切な対応に繋がるのかな?
    色々と考えるきっかけになりました。

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    2023年12月04日
  • 聴こえない母に訊きにいく

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    人に歴史あり。
    コーダである著者のお母様、冴子さんの人生について著者が本人や関係者から話を聞きながら浮かび上がらせる1冊。

    自分でない人の人生について、何か決めつけたり、まして批評するのは危険なことだと思うのだけど、著者はあくまで聞き取ったことについて自分がどう感じたか、をベースに書いていた気がする。

    優生保護法のくだりは私も読んでて辛かったな。
    目を背けたくなる事実だし、思考を放棄したくなる問題でもある。

    でもこの本を読んで、私の中にコーダである五十嵐大さん、聴覚障害を持つ冴子さんや浩二さん、その家族である銀三さん、奈江子さん、佐知子さんや由美さん、聴覚障害児の教育に携わる方々など色ん

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    2023年11月22日
  • 聴こえない母に訊きにいく

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    ろうの両親を持つコアの作者が母について書いている。恥ずかしくて両親の障害をひた隠しにしたとあったが、まだまだ社会の差別はこういった方にもあるんだな。

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    2023年10月25日