森鷗外のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
森鷗外のこの作品は「乙女の本棚」第45弾として取り上げられています。
なぜこの作品が取り上げられたのかはよく分かりません。夏の朝に7人の11歳か12歳くらいの女の子たちが、杯で泉の水を飲むという風景が印象的だからなのかもしれません。
出版社のホームページ内で、イラストを手掛けた今井キラさんのコメントに「杯は読む人ごとに形を変えて誰の心にも響くのだと思います。」と書かれていますので、わたしなりにこの作品を読んでみようと思います。
読み始めから、わたしの気持ちにスッキリ入ってこない描写がありました。(何か裏に秘めたものがある薄気味悪さというか。。。)
まず、7人の少女たちを描写する表現です。
「遅れ先立つ娘の子の、同じような洗髪を結んだ、真赤な、幅の広いリボンが、ひらひらと蝶が群れて飛ぶように見えて来る。
これもお揃(そろい)の、藍色の勝った湯帷子(ゆかた)の袖が翻る。足に穿いているのも、お揃の、赤い端緒の草履である。」
わたしには、殊更に「同じような」「群れて」「これもお揃の」「のも、お揃の」という[同じ]を強調する表現が、同類で群れていることを奇異に思って批判的に描いているように感じました。
次に「この七顆(か)の珊瑚の珠を貫くのは何の緒か。誰が連れて温泉宿には来ているのだろう。」と書かれていますが、最後まで誰が少女たちを連れてきているのかは明らかにされていません。何か気持ち悪いです。
そして「銀の杯はお揃で、どれにも二字の銘がある。それは自然の二字である。妙な字体で書いてある。」です。単に水を飲むのなら、なぜこの描写が必要なのでしょうか。
さらに、この少女たちが自分たちの杯で泉の水を飲んでいると、第八の娘(西洋人なのか黄金色の髪で14歳か15歳くらい)が背後から姿を現します。彼女が持っている杯の描写です。「小さい杯である。どこの陶器か。火の坑(あな)から流れ出た溶巌(ようがん)の冷めたような色をしている。」全然キレイではありません。
その後の「七人の娘は、この時始てこの平和の破壊者のあるのを知った。」という表現。ここまで大げさに書くことでしょうか。
第八の娘は、七人の娘たちが自分たちの美しくて大きい銀の杯を貸してあげるという言葉に反して、こう言います。
『Mon verre n’est pas grand, mais je bois dans mon verre.』
(「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」 作中の訳です)
なぜフランス語なのでしょう。なぜ前置詞がdans(の中に・の中の)なのでしょう。
また、第八の娘の所作の描写はこうです。「永遠の驚を以て自然を覗いている。」「第八の娘は両臂(りょうひじ)を自然の重みで垂れて、サントオレアの花のような目は只じいっと空を見ている。」七人の娘たちの杯に刻まれた「妙な字体」の「自然」という銘との対比が明らかな気がします。
で、何かスッキリしないので、少しネットで調べてみました。すると以下のことが分かりました。
① 鴎外の『杯』は、1910年1月に『中央公論』で発表された作品でした。
② フランス語の表現は、Alfred de Musset(アルフレッド・ミュッセ)の詩『La Coupe et les Lèvres — Dédicace(カップと唇 - 献呈)』(1895年版)からの(おそらく)引用でした。
③「明治時代の森鴎外は、フランスの作家エミール・ゾラの提唱する「自然主義文学」を日本に紹介します。それは、「物事を正確に描く」、いわゆる「自然科学主義」。ところが、当時の小説家は、「正直に描く」と誤解して受け取ります。つまり自分の人生を赤裸々に描く「独白」のようなものになっていきます。」(読書会コミュニティより)という記述を見つけました。
ミュッセの詩の該当箇所を引用します。(『 』はわたしが付けました。訳はGoogle訳です。)
On m’a dit l’an passé que j’imitais Byron :
Vous qui me connaissez, vous savez bien que non.
Je hais comme la mort l’état de plagiaire ;
『Mon verre n’est pas grand, mais je bois dans mon verre.』
C’est bien peu, je le sais, que d’être homme de bien,
Mais toujours est-il vrai que je n’exhume rien.
( 昨年、私はバイロンの真似をしていると言われました。
私を知っている皆さんは、自分が知らないことをよく知っています。
私は死のような盗作の状態が嫌いです。
『私のグラスは大きくありませんが、グラスから飲みます。』
善良な男であることは、私が知っていることです。
しかし、私が何も発掘していないのは事実です。)
これで、前置詞dans(の中に・の中の)の理由が分かります。盗作が嫌いだから小さくても自分の杯の「中のもの」を飲むのです(他人の杯の中のものではなくて)。通常なら、単純にJe bois un verre d'eau.(杯1杯の水を飲む)とか、Je bois avec mon verre.(私の杯を使って飲む)と書くでしょうから。
1895年版のミュッセの詩集を知っていたら、1910年に鴎外が『杯』に用いてもおかしくありません(と思います)。
そして、上記③のフランス発の「自然主義文学」が誤解されて伝わったという説を用いると、七人の同じような恰好の娘たちが持っている「奇妙な字体」で刻まれた「自然」の銘が入った杯の意味と、それを使って(社会という)泉から水を飲むという行動が説明でき(る気がしま)す。フランス語の詩を引用した意味も分かり(る気がし)ます。
つまり、鴎外は、この作品をとおして、日本で(間違って)横行する「自然主義文学(一派)」のことを揶揄、またはその状況のことを危惧していたのではないでしょうか。(これで勝手にスッキリしました。)
上記はあくまで個人の感想(妄想)として聞いていただくことにして、
森鴎外の格調高い文体と美しい今井キラさんのイラストのコラボレーションをぜひ本書でお楽しみください♡
最後に好きな自然描写の一箇所を引用します。
「漂う白雲の間に漏れて、木々の梢を今一度漏れて、朝日の光が荒い縞のように泉の畔に差す。」
美しいですね♡ -
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ネタバレはい、43おネェはお待たせしました『読まずにレビュー』第7弾です!(キュオーン!)
*『読まずにレビュー』とは?
表紙と題名、作者のみを手がかりに本の内容を推理し、感想まで書いちゃう!という神がかったレビューです!(先に表紙拡大して確認してみてね)
はい、女子会!
もう女子会以外の何ものでもないです
ごめん、こんな発想しか出てこなくて
でも、どう見ても女子会
いわゆる女子だけの飲み会
しかも制服が同じ(え制服なん?)
なんで、同じ会社の人ですね
同僚ですよ
会社帰りかな?
職場の愚痴とかね、上司の悪口とかで盛り上がるわけですよ
しかもこの頃なんてねセクハラなんて言葉もありませんでしたからね
日々お尻とか触られまくりですよ
でもね!そんなことされて嫌な気持ちになるのは昔も今も変わらんわけですよ!
許すまじ!許すまじクソ上司ムガァ!
そして『杯』ですね
全員手に持ってます
でも、「杯」というより「盃」の字がしっくりくる感じよね
兄弟の契りとか、固めの盃とかさ
そ、そうか!分かったぞ!
【あらすじ】
森尾商會に勤める同期の女子社員4人は日々、社長の森尾の横暴に悩まされてきた
パワハラモラハラセクハラは当たり前で、毎日が地獄
しかし、森尾に借金を抱える4人は会社を辞めることもできずに言いなりになるしかなかったのだが、遂に我慢の限界が
そして4人は森尾の殺害を計画する
固めの盃を交わした4人は計画を実行に移すも、森尾は完璧に仕掛けられた罠をスルスルとすり抜けけていく
そんなはずは…ま、まさか4人の中に裏切り者が?!
【感想】
とんでもないスピード感で進行するサスペンス!完璧に姿を隠す裏切り者
4人しかいないのに最後の最後まで裏切り者が誰だか分かりませんでした
そして固めの盃に込められた意味が明かされた時の衝撃と言ったらなかったです
美貌の4人の持つ裏の顔もそれぞれ怖かったー
やっぱり女は怖いのぉ〜w
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Posted by ブクログ
乙女の本棚シリーズから、森鴎外さんと今井キラさんのコラボ作品『杯』です。今井キラさんは、このシリーズでは「待つ」と「女生徒」をすでに手がけてらっしゃいます。パステル調の淡い色使いが特徴の、可愛いイラストを描かれるイラストレーターさんです。この作品も、めっちゃ可愛く、“乙女の本棚シリーズ”らしい作品です。
ストーリーにも触れましょうか!泉の水をキレイな銀の杯を持って飲みに訪れる7人の可憐な少女たち、そこに青い目をした異国の少女が小さな黒い杯を持って訪れます。7人の少女たちは、自分たちの持ってきた杯を異国の少女に貸そうとしますが…。
最初に思ったのは、この泉の成分って普通の水なのかな??と…なんか、若返りの聖水とかあるんじゃないかと勘ぐってしまいましたが、そこは普通の水っぽい…です。
あと『杯』っていうタイトルで連想するのは、やっぱお酒ですよねぇ…!水を『杯』で飲むっていうのも…ね!こんなこと思うのは私だけかな(^-^; -
Posted by ブクログ
ネタバレ子どものときに、Helloと言って返ってきた木精が、大人になると返ってこなくなるという不思議。他の子どもたちには返している木精も、今の大人の自分には返してくれないという事実に切なさを感じる。
話の内容は、昔返ってきた木精が返ってこなくなった、というただそれだけなのに、イラストが美しすぎて、それだけで見ている価値がある。特に、男の子だった主人公に女の影が見え始める辺りの絵が、ホントの大人になってしまった感を醸し出していて、哀愁を帯びていた。
大人になると、純朴さという美しさが失われていく。早く大人になりたいと、子どものときは願うけれど、消えていくものもあると思えば、限りない今を大切に生きることが、一番大切なのかもしれないと思えてきた。 -
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名作!
罪を犯した罪人を島に送る船で、どの罪人も重たい表情なのに対して、この喜助はとても爽やかな顔をしている。
不思議に思い、お役人様が喜助に話しかける。
どういう事情なのか?と。
弟は自殺しようと、クビに剃刀を当てていた。
発見時にはもうかなりの出血量で、とても苦しそう。
兄に剃刀を引き抜いて欲しいと、頼む。
兄は弟が苦しそうなのを見て、医者を呼びに行こうとするが、弟は、このまま生き抜いても意味がないという。
剃刀を引き抜いてくれた方が楽になると言う。
兄は、弟の頼みを聞き入れ剃刀を首から引き抜くが、とにかく出血が止まらない。
世話をしてくれる近所のおばあさんにも目撃されて、お役人に捕まってしまう。
兄を思う弟と、弟思いの兄。
これは犯罪なのであろうか?
同心のお役人様(庄兵衛)も、悩む。
でも清々しい顔をしている喜助。
庄兵衛には、
空を仰いでいる喜助の頭から毫光がさしているように思えた。
とても印象深い話。
げみさんのイラストがとても素敵。
このシリーズ好き。