ごはんが無ければ人間は生きていけない。逆に言えば、生きるという営みの中には「ごはん」が必ず鎮座しているわけであり、その人が食べる食材や食べるための調理法は、その人の日々の生活を映し出す鏡とも言える。
では、世界のヤバい場所で暮らしている人たちは、どんなヤバい飯を食っているのだろうか?
そうしたコンセプトのもと製作されたテレビ番組、「ハイパーハードボイルドグルメリポート」を書籍化したのが本書。もともとはテレビ東京の深夜番組として映像化されていたが、書籍化にあたり番組では(尺的にも内容的にも)放送できなかった未公開エピソードを大幅加筆しており、番組を作成していた上出氏の心情や考えがありありと表現されたまさに「完全版」の一冊である。
「ヤバさ」と一言で言っても、ベクトルはさまざまだ。食人者と言われている元少年兵が食べる廃墟飯、路上生活を重ねるドラッグ中毒の娼婦が食べる屋台飯、台湾マフィアたちの酒池肉林、カルト宗教の信者が作るベジタリアン料理、有害物質で汚染された豚を食べるスカベンジャーなど、極上から最底辺まで幅広く、「ヤバさ」の中でもこんなに格差があるのかと思い知らされる。清潔で安全な日本では考えられないような「食べられればいい飯」が出てきたと思ったら、逆にまともな料理なのに食べている人が全然マトモじゃなかったり、読んでいてワクワクするほどのバラエティーに富んでいた。
本書を貫くコンセプトは、「人には人の正しさがある」だ。物乞いや強盗をして食事にありつく者もいれば、朝から晩まで低賃金の仕事をこなし、なけなしの銭で米を買う者もいる。
「清貧に甘んずる」のを美徳とするのは満ち足りた人々だけだ。日々の食事に事欠く人々は倫理では測れない。人は食わなければ死ぬし、食うためなら何だってしてもいい。リベリアやケニアの貧困者たちを先進国の基準で捉え、彼らに道徳を説いてしまえば、彼らの背後に潜む悲惨さから眼を背けることになる。
取材に応じてくれた人たちは、社会から切り離された存在である。内戦の影響で住む家を無くした元政府軍と元反乱軍、動物を殺すことへの罪悪感から植物と乳製品だけを食べる街、ゴミ山で生きるしかなく、鉛で汚染された食物を食べて身体を壊す子どもたち。彼らの食事を通じて描かれる世界のリアルとは、「ヤバい」と「普通」の間、そして「正義」と「悪」の間は切り分けられないほどぼやけているということだ。そして、食事の間だけは善悪を忘れられることができ、美味しい食事に舌鼓を打つのは誰もが同じということだ。食事は現代社会が抱える闇を浮きぼりにするが、同時に闇を忘れさせてくれる存在であるのかもしれない。
本書は、私たちとはかけはなれた「ヤバい」状況のもとごはんを食べる人々のルポだが、不思議と食事の様子は想像ができるし、「食べてみたい」と思えるようなものも少なくない。過酷な環境で生きながらも、みな食べると言う行為を楽しみにしており、日々の生活と毎日の食事に真摯に向き合っている。世界のアングラな部分を見ながら食について再考できる一冊。ぜひ味わってみてほしい。