なかにし礼のレビュー一覧
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昭和の大作曲家、なかにし礼の姪は森田童子だった。
しかし、この小説が世に出た時には、2人とも故人となっていた。
巳年に生まれたから「美納子」
「昭和28年1月15日夜9時。極寒の青森市であった。
この子が20歳を過ぎ、突然、森谷王子となって、自作の歌を歌い始めたのだ」
「兄弟」で登場する兄の中西正一は、娘の正体は決して明かさない。それは神秘性を守るためではなく、情婦から金を借りるためだという。
デビューは昭和49年秋の終わり頃、なかにしが正一をレストランに呼び出し、森田の身元を隠すことに協力を求める。「なかにし礼の姪ってことを当分伏せておきたいの。なかにし礼は売れ過ぎちゃって、どこか体制的な匂いがするじゃない。ちょっと反体制的というか、非体制的な姿勢で、森谷王子をやってみたいのよ」「叔父さんの七光りで世に出たくないっていう美納子の希望もあるけど、そういう俗っぽいところじゃなくて、もっとアングラでマイナーなところから出発させたいんだ」
もちろん小説なので、どこまで実話か分からないが、そう思わせるリアリティはある。「僕たちの失敗」については「普段からあまり顔色を変えない美納子の切れ長の眼をを思い浮かべた。あの眼で何かを見ていたのだ。堕ちていくばかりの父親と、それに振り回される家族がいた」と、中西の戦争体験、それを父の背中越しに見ていたと大胆な解釈をする。
しかし、この作品は発表するつもりだったのだろうか。息子の康夫氏は「兄弟」の習作として書かれたというが、「父は原稿の原本を取っておくこともしません。その父がなぜこの作品だけをすぐに見つかるようなところに置いておいたのか」と疑問を呈している。
森田は2018年4月24日に亡くなっている。なかにし礼より2年以上前だ。なかにしは葬儀に行ったのか、どういう思いで森田を見送ったのか。興味は尽きない。 -
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作「詩」家だけでなく、小説家としての顔も持つ著者のタイトル通り、作「詩」講座が中心。ただ、冒頭に自身の学生時代から作「詩」家デビューまでの経緯が手記風で掲載されている。
ちなみに作「詞」ではなく、作「詩」なのは著者のこだわり。著者によれば「詞」は「詩」よりも格下の言葉との事で、歌われるための言葉は「詩」と表記されるであるべきとのこと。
著者の半生や身辺雑記のエッセイ集だと思って手に取ったが、本当にタイトル通りの作「詩」作りのレクチャーだった。おまけに本書は1980年に出版されたものの加筆修正版だったので、取り上げられている作品、内容ともにはちょっと古め。
それでもトップの作詩家の作品作りに伴う思考の一端が垣間見れる本書は、昭和歌謡の洗礼を受けた人たちにとっては貴重なものだと思う。 -
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子供のころの私はTVをあまり見ない子で、今は見るとしても海外ドラマとドキュメンタリーとニュースがほとんどで、日本の芸能界のことを、それはもう、本当にもう、自分でも愕然とするくらい全く知らないので、なぜこの本を読もうと思ったのか・・・。
記憶がすでに定かではないのだけれど、たぶん新聞の書評欄か何かで見かけたんだと思う。
そんな芸能知識ゼロの私でもけっこうおもしろかったです。
プロレスとか日本の伝統芸能の話はやはりあまり理解できなかったのですが、第4章の「異郷からの衝撃」は、私ももともと海外ドキュメンタリー好きなので、大変におもしろかった。
政治的な話は割と左寄りな感じの考えが多く(極端ではありません、念のため)、それを新鮮に思う自分が意外でした。
昨今、世界中が右傾化していて、右方向の意見が多いから、なんだかんだとそっち寄りに耳慣れちゃってたんだなぁ、と改めて思った次第。
いずれにせよ、戦争を知っている世代の話はもっともっと耳を傾けなくちゃいけないな、と、思った。当時の話は、いろいろと考えさせられます。「過剰なエネルギーを持った者しか生き延びられなかった」なんていう話は非常に興味深い。
雑多なテーマの中で、一番印象に残ったのは、やはり石原裕次郎さんとの数奇な出会いの話。ぜんぜん知らなかったので、本当にビックリしました。彼の気まぐれな言動と偶然によって、著者の人生がガラリと方向転換している。こんな不思議なことってあるんですね。
運命というものについて、改めて考えてしまった。
しかし、石原裕次郎さんという人は、初期の芸能界の誰が語る回想にも、常に「太陽のように燦然と輝く大スター」として登場するなぁ。本当にすごい存在だったんだなぁ、と思う。私には、小太りで渋面のおっさん、という印象しかないけど・・・・ -
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自分が拾われたのは戦場だったということ以外、両親の名も、自分が何人であるかもわからないニーナ。
しかし、ロシアへ遺骨収集に訪れたフクシマとの出会いが、ニーナに流れる日本人の血のルーツを呼び覚ました。
ロシアで見つかったただ一人の日本人残留孤児がたどる『自分』を探す旅。
ニーナの台詞にこんなものがある。
−私は何処から来たのか。私は誰なのか。そして私は何処へ行こうとしているのか−
同じような台詞を真賀田四季も言っていた。
−どこから来た?私は誰?どこへ行く?−
自分のルーツを探るというのは本当に難しい。
四季は言う。
その3点に答えることに価値があるわけではない。
ただ、その3点を問うことに価値がある、と。
ニーナと四季は置かれた状況が全く違う。容姿も性格と正反対といっていい。
なのに、ふたりは言った。
−自分は何者か−と。
自分が誰かをはっきりさせたいという強さが、私には羨ましい。