トミヤマユキコのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ・バディになったからといって、ひとつに溶け合う必要はないのです。「同じ」は少しでいい。「ばらばら」な方がかえって都合がいいときすらある。
・突然の弱み疲労にビビらない相手とは、プライベートでも仕事でも、俄然バディ感が出てくる。
・利用価値だけでひとを判断すると、ロクなことにならない。他人を信じるのが怖いというのも、わからないではないですが、人間ひとりでやれることって実はそんなにないですし、どうせ他人と協働しないといけないのなら、相手を信じられる方がいい。人間不信を乗り越え、他人を信じてこそ、実りある人間関係が築かれていくのだと思います。
・待つという受け身の行為は、ときに「甘え」とみなされたりもしますよね。とくに自己責任論が幅を利かせる現代社会において、自分で考え行動しない人間は、批判の対象となりやすい。しかしながら、甘えからくる依存心と、弱い自分を認めた上で、他人と共闘するべく受け入れ体制を整えるのとでは、意味合いが違います。
・ここで大事なのは、「これは自分で決めたことなのだ」という実感です。誰かに言われたり、世間体を気にして決めたりしたんじゃダメなのです。いろいろな選択肢があると知りながら、それでもなおふたりで生きていくーーーその主体的選択は、旧来的な結婚とは異なる二者関係へとわたしたちを連れ出すでしょう。
・最初のきっかけはなんでもいいのです。〜大事なのは、そこから時間をかけて自らの意思で相棒との関係を「結び直す」ことです。そうすることで、他から与えられた関係は自ら望んだ関係に反転します。 -
Posted by ブクログ
「女子」とは、要約すると、恋や性への絶望を知ってしまった、かつての「少女」ということらしい。恋や性にときめく少女期を過ぎると、おおむね妻や母になるだけだったかつての女性の生き方が多様化し、それにあわせて「少女マンガ」だけではおさまらなくなった多様な物語が望まれ、それに応えるべく生まれたのが「女子マンガ」ということなのだろう。恋愛にときめくことは悪いことではないが、それを断ち切ってみることで、女性が自分本来のパーソナリティやアビリティに気付くということはあるんだと思う。たとえば衿沢世衣子さんの、恋愛要素が一切ない女子校生たちの学校生活を描いた『シンプル ノット ローファー』で、これに出てくる女の子たちが異性を意識することなく、みんな一人一人が自分の好きなことをしていたり特技を発揮していたりしている魅力的な姿を見ると、恋愛って女性をつまらなくするよな、とか思ってしまうのだ。本作は、もう恋愛期の代名詞である「少女」を名乗れなくなった女性の生き方のモデルを、マンガの中のキャラクターに見出すという切り口によるマンガ作品の批評というか紹介本である。最近はまっている水凪トリさんの『しあわせは食べて寝て待て』はこの本で知った作品である。当たり前だけど「女子マンガ」は何も女子だけが面白いものではないのだ。
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Posted by ブクログ
ネタバレ自分の中で、最近、だれとどう生きていきたいのかみたいなことがホットトピックで、ロマンスに依存しない形でそれを考えたいと思ってきた。そんな時にタイトルを見て、バディ欲しい…と思い読んでみた。
「まあ、わたしら夫婦は男と女だけど、色恋じゃなくて友情で磨き上げたこの関係性を見てくれよ。頼むよ。
そんな思いになることが、しばしばあります。男女としかみなされないことが、なんだか息苦しい。みなさんの中にもそんな風に感じているひとがいるのではないでしょうか。
そこでバディものの出番です。」
こういうところ、すごくよかった。
途中から自分が通ってないコンテンツの話が多かったからか、ちょっと流し読みしちゃったけど、トミヤマユキコさんと夫さんが、色恋ってより、この人とは年寄りになってもいい茶飲み友だちになれると思ったこととか、磯野と中島とかぐりとぐらでいたいとか、そういう感覚好きだった。 -
Posted by ブクログ
読んだ。うん。内容は至極まっとうで、正しい。ただ、これは結局、誰に向けて書かれたものなのだろうか、と考えてしまった。おそらく異性愛者の女性、そして男性に向けての本なのだろうけど、語り口があまりにも「異性愛はいかに愚かなものか」「異性愛者の女性はいかに被害者で、いかにかわいそうか」という点を強調しすぎているように感じた。はたして、これを最後まで読み通す異性愛者の女性はどれだけいるのだろう。
「あなたはかわいそう! あなたは被害者! それはあなたが愚かだから!」という語り口は、いくら内容が正しくとも、それを自分のこととして受け止めることに壁を作ってしまうのではないか。異性愛者であることがかわいそうだなんて、そんなふうに言っていいのか、という気持ちも湧いてしまう。
海外の書籍を翻訳したものだから、ということもあるのだろうけど、X(蔑称)に垂れ流されているような言説をそのまま書籍として読む必要があるのか、と思ってしまった。特に著者の知人たちへのインタビューのパートは正直ひどいなと感じた。
アメリカで書かれた本でもあるし、そもそも前提となる状況が異なるということもある。日本では異性愛者の女性がクィアの人たちと出会ったり、頻繁にコミュニケーションを取るような環境は、まだそこまで整っていない。
土壌がまるで違う以上、この本の受け取られ方も同じではないと思う。翻訳されたということは日本の読者にも読んでもらいたいという意図があったのだろうけれど、正直なところ異性愛者の女性であっても、すでにフェミニズムやミソジニーに関する知識を持っている人たちに向けて「そうそう、ほんと最悪だよね!」と溜飲を下げるための本にしかなっていないように感じた。
改めて言うが、内容自体はとても正しい。家父長制やミソジニーの弊害を女性がこうむっていることについて、しっかり書かれている。でも、それが読む側にきちんと届くかというと、必ずしもそうではない。そんな、惜しい印象を受けた。