ダニエル・カーネマンのレビュー一覧
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著者のノーベル賞に繋がったプロスペクト理論についても登場する下巻。下巻は特に意思決定におけるバイアスの除去について重要な知見を与えてくれます。経営者、実業家、会社の幹部の人たちは当然知っておくべき知識だと思いますが、あまり浸透していないのかな。
逆に広告代理店や弁護士、代議士なんかは、この辺りの知識を巧みに使って商売してるのだから、世の中ちょっと怖いな、と思いました。つまり、バイアスを避けるためではなく、意図的にバイアスの罠にハメるような応用しかされていない。ちょっと表現を変えるだけで、一般人の判断を麻痺させる事ができるわけだから、ちょっとした殺戮器官ですよね。
それこそ義務教育で主要科目として教えておかないと、まともな民主主義は機能しないな、と思いました。 -
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エコン(合理的経済人)とヒューマン。
80%の確率で100万円•20%は0円と、確実に46万円もらえるのとどっちがいい?という時、エコンは期待値が高い前者を選び、ヒューマンは後者を選ぶ。
前提が違うのは、経済学と心理学という分野の違いだと思うけど、学生の時はエコンに固執していたなあ。ヒューマンという考え方でもう一度あの題材を取り扱ってみたい。
また、公正性に対して参照点があるというのも興味深い。10ドルのスコップが売っていて、大雪の日に需要が上がるから15ドルにした。エコンは正しいと考えるが、ヒューマンは不公正と考える。
さらに、10ドルで雇っていたバイトの給料を、失業者がたくさん出た際に7ドルに下げるのは不公正と考えるが、そのバイトではなく新規バイトを7ドルで雇うのは公正とする。参照点を何にするかは大切。
企業も、社員の給料を下げたい場合は、今いる人は据え置きで、次に入社してくる人や中途採用者の給料を下げた状態で雇うのが反発は少ない。
利得と損失では、損失への効用は利得の2倍。
テロは利用可能の連鎖を引き起こす。統計的に無視できる確率であったとしても。
ヒューマンは、合理的な判断をしていると考えていても、実は損失回避性が働き、適切な判断が出来ていないことがある。
個々の判断よりも総和で考えるほうが、期待値は高くなる。
サンクコストはサンクコスト。現状で最善の選択をすることが必要。赤で終わりたくないとか、気質効果まんまだよね。
大事なのは並列評価だ。単独評価では回答が変わってくる。
宝くじが300円で、期待値は145円だから、「1550円損する宝くじを買うかどうか」という質問にも置き換えられる。ぷぷっ。
燃費と環境問題もそう。リッター18kmを25kmにする努力よりも、リッター5kmの車を10kmの車に交換するような施策の方が効果があるかも。まあ、どれくらい使われているかという前提次第だけど。
訳がうまいのもあって、スラスラ読めるし、読むと賢くなった気にさせる良書でした。 -
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下巻では2つの人種と2つの自己が語られる。2つの人種とは、理論の世界に住む、経済学に登場する合理的な存在のエコンと現実の世界に住む、行動経済学に登場する合理的ではない存在のヒューマン。2つの自己とは、現実を生きる「経験する自己」と記録をとり選択をする「記憶する自己」。
直感や計画の錯誤、楽観主義によって、大抵予測は外れる。この話は上巻の、システム1,2の続きだ。
そこから、従来の経済学よりも現実に則したプロスペクト理論が説明される。効用は参照点からの変化に影響され、さらに損失は利得より強く感じられる。保有効果や損失回避、単独評価と並列評価が不一致する選好の逆転などにより、人間はエコンのように合理的にはなれない。
また人間には記憶する自己を過大評価し、エンディングの記憶が幸福度の評価になりやすい。このように人の心理に従って正しく幸福の計測値を図ることは、政策などにも関わってくる。 -
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ネタバレ「エコン」と「ヒューマン」についてはあまり興味を抱かなかったが、「二つの自己」はストライクだった。経験と記憶がどのように相互関係にあるのか、その特徴がよくわかる。
巻末の論文の資料価値も高い。
〈スキル習得の基本条件〉
①十分に予見可能な規則性を備えた環境であること
②長期間にわたる訓練を通じてそうした規則性を学ぶ機会があること
→この二つがあれば直感はスキルとして習得可能である。まず規則性を見いだすこと、その上でその規則性を学ぶコンテンツを作成することが重要だ。
楽観バイアスは、認知バイアスの最も顕著なもの。人は自分の立てた目標は実際以上に達成可能だと思い込む。
行動して生み出された結果に対しては、行動せずに同じ結果になった場合よりも、強い感情反応が生まれやすい。後悔も含めて。
「フレーミング効果」
問題の提示の仕方が考えや選好に不合理な影響を及ぼす現象
〈経験と記憶〉
記憶の特徴は、「ピークエンドの法則」と「持続時間の無視」。
経験と記憶を混同するのは認知的錯覚。
過去から学んだことは将来の記憶の質を最大限に高めるために使われ、必ずしも将来の経験の質を高めるとは限らない。
きっと記憶に残るだろうと感じられる経験は、そうでない経験より大きな重みと意味を獲得する。
「焦点錯覚」
そのとき注意が向けられていた生活の一要素が、総合評価に置いて不相応に大きな位置を占めることになる。
システム1に起因するエラー防ぐには、認知的な地雷原に入り込んでいる兆候を見落とさず、思考をスローダウンさせ、システム2の応援を求める。 -
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「テロは、利用可能性の連鎖を引き起こすのである。」
認識としての直感は、たとえば消防士がなんとなく危険だと思う場所を避けた次の瞬間に爆発した、というようなものである。これは奇跡的に分かったのではなく、今までの経験と新しい現場に向かう最中の思考実験によって認識されたものであるので、奇跡ではない。
分母の無視:確率で事象を現すように、何人中何人が、と表すことで低い確率のものをより深刻に考えさせることができる。
貧しければみじめ:貧しい人は裕福な人よりも生活に満足を感じていない(=幸福度が低い)、しかし、ある程度の裕福度に達すると、そこから先はより幸福になれるわけではない。換言すれば、幸福はある程度お金で買える。
死亡前死因分析は面白い! -
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ネタバレ上巻では、システム1と2という2つの脳の働き(キャラクター)の違いと、それによる錯誤のメカニズムについて書かれていました。下巻では、さらに2種類の対比するキャラクターが出てきます。経済学で前提される合理的な人間(エコン)と、現実の間違いも犯す人間(ヒューマン)。経験する自己と記憶する自己。
これらのキャラクターの説明を通して、人間が何故、時として重大な間違いを犯すのかが書かれています。
最後にその間違いを重大なものに発展させない、政策や意思決定の可能性があるということ。それは個人では不可能に近いが、組織で行えば比較的可能であることが提案されています。
「なんでこんなことをしたのか?」という他人の行動を、もう少し近づいて考えることが必要で、人は全体で考えて幸せになる生き物なのだと考えさせられました。 -
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下巻では、まず行動経済学として知られることになった人間の選択行動について論じられている。さらに、二つの自己として、経験する自己と記憶する自己の違い、苦痛や幸福の評価軸の違い、について論じられている。双方とも興味深いテーマである。
第四部は経済的合理人である「エコン」に対して、系統的に誤る「ヒューマン」を対峙させる。この議論が、行動経済学の名で知られる意志決定に関する理論である。プロスペクト理論という名前でも有名で、S字を描く価値関数のグラフで知られている。人の選択において「参照点」「感応度逓減性」「損失回避」の特性を考慮すべきとされている。いったん保有するとその価値以上に手放すことを忌避する傾向「保有効果」も有名だ。
たとえば、同じ金額であっても選択にあたっては、変化の絶対値よりも割合の方を重視するとか、得る方よりも失う方を重視するというものだ。これらは「システム1」の特質から導き出せる。期待値よりもリスクを嫌う、変化の大きさに反応する、ということが人が適者生存の過程で生き残るにおいて有利に働いたということだ。言われてみればそうだよなというものだが、慎重にデザインされた実験から導き出されたのは最近の研究からだ。この辺りの議論は、本書でも何度も取上げられているがセイラーとサンスティーンの『実践行動経済学』と合わせて読むとよいだろう。
めったに起りそうもないことに対して過大な重みづけをすることも知られているが、「システム1」で解釈可能とされる。質問の表現の仕方(「10%が死ぬ」か「90%が生き残る」か等)で選好が大きく変化することを示したフレーミング理論も行動経済学の大きな功績とされている。
これらの選好に関する結論だけでなく、その結果が導き出される実験についても解説が詳しい。本書が長くなっている原因でもあるのだが、非常に重要なポイントでもある。
第五部は、「経験する自己」と「記憶する自己」の話。
記憶に基づく評価はピーク時と終了時で決定され、その持続時間には影響されないというものである(持続時間の無視とピーク・エンドの法則)。つまり、記憶されるものは経験されたものと同じではないということである。記憶する自己自体は「システム2」の産物かもしれないが、その快楽の評価は「システム1」から来るものである。それは記憶というものが何のために進化の過程で獲得されたのかをも示している。
まとめると、これらのことを「システム1」と「システム2」という仮説モデルにて説明したのが、本書である。ある分野の活性化など脳神経学の知見にも一部言及されているが、今後より具体的な研究が進む分野となるだろう。コールドウェルの『価格の心理学』でも参照されているが、実際のビジネスや政策にも適用される分野で広がりが期待できる。
改めて、細かいところは飛ばしてもいいので、読むべき本。 -
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人はよく「勘違い」とか「魔がさす」といったことがある。「勘違い」は、システム1が少ない手がかりから素早く意味を補い、違いを見落とすことで起き、「魔がさす」は、怒り・誘惑・焦り・場の空気などの自動反応が強くなり、システム2の点検が弱まることで起きる。全てはタイパ、コスパ重視のシステム1のなせる技だということがわかった。
もし人間がシステム2だけで生きるなら、偏見や衝動は減るかもしれないが、日常の判断、会話、共感、直感、創造性まで極端に遅くなり、生きにくい世界になるだろう。大切なのはシステム1を排除することではなく、日常ではその力を生かしつつ、重大な判断ではシステム2が「本当にそうか」と立ち止まることなんだと思う。 -
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ネタバレフレーミング効果はどのような形で提示されるかによって、人の選択が変わってしまう。たとえば、「術後1カ月の生存率は90%です」と伝えた場合と、「術後1カ月の死亡率は10%です」と伝えた場合では、どちらも同じ事実を示しているにも拘らず前者のほうが手術を選ぶ人が多かった。このように、自分では客観的な事実をもとに判断しているつもりでも、実際には情報の提示のされ方に影響されている。臓器提供の同意率の例でいうと、オーストリアでは100%近く、ドイツでは12%という大きな差があるが、その違いは免許証で「臓器提供したくない人」がチェックする形式なのか、「臓器提供する人」がチェックする形式なのかというものだった。質問に対する心構えができていない人はチェックマークを入れるか頭を悩ませるだろう。臓器提供の同意率が高い方が社会的に望ましいのなら、それが実現しやすいように制度を設計するという考え方は実用的ではある。しかし、質問の形式によって選択を誘導された結果をその人自身の意思だと言ってよいのだろうか。このフレーミング効果は、単に人の選択を変えるだけではなく、そもそもその選択がどこまで本人の意思によるものなのかを分かりにくくする。チェックしたという事実だけを見ても、それが本人の意思によるものなのか、提示された形式に影響されたものなのかは分からない。自分自身も知らないうちにフレーミング効果を利用されていないか、自分の判断が本当に自分の意思によるものなのかを考える必要があると思った。
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ネタバレ後知恵バイアスは、単に「結果を知った後に、結果を予測できていたと思い込む」というだけではなく、実際にことが起きてから、その結果に合わせて過去の自分の考えを修正してする。そして、その修正に自分では気づきにくい。例えば、日本は災害が起きた後に行政や政治家が非難されやすい。日本は災害の多い国なので、災害が起こること自体は誰もが想像できることだ。しかし、実際に災害が起きて被害の大きさを目にすると「災害が起こることは分かっていたのに、なぜこれほどの被害をあるのか」「なぜ事前に対策できなかったのか」と責める声が出てくる。それでは、地震が起きる前になぜ「もっとあれこれ対策しろ」と言わないのか。それはそれほど脅威だと思っていなかったからだろう。実際に災害が起きたことによって、過去の自分の楽観的な考えを結果に合わせて修正している。そして、そのことに自分自身が気づいていない。もちろん、専門家に事前に明確な情報があり、それを無視していた場合まで後知恵バイアスとして片づけるべきではない。それでも、被害が起きた後に「なぜ気づかなかったのか」と誰かを責めるとき、自分自身が結果を知ったことで過去を違って見ている可能性には注意する必要があると思った。結果が起きた後に「なぜ分からなかったのか」と誰かを怠慢や無能だと判断するときには、その判断自体が後知恵バイアスによって生まれていないかを考えるべきだ。
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ノーベル経済学賞受賞者であるダニエル・カーネマンの著書である。
同じ著者の『ファスト&スロー』は、人間の意思決定に関する行動経済学を扱った内容であったが、今回は組織の「判断」に関する内容であり、組織の判断は個人よりはずっと安定していると思っていた。
『ファスト&スロー』では、人間個人の意思決定にはバイアスがかかっていたり、気分や直感で行動したりするため合理的な意思決定をしていないことが紹介されていた。
本書では、組織としての判断において、いかにばらつきがあるかが紹介されており、そのばらつきを「ノイズ」と定義している。そして、組織の判断にはどのようなノイズがあるのか、またノイズを減らすにはどうしたらよいのかが示されている。
第一章「犯罪と刑罰」では、量刑に関するノイズが事例として取り上げられている。量刑は、同じ犯罪に対しては基本的に同じように決まるものだと思っていたが、それがとんでもない勘違いであったことが分かった。また、保険会社の保険料に関するノイズも非常に多いようだ。量刑や保険料が担当者次第で決まるため、本書ではノイズによってくじ引きのようなものであると、警鐘を鳴らしている。
ノイズにはさまざまな種類があり、「システムノイズ」「パターンノイズ」「機会ノイズ」に分類されている。それぞれのノイズがなぜ起こるのか、そしてノイズを減らしてより良い判断をするにはどうしたらよいのかが考察されている。
しかし、プロフェッショナルたちが一生懸命に真面目に取り組んだとしても、ノイズはなかなか減らせないようである。また、ノイズを減らしたとしてもバイアスは残る。個人の意思決定が不合理であるうえに、その個人の集合体である組織において、ノイズを減らし、バイアスをなくすことは、ほぼ不可能に近いと思われた。
では、どうしたらよいのか。
著者は、統計的に考えることや、計算式を活用したアルゴリズムを用いることで、ノイズを減らすことが可能だと言っている。
ただし、アルゴリズムに頼りすぎると、判断が機械的になりすぎるため、注意が必要だとも思われる。
本書を読んで、ノイズの多さと、それを減らすことの難しさがよく分かった。少しでも、ノイズを減らした判断をしたいと強く思った。
「判断のあるところにノイズあり」!