小笠原弘幸のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この本は激動の歴史の中でケマル・アタテュルクがどう人々に関わり、どう決断を下していったのかが深く描かれていて、本当に圧倒されました。
特に心に残ったことが3点あります。
一つ目は、彼の知性と人間としてのあり方です。
アタテュルクは、他の人とは全く違う次元で物事を見ていたように感じます。周囲がぼんやりとしか捉えられていない中で、彼一人だけが世界を「高解像度」で見て、進むべき道を確信していた。そんな凄みを感じました。何より感銘を受けたのは、彼に一切の「虚栄心」がなかったことです。自分を大きく見せることには興味がなく、ただただ国家の存続だけを考えていた。軍の上司に対しても、媚びることなく自分の信念をぶつける圧倒的な発言力。ガリポリの戦いでの彼の活躍を読んだときは、本当に鳥肌が立ちました。
二つ目は、オスマン帝国の終焉から建国へ向かう執念です。
かつての大帝国が時代の波に取り残され、列強に切り刻まれていく様子は読んでいて辛いものがありました。しかし、そのどん底の状況でアタテュルクは立ち上がりました。ただ土地を守るだけでなく、アンカラ政府を樹立し、帝国の廃墟の中から「トルコ共和国」という全く新しい国を創り上げた。その軌跡はまさに圧巻の一言です。
最後に、改革の凄まじさとリーダーとしての孤独です。
世俗主義や言語改革、西洋化といった彼の改革は、当時の常識をはるかに超えた高い視座で行われました。強烈なリーダーシップで国を造り変えていく一方で、この本は「人間ドラマ」としての側面も描いています。イスメト・イニュのような忠実な戦友もいれば、かつての同志たちの裏切りや離別もあった。これほど過激な変革を成し遂げる道が、どれほど孤独で覚悟のいるものだったか、深く考えさせられました。
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Posted by ブクログ
ケマル・アタチュルクの人生、業績に焦点を絞った著作。最後に、アタチュルク後のトルコを簡単にまとめている。著者の『オスマン帝国』と併せて読めば、イスラムの勃興から現在のトルコ共和国まで、オスマン帝国とアタチュルクの時代を中心にトルコの歴史をザックリ押さえることができる。
これまでガリポリの英雄でトルコ共和国建国の父という程度の知識しかなかったが、出生や幼年期の経験、友人や女性との交友関係、その当時のバルカン情勢なども追うことでどんな人かというイメージが湧いてくる。
本書の内容というよりも読んで感じたことを何点か記したい。
・アタチュルクの行動範囲や視界を見ると、サロニカ生まれで軍人時代の任地も関係しているとは思うものの、ロシアも含む欧州との関係が9割以上であり、東は国境を接するアルメニア・クルド・シリア・グルジアあたりまで、オスマン帝国領をどのように確定し、トルコ領内に残ったクルド人をどのように共和国に統合するかという程度で基本的に意識が西に向いている。尤も主要な脅威がそちらから来るからなのだが。
・アタチュルク後、トルコの政局がクーデターもあって長らく不安定で21世紀のエルドアンの台頭により安定するが、そこでダウトオール外相が提示した全方位外交は、まさに脱欧入亜(イスラム)という意味で歴史的に時代を画するものであったことがよく理解できた。
・第一次大戦前、セルビアの秘密結社が対オーストリアで暗躍していたが、トルコでも青年トルコ党はじめそれが一般的だった模様。
・オスマン帝国は専制君主とより権力分立した君主も存在していたが、アタチュルクの独裁志向は専制君主並みであり、それによって非常時を乗り越えられたとも言え、危機においては権力集中も必要かとは思う。しかし、早すぎる死が晩節を汚さなかったのかもしれない。
・歴史のイフではあるが、ケマルの下でのオスマン軍は、英国正規軍やアンザック部隊を退け、東アナトリアでもロシア相手に敢闘。部隊長レベルではなく、もう少し早く生まれて参謀総長レベルであったらオスマンはまだ続いてかもしれない。
・その関係で言えば、権力のみならず権威の集中の必要性を感じたからこそ独裁者としてのアタチュルクは、スルタン廃位に続き、カリフも廃位して世俗化を強調している。しかし、政治・軍事なやエリートを含む大多数の国民はカリフの存在には否定的ではなかった。その反映か、死後には徐々にオスマンの歴史的遺産が強調されている(特にエルドアン政権)。
・権力権威を集中した結果、アタチュルク死後のトルコ政治は不安定なものとなる。カリフ制のみを残せば、日本の象徴天皇制度や欧州の王室制度と同様にトルコの強み・資産になったのではと思う。
・スルタン・カリフ制は、日本の天皇の権力・権限の変遷を考える上でも比較対象として面白そう。
この辺にしておくが、知識の欠落を補い、色々と思索を拡げさせていただいた本書に感謝!
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Posted by ブクログ
存在はもちろん知っているが、実はオスマン帝国について何も理解していなかったことが改めて理解できる一冊。
オスマン・トルコ帝国と言えば、セルジューク朝に取って代わる形でトルコ系の盟主となったものの、ティムールに一度崩壊させられたが、メフメト2世が1453年にコンスタンチノープルを陥落させて千年王国を滅亡させ、スレイマン一世の最盛期には地中海を支配してウィーンも脅かし、プレヴェザの海戦で欧州連合軍を撃破した。その立役者がヨーロッパから拐われた白人奴隷によるイェニチェリ軍団。しかし、1571年のレパントの海戦で負けてから退勢に入り、後はロシアを中心とした欧州勢にやられるがままで、領土を削られ、第一次世界大戦で選択を間違って滅亡した。というのが私の理解で、ほぼ世界史の授業に沿った理解と思う。
本書はまず冒頭で、オスマン・トルコなんてものは西洋の呼び方で、そんな自己規定はオスマンの人々はしていなかった。オスマンはトルコ人だけの国ではなく、多民族からなる帝国であり学術的にはそれが正しいとの議論が展開され、いきなり仰天。
また、拐われて奴隷にされ戦争に駆り出された可哀想な奴隷の印象があったイェニチェリは、さにあらず、拐われたり買われたりして、君主の所有物(生殺与奪権は君主)であったことは事実だが、イスラムにおける奴隷は比較的自由に生きていて、国の舵取りをする大宰相になる人も多く、イェニチェリ自体が近衛師団的、エリート軍団で実際にクーデターで皇帝を変えたこともしばしば。また、東アジアやヨーロッパと異なり、生母の格は関係なく、ほとんど全ての皇帝の母は奴隷出身。その方が、外戚の影響力が無くて良いと考えられたシステム。
そして、オスマンのイメージは16世紀で終わってしまいがち(あとは19世紀の弱すぎて力の真空→紛争を生み出す元のイメージ)だが、国の勃興期からスレイマン一世までの時代は本書の半分であり、それ以降の歴史も半分に亘って記述されている。それは、君主中心の帝国から分権して広大な帝国統治を可能にする官僚制、イェニチェリや常備騎兵、ウラマー、宮廷勢力などの分権化、欧州の技術、制度の導入を進めたほか、イスラム文化・学術の発展の時代でもあった。
しかし、時代の要請に応じて帝国支配体制を徐々に微修正していく歩みは、絶え間ないヨーロッパの諸帝国の技術革新、ナショナリズムによる独立運動のスピードについていけず瓦解することになる。
同時代である日本の江戸時代は旧弊を同様に微修正(オスマン帝国よりも更に遅いか)したが、時代の流れについていけずに明治維新という革命で一気に近代化を奔流のように進めた。オスマンの改革は、清国の洋務運動のように遅々として不徹底だったか。常に西洋の近くに存在し、少しずつしか変えられなかったことによる弊害なのかもしれない。
なお、オスマン帝国後、ケマル・アタチュルクが徹底した世俗化を進めたが、その後、オスマン帝国の遺産が見直されているといる。 -
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ネタバレ中公新書の「ケマル・アタテュルク-オスマン帝国の英雄、トルコ建国の父 」に続いて読んだが、分かりやすく面白い。すっかり小笠原先生のファンになってしまった。淫蕩なイメージのある「ハレム」についてその歴史からその構成員を主軸に描いている。巻頭にオスマン帝国周辺地図と歴代スルタンの一覧があり、本書を読み進める上で非常に役に立った。「ハレム」という王位継承者を確保するのに最適な官僚機構について興味深く学ぶ事ができた。
【第1章 ハレム前史】
王族女性が「トルコ・モンゴル型」から「アッバース朝型」への変遷過渡期に2代目スルタンの寵姫ニルフェルの存在があったとの事だが、その変遷理由が分からなかった。スルタンの妻が衆目の目に晒されるか否かや、名家出身か奴隷かでは全く価値観が違うが。
【第3章 女官たち】
ドラマ「オスマン帝国外伝」を視聴していたため良く理解できたが、奴隷身分である女官がハレムの官吏として働いていた事は改めて面白い。かつてのアメリカの奴隷制度と全く違い、不可触民ではなく単なる身分制度。女官朝に至っては母皇よりも高い棒給を得ていた。
【第5章 宦官たち】
宦官手術の死亡率が25〜50%と高いことから宦官が高価になり、通常の奴隷の2〜3倍で取引されたという話は興味深い。ビザンツ帝国やオスマン帝国から中華帝国まで様々な地域で用いられた宦官だが、中国から強く影響を受けた日本には制度として取り入れられなかったのは何故なのだろうか。
【第7章 ハレムと文化】
宗教的寄進の際、出資者がモスクなどの公共性の高い施設と共にその後の運営のために店舗などの利益を生み出す物件を用意する仕組みには感心させられた。同時代のキリスト教社会では考えられない、この合理的な仕組みは、流石は元商人のムハンマドが創始した宗教である。
【終章 ハレムの歴史的意義】
「ハレムは徹頭徹尾、王位継承者を確保するという目的に最適化された組織だった。いわば、ハレムは官僚組織であり、ハレムに住まう人々は官僚だったのだ。」「皇室を有する日本を含め、世襲君主制を採用している民主国家では、後宮不在の時代にいかに君主の後継者を確保してゆくか、という問題に直面している。現代における君主制は、こうしたアポリア(難問)をかかえて運用せざるを得ないのである」 -
Posted by ブクログ
巨大なイスラム文明の象徴とも言えたオスマン帝国の繁栄と衰亡の600年を日本で初めて詳細にまとめあげた上で、一般の読者にも分かるよう配慮されている貴重な一冊。カリフとスルタンと近代的立憲民主制のせめぎ合いの中で、巨大な帝国が翻弄されて滅亡していく様は、ひとときの夢のようだったモンゴル帝国のそれとは重みが違った。オスマン帝国はかつては負の遺産として封印されようとしていたが、今のエルドアン大統領の政権下で、イスラム的価値観の再評価とオスマン帝国の再評価が行われ、公的に称賛されている。カドゥザーデの時代、タンズィマートの時代を経て、エルドアン大統領により、イスラム主義のアブデュルハミト2世のような時代がまた来るのだろうか。
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Posted by ブクログ
複雑な歴史だった。
キリスト教圏ではない、イスラム教圏の入口として読むには、一本の道としての理解が出来る良本。
フランス史も複雑で、いつからが本当の国なのか、色んな書籍を読んでもし難いんですけど、それと同じく、中東の大国としてあるにも関わらず、統一国家という意味でなかなか理解がしづらく、頭の整理がいつも出来ない。
島国日本の様に、分かり易い国境が示しがたく、領土の拡張や奪還、または奪われ放棄しつつ国家の体を成しているから、という事だけは理解している。
あとは、自民族だけで成立しないので、多民族との共生が、物事や政治、統治の方法論が、時代で変化しているんだなと。
オスマン帝国があったがゆえに、結果、イスラム教が守られてきた事だけ、ぼんやりと覚えておく。
キリスト教と違う、宗教と国家との繋がり方になり、政教の試行錯誤があり、その中で血を出しながら、やはり進化をしている。
「柔かい専制」、18世紀がその到達点。
柔かくなる事は人間性の顕れで好ましい。
結果、その柔らかさが、帝国の命運を奪った。
政治と宗教が共存させる、民主化の違う可能性も見えかけてた。
やはり、国家は、難しい。。。 -
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ネタバレ今までは塩野七生の描くキリスト教社会から見たイスラム社会としてしか認識していなかったオスマン帝国の実像を初めて知ることができた貴重なオスマン通史。どうもイスラムというと中世的で原理主義的に思ってしまうが、実のところはキリスト教社会も中世は極めて原理主義的かつ非人間的であるところがあり、むしろオスマン側のほうが他宗教に寛容でさえあったという。現在のイスラムのイメージとは大分違うとともに、たぶん日本がヨーロッパ的価値観に縛られているためにそのように感じるのだと思う。それが再認識できる非常に素晴らしい本。まあ、後継者争いを避けるために兄弟殺しをするなど今考えるとあり得ないようなことも起きていたが、それも中世という時代背景の下でのことであり、実際に日本の戦国時代においても兄弟殺しは一般的であったことを考えると仕方ないことなのだと思う。今のトルコとオスマン帝国の関係さえ知らなかったので、本当に勉強になった。
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Posted by ブクログ
なぜオスマン帝国は長く、600年もの命脈を保ったのかを説明したのが本書。
目についたのは2点。
一つは、奴隷の活用。
一方は、権力分立。
奴隷の活用という点では、これほど徹底している帝国もあるまい。次代の母后から大宰相まで、余すところなく奴隷なのだから。確かにこれでは強大な外戚も発生すまい。また、強大な力を持った臣下も、奴隷という身分であれば処刑するのも容易であろう。ただひたすら主君のみが絶対であれば、それだけ安定する。しかし、それゆえ血の粛清があれほど激しいく、惨い。
権力分立については、一種の公有制で担保している。例えば、徴税権のみを保証し、土地の領有は許さない。一種のサラリーマンである。これなら豪族も生まれ難い。 -
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最近はオスマントルコとは言わんとか、あとは塩野小説の敵役としてくらいしか知らんかったのでいろいろおもしろかった。約600年続いて親子兄弟甥っ子以上に離れた王位継承がないってすごいよね。兄弟殺ししかり鳥籠しかり現代から見ると人権的にどうよ、ってのはさておき王家の存続のためには優れてるし、重臣を奴隷から登用することで世襲で王家を脅かす存在を作らないってのがこれだけ長く機能したのもあまり他で聞かない気がするし。スレイマンの時に全盛期を迎えてから遺産を食い潰しながら腐っていったイメージしかなかったけど、もちろん腐って崩壊するのを食い止めようとした人々がいたわけで、特にナポレオン以降は塩野の範囲外やし読んだことなかったから特に興味深い。
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Posted by ブクログ
ネタバレオスマン帝国がどのように始まり、どのように発展し、どのように限界を迎えて滅亡に至ったかについて、各スルタンを中心に、著者が述べているように情報量が少ない古い時代を含めて各時代を均等に扱う形で書かれているため、満遍なく学ぶことができた。特に、残酷に思える王位継承のシステムが帝国の長い存続に寄与していたこと、モンゴル帝国と異なり王の権威として生母の貴賤が問われない(むしろ母親が奴隷である方が外戚が政治に介入しないため好まれた)という記述は大変勉強になった。また、ムスタファ・ケマルによるトルコ共和国建国以降は世俗化が進んだが、第二次世界大戦後にはイスラム的要素に回帰する傾向が生まれ現在に至るという話も興味深かった。
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Posted by ブクログ
ネタバレ表題とは異なり、1453年のコンスタンチノープル陥落は中世を終わらせたわけではないと逆説的に述べる。また、トルコではメフメット2世とコンスタンチノープル陥落は長らく評価されず、19世紀にオスマン主義(啓典の民による宗教別分離とジズヤから諸民族の国民化)の勃興とその破綻によるトルコ民族主義の台頭の中で、評価されるようになった。
(1453年の世界史の事象を挙げて、その影響を述べよという東大入試問題があったけれども(コンスタンチノープル陥落と百年戦争終結)
・メフメット2世は、中央集権化を強力に推し進めた。イスラム学院の創設によるウラマーの育成・国家公務員化とカーディ(地方の法官)への任命、伝統的ウラマー、トルコ人貴族、キリスト教徒有力者の排除とデヴシルメによる官僚・軍人育成制度の確立、封建制の解体とティマール制の拡大など。