川島隆のレビュー一覧
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幸せになるために読書をするという発想を全否定し、「自分を嚙んだり指したりするような本だけを読むべき」
"ぼくらの脳天を直撃して目を覚まさせてくれる本でないなら、何のために本なんか読むんだ?本というものは、ぼくらの中にある凍りついた海を叩き割る斧でなければならない。"
・ユダヤ人迫害について
一つ目の理由は、資本主義の急速な発達、「ユダヤ人=金貸し」の伝統的なイメージ、ロスチャイルド家のような金融業での成功があり、ユダヤ人と資本主義の同一視。結局一握りだったが不安と不満の捌け口としてのユダヤ人だった。
二つ目の理由は、ダーウィニズムに代表される生物学的な発想。ユダヤ教である宗教集団はいつしか「人種」として定義し直され、イギリス発祥の優生学と、ナチスの排他的な思想が交差する。 -
Posted by ブクログ
なんといっても可笑しいのは、グレーゴルは虫になったのにその原因を探ることは一切せず、遅刻してしまう仕事の心配ばかりしていること。家族も彼の変身に驚きはするがすぐに事態を受け入れてしまう。なぜ虫になったのか、人間に戻れるのか、そういう疑問はまったく出てこない。
グレーゴルが変身した虫は原語だとUngeziefer(ウンゲツィーファー)で、語源的に「犠牲に捧げるのにふさわしくない動物」という宗教的な意味を持つ。捧げ物としてふさわしくない動物イコール役立たず、厄介者とも解釈できる。これまでは家族のために自身を犠牲にするかのように働いて一家を支えてきた男が、一晩で役立たずになる。グレーゴルの変身はいわば二重に起きているのだ。人間から虫へ、大黒柱から厄介者へ。役立たずの厄介者は共同体から排除される。資本主義の非人間性を描いていると見ることもできる。
引きこもり小説、または介護小説としても読める。引きこもりの息子は家族の恥だからと家族だけで問題を抱え込む。介護しているうちに物のように見なされていく。かつては家族を支えた男が、いつしか妹から「あれ」呼ばわりされ人間扱いされなくなる。
変身はグレーゴルだけではなく家族にも起きる。かつては一日中パジャマで過ごしていた父親は銀行の用務員になり、それを誇りに思って帰宅しても制服を着たままで過ごす(人格と職業が混ざり合うところも資本主義の一面を象徴しているように思える)。バイオリンに夢中だった妹は音大への進学を諦め店員として働き出し、将来の転職に向けてスキルアップの勉強を始める。そして借金を抱えているとグレーゴルは思っていたのに、一家にはひそかに貯金があったことが判明する!
意思の疎通のできない化け物になってしまったと家族は思っていたが、グレーゴルには人間性が残っていた。妹が演奏するバイオリンを聴こうと半開きのドアの陰からリビングを覗き込むシーンは、この小説中もっとも鮮烈なイメージとして脳裏に浮かんだ。「こんなにも音楽に感動しているのに、それでも動物なのか?」
過去に高橋義孝と池内紀の翻訳で読んだが、この川島隆訳がこれまで読んだ中でもっとも読みやすく感じた。70ページもの詳細な解説が付いていて読む助けになる。これから変身を読むならこの角川文庫がいいのではないかと思う。結びの文章が倒置法で訳されていてちょっと違和感があったけど、その意味は100分de名著の解説を読んで納得した。
グレーゴルが変身した意味や解釈を固定化してしまうと却って作品を矮小化してしまうと思う。曖昧なまま、各人が見えるものを見出せばいいのだろう。100ページに満たない分量に対して釣り合わないほどの巨大な作品。カフカすげえなあ、と今更ながら唸らされる。 -
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ネタバレ朝起きたら、自分が虫になっていた。
これほど異常な始まりなのに、本当に恐ろしいのは虫になったことではない。
グレゴールが働けなくなった瞬間から、家族の中で少しずつ「不要なもの」になっていくことだ。
彼はそれまで家族を養い、自分を犠牲にして働いていた。
だからこそ、役に立てなくなったあとの扱いがひどい。
最初は心配していた家族も、やがて彼を厄介者として見るようになる。そしてグレゴール自身も、その視線を受け入れるようにだんだん小さくなっていく。
これは虫の話ではないと分かってしまうから、読んでいて苦しくなる。
病気になったとき、仕事を失ったとき、誰かの期待に応えられなくなったとき。
人は案外簡単に、自分にはもう価値がないと思ってしまう。
この本は、人間の価値を「何ができるか」だけで測ることの残酷さを描いていると思う。
そしてもっと残酷なのは、その物差しを他人だけでなく、自分自身まで信じてしまうことだ。
虫になったのはグレゴールだった。でもむしろ変わってしまったのは、彼を取り囲む人間たちのほうだったのではないかと思う。 -
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ネタバレ良かった。あとがきや解説も含めて非常に後味の残る作品だった。
「変身」が、「一匹の巨大な虫」が何を指しているかは各々に任せられているとして、性役割的の歪さを女性の立場から描いた文章は現代では流行っていて非常にありふれたものになりつつある今、男性の立場からの生きづらさのようなものを描いたものは受け入れられづらくなっている印象になる。
いや逆なのか。男の視点からしか描かれていなかったからこそ、現代の潮流が女性の視点に寄っているみたいなことなのかな。
とにかく、すごく新鮮だった。
だからこそ村上龍は「すべての男は消耗品である」と述べた上で消耗品として生きていくことの覚悟を説いたわけで。
消耗され尽くした男は捨てられるのか。ともすれば寄生宿主として生きていた自分が、寄生虫になったとたん社会の(今回で言えば家庭内の)ゴミ同然の扱いを受けることに対して、僕は何を思えばいいのか。(今書いていて思ったけど虫って寄生虫って意味なのかな。カフカがどこの国の人なのか知らないし、原作が何語で書かれた作品なのかも知らないけど。)
両親や、妹への感情を過度に書かず、ただ淡々と彼らの描写に終止しているところに怖さを感じる。世界のすべてを事象として捉えていることに怖さを感じる。自分の苦しみや、自分の死すらも第三者というか神様?みたいな俯瞰の視点から書くんだろうか。 -
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ネタバレみなさんお久しぶりです。観想的やすこです。本書はホモ・サピエンスが築き上げた社会の不条理さや冷たさをグレゴール・ザムザの悲しき人生の末路を描写することで皮肉的に表現しているのです。グレゴール・ザムザは家族想いの健全な男性でした。両親と妹との4人での生活を支えるため毎日懸命に働いていました。しかしながらそんな彼が醜い蟲へ「変身」した途端に彼の家族もまた変わってしまったのです。家族たちは彼へと冷め切った目線を向けるように「変身」を遂げるのです。わたくしやすこ的解釈としては本書のタイトルはグレゴール・ザムザの穢れた蟲への変身を指しているのではありません。身の回りの状況が変わった途端に、態度をくるっと変えてしまう。相手がいままでしてくれた行為を鑑みずに。そのような人間の変わりようを指しているのであります。人間は思っているよりも冷たい動物なのかもしれませんね。以上観想的やすこでした。またどこかで会いましょう。
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この作品には、なんとか社会に適応しようとして、無理をすればぎりぎりそれができてしまう人間の苦しみが書かれていると思った。
無理をしての成功と平和だから、それを続けるも地獄、ドロップアウトするも地獄。ドロップアウトした自分には価値がないと恐れていた。
本人からすると綱渡りだが、傍から見ると、大丈夫な人にしか見られない。無理して得ている成果も当たり前のこととされ軽くなっていく。
絶望名人のカフカは、出世に興味がなかったけど、勤めに出ればわりと仕事はできて、出世コースだったと知って、やっぱりという気がした。
未来へ向かう家族に焦点が当たる終わり方が残酷ですごくいい。
小間使いのお婆さんは理解者だったのかな。変わり者のお婆さんも、社会とズレてあり続ける人だから、グレゴールと同調するものがあったのかも。 -
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村上春樹「海辺のカフカ」を読む前に、1冊くらいカフカを読んでおこうと手を伸ばした。
本編100ページに対し、解説70ページ。
噂に違わず、難解なのかと構えたが、意外と読みやすい。
グレゴールは朝目覚めると、虫になっていた。
ベッドから降りる。シーツをかぶる。壁を這い回る。本人は真剣そのものなのに、笑える。
だが全般に漂う、閉塞感と絶望感。カフカの特徴らしい。
現在のチェコに生まれた比較的裕福なユダヤ人で、ドイツの女性と婚約を二度(破棄も二度)したカフカ。ナチスドイツも出てきた時代の、サラリーマン作家。そういった背景も含めて触れたほうがいい作品だと思いました。
三部構成のうち、二部はやや間延びしたように感じたが、一部と三部は好きだった。 -
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ネタバレグレーゴル・ザムザは巨大な虫に、変わってしまった。
虫に変身したことで、厳しい労働環境、家内で自分が働かなければというしがらみから解放されたようにおもわれた。しかし、「…ふたたび仕事にとりかかった(102)」から、虫となった今では生きる行為が肉体労働に値するほど大変である状態となり、解放されるどころか肉体的にも精神的にも不自由な、閉鎖的な狭い檻に閉じ込めまれてしまっており、字面での労働も虫としての働きも本質的には同義であるようなふうにも思えた。
商人として海外を飛び回わった過去と、虫として部屋の中を動き回っている今との、彼の周りに広がる世界がコントラストになっており、逆説的にこれまでの商人という立ち位置もあながち悪くなかったのではと思わされる。
兄はすでにいないが、巨大な虫こそが兄であると認識する家族。兄だと思っていた虫が死ぬことで、今残っている家族を見つめ直すことができたのが、グレーゴル目線では寂しくあるが、まさにグレーゴルだけが可愛がっていた妹に対する両親の印象が、(グレーゴルの部屋掃除や食事を出す+後半の精神的変化によって)子供から大人に変わり、家族の関係が前向きに変化している。
妹は虫を兄と認識し、機械的でありながらもいつか元の兄の姿に戻ることを期待しながら、虫とは認知しながらも可能な限り兄のためにと行動をしていた。
グレーゴルの理解者が妹→母(荷物の移動)→誰もいなくなると変化。徐々に疎外感が強まっていく印象。
みなが虫となったグレーゴルを、グレーゴルと認識すること。グレーゴル自身が虫となった事実を受け入れていること。
→ありえないことが事実起こっているという矛盾にも感じる状況であっても受け入れざるをえない。むしろ、その方が自分にとって都合の良い解釈ともなるから、という風に感じた。まさにこの世の不条理さ、非現実やありえないと一掃しようとしても事実起こっている現実は変わらないのであるということを伝えたいと感じた。 -
Posted by ブクログ
私にとって文学は、自分の感受性を鍛えてくれるもの。
一読するだけでは説明の列挙でつまらないと感じてしまうが、解説や他者の感想を読むと、現実社会とのメタファーに気付けたり、「そういう意味だったのか」「この文章を読んでそういう風に感じる人がいるのか」と、自分の発想に無いもので予想もしていない角度から殴られる感覚が気持ちいい。
この本は年齢や立場、読む時の自分の心情、誰に感情移入するか等で印象がガラッと変わる作品。
読み手が「虫」を「病気」「無職」「介護」「鬱」「依存」...何に置き換えるか。
物語の根幹である「虫」について「どんな虫なのか」「どうして虫になってしまったのか」あえて説明しないことで読み手に物語を委ねる「説明しない美学」が美しい作品。
「ブラック企業・社畜」
グレゴールは両親の借金を肩代わりし、自分の時間を犠牲にして五年間で一度も仕事を休むことなく働く献身的な人。しかし、「虫=病気=無職」になり、働けなくなった瞬間に価値を失い、家族に疎ましく思われる存在になってしまう。
「介護・ヤングケアラー・障害」
家族の誰かが意思疎通もできない状態になってしまっても、大切な人のために身の回りの世話をしなくては、という気持ちと、この人がいなくなった方が残された家族は身体的・経済的にも幸せなのではないかという葛藤。本当に辛いのは、「虫になったこと」ではなく「家族が徐々に冷たくなっていく過程」
「鬱病・メンタル不調・偏頭痛・理由なく朝起きられない人・引きこもり・依存症・社会的・性的少数派」
理解されにくい持病や、多くの人が当たり前にできることが当たり前でない人、説明できない苦しさ、理解されにくく、本人の意思でどうにもできない苦しみの投影。
タイトルの『変身』はザムザ? それとも家族?