綿野恵太のレビュー一覧
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タイトルを見た時は「逆張り批判」の本かと思ったが、「逆張りする人」と「『逆張り』だとレッテルを貼る人」の立場を両方分解していて、解像度が高かった。
著者がまだ35歳と若く、SNSの動向に精通していたため、強い実感をもち議論を受け入れることができた。
逆張り≒逆張り冷笑おじさん→冷笑→笑い、という流れで、笑いとリベラルの相性の悪さが論じられていて、「『笑い』は(笑われている)他者と自分を切り離さないと成立しないものであるから、弱者と寄り添うリベラルと相性が悪い」という主張はストンと腹に落ちた。
(茶化しの笑いと自然に出る笑いは少し毛色が違うという気はする) -
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問題を訴えることが盛んな時代だ。問題が問題だけど、問題だ、の問題もあるのだろう。僕はしばらく読書は数だったけど、一つの本を何度も読むことも両立していくことにした。数を読むのは自分の拾えるところを拾う傾向になる。知らないことを埋めるのにはいい。ただ、思い込みを壊すのには一つの本を読むといい。ある種、勘違い、汚れの自覚というかそういう修行みたいなことは必要だ。
前書きである店のデモを思い出した。このひと時代で、時代の空気に乗るのが商売のようなった。乗ってはまずい時代の空気もあるのを誰もが忘れてしまっているのではないかと思う。平成期の歴史も知っておかないと考えられないこともたくさんある。社会の問題 -
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最近、Twitterをちらほら見初めて、セクハラ・差別などについての意識が高くて感心したが、徐々に違和感を感じ、うっとおしくなってきた。
本書はポリティカル・コレクトネスを巡る、その違和感を言語化するものだった。タイトルの「けれど。」がその感じを出している。
「差別主義者も反差別主義者もみずからを『足の痛み』を抱えた『弱者』だと相手に提示して、『責任』=『負債』を他者に負わせようとしている、といえる。ポリティカル・コレクトネスが社会を覆う状況にだれもが息苦しさを覚えるのは、『とんでもない責任のインフレ』=『無限の負債』を感じるためである。そのうっとおしさから逃れようと、すべての『負債』を肩代わ -
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タイトルが聞き捨てならない。例えば、兵庫県知事選やトランプ再選のことか、または最近は結構廃れたTwitter動員みたいなことかと連想する。
この字面だけで感情を煽られて反感をもったり少しイライラした感じになるのが直感システムである。誰しもが直感システムによる認知バイアスをもっているため、バカになってしまう。(タイトル及び著者の煽りの意図への反感で数年この本を買わなかった。)
これに対して、直感に任せずに一旦立ち止まり、理性を働かせて言語・論理によって考えるのが推論システムだ。しかし、推論システムが万能かといえば、もはや理性を働かせて熟議をしたところで、同じ意見の人が集まるだけの部族主義に陥って -
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基本的にはロールズの正議論に則り、「正体が無知のヴェールに包まれた状態」におけるものに立脚していたいものの、生得的な違いなどにより、平等ではない事実(女性のほうが感情的だったりすることを裏付けるデータだったり、人種によってIQ平均値の統計的な差異が認められていることなど)により、それが上っ面な正義でしかないことが明らかになってきた。また、女性の平等を求めたとしても、それに見合う効能とコストがあるのかと指摘し、棄却するような功利主義(それぞれの正義や道徳の対立を効能とコストの観点から回避する)も台頭している。また、過剰に平等を求めた先に、自分の内在する暴力性(Aを言うなら、BはどうやとかA’のこ
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逆張りとは投資用語で、将来を見越して相場の逆を売買する手法のことであるが、多数派の逆をいく、という意味でネットなどでマジョリティの逆の言説や態度をとることを指すようになった。そして2010年代になって「あえて逆をいく」という逆説的な意見が、いまの常識を疑い、絶対的な価値観を相対化させ、よりよい未来を探すという目的を失い手段化され、単に敵対する勢力へのアンチだったり、そのアンチに対するアンチ・アンチだったり、注意をひきつける炎上商法だったり、いま相手に優越できさえすればいいという現状になっているのではないか、という著者の考察集である。一つの論を述べたと思ったら、こういう考え方もある、という具合に
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まず筆者の年齢が自分とほぼ同世代(綿野が一つ上)というのに驚いた。同世代が評論家として本を出版するような歳になったということか、、、
それはさておき本書はタイトルの通り、なかなか表立っては言いにくい、それこそポリコレに反するような事柄について、懇切丁寧に説明を加えようとするものである。アイデンティティとシティズンシップの対比、それはすなわち民主主義と自由主義の関係につながっている。本書はそれらの対立やねじれについて、極めてクリアカットに解説してみせる。そしてそれらの言説は非常に説得的である。かといってそれらの一見説得的な言説・分類が、実社会における差別問題に対して、実際に有効に機能しうるかは、 -
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差別を批判するロジックを「アイデンティティ」「シティズンシップ」に整理し、その変遷と現状を説明している。文章は分かりやすく、代表的思想と人物を紹介するにも読者が辿りやすく工夫した説明なので、ここをもっと知りたかったらこれを読めばいいわけね、というのが一目でわかる。差別だポリコレだ、というその時その時の風潮になんとなく流されるんじゃなくて、ちゃんと考えてその行きつく先の話をしていきませんかという意図が伝わる。おもしろい。
思想や立ち位置というものをきっちり整理して示してくれるので、自分の考え方がどのあたりにあるのか、ということも分かって良かった。近年のいろいろなポリコレ騒動にも触れられていて、こ -
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日経9月7日書評に掲載の本。
ポリコレをめぐる言説の考察。
「ポリティカル・コレクトネス」とは、人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。しばしば、「うざい」とか「うんざり」とか否定的な意味合いを込められる。
差別はしてはいけないこと。
だけど、無自覚に差別をしてしまう自分は絶対的に存在する。
そんな自分を認めつつも、人の尊厳を傷つけず、人を思いやれる人になりたい、と思う。
だから、ポリコレ的視点で、自分の言動を常に見つめることは必要だな、と思う。
いっぽうで、行動経済学が示しているとおり、人間は常に賢い行動をとるわけではない。また、厄介なの