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オスマン帝国は1299年頃、イスラム世界の辺境であるアナトリア北西部に誕生した。アジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸に跨がる広大な版図を築いた帝国は、イスラムの盟主として君臨する。その後、多民族・多宗教の共生を実現させ、1922年まで命脈を保った。王朝の黎明から、玉座を巡る王子達の争い、ヨーロッパへの進撃、近代化の苦闘など、滅亡までの600年の軌跡を描き、空前の大帝国の内幕に迫る。
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Posted by ブクログ
存在はもちろん知っているが、実はオスマン帝国について何も理解していなかったことが改めて理解できる一冊。 オスマン・トルコ帝国と言えば、セルジューク朝に取って代わる形でトルコ系の盟主となったものの、ティムールに一度崩壊させられたが、メフメト2世が1453年にコンスタンチノープルを陥落させて千年王国を...続きを読む滅亡させ、スレイマン一世の最盛期には地中海を支配してウィーンも脅かし、プレヴェザの海戦で欧州連合軍を撃破した。その立役者がヨーロッパから拐われた白人奴隷によるイェニチェリ軍団。しかし、1571年のレパントの海戦で負けてから退勢に入り、後はロシアを中心とした欧州勢にやられるがままで、領土を削られ、第一次世界大戦で選択を間違って滅亡した。というのが私の理解で、ほぼ世界史の授業に沿った理解と思う。 本書はまず冒頭で、オスマン・トルコなんてものは西洋の呼び方で、そんな自己規定はオスマンの人々はしていなかった。オスマンはトルコ人だけの国ではなく、多民族からなる帝国であり学術的にはそれが正しいとの議論が展開され、いきなり仰天。 また、拐われて奴隷にされ戦争に駆り出された可哀想な奴隷の印象があったイェニチェリは、さにあらず、拐われたり買われたりして、君主の所有物(生殺与奪権は君主)であったことは事実だが、イスラムにおける奴隷は比較的自由に生きていて、国の舵取りをする大宰相になる人も多く、イェニチェリ自体が近衛師団的、エリート軍団で実際にクーデターで皇帝を変えたこともしばしば。また、東アジアやヨーロッパと異なり、生母の格は関係なく、ほとんど全ての皇帝の母は奴隷出身。その方が、外戚の影響力が無くて良いと考えられたシステム。 そして、オスマンのイメージは16世紀で終わってしまいがち(あとは19世紀の弱すぎて力の真空→紛争を生み出す元のイメージ)だが、国の勃興期からスレイマン一世までの時代は本書の半分であり、それ以降の歴史も半分に亘って記述されている。それは、君主中心の帝国から分権して広大な帝国統治を可能にする官僚制、イェニチェリや常備騎兵、ウラマー、宮廷勢力などの分権化、欧州の技術、制度の導入を進めたほか、イスラム文化・学術の発展の時代でもあった。 しかし、時代の要請に応じて帝国支配体制を徐々に微修正していく歩みは、絶え間ないヨーロッパの諸帝国の技術革新、ナショナリズムによる独立運動のスピードについていけず瓦解することになる。 同時代である日本の江戸時代は旧弊を同様に微修正(オスマン帝国よりも更に遅いか)したが、時代の流れについていけずに明治維新という革命で一気に近代化を奔流のように進めた。オスマンの改革は、清国の洋務運動のように遅々として不徹底だったか。常に西洋の近くに存在し、少しずつしか変えられなかったことによる弊害なのかもしれない。 なお、オスマン帝国後、ケマル・アタチュルクが徹底した世俗化を進めたが、その後、オスマン帝国の遺産が見直されているといる。
全編にわたり面白かった。第3章までは世界史の教科書では空白地帯になっていることも多く、毎日1ページごとに参照メモをとりながら読み進めた。
巨大なイスラム文明の象徴とも言えたオスマン帝国の繁栄と衰亡の600年を日本で初めて詳細にまとめあげた上で、一般の読者にも分かるよう配慮されている貴重な一冊。カリフとスルタンと近代的立憲民主制のせめぎ合いの中で、巨大な帝国が翻弄されて滅亡していく様は、ひとときの夢のようだったモンゴル帝国のそれとは重み...続きを読むが違った。オスマン帝国はかつては負の遺産として封印されようとしていたが、今のエルドアン大統領の政権下で、イスラム的価値観の再評価とオスマン帝国の再評価が行われ、公的に称賛されている。カドゥザーデの時代、タンズィマートの時代を経て、エルドアン大統領により、イスラム主義のアブデュルハミト2世のような時代がまた来るのだろうか。
600年にわたって一つの王朝が続いたオスマン帝国――その継続の理由が本書を読めばわかるだろう。また、多くの君侯国の中からオスマン朝が覇者となった理由も――オスマン帝国の政治史がわかりやすくまとめられている。各時代のオスマン帝国の体制の変遷や諸国との関係についての叙述、さらには現代史への言及もある。ど...続きを読むんなに短期間の在位のスルタンにも何かしら述べられている。系図ページは何度も見返すことになるだろう。コンパクトなオスマン帝国入門書。
やっぱり集権的帝国の時代の冷徹な歴史が一番おもしろかった。権力をどう握ってどう維持するか、権力の集中と分散それぞれの長所と短所。イスラム教という宗教と現在の中東問題。同じ地域にあったペルシャ帝国についても見たくなった。
オスマン帝国に全く触れたことのない私にも、わかりやすく楽しく読める新書でした。でもたった300ページで600年を語るため、1ページごとの圧がすごくてもう2,3回は読まないと色々覚えられそうにないです笑。 噂には聞いてたけど本当に兄弟殺しまくっててウワーッと思った、でも君主崩御後の跡目争いとどっちがい...続きを読むいかと言われると… 他国との接地面?が広すぎて、ロシアもオーストリアもエジプトも出てくるの面白すぎですね、壮大
本書の区分で言うところの「集権的帝国の次代」以外の知識はほぼ持ち合わせていなかったので、非常に興味深く読めた。特に近代化の時代は現在のトルコ共和国に通ずる点も多くあり示唆に富む内容だった。長い歴史が君主を軸に叙述され、権力構造がどのように変遷していくかもよく分かる良書。
複雑な歴史だった。 キリスト教圏ではない、イスラム教圏の入口として読むには、一本の道としての理解が出来る良本。 フランス史も複雑で、いつからが本当の国なのか、色んな書籍を読んでもし難いんですけど、それと同じく、中東の大国としてあるにも関わらず、統一国家という意味でなかなか理解がしづらく、頭の整理が...続きを読むいつも出来ない。 島国日本の様に、分かり易い国境が示しがたく、領土の拡張や奪還、または奪われ放棄しつつ国家の体を成しているから、という事だけは理解している。 あとは、自民族だけで成立しないので、多民族との共生が、物事や政治、統治の方法論が、時代で変化しているんだなと。 オスマン帝国があったがゆえに、結果、イスラム教が守られてきた事だけ、ぼんやりと覚えておく。 キリスト教と違う、宗教と国家との繋がり方になり、政教の試行錯誤があり、その中で血を出しながら、やはり進化をしている。 「柔かい専制」、18世紀がその到達点。 柔かくなる事は人間性の顕れで好ましい。 結果、その柔らかさが、帝国の命運を奪った。 政治と宗教が共存させる、民主化の違う可能性も見えかけてた。 やはり、国家は、難しい。。。
なぜオスマン帝国は長く、600年もの命脈を保ったのかを説明したのが本書。 目についたのは2点。 一つは、奴隷の活用。 一方は、権力分立。 奴隷の活用という点では、これほど徹底している帝国もあるまい。次代の母后から大宰相まで、余すところなく奴隷なのだから。確かにこれでは強大な外戚も発生す...続きを読むまい。また、強大な力を持った臣下も、奴隷という身分であれば処刑するのも容易であろう。ただひたすら主君のみが絶対であれば、それだけ安定する。しかし、それゆえ血の粛清があれほど激しいく、惨い。 権力分立については、一種の公有制で担保している。例えば、徴税権のみを保証し、土地の領有は許さない。一種のサラリーマンである。これなら豪族も生まれ難い。
最近はオスマントルコとは言わんとか、あとは塩野小説の敵役としてくらいしか知らんかったのでいろいろおもしろかった。約600年続いて親子兄弟甥っ子以上に離れた王位継承がないってすごいよね。兄弟殺ししかり鳥籠しかり現代から見ると人権的にどうよ、ってのはさておき王家の存続のためには優れてるし、重臣を奴隷から...続きを読む登用することで世襲で王家を脅かす存在を作らないってのがこれだけ長く機能したのもあまり他で聞かない気がするし。スレイマンの時に全盛期を迎えてから遺産を食い潰しながら腐っていったイメージしかなかったけど、もちろん腐って崩壊するのを食い止めようとした人々がいたわけで、特にナポレオン以降は塩野の範囲外やし読んだことなかったから特に興味深い。
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オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史
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オスマン帝国 英傑列伝 600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち
ケマル・アタテュルク オスマン帝国の英雄、トルコ建国の父
世界史のリテラシー オスマン帝国は、いかに「中世」を終わらせたか コンスタンティノープル征服
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