ベルンハルト・シュリンクのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
朝井リョウさん推薦本。
(朝井リョウに最近傾倒しすぎている…けど未知の文学や作家さんに出会えたりするのでやはり推し作家が1人でもいると世界が拡がって楽しい有難い)
めちゃくちゃ良かった………
ドイツの作家さん。ドイツって無骨でビジネスライクな印象で、こんなにも繊細で柔らかな筆致の書き手がいるんだなぁ、いや翻訳家さんの底力か?と思いながらするする読み進められた。
千早茜さんに似てるなぁ、なんて思っていたら
「ミヒャエルとの再会後、帰宅したザビーネはペンダントのついた金の鎖をアクセサリー用の箱にしまった。しかし、ミヒャエルの死後、それを取り出して、毎日身につけている。」
↑この文章を読んで、以前どこかで読んだ小説の締めくくりと対比になっている!なんだっけあの小説?!と思い色々遡るとやはり千早茜さんの『正しい女たち』の中の短編である『海辺の先生』の締めの一文、
「万年筆は、インクを入れたきり、ひきだしの奥で眠っている」
との対比だった…!!!感動。
この一文、読んだ当初も「この終わり方めっちゃいいいいいいいい」と感想をつけてた。笑
過去に読んだ小説の何気ない一文が、他の本を読んでいるときにフッと湧きあがるとき、最高な体験だなぁと思う。そして読書日記つけてるメリットはここにある。 -
Posted by ブクログ
ようやく読み終えた。ナチス時代、母親ほどの年の差のある女性と15歳の少年との大人の恋愛、と戦後のナチスの犯罪を裁くところ、戦中派親世代と戦後派との戦争の向き合い方、戦争責任の認識の差をもう一方の軸とした社会派の恋愛小説。作者が真摯に第三帝国(ナチス時代)のドイツ人の行為を背景に本の持つ力を著してます。いい読書体験でした。
なんで死ななければならなかったのか。長期に亘るに服役を全うし、字も読めるようになり、本を読み新たな世界を獲得可能に世界は広がったのに。ミヒャエルは法律家がために世の中を達観して俯瞰してみるように、ハンナに対しても直接的な愛情を表現できなかったのではないだろうか。ハンナが亡くなって泪を流したこと、十年以上にわたり本を朗読して彼女の刑務所に送り届けたのだから。ハンナへの愛は失せてなかったと思う。やはり、本が読めるようになり、世界がひろがり人間愛を噛み締めて、ホローコーストへの償いなのかな。
シュリンクは1944年生まれの作家だけど、日本にはこの世代のこのような本があるのかな。
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Posted by ブクログ
映画の方を先に見て、ずっと読みたかった作品です。
少年時代の年上の女性との濃密な恋愛、そして突然の幕切れ。
相手のハンナは、魅力的であり、エキセントリックなところありで、主人公ミヒャエルの心に一生住み続ける。
ミヒャエルのハンナへの想いは、「純愛」という綺麗で単純な言葉では表せられない複雑なもので、物語の底を流れ続けるが、この作品はこの恋愛話だけが主眼ではないように思えた。
本作は、ホロコーストという重い題材を扱っているが、読みにくさはなく、中盤のミヒャエルとハンナの衝撃の再会からは、(結末を知ってはいたが)先が読みたくて仕方ない衝動に駆られた。
ドイツの戦後世代の抱えるジレンマも勉強になりました。 -
Posted by ブクログ
ドイツ文学です。
原題はドイツ語で「朗読する男」だったのが、英語訳で出版された時に「The Reader」というタイトルがつけられて、そのまま日本語版では「朗読者」となっています。
読み終えて思うのは、悲しみでもなく、怒りでもなく、もちろん感動でもなく、この複雑な気持ちをどう表現したら良いのか困っています。
これは、個人の意思ではどうすることもできなかった過去の戦争犯罪に巻き込まれてしまった個人が、その人生を狂わされてしまった悲劇の小説だと思います。
物語の前半は、15歳の主人公ミヒャエル・バーグが、ある出来事をきっかけに、母親と言ってもおかしくないほど年上の独身女性36歳のハンナ・シュミッツと出会い、彼女に恋愛感情を抱いて彼女の家を訪ねては男女の関係を重ねる様子が描かれます。
ただ、何故かいつもハンナは「なにか朗読してよ、坊や!」と、ミヒャエルに本を朗読して聞かせて欲しいと求め、ミヒャエルはハンナに本を朗読して聞かせることが習慣となっている関係でもありました。
そんなことが続いたある日、ハンナはミヒャエルの前から突然姿を消します。
ミヒャエルは手を尽くして探しますが見つけることはできませんでした。
その後、大学生になったミヒャエルは、法学部でナチス時代とそれに関連する裁判を研究していた教授のゼミに入ります。過去の戦争犯罪を裁く裁判を傍聴していたある日、裁判所で被告人としてのハンナの姿を目にするのですか、彼女はナチス時代、強制収容所で看守をしていたという罪で裁かれており、ここでミヒャエルは初めてハンナの過去を知ることになります。
裁判を傍聴し続けたミヒャエルは、こう思います。
「彼女は僕を捨てたのだし、僕を騙していて、僕が見ていたような、空想していたような人間ではなかった。それに彼女にとって僕はなんだったんだろう? 彼女に利用された小さな朗読者、彼女を楽しませた小さな愛人?」
などと考えて距離を置こうとしてしまいます。
裁判でハンナにかけられた容疑は、実際に行われた事実よりも重い罪であることが明白なのに、ある理由からハンナは抗弁を全くせず、裁判はハンナに不利に進みます。
しかし、ミヒャエルは、ハンナが全く抗弁しない理由、ずっとハンナが隠していた切ない秘密に気づくと、
その秘密を公表できないゆえにハンナにとって不利に進行する裁判について、ハンナが公平な裁判を受けられるよう、ハンナを助けようと考えます。
私もミヒャエルの良心と行動力に期待しましたが、裁判長に面会できても結局何も行動には移せないまま終わってしまいしました。
いよいよ判決が下る日、ハンナは強制収容所で看守をしていたときの服装(制服姿)で法廷に現れ、潔く判決を受け入れます。
それはハンナにとっての、せめてもの主張であるかのように思え、個人としては善悪を判断する余地のない戦争犯罪すなわちその制服姿で遂行した組織的な行為への裁きとしてとらえる一方で、個人の責任としても受け入れたように思えました。
もしハンナがきちんと教育を受けられる環境で育っていたら、裁判で不利な扱いを受けることもなく、そもそも裁きを受けるような職務に携わることもなく、ハンナの人生は全く異なっていたに違いないと思います。不条理という言葉が頭をよぎります。
ハンナは刑務所に服役中、隠し通していた自身の秘密を努力して克服し、苦労してミヒャエルに宛ての手紙を書くなどしますが、その一方、ミヒャエルは本を朗読したカセットテープを服役中のハンナに送ることはあっても、決して逢おうとはせず手紙すら書かず、ハンナと過ごした過去の事実を遠ざけ意識的に逃げていたような気がしました。ハンナは敏感にそれを感じていたのだと思います。
私はミヒャエルの行動があまりにも身勝手と思う一方で、私がもしミヒャエルだったらどうしただろうかと考えると、複雑な気持ちであることも事実です。
やがて、18年が経過しハンナの刑務所からの出所が決定しますが、私自身もしかしたらと予想してはいたものの、最も恐れていた形で出所することなく終わります。ハンナにとっては、過去の罪の意識、良心の呵責が、そのような結果を選んだ一番の理由と思いますが、それだけが全てでは無かったようにも思います。
何だかやりきれない気持ちでいっぱいでした。
ところで、この小説はなぜこのような年齢差のある2人を主人公としたのでしょうか?
それは後半の、「ナチスドイツ時代の過去の犯罪」を「今裁く」という裁判の場面以降で生かされているのだと思います。
主人公の一方は、過去の戦争犯罪を今裁くことを研究しその裁判を傍聴する法学部の大学生、一方は、過去の戦争犯罪に関わった罪で今裁かれようとしている被告人、という裁く側と裁かれる側に分かれ、しかもその2人が過去親密な関係にあったという構図を考えたとき、この年齢差はやはり必要だったのだと思います。これがどちらもナチスドイツ時代を経験した同世代だったとすれば、ともに過去の罪の意識を共有して、再開した2人に複雑な感情が生じることはなかったのだろうと思います。
そんなことを考えていると、ハンナは当時から罪の意識を引きずっていて、相手がナチスドイツ時代を知らないミヒャエルだから、年齢差があっても愛することが出来たのかもしれないと思いました。ハンナにとって罪の意識を忘れられるひとときだったのかもしれません。
そして、ナチスドイツ時代を経験していないミヒャエルは、過去に恋愛感情を抱いていたハンナのナチスドイツ時代に犯した罪を知った時点で、当時の感情が失われていく様子が描かれています。
また、ハンナの出所前日に一度だけ2人は逢って話をしますが、当時はほとんど意識することの無かった年齢差を、このときミヒャエルが強く感じる様子も描かれています。ハンナもそれを感じたのかもしれません。
冒頭にも書きましたが、やむを得ない当時の状況下で、個人の意思ではないまま関わってしまった戦争犯罪によって、その後の人生を狂わされてしまった悲劇の小説だと思います。
しかし、それ以上にこの小説の大きなテーマと思えるのが、「過去の克服」ということで、国家としても裁判を通じて過去の過ちを克服しようとしており、ハンナ自身も過去の過ちを常に心の中に抱えて続けながら、個人として克服しよう努力していたのだと思います。ただひとり過去の過ちを体験していないミヒャエルは、その苦しみを心から共有することが出来なかった、というのがこの物語なのかなと思います。
あと、余談になってしまいますが、ドイツが今もこれだけ過去の戦争犯罪に向き合っている中で、私たち日本は、ヒロシマ・ナガサキの惨禍を広く世界に訴える一方で、朝鮮半島の植民地支配や中国に対する侵略戦争の加害者意識が希薄なのは、何故なのだろうか、日本とドイツ、歴史認識に大きな違いがあるように、思えてしまいました。 -
Posted by ブクログ
朗読者を読んだ、泣いた。ハンナの心は永遠に分からない、私たちは戦争を経験したことがない。他人の命を無関心に見たことがない、ホロコーストに賛成したことがない、時代を感じていない。でも愛することは間違いだったんだろうか?どうしたらよかったのか?あなただったらどうした?
ハンナが裁判で、「私はジーメンスに転職を申し出ないほうがよかったの?」と自問する
彼女の文盲を隠すための逃避が恐ろしい、直面しなくていい地獄まで通じているなんて誰もわからなかったでしょう
主人公も手紙を書いてあげればよかった。
でも書けなかった。愛する人が戦争犯罪者だと、自分は断罪者であり受刑者になるから
もう一度読みたい -
Posted by ブクログ
歳の離れた恋愛とアウシュビッツと 第一章を読んで、青年と歳のいった女性との文学的な恋愛話かと思いきや、第二章でアウシュビッツが出て来て驚いた。恋愛云々の話ではなく、それを踏まえてのアウシュビッツに関わる戦後の話だった。
戦争のグロい話ではなく、アウシュビッツにおける少しの知識をもってして、あなてはどう捉えるか、どう考えますか?と問いているストーリーだった。
ドイツで教材になっているのもかなり頷ける。
いろんな視点で考えられるとても優れたストーリー。かつ第二章以降は、自然の描写が美しい。訳者も素晴らしいが、ドイツ作家はやはり素晴らしいものなのかも。この作者の他の作品も読みたくなった。 -
Posted by ブクログ
是非オススメしたい本です。(私の1番大好きな本)
◆ホロコースト時代の「ドイツ人」と「ユダヤ人」の禁断の悲劇の恋愛物語
【あらすじ】
15歳のドイツ人少年のミハイルが帰宅途中嘔吐してしまい、そこに現れたユダヤ人ハンナが助けたことで、2人が出会った。最初は、お礼の挨拶をするためにお家に行くが、訪問回数を重ねるごとに恋愛へ発展する。ハンナには誰にも言えない『秘密』があり、その『秘密』が2人の関係、人生を大きく動かすことになる。
【ポイント】
1.なぜ、ハンナはミハイルに『本を読んでほしかったのか』
2.なぜ『秘密』を打ち明かすことが出来なかったのか
3.もしあなたがハンナなら/ミハイルなら、どのようなアクションを起こすか。
(是非考えて頂きたいポイントです)
【映画】
「愛を読むひと」の題名で映画化されています。
本の内容を忠実に再現されており、映画を最初に見てこの本を読むのもありです。
【問】
・もしあなたが社会的弱者(ホロコースト時代のユダヤ人)だとしたら、どのような行動ができますか?
・もし愛する人が社会的弱者(他人の批判の的)だとしたら、助けることができますか?
悲劇の恋愛物語です。是非一読を。
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Posted by ブクログ
ネタバレ薦められて読んだ本ですが、本当に読んで良かったと思える1冊でした。
「あなたならどうしましたか?」という言葉が本全体にかかってくるようで重い。
この言葉が苦しいのは、ハンナは裁判長をせめるつもりもなく、本当に分からなかったから何でも知ってそうな人に教えてほしかっただけで... という...
裁判長が作中でこの問いに答えられないのも、著者自身が答えをだせなかったからなのか、読者に答えを委ねたからなのか
簡単に答えがほしいと願う読者に対して、そうそう容易く答えなんか得ようとするなと言われているようで。
「僕たち後にくる世代が恥と知と罪のなかで押し黙る ─それが求めていた結果だったのだろうか」
覚えておきたい言葉です。 -
Posted by ブクログ
『オルガは一九五〇年代の初めにあちこち走り回って、失われた書類や破壊された記録を見つ出し、プロイセンでかつて勤めた国民学校教師として、自分に権利のあったちょっとした年金をもらえるようになった。それからは、ぼくたちの家でだけ、縫い物をするようになった』―『第一部』
ドイツの起こした戦争を背景に物語を描くベルンハルト・シュリンクは多くを語らないことで善悪の色彩を物語に鮮明に付さないままに描く。戦争の悲惨さを敢えて正面から描写しないことは、市井の人々にとっての戦争が如何なるものであったかを深く語り得る大きな力なのだが、時として戦争そのものを直視するのを避けるように描かれるのには何か良からぬ思想を肯定している意図があるかのようにも見え、例えばハンナ・アーレントのような批評の目には責任を回避しているとも捉えられかねないと思ってみたりもする。そして、その不穏さに気圧される感じが新作を手にすることを、時に躊躇わせることもある。
「オルガ」でも、戦争そのものは描かれないままに、第一次世界大戦前から第二次世界大戦後までの時間の流れの中を生きた一人の女性(オルガ)と、三人の世代の異なる男性(ヘルベルト、アイク、フェルディナント)との交流が描かれる。特に幼い少年と主人公オルガの交流は「朗読者」の構図を思い出させるが、その構図の導入は見事な仕掛けによって為され、効果的に記される一人称の代名詞によってそれまで描かれていた二十五の断章の意味はがらりと変化するのを目の当たりにする。その変化を認識して初めて、短く素っ気なく細切れに描写されたオルガの六十余年の人生譚が、伝え聞いた話を繋げたものから成っていたのだと判り、はっと胸を突かれたような感慨に浸ることになるのだ。
そこから始まる第二部は、一人称のフェルディナント自身の思い出の中のオルガの生き生きとそた描写。しかし、主人公にとってオルガとの思い出が如何に何ものにも代え難いものであるのかが訥々と語られても、不幸な事故によってオルガの人生に終止符が打たれたことが告げられた後は、急に物語の重力の中心が失われてしまったかのような印象が(それもまた作家の張り巡らせた伏線の一つなのだが)生まれる。不幸な環境に生まれ育ち自分自身の力で困難な時を生き抜いた女性ではあることは確かに伝わってくるが、そこからはむしろフェルディナント自身の不幸な身の上話に話が移っていくかのような展開。オルガのことは何処へ?と思わず問うてしまう仕組みがそこにはある。しかしその先に「朗読者」と同じように過去の歴史への探索と埋もれていた謎についての再認識、という展開が待ち受けている。
訳者あとがきでも述べられているように、最終章である第三部で待っているのは、物語の中心にありながら多くを語らない女性というシュリンクの小説の定番を覆して、自らの心情を書き連ねた言葉の洪水。その中で明かされる幾つもの真実。時間と共に変化することとしないこと。読む者は、それを既に語られた時間の経過と照らし合わせて読むことで、物語の流れを再び辿り、幾つもの伏線を(もしかしたらそれは、過剰に、と言うべきかも知れない)紐解いていくことになる。
例えば木内昇の時代小説が決して歴史の因果関係を語らないと感じるように、ベルンハルト・シュリンクもまた決まり切った歴史観に批評されるような物語を描かない。一人ひとりの人生の中に地政学的な歴史の必然という法則の入り込む余地は無いこと、その抗し難い時代の律動を背景にした個人の生活だけがどこまでも現実として存在すること、そんなことにこの作家は拘っているのかも知れない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ19世期から20世紀の激動のドイツを生きたひとりの女性オルガ。
身分や性別、戦争によって翻弄されながらも常に姿勢を正して毅然と生きる彼女の半生が淡々と語られる第一部。
中年になった彼女が裁縫師として雇われた牧師一家の末息子「ぼく」によって、晩年のオルガについて語られる第二部。
そして第三部は書簡小説。1913年から1971年までにオルガが書き残した手紙によって全てが明かされて行く。
私のうすっぺらな言語能力ではこの物語の素晴らしさは到底伝えきれないから、ひとつだけ。
気丈で、賢く、自分を貫いて生きた強いオルガが望んでいた幸せのささやかさを知って胸が苦しかった。
堪えきれず嗚咽した箇所を、外出先で読んでいる時でなくて幸いでした。