イザベラ・ディオニシオのレビュー一覧
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テンポよく平安古典を語る。美女といわれるけれど、実は後ろ姿しか分からない小野小町。清少納言、道綱母、伊勢物語の女たち、そして紫式部と有名どころが続く。作品から想像するそれぞれの女性著者たちの性格、当時の社会の中でもがいた姿。平安時代は自由恋愛、通い婚。相手の顔を見ないで恋心を募らせ、「見る」という言葉がすでに男女の関係を持つことを意味した時代。ダンテのイタリアでは「知る」という言葉に相当するという。ダンテがフィレンツェで思いを寄せたベアトリーチェはフィクション半分だろうけれど、最後まで距離を保ったまま。相手とアイコンタクトを取る場所は日曜の教会くらいしかない。教会に行く、と言う行為には、宗教的
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文学作品に登場するツッコミどころ満載の男たちを”斬って”いて、ちょっと溜飲を下げつつ楽しめる。「こんな風に感じるのは自分の文学を味わう素地が足りないから」と思っていた”名作”ついて、ああ、やっぱりそう読んでもいいのよね、という追認というか、時代背景を加味してもなお感じる「割り切れなさ」は多くの人が感じているのだということが分かって、ちょっとほっとした感じ。
内容とは無関係に、いくら日本文学が専門だといっても、ここまで日本語が軽快に操れる著者の言語能力に敬服。読める、分かるということと、書ける、ということの間にはかなり隔たりがあるはずだから。著者を知らずに読んでいたら、間違いなく日本語ネイティブ -
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イタリア人女子が語る日本の古典文学の魅力。妄想力全開のところは万国共通。
本当にイタリア人女子が書いたのか、ゴーストライターがいるのでは、勘ぐってしまうほど自然な日本語かつ日本の古典文学に関する深い知識の内容の本。
「和泉式部日記」「更級日記」「古今和歌集」「蜻蛉日記」「伊勢物語」「とはずがたり」「紫式部日記」「竹取物語」を現代的な視点から縦横無尽に語る。よくぞここまで日本の古典を愛し読み込んでくれたものだと思う。
平安女子、現代とは生活習慣や文化は当然異なるが感情は現代の日本人そしてイタリア人でも変わらない。
作者なキャラクタの直球勝負の解釈が心地よい。
和泉式部=平安京を騒がせた -
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レビューの前に、本書のテーマにまつわる私怨を成仏させたい。(いい迷惑)
高校の現代文で文学が苦手になった。
作家や代表作を時代順に暗記させられる。あんな実を伴わないカリキュラムと空気感では読んでみようと思う方が難しい。
本書にも取り上げられている与謝野晶子は「恋心を情熱的に詠った歌人」という超絶ライトタッチな解説で、情熱よりもよそよそしさの実感が湧いた。そんな風に文学の垣根は次第に高くなっていき、越えようとする気力も削がれていった。
でもイザベラさんは違う。
日本文学者の彼女が大好きな10名の女流作家(「女流」を付けることに”NO”と言う風潮は自分も賛同する)を本書に集結させ、作風や作家自 -
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漱石の『こころ』の章が面白かった。
そうそう!もやもやする。Kって結局、失恋だけが原因で自殺しちゃったの?え、まじで?先生は、自分の内面のことばっかりで抜け駆けしてまで結婚したお嬢さんを大事にしている風でもない感じだし。お嬢さんはどう思ってるの?そもそも、先生って誰…。
あとは、太宰と、
菊池寛の『真珠夫人』と有吉佐和子の『悪女について』の比較のはなしも。
確かに、男が男(自分)のことばっかりぐじぐじ書いてるな。
読んだあとのもやもや、納得できない感というか、消化不良感の原因はここかー。
でも悔しいことに、文章の美しさの快感で読み通してしまうんだよな…。 -
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ネタバレ中学、高校のころは漫然と触れていた近現代の文豪たちも作品も大人になって読み返してみると、女性への解像度の低さに唖然とする。読み進めながら(んなわけねーだろ!!)とちゃぶ台をひっくり返したくなるような気持ちになるのだ。
これはある意味で現代に生きる女性たちから文豪たちへのカウンターとして生まれたブックガイドでもある。私が本書に取り上げられている作品のなかで読んだことがあるのは「舞姫」「こころ」「痴人の愛」「ヴィヨンの妻」あたりだが、やはり読んでいてツッコミどころが満載なのである。女性のことをなんだと思ってるんだー!と叫んでやりたい。イザベラさんが我々に変わって「おいおい!」とキレ味するどいツッ